鳥の詩［５］




あの空を回る風車の羽根達は
いつまでも同じ夢見る
届かない場所をずっと見つめてる
願いを秘めた鳥の夢を


「う……ん」
今日も、リナのベッドで目を覚ます。太陽の位置からして、もう午後らしい。
「やっと目を覚ましたわね、ガルーダ新人賞候補作家さん」
「えっ？」
「何度でも言うわ。ガルーダ新人賞候補作家さん」
「どうして……そんなことが」
「この雑誌に書いてあるわよ」
月刊「ガルーダ」。そんなにメジャーな雑誌ではないが、この雑誌の新人賞を受けた作家は、のちにこの国の純文学作家に贈られる最高の賞、「サラスヴァティ賞」を受ける確率が高いのだ。
「僕の……どの作品が」
「あたしも読んだこと無いわ。『火曜日のクリスマス・ツリー』」
それは、元のアパートを追い出される直前に『ガルーダ』に持ち込みした原稿だった。
「あの……あの作品が」
「読みたいな、この作品」
「待っていて下さい」
ゼロスは、Ｔシャツにジーンズの格好で、街の大きな本屋に向かった。相変わらず人気のない文芸雑誌コーナー。『ガルーダ』は何冊か残っている。ゼロスは、レジを通るのももどかしく、リナの家にとって返した。
「リナさん、これです。この作品」
リナは、ソファに腰掛けて、静かに『火曜日のクリスマス・ツリー』を読んだ。そして、立ち上がって、ゼロスの頭を抱きしめた。果物の匂いがする。
「素晴らしい作品だわ。ガルーダ新人賞候補になるだけのことはある。ゼロス、大作家になれるわ」
「大作家になんてならなくていいですけど、リナさんに誉められたのは嬉しいですね」
「『ガルーダ』の編集部に連絡を取った方が良くない？」
「そういえばそうですね。リナさんが『ガルーダ』を読んでいなければ気づかないところでした。僕は、携帯は持ってないし、前のアパートの電話はとっくに解約されてしまっただろうし……」
「あたしのマンションの電話じゃさすがにまずいから、ゼロスも携帯を買った方がいいわね」
「でも、僕、免許証も保険証も持ってませんよ」
「あたしの名義で買えばいいじゃない。といっても、あたしも未成年だから、今のクラブの名義になるけど」
「そこまでご迷惑は……」
「あー、うるさいっ！あんたがこの家に住んでる時点で、既に迷惑はかかってるの！いまさら携帯の一つや二つでがたがた言わない！」
リナは家を飛び出していった。２時間後に、最新式のワインカラーの携帯電話を持って帰ってきた。ゼロスは、その携帯から『ガルーダ』編集部に連絡を入れた。
「メタリオム先生、助かりましたよ。本人に連絡が取れないまま受賞ってことになったらどうしようって、皆で言ってたところですよ」
「すみませんでした」
「実際、メタリオム先生は有力候補なんですから。今のところ、ライバルはいませんね」
「本当ですか……」
「授賞式の暁には、ちゃんと礼服着てきて下さいよ。いつものＴシャツにジーンズじゃダメですからね」
「はい……分かりました」
電話は切れた。
「どうだった？」
リナが、冷えた缶ビールを二本持って、側に来ていた。
「僕は……有力候補なんだそうです」
「やっぱり」
リナは、缶ビールのプルリングを押し込んで、ゼロスに渡した。
「乾杯しましょう」
「それは、受賞してからでもいいのでは……」
「その時は、もっとぱあっとやるわ。今は、候補になったお祝い」
二人は、缶ビールの縁を軽く合わせた。
ビールの心地よい酔いから目を覚ますと、空のビール缶の下にメモがはさんであった。
「仕事が入ったので、行って来ます。お金を置いていくので、晩ご飯はしっかり食べてね」
ゼロスは、急に現実に引き戻されて、ソファに寝ころんだ。
（リナさんが、『仕事』をしなくて良くなったら……）
ゼロスは、自分のそんな考えに苦笑した。自分は、まだリナの身体に触れさせてもらってもいないのに。
（とりあえず、僕の仕事をするべきですね）
ゼロスは、ノートパソコンのスイッチを入れた。


「ブレフィス……様。ご指名ありがとうございます」
「嫌でたまらないと言った顔だな」
ブレフィスは、リナの身体を引き寄せた。
「今日はお前に金は払わん」
「そんな……！困ります。店の方に電話をかけさせていただきます」
「君は、『ガルーダ新人賞』の選考委員長を知らんのかね？」
「ブレフィス……様」
「そうだ。君の友達の作品は、実に優れているな」
「…………」
「ただ、私が駄目だといったらどうなるかな？」
「分かりました。今日のお代は頂きません」
ブレフィスは、鞄から太い荒縄を取り出した。
「お客様。当クラブでは、そのようなご要請には応じかねます」
「今日は、そういう堅苦しいことは言いっこなしにしようじゃないか、リナ。さあ、両手を前にそろえて出すんだ」
リナは、唇をかみしめた。そして、手を差し出した。


