遠い光［５］



パーティが終わり、客がぱらぱらと帰ってしまった後も、俺とアメリアは残っていた。
「アメリア。ちょっとゼロスと仕事上の話がある。エントランスで待っていてくれ」
「分かりました。あんまり長く、一人にしないで下さいね」
俺が背後から近づくと、ゼロスは立ち上がった。また、あの岬の突端に、彼は来ていた。
「妻に贈る宝石まで贈ってしまって、お前はまだあの光を見つめ続けるのか」
「どういうことです」
「言ってしまったらどうなんだ。自分はリナが好きだって。それで、リナに選ばせればいいだろう。はっきり言って、今のお前を見ていたくないんだ。情けない……！」
「今でも僕は充分に幸せですよ」
「幸せなものか……！」
俺は奴の襟首を掴んだ。
「リナにはっきりと自分の気持ちを伝えろ。さもなくば、きっぱり諦めて別の女と結婚しろ。お前がそうできないんなら、俺が伝えてやる」
「ゼルガディスさん！」
ゼロスは珍しく声を荒げた。
「僕が、今のままで幸せだと言っているんです。リナさんは側にいる。そしてリナさんは幸せだ。これ以上、僕が何を望むと言うんです」
「リナを手に入れること……だろう」
「無理にリナさんを手に入れなくても、僕は幸せになれる。ガウリイさんの存在なんて、有って無いようなものです。あんなに戦時中に助けていただいて、ひどい言いぐさだと思いますが」
「……」
もう、俺に言うことは残されていなかった。
「分かった、今日は帰る……何だこれは」
岬のベンチに近い庭の一部が、掘り返されて大きな穴になっていた。
「ああ、プールを作っている途中なんです。この湾は、流れが速くて泳ぐのは危険ですからね。できあがったら一番にご招待しますよ。もちろんアメリアさんもね」
「そして、リナとガウリイも、だろう」
「いやあ、そこまで分かって下さっていると話が早い。すぐに完成します。もう夏もすぐ側まで来ていますからね」


「女学校の……友達？」
「ああ。独身で、とびきり美人で、スタイルのいい女。誰か知らないか」
「そりゃまあ、何人かは心当たりがありますけど……」
「その中でも一番を紹介してくれ」
「誰に紹介するんですか？」
「もちろん、ゼロスだ」
「そう言えば、ゼロスさんはいつまでも独身ですねえ……」
「あいつは、本当にいい女を知らないんだ。だから……」
「だから？」
「いや、何でもない」
そして俺はゼロスに電話をかける。
「こんどのプールの話だが、もう一人連れていっていいか？


