鳥の詩［４］


次の朝から、ゼロスはリナにパソコンを習い始めた。
「きちんとしたキーボードタッチを覚えるだけでずいぶん違うんだからね」
ゼロスの長い指の上に重なる、リナの小さな手。
「小指はここ……」
近づくと感じる、甘い香り。
「で、親指でこのキーを押して変換。わかった？」
「分かりましたが……やっぱりレポート用紙の方が馴染みやすいですね」
「慣れよ、慣れ。今時の小説家が、パソコンぐらい使えなくてどうするの。慣れれば、原稿をメールで編集さんに送ったり、打ち合わせも出来るし、便利なんだから。って、何を当たり前のことを説明させるのよ！？」
「僕は、とてもパソコンが買える収入はありませんでしたから」
「わかった。ノートパソコン、買ってあげる」
「えっ？」
「おっと、お金がどうのとか言い出さないでね。あんたの原稿料で全部返してもらうんだから」
「何だか僕、借金がどんどんかさんでいくような……」
「早くベストセラー、書いてちょうだいね」
二人は、リナの車に乗って、電気街に出た。
「２２万〜？高いわよ。１５万にまけて」
「お客さん。こちらのお値段でも相当お安くしてるんですよ」
「じゃあ１８万」
「厳しいですねえ、お客さん。１９万！その代わり、こちらのソフトをお付けします」
「そうねえ……モデムもつけて１９万なら」
「お客さん〜」
さんざん交渉したあげく、相手に頭を下げさせて、リナはノートパソコン一式を買った。ゼロスは、脇で呆然とリナの手管を見ているだけだった。
「リナさん、買い物上手ですね」
「これでもあたしは商人の娘よ。こういうやりとりは、一番得意なの」
「僕には真似できませんね」
「生活の知恵よ」
家に戻ると、早速新品のノートパソコンの箱を開ける。プラスチックの匂い。
「このパソコンが、金のタマゴを産むガチョウになりますように」
リナは、そっとパソコンにキスをした。


リナは携帯電話で呼び出されて、仕事に行った。ゼロスは、ソファに座り込み、慣れない手つきでノートパソコンをいじっていた。ワープロソフトを立ち上げ、文章を打ってみる。
『僕は今、恋をしている。』
しばらく、どうしてそんな文章を打ったのか分からずにいた。続けて打つ。
『僕は今、激しい恋をしている。』
ゼロスは額を押さえた。とめどない、自分の気持ちに翻弄され、目を閉じる。強く明るく、綺麗な彼女。あの、公園で初めて出会ったときから。僕は、彼女に惹かれ続けていたのだ。
（今は誰かに抱かれている……）
そんな彼女に。金さえ払えば、誰のものにでもなる彼女に。僕は恋をしているんだ。
『僕の愛した人は、娼婦だった。』
三行目まで書いて、ゼロスは消去ボタンを押した。儚い文章は、あっという間に消え、ほの白いワープロの画面だけが残った。
（さてと）
ゼロスはソファに腰掛けなおす。
（本腰を入れて、小説を書かないといけませんね……）
ゆっくりと指は動き、文章が白い画面に生まれていった。


「ただいま、ゼロス」
「お帰りなさい、リナさん」
「……何？このいい匂い」
「晩ご飯を作ってみました」
「あんたが？」
「一人暮らしの時にはずっと自炊でしたからね。お手の物ですよ」
リビングのテーブルの上に、何種類かの料理が並んでいる。
「うん、美味しい！ゼロス、やるじゃない」
「よかった。気に入っていただけたようですね」
「あ、ホタテのクリーム煮！あたしこれ大好物なんだ」
「じゃあ、全部あげます」
「あんたはいいの？」
「作る途中で、結構味見しましたから」
「そうよね、料理って、作ってる最中に結構食べちゃうのよね」
「リナさんも料理、出来るんですか？」
「まかせてよ。姉ちゃんにさんざん仕込まれたんだから」
「こんど、食べさせて下さい」
「うん。今度、お休み取って、作るよ」
二人は、しばらく無言で食事を続けた。
「……そうだ、あれからパソコンはいじってみた？」
「ええ。もう小説も書き始めましたよ」
「良かった。最初の一文はどういうの？」
「『僕は今、恋をしている』」
「なかなか素敵じゃない。ラブストーリーになるの？」
「それは、まだ僕にも分からないんです」


