遠い光［４］



二人とも相当飲んでいたので、どっちが運転するのかと思っていたが、どうやらガウリイのようだった。もっとも、Ｃの字状の湾をくるりと回って行くだけだから、ほとんど運転に技術はいらない。パーティーの客も、しだいに帰りつつあった。ゼロスは出口に立って、一人一人を丁寧に見送った。最後の客が帰ってしまうと、使用人たちが後かたづけを始めた。
「すこし、飲みましょう」
年代物のスコッチをグラスに注いで、ゼロスは俺を岬の突端へ誘った。ベンチが置いてある。向かいの岬に、赤い明かりが灯っている。ゼロスは、その光をスコッチに透かして、一口飲み込んだ。
「なんだ、結局パーティーに来てもらえても、お前のリナに対する気持ちは少しも進展しないわけか。ここで、こうやって、岬の光を眺めるだけか」
「そうですね……」
珍しく笑顔を消して、ゼロスは言った。
「リナさんが僕のパーティに来てくれたら、もっと何かが、大きな何かが変わるんだと思っていた。でも、現実はこれだ。彼女は相変わらず遠い光。何も変わらない」
俺はスコッチを口にした。かなりの上物だった。
「今日のことで、彼女はお前がここに暮らしていることを知ったわけだ。何も変わらないなんてことはないさ。これから、お前は彼女と近所づきあいすることになる」
言いながら俺は思った。ガウリイには、戦場で何度も死地を救われている。人柄の良さも折り紙付きだ。リナがガウリイを選んだ理由は、何も金と顔だけではないだろう。なのに、俺は今、ゼロスを慰めている。それは、リナをガウリイから引き離すことになると分かっていて。俺は……俺はどうすればいい？
「ゼルガディスさん」
いつの間にか、奴の顔にはあの無表情と変わらない笑顔が貼り付いていた。
「ありがとうございました。今日は、一人でここに来るのはいやだったんです」
「お前の役に立てれば嬉しいよ」
「また、パーティに来て下さい。今度はアメリアさんもつれて」
「ああ」
潮風で、酔いは醒めていた。俺は、車に乗り込むと、陸の内側へ向けて走り出した。


「きゃっ！つめたっ！」
「ああ、すみません」
「ゼーロースー。このドレスは、デザイナーの方に特別に作っていただいた物なのよ。それに瓶ごと赤ワインをぶちまけるなんて」
「す、すみません。僕が弁償します」
「弁償ってね。これは、世界に一着しかないドレスなの。デザイナーの方があたしにぜひにって作って下さった物なの。ああ、こんな染みになっちゃって。ひどいわゼロス」
「そのデザイナーの方に、今度は別のデザインで注文しましょう。もちろん、費用は全部僕が持ちます」
「払えるの？あんたに」
「払えるでしょう、たぶん」
「ゼロスなら大丈夫だろ」
ガウリイが微笑んで言った。
「リナ。ゼロスはな、もう昔のゼロスとは違うんだ。あの凱旋パーティで騒いでた二十歳そこそこの俺たちとは。遠慮すんな。弁償してもらえ」
「……うん。ゼロス、ほんとにいいの？」
「ええ。今度の日曜日、採寸に行きましょう。リナさん、予約を入れて置いて下さい」
「はいはい。どうせ仕立てるなら、思いっきり豪華なのにしたいなあ。奢りだもんね」
俺は、ゼロスを引っ張って、リナとガウリイから離れた。
「どういうつもりだ」
「……どういうって……うっかりリナさんのドレスをよご……」
俺は、笑顔を崩さないゼロスの襟首を掴んだ。
「何が『うっかり』だ。わざとやっただろう」
「……ばれていましたか」
「何だ？採寸にかこつけてデートでもする気なのか？」
「それもありますが」
ゼロスは紫の瞳を覗かせた。
「僕のお金で買ったドレスを、彼女が身にまとうことになる。ぞくっとするシチュエーションじゃありませんか？」
「お前の変態的な考え方にはついていけんな」
「今頃気づいたんですか？」
ゼロスはいけしゃあしゃあと言う。
「僕は、彼女に関しては、とっくに変態なんですよ」