季節は本格的に夏に入り、ゼロスの家のプールは完成した。真っ白な広いプールに、透明な水が満たされた。水は天を反射して、空色に輝いた。プールサイドに、いつものメンバーが揃った。一人を除いて。
「フィリア＝ウル＝コプトと申します。今日はプールに招いていただいてありがとうございます」
白いワンピースの水着を着た彼女は、深い蒼の瞳が美しかった。流れるような金髪を後ろで結い上げ、その後れ毛は豊かな胸の上に流れていた。
「フィリア！なっつかしい！あたしのこと覚えてる？」
「ええ。リナ＝インバースさん。三州一の美少女」
「今は美女、と言って欲しいわね……って、何言わせるのよ！もともと三州がどうとかって言うのもあたしは認めてないんだから」
リナは、肩紐のない桃色の水着を着ている。栗色の髪はフィリアと同じく結い上げられ、紅い瞳がはっきりと見える。少し寂しい胸の辺りは、花飾りをいくつもつけてごまかしている。
「リナさんが三州一の美少女、って言うのはあたしたちが中学生の頃から言われてたじゃないですか。いまさら否定したって、遅きに失する、というものです」
アメリアは、黄色のセパレートの水着を着ていた。俺が言うのも何だが、豊かな胸が眩しい。
しばらく、俺たちは水浴びをしたり、泳いだりして過ごしていた。七月の豊かな光が肌を刺した。ご婦人方は、日焼け止めを取り出して互いに塗り合っていた。ゼロスが使用人に昼食を持ってくるように伝えた。プールサイドにサンドイッチやポテトフライなどの軽食が並んだ。リナ・ガウリイ夫妻は目を輝かせた。そして、俺たちが少し食べている間に、二人ですっかり食べ尽くしてしまった。
「ねえゼロス、おかわりないの？」
「出来るだけ持ってこさせますよ」
ゼロスはベルを鳴らして使用人を呼び、更に料理を持ってこさせた。今度の料理は、ほとんどガブリエフ夫妻のための物だった。二人は、奪い合うようにして料理を腹に詰め込んだ。その光景は微笑ましかった。
「リナさん、相変わらずよく食べますのね。学生時代とちっとも変わらない……」
「リナさんは女学校ではどんな生徒でしたか？」
ゼロスが、フィリアに話しかけた。俺は二人の会話に耳を澄ませた。
「リナさんは……とにかく、可愛くて、明るくて、学園中の人気者でしたわ。変な話ですけど、『妹になって下さい』『お姉さまになって下さい』なんて手紙も、相当もらっていたようですわ」
「それはそれは」
ゼロスは口に手を当ててくすくす笑う。
「それに、それこそ中等部の頃から『三州一の美少女』と呼ばれ続けてきましたから。学校の帰りには、よその学校の男子生徒が詰めかけて、大変でした」
「実はそのころ、僕も詰めかけた男子の一人だったんですよ」
「えっ？本当に？」
「冗談ですよ」
「ふふ、一瞬本気かと思ってしまいましたわ」
「もっとリナさんの話を聞かせて下さい」
「ええ。リナさんは、それはもう可愛くて。でもよく食べてましたわ。今と変わらず。学食の全メニューを一日で制覇したこともありましたわ」
「それは、昼食だけで？」
「それではさすがに時間が足りませんわ。夕食の時間も使って、です。全部食べ終わったときは、周りは拍手してしまいました。リナさん本人は、『食べたりないなあ』なんていってましたけど」
「それで太ったりはしなかったんですか？」
「ええ。学生時代から今まで、ずっとスリムなままですね。あの食べた食事はどこへ消えてしまうのかしら」
ゼロスとフィリアは微笑み合った。美男美女で、端から見ていてもよく似合う。
「成績の方はどうだったんですか？」
「私？」
「いえ、リナさんです」
「リナさんは成績も優秀でしたわ。いつも学年のトップスリーには入っていたんじゃないかしら。すごい才女で、絶対に大学に行くって思われてたのに、ガウリイさんと結婚しちゃったんですね。当時は私たちの周りではもったいない、もったいないって評判でしたの。でも、いまこうして幸せそうなリナさんを見ると───」
フィリアは落ちかかってくるなめらかな金髪を押さえた。
「あの時のリナさんの選択は間違っていなかったんだと思いますね」
「ええ、そうですね」
ゼロスは泳ぐリナを見て、目を細めた。リナの身体は水面をしなやかに舞っていた。まるでトビウオのように。
「泳ぎましょうか」
「ええ……」
ゼロスは、自分が先にプールにはいると、フィリアの身体を抱きかかえて水の中に降ろした。すこぶるいい傾向だ。
「真ん中は少しだけ深くなっていますから気をつけて。もっとも、足の着く深さですから、溺れる心配なんかはしなくていいですよ」
「はい」
その時、ばしゃんと音がして、リナが水に潜った。最初は皆ふざけているのだろうと気にも止めていなかったが、リナはなかなか上がってこない。
「リナさん……リナさん！」
ゼロスがプールに潜った。プールサイドでのんびりしていたガウリイも、あわてて水に入る。俺は、上がってきたリナが横になれるように、プールサイドにバスタオルを拡げた。リナは、やがて二人の男に担がれて、ぐったりとして抱え上げられた。顔色は真綿のように白い。
「まず水を吐かせるんです！」
ゼロスがリナの身体を持ち上げ、背中をさすった。やがて、リナはごふっと音を立てて、水を吐き出した。
「呼吸はありますか？」
「え、え、えっと、して無いぞ」
ガウリイの旦那は、慌てて色を失っている。
「リナ、死ぬな！」
「人工呼吸をします」
ゼロスは、リナの鼻をつまむと、唇を重ね、空気を送り込んだ。リナの胸がゆっくりと動く。その作業を何度か繰り返すうち、リナは咳き込み、さらに水を吐いた。そして、呼吸を始めた。
「リナ……良かった。ゼロス、ありがとう！　お前がいなかったら、俺はどうしていいか分からなかったぜ」
両手をがっちりと握られ、ゼロスは照れたように微笑んだ。
「とりあえず、今日はプールから上がりましょう。リナさんを休ませたい。皆さんには部屋の中でカクテルでも召し上がって頂きます」
「リナさん……良かった」
アメリアは、ほっと肩を落とした。ゼロスはリナを抱き上げた。
「おい、悪いよ。リナは俺が……」
「うちの中のことですから、僕が一番分かります。ソファまでお運びしますよ」
「ああ。悪いな」
着替えて部屋の中に戻ると、冷たいソルティ・ドッグが用意されていた。皆、会話をかわすことなくそれを味わった。リナは、安らかな寝息をたてて眠っていたが、ふっと目を覚ました。
「あれ？あれ？あたし、どうなったの？ここはどこ？」
「ここは僕の家の居間で、あなたはプールで溺れたんですよ」
「ああ、そっか。足がつって……水を一杯飲んじゃったんだわ。あれからどうなったの？」
「呼吸が無かったので、僕が人工呼吸を」
「人工呼吸って……あの、マウス・トゥ・マウス？」
「ええ」
「やだ、もう……」
リナは耳まで赤くなる。
「人工呼吸なんだから、何も気にすることはないんですよ」
「リナさん〜」
アメリアがリナに抱きついた。
「心配させないで下さい。あたし、リナさんが死んじゃったらどうしようって、そればっかり……」
「あたし、生命力には自信があるのよ。殿方も３人もいるんだから、大丈夫」
「俺とガウリイは何の役にも立たなかったぞ」
「ゼロス」
リナは笑顔を向けた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
ゼロスは、リナの言葉を反芻するように、目を閉じた。