仕事中に、ガウリイの携帯が鳴った。ガウリイは目を疑った。それは、リナの番号からだった。
「リナ、どうしたんだ。お前から電話をかけてくるなんて」
「ガウリイ、ごめんね。今、お仕事中？」
「お前のためなら、仕事ぐらいいいさ。それより、何か頼みがあるんだよな？俺にどうして欲しい？」
「どこかの、シティホテルの部屋を取って。後は、そこで話す。あ、それから……できたら、長袖のブラウスとロングのスカートが欲しい」」
「わかった。待ってろ」
ガウリイは、仕事を抜け出すと、部屋を取った。そして、リナの電話に折り返し連絡した。

「リナ……何があったんだ」
「ガウリイ……ごめんなさい、あんたくらいしか頼れる人、思いつかなかったの」
リナの手首と足首には、青黒い拘束の痕がくっきりと残っていた。
「リナ！お前の所属しているクラブでは、そんなことはさせないんじゃなかったのか」
「ちょっと事情があって……ここに、傷薬とか、包帯用意してきたから、手当、して欲しいの」
リナは、ブラウスを脱いだ。背中には、赤く血のにじんだみみず腫れが幾筋も走っていた。
「誰がこんなことを！俺がぶちのめしてやる。リナ、誰がやったんだ！」
「言えないわ」
「畜生……」
傷薬を、みみず腫れに塗り込み、絆創膏を貼る。手首と足首の青い痕に、包帯を巻く。全てが終わると、リナはガウリイの買ってきた長袖のブラウスと、ロングスカートに着替えた。
「この夏に、長袖のブラウス探すの、結構大変だったぜ」
「ありがと。ガウリイ、あたしを、抱いてもいいよ」
「馬鹿……今のお前にそんなことが出来るかよ」
「じゃあ、いつか抱いていい」
「ああ。お前が俺に惚れたらな」
リナは、ガウリイの胸に抱かれて言った。
「ねえ、覚えてる？あんたが初めてあたしを買ったときのこと」
「忘れるもんか」
「あんたはめちゃめちゃに酔っぱらってて……それで、うちのクラブに連絡してきたのよね。そして、あたしが着いたときにはもう半分寝てた。そして、あたしを見て、『こんなガキ抱けるか』って言ったのよね。結構傷ついたんだから」
「疲れたろ。ひどい顔してるぜ。しばらく寝てろ」
「うん……側にいてくれる？」
「ああ。お前が目を覚ますまで、側にいるよ」
「あ、それから、お願い。このことを、ゼロスにだけは、絶対に言わないで」
リナは、あっという間に眠りに落ちた。うつぶせの目から、涙が流れ落ちた。
「ゼ…ロス」
涙を流しながら、つぶやく。
「ゼロス」
「そりゃないんじゃねえのか？」
ガウリイは、リナの紅茶色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、ため息をついた。