ある日、リナは疲れた様子で帰ってきた。
「あー、嫌な客に当たっちゃった」
「嫌な……客？」
「身体には、一切触らないんだけどね。あたしに悪口雑言投げつけるの。売女だとか、女ぎつねだとか、生きてる価値ないとか」
「何のためにそんな……」
「ストレス解消、って奴じゃない？客の身分を明かすのはほんとはルール違反なんだけど、あんたにならいいか……教育評論家の……ってやつよ」
「あんな有名人が？」
「テレビではさんざん偉そうなこと言ってるくせにね。だから、この仕事しだしてから、すっかり人間不信になった時期もあったわ」
「今は？」
「慣れた。人間、どんなことにも慣れるものね。でも、今日みたいなお客がつくと、さすがに滅入るわ」
「リナさん……」
「売女、ってのは、確かにその通りなんだけど……あたし、生きてる価値、ちゃんとあるよね？死んだ方がましな人間じゃないよね？」
「当たり前じゃないですか」
リナはゼロスの胸にしがみついた。シャツの胸が、温かな涙で濡れた。ゼロスは、しばらく迷っていたが、リナの背中に手を回した。ぎゅっと抱きしめると、リナはいっそう強くゼロスの胸にすがりついた。やがて、リナはゼロスの腕の中でもぞもぞ動いた。ゼロスはリナを放した。
「えへへ、泣いちゃったなあ……」
照れくさそうに、リナは笑った。そして、奥の寝室にはいると、ゼロスのジャケットを取って、ゼロスに放った。
「……？」
「呑みにいこ、ゼロス。いいお店知ってるんだ」