「アメリア、フィリアさん、ちょっとエントランスホールで待っていてくれ。ゼロスと、仕事の話がある」
ガブリエフ夫妻は既に帰っていった後だった。俺は、岬の光を見つめるゼロスに話しかけた。
「また、ここか」
「僕は毎晩、ここです」
遠くで点滅する、赤いルビーの光。
「今日は、わざとリナを溺れさせたんじゃないだろうな」
「ひ、ひどいですよゼルガディスさん。いくら僕でも、そこまではしません」
「やりかねんな」
「勘弁して下さいよ。それに、僕がリナさんを苦しめるようなことをするわけ無いでしょう？」
「ま、それもそうか」
俺は、ベンチに座り直した。
「ガウリイの旦那、戦地ではあんなに頼りになったのに、今日はおろおろしてるだけだったな」
「ご自分の奥さんのことですから。動転したんでしょう」
「いや……そのことでお前がリナをガウリイから奪う決心でもついたんじゃないかと思ってな」
「杞憂ですよ。あれぐらいのことで、揺らぐ夫婦関係では無いでしょう。それに、わずかですがリナさんの心を手に入れることが出来た。それだけで、僕は充分です」
そう言って、ゼロスは黒髪をかき上げた。
「いつか、僕はガウリイさんから奪うことなく、リナさんを手に入れてみせる」
「わけが分からんな。今日は……フィリアはどうだった」
「ええ。美しい方ですね。会話も面白いし、素晴らしいレディです」
「そうか。突然呼んだりして悪くなかったか？」
「あんな素敵な方なら、いつ呼んで下さっても結構ですよ」
「で……どうだ、お前の恋人としては」
「やっぱりそう言う魂胆でしたか」
「フィリアは、家柄もお前にふさわしい。見ての通りの美人だしな。どうだ」
「僕がリナさん以外愛せないことは知っているでしょう？今日のようなお見合いは、もう結構です。それより、アメリアさんとフィリアさんには、ビジネスの話をする、と言っていらっしゃったんでしょう？ビジネスの話もしましょう」
「ビジネス……？」
「あなたの今回の新作、出足がすごくいいんです。もう４週間連続で売り上げのトップに立っている」
「そいつは有り難いな。俺は作品を書くだけで、その後のことには興味ないからな」
「そうも言ってられなくなるかも知れませんよ」
ゼロスは、紫の瞳を覗かせて、そう言った。