夜中に近くなってもリナは目を覚まさなかった。ガウリイは、リナを抱き上げてチェックアウトすると、リナの財布から住所が書かれたカードを探し出し、タクシーでリナの家に向かった。
ガチャガチャ、と鍵の鳴る音がした。リナが帰ってきたのだろうと思って、ゼロスは玄関に出た。ガウリイが、リナを抱き上げて、立っていた。
「ゼロス＝メタリオム……」
「ガウリイさん……」
「なんで、お前がここにいるんだ」
「家賃滞納でアパートを追い出されて……リナさんが、ご親切に宿を提供してくれているんです」
「分かった。とにかく、リナの目を覚まさせたくない。寝室に案内してくれ」
ガウリイは、リナをそっとベッドに降ろした。傷が痛むのか、リナは形の良い眉を僅かにしかめた。
「後のリナさんの面倒は僕が見ます。ガウリイさんは帰って下さい」
「俺が、リナの面倒を頼まれたんだ。目を覚ますまで側にいると約束した。おまえこそ、居間にでも行ってろ」
「リナさん……何があったんですか、ガウリイさん」
「お前に教えることじゃねえよ」
「ガウリイさん！」
「大声出すな。リナが起きちまうだろ」
「あ……この手首の包帯は何なんですか」
慌ててもう片手もめくる。
「両手に、包帯。ガウリイさん、教えて下さい。何がリナさんにあったのか」
「お前にだけは教えるなと言われている、ゼロス＝メタリオム」
二人は、横で眠るリナを見ながら、睨み合った。
「傷ついたリナが、なんでお前じゃなく、俺に助けを求めてきたと思う」
「あ……」
「お前はお呼びじゃないんだよ。傷ついたリナは俺を頼った。俺も、まさかここにお前がいるとは思わなかったから連れてきたんだ。わかったらさっさと居間へ行け。おれは、リナが目を覚ますまで側にいると約束したんだ」
ゼロスは、ふらふらと立ち上がった。居間のソファで横になり、天井を見つめた。
（なぜ、僕に頼ってくれなかったんですか……）
ゼロスには分からなかった。ゼロスが、寝返りを打っていると、ガウリイが寝室から姿を現した。
「おい、お前、今は仕事してるのか」
「小説を書いています」
「その小説は売れてるのか」
「新人賞の候補にはなりました」
「俺が聞きたいのはそんなことじゃない。お前は、お前の小説で、金を稼いでいるのか？」
「…………」
「お前はリナのヒモってことだな」
「違う！」
「その服も、今日のメシも、誰の金で買った」
「…………」
「そういうのを、ヒモって言うんだよ」
「僕は……僕の小説が新人賞を取れば……すべて、リナさんに返すつもりです。そして、この家を出るつもりです」
「当てにならねえ話だな。第一、その新人賞とやらでもらえる金はいくらなんだ」
「５０万」
「それっぽっちで、リナがお前にしてやったことを返せると思ってんのか？」
「新人賞を取れば、単行本になります。その印税が入れば……」
「ああ、分かった分かった。とにかく、リナに金は返せよ。リナには、夢があるんだから」
「夢……？」
「なんだ、聞かせてもらってないのか。リナにとって、お前はその程度の存在ってことだ」
「ガウリイさん、もう帰って下さい。リナさんの面倒なら僕が見ます」
「そうはいかない。俺は、リナが目を覚ますまでそばにいるって言っただろう」
「お腹、空きませんか。何か作りますよ」
「いらねーよ」
「じゃあ、僕は勝手に料理させてもらいます」
ゼロスはコンロに向かった。卵の焼ける、香ばしい匂いが漂う。
「おい、ゼロス」
「なんですか、ガウリイさん」
「俺の分も作ってくれ」
「わかりました」
二人は、向かい合って、チーズオムレツを食べた。
「この玉子もチーズもリナの金から出てるんだからな」
「ちゃんと分かってます」
「旨い」
「は？」
「お前、料理上手いな」
「……ありがとうございます」
「しばらくは、栄養のあるものをリナに食べさせてやってくれ」
「分かりました」
その時、リナの声が響いた。
「ガウリイ？あ、あれ？どうしてあたし、自分の家にいるの？」
リナが長袖・ロングスカートの姿で、ひょっと居間に顔を出す。
「ゼロス……ガウリイ！そっか、ガウリイがあたしを家に連れて帰ったのね。二人とも、喧嘩しなかった？……って、二人で美味しいもの食べてれば、喧嘩もなにも無いわね。いい匂い。ねえ、ゼロス、あたしにも作って」
「ええ、待っててください」
溶けたチーズをくるみ込んだオムレツを作ると、リナはあっという間にそれを食べてしまった。
「ふう……お腹一杯になったら眠くなっちゃった」
「リナさん……また寝るんですか？」
「すごく疲れてたの。もうしばらく、寝かせて」
「じゃ、約束は果たしたから、俺は帰るよ。ゼロス、リナのことよろしく頼む。それから……」
強い力で引き寄せられる。
「絶対に、リナの怪我について詮索するな」
ガウリイは、片手をあげて、帰っていった。リナは、あくびをして、寝室に入った。ゼロスは、ソファの上でノートパソコンを拡げ、小説を書き進めた。
それから４日、リナは部屋から出てこなかった。ゼロスがノックすると、
「絶対入らないで！」
と怒鳴られた。ゼロスは、食事を作ってリナの部屋の前に置いた。しばらくして行って見ると、皿は空になっていた。ゼロスがソファで眠り込んでいる間に、そっとシャワーを使う音が聞こえた。
５日目。
「リナ＝インバース、復活ぅ！」
リナは朝から元気だった。半袖のパジャマを着ている。包帯の巻かれていた手首には、傷跡一つなかった。
「ゼロス、ご飯作ってくれて、ありがとね」
頬にキスをする。甘い果物の匂いがただよった。
「さて、今日は礼服を買いに行こうか」
「えっ？まだ受賞したわけでもないのに、気が早くありませんか？」
「何言ってるの。他の候補作も読んだけど、大したこと無かったわ。編集部からも、有力候補って言われてるんでしょう？」
ゼロスが想像していたディスカウントの紳士服店ではなく、街の片隅にある品の良い紳士服店にリナは入っていった。
「この人の礼服を、お願い」
「ご予算は」
「とにかく、上等なものを作って」
リナの携帯が鳴った。
「はい。ええ……ええ……すみません、ちょっと風邪を引いていたもので……今からですか？カルナックホテルの２４２７号室ですね。はい、すぐ向かいます……」
電話は切れたようだった。
「ゼロス、この礼服分、稼いでくるわ。採寸が終わったら、家に戻ってて」




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リナちゃんをまた、またひどい目に遭わせてしまってすみません。ちなみに、作中の雑誌「ガルーダ」は「群像」あたりのイメージ、「サラスヴァティ賞」は言うまでもなく「芥川賞」のイメージです。まあ、芥川賞はそんなに賞金は出ませんが。ガウリイとゼロスが向かい合ってオムレツ食べるシーンは、密かにお気に入りです。では、あと一話、よろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。(04/01/30現在)　いやー、若い女性２人が芥川賞取りましたね。びっくりです。でも私は京極夏彦さんが直木賞を取ったことが嬉しかったり。（ファンなのです）


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