『お酒が静かに眠っています。起こさないようにそっとお入り下さい』
そんな小さな看板が出た、地下のバーに、二人は降りていった。重い木のドアを開ける。
「おや、リナちゃん」
初老の品のいいマスターが、二人を迎えた。
「そちらは、お客さん？」
囁くような声で言う。
「違うわ。あたしのボーイフレンド」
「それはそれは」
マスターは、二人の前に小さなナッツの入った小皿を出した。
「ご注文は？」
「とりあえず、ミモザ。ゼロスは？」
「お任せします」
「じゃあ、私の得意なＸＹＺでいいですか？」
「ええ、お願いします」
二人がカクテルを味わっていると、スーツ姿の若い銀髪の客が入ってきた。
「リナ、久しぶりだな」
「ゼル、元気にしてた？」
「ああ。そっちの男は、今夜の客か？」
「違う違う。あたしのプライベートな、ボーイフレンドよ。ゼロス＝メタリオム。作家よ」
「ああ、あの『迷宮の牝羊』の……」
「ぼ、僕の作品を読んでいらっしゃるんですか！？」
思わずゼロスは立ち上がる。
「ああ。読んだ。印象に残る作品だった。こんなところで作者に会えるとは、光栄だな」
「ゼロス。こっちは、ゼルガディス＝グレイワーズ。超理系ミステリー作家と言えば分かるかしら？」
「……分かるもなにも。すごいベストセラー作家じゃないですか」
「俺はそんな風に言われるのは好きじゃないな」
「すみません」
「しかし、リナがボーイフレンドを連れてくるとはな。ここでリナと会うのは、リナの客だとばかり思っていたが」
「……あなたは」
「あーあー、心配しないで。ゼルはあたしの客になったことはないわ。ゼルはアツアツの恋人がいるんだから。今日も待ち合わせ？」
「……ああ。リナ、『アツアツ』とかいうのはやめてくれ」
「『らぶらぶ』の方が良かった？」
マスターがくすくす笑う。
「グレイワーズ様も、リナちゃんにかかると形無しですねえ」
「あ、あの……」
ゼロスが口を挟む。
「僕の作品、プロの目から見て、どうでしたか？こんなことを聞くのは図々しいと分かってはいるのですが」
「さっきも言ったとおり、印象的な作品だった。ただ、批評して欲しいというのなら、欠点はかなりある。まず、全体的に分かりづらく、読みづらい。よっぽど気を入れて読もうとする読者以外は置いていかれるだろうな」
「……他には」
「ラストはあれで良かったとも思うが、急ぎすぎの感があったな。もっと余韻が欲しかった……こんなところでいいか？」
「ありがとうございました」
「元々俺はミステリー作家だ。純文学のことにあまり口は挟みたくない」
「グレイワーズさんのミステリーは、文学の香りがしますよ」
「ゼルガディスでいい。お互い、いい作品を書こう」
「ほんとうに、ありがとうございました、ゼルガディスさん」
ゼルガディスは、奥のソファに座り、シングルモルトのウイスキーをゆっくりと飲んでいた。やがて、表のドアが開いて、黒髪の美少女が入ってきた。
「こんにちは、マスターさん。リナさんも」
「こんばんは、アメリア」
「リナさん……ずばり、その人はリナさんの恋人ですね？」
「な、な、何言ってんのよ。こいつは単なるボーイフレンド。……でも、よく客じゃないって分かったわね」
「リナさんの雰囲気、いつもと全然違いましたから。すっごく楽しそう」
「そうかなあ」
「ゼルガディスさん、お待たせしました」
「いや……そこのリナのボーイフレンドとも有意義な話が出来たしな。マスター、こいつにノンアルコールのカクテルを」
「かしこまりました」
「リナも、未成年だろう。あんまり、呑むなよ」
「こういう仕事してるとね、呑まずにいられない日もあるのよ」
「まあ……そうかもしれんな」
ドアが、再び開いた。中年の、脂ぎった顔の男が入ってきた。
「いらっしゃいませ、ブレフィスさま」
「おう、グレイワーズ。相変わらず儲けてるらしいじゃねえか。そっちの子は何だ？恋人にしてはずいぶんと幼いな」
「アメリアは俺の婚約者だ。あまりじろじろ見るな」
ブレフィスは、カウンターに目を向けた。
「やあ、リナ。そいつが今日のお前の客か」
大声で言って、リナの隣に腰掛けた。
「違う違う。こいつはあたしの友達。プライベート」
「と言うことは、リナとタダでやらせてもらってんのか！ははは、こいつぁお得だな」
「ちょっと！あたしとゼロスはそーいうんじゃないってば」
「俺は一晩１０万でお前を買ってるのになあ、リナ」
リナは不機嫌そうに顔を背ける。
「おい、それが一度でも客になったものに対する態度か？まあお前はガキだから、そう言う礼儀が分からないのかも知れないけどな」
「お客様、お静かに……」
マスターが、口を挟む。
「おい、そっちの兄ちゃん。リナと一緒にいるってことは、出版業界のものか？見たことのない顔だな」
「ゼロスは作家よ」
リナはブレフィスを見ないで言う。
「ゼロス……聞いたことねえな。新人か？おい、ゼロスとやら。俺のことは知ってるよな？」
「ええ。トーマス・ブレフィス。純文学の大御所」
「ははは、世辞を心得てるじゃねえか。俺はまだ、大御所なんてもんじゃないよ。名前は？ゼロス……何てんだ」
「メタリオムです」
「覚えといてやるよ。文学界のアイドルのリナのプラトニックな友達。めったにあるもんじゃねえや」
「文学界の……アイドル？」
「ゼロス、聞くことないって！」
「教えといてやるよ。リナは、見ての通りのロリータ・フェイスに、文学の知識も豊富ときてるからな。文学界にこいつの客は多いよ。中には、何百万と入れあげている奴もいる」
「ゼロス、いこ」
リナは立ち上がった。ゼロスは慌てて後に続く。
「マスター、つけにしといて」
「かしこまりました」
ブレフィスは、ゼロスの腕を掴んで囁いた。
「リナを見た目通りの娘だと思わない方がいいぞ。しっぺ返しを食うのはお前だ」
ゼロスは、握られた腕をふりほどくと、リナの後を追って階段を上った。

「ブレフィスに、何言われたの」
「何でもありませんよ」
「あー、今日あいつがこの店に来るなんてなー。名物の生チョコ食い逃しちゃった」
「リナさんは、あの人の……」
「あいつは、何度かあたしの客になったわ。でもそれだけ。下品だし、場をわきまえないし、あの人の作品とは大違いね」
「確かに」
ゼロスも、人気作家ブレフィスの本は読んだことがあった。荒々しい中にも、静謐な気品が溢れている、そんな小説だった。
「あたしも、あの人の作品は好きなんだけどな……」
リナは、少し寂しそうに言った。
「ゼロス、あんな作家にはならないでね。今のところ、ゼロスの作品は、ゼロス自身の醸し出す雰囲気と似てるわ」
「気をつけます」
「じゃあ、飲み直すか」
「まだ呑むんですか？」
「あんな嫌な思いしちゃったんだもの。当たり前でしょ？タクシー！」
リナとゼロスは、夜の街に消えていった。




ブレフィスは、オリキャラです。嫌な奴です。読んでいてご不快になられた方がおられたらすみません。入り口に「お酒が眠っています……」と書かれたバーは実在します。生チョコが名物です。そう言えば久しく行ってないなー。それでは、今後ともよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「超理系ミステリ作家」のキャッチコピーのモデルは、森博嗣さんです。ゼルなら、あんな小説書きそうかな、と思いまして。


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