俺の新作は、ゼロスが言ったとおり大ヒットした。全国で５００万部を超えた。映画化の話しも何通も舞い込んだ。俺の家に押し掛けて来る映画業者もいた。俺は、例によって本以外のメディアについてはゼロスの会社に任せた。もう映画は撮らないだろうと言われていた大物監督を、ゼロスが引っぱり出した。そういう事情もあって映画も大ヒットし、俺は呼ばれたくもなかったが「国民作家」と呼ばれた。

「この若さで『国民作家』と言われるお気持ちはいかがですか？」
「俺は、自分のことをそんな風には思っていません」
「映画の方はご覧になりましたか？」
「一応」
「いかがでしたか？」
「監督の素晴らしい手腕が、俺の原作の言葉足らずなところを補ってくれたと思います」
「この小説にはモデルがあると聞きましたが？」
「ええ。友人の昔話をモデルにしました」
「そのご友人とはどなた？」
「友情を壊したくないので、これは言えません」
「ありがとうございました。今や我が国を代表する作家である、ゼルガディス＝グレイワーズさんにお話を伺いました。それでは、次は天気予報です……」

全国で６００万部を超えた記念に、ゼロスの家でパーティーが開かれた。
「今日の主賓、国民作家、ゼルガディス＝グレイワーズさんです」
プロの司会者まで呼ばれていた。
俺がアメリアを連れてテーブルを回るたび、祝福と羨望の視線が向けられた。
「それで、今回の新作『Light of a Lighthouse』のモデルは誰ですの？私も、あのような純愛には憧れますわ」
「モデルに関しては、一切秘密と言うことで。ただ、書いてみたかったテーマが、友人のエピソードと一致しただけですので……」
「ここだけの話で、教えていただけませんの？」
「駄目です。あなたのような魅力的なご婦人に聞かれると、つい喋ってしまいそうになるから、ここはこれで失礼しますよ」
テーブルから離れると、アメリアが俺の礼服の裾を引っ張った。
「魅力的なご婦人と一緒に過ごせばいいんじゃないですか？」
「馬鹿。お世辞だ。お前がそんなにやきもち焼きとは知らなかったな」
「だって、ゼルガディスさん、どんどん人気作家になっていっちゃって、あたしと距離が離れていくような気がして……」
俺は、人目も気にせず、アメリアを抱きしめて、唇にキスをした。周りでいくつかフラッシュがたかれたが、俺はアメリアを抱きしめ続けた。
「ゼルガディスさん……」
唇を離すと、アメリアは言った。
「なぜ……」
「俺たちは、誰からも祝福される掛け値無しの夫婦で、恋人同士だ。俺は、どんなときもお前を不安にさせたくないんだ」
「ごめんなさい、ゼルガディスさん。元気、出ました」





ラストでさりげなくゼルアメしてますが……ゼルガディスも、ゼロスの恋を小説にするなんて、いい度胸してますね。人工呼吸のシーンも、確か「ギャッツビー」には無かったような……記憶が曖昧です。それでは、後一話です。最後までよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。『Light of a Lighthouse』は「灯台の光」、つまりゼロスの片想いをテーマにゼルが小説を書いたということです。小説の中だけでは、曖昧でしたね。


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