採寸は、リナとゼロスと俺の三人で行くことになった。
「じゃあ、リナさんをお借りします」
「おう。リナ、とびっきりゴージャスなドレス、作ってもらってこい」
リナを助手席に、後部座席に俺を乗せたコルベットは、Ｃの字の湾を一周し、街の方へ走っていった。
「何でゼルがついてくるわけ？」
「今度の小説の舞台を服飾界にしようと思ってな。取材だ」
と、言いつつ、この二人を二人きりにしたくないという思いがある。
「うふふ。ゼロスが払ってくれるんなら、ビーズ飾りの縫い込みにしちゃおうかな。それとも、思い切って宝石を縫い込んで……」
「それは良いアイデアですね」
「えっ！？宝石縫い込んだドレス、買ってくれるの？」
「僕に払える範囲なら」
「どれくらいよ」
「一万ドル」
俺はは呆然とした。リナも当然そうだろう。
「ちょ、ちょっと。いくら何でも、そんなに払ってもらえないわ」
「今の僕にとってはなんてこと無いお金です」
「それでも……！」
「リナさん」
笑顔から覗く、紫の瞳。
「あなたのためになら、僕は何を犠牲にしてもいいんです」
「何よ、大げさね。あたしが死ねって言ったら死ぬの」
「死にます」
「…………」
「本気ですよ。もっとも、今は命ではなく一万ドルくらいですみそうでほっとしてるんですが」
「あんた、そう言う台詞は、もっと大事な女の子に取っておくものよ。あたしはこれでも人妻なんだから」
「ええ。痛いほど分かってます」
「もっとも、一万ドルの方は有り難くドレス製作に使わせてもらうけどね！ああ、どんなデザインにしよう？」
「僕も、デザインに口を挟ませてもらっていいですか？」
「あんたが？」
「僕は、リナさんに似合いそうな服を選ばせたらこの国で一番でしょうね」
「自信ありげね」
「あの凱旋パーティーの頃から、リナさんを見続けてきましたから」

デザイナーは、品の良い中年の女性だった。ゼロスは、彼女の手を取ってキスした。
「この手が、リナさんのドレスを生み出すんですね」
「それで？どちらがリナちゃんのドレスにワインをぶちまけたというゼロスさん？」
ゼロスは手をあげた。
「僕です」
「そちらの殿方は？」
「俺は作家です。ドレスづくりの現場を取材させて頂きたいのですが」
「作家さんのモデルになるなんて、光栄だわ。お名前を、聞かせていただける？」
「ゼルガディス＝グレイワーズです」
「まあ、あたくし著書は全部買わせていただいてますわ」
「それはありがとうございます。邪魔にならないように気をつけますので、自然にやって下さい」
リナは、青い薄いスリップのようなドレスに着替えさせられ、採寸をされた。
「リナちゃん、相変わらず少女のような体型ね」
「それって、暗に胸が小さいって言ってるんじゃないですか」
「女はね、胸の大きさなんかで価値は決まらないのよ。いつまで経っても少女のような身体っていうのは、あたしなんかにとっては憧れだわ」
リナは元の服に着替えされられ、デザイナーはスケッチブックを拡げた。
「やっぱり、少女のようなドレスがいいかしら……」
「いえ、ここは思い切って大人っぽい格好をさせてみては？」
ゼロスの突然の提案に、女性二人は顔を上げる。
「胸の中央にルビーを縫い込んで、黒い、身体に沿ったラインで」
「生地はベルベットかしら」
「いいですね、先生」
「ちょっと。着るのはあたしなのよ」
「いいじゃない、リナちゃん。ミスマッチで、いいデザインになると思うわ。で？はっきりと目立つようにルビーを縫い込むとなると、それなりにしっかりした大きさのルビーが必要となるわ。ご予算は足りて？」
「それはもう」
「じゃあ、ちょっとスケッチしてみるわね」
俺は、デザイナーの後ろに回り込んで、色鉛筆であっという間に仕上げられていくデザイン画を見ていた。
「こんな感じでどうかしら」
「すごい、僕のイメージにぴったりです」
「あたしの意見はどうなるのよ」
「あらリナちゃん、気に入らない？」
「ううん、素敵だと思ってるけど……」
「じゃあいいじゃない。宝石は、こちらで勝手に選ばせてもらっていいかしら」
「いえ、これを……」
ゼロスは、小さな宝石箱を取り出した。中には、燦然と煌めくルビーがある。
「まあ、すごいルビー！ドレスに縫い込んでしまうのがもったいないくらい。本当にいいの？」
「ええ、使って下さい」
「このルビーに負けないドレスを作るのって、結構なプレッシャーだわ。一ヶ月、頂けるかしら」
「もちろん。あなたの腕を信頼しています」
「今度のドレスにはワインをぶちまけたりしないでね」
「命に代えても」
リナは、自分を抜きにしてどんどん進んでいく会話を、ただ聞いていた。俺は、小型のカメラを取り出し、アトリエのあちこちを撮っていた。
「じゃあ、今日はお世話になりました」
「こちらこそ。あのルビー、大事にお預かりいたします」
「取材にご協力、ありがとうございました」
「……よろしくね、おばさま」
リナの瞳は中空に泳いでいる。俺は、フィルムを巻き上げ、途中にある写真屋にそれを出した。
「ゼロス、ほんとに良かったの、あのルビー」
「当たり前じゃないですか」
「あの大きさ。本物だったら一万ドル以上するわ。ね、偽物よね？」
「残念ながら、本物ですね。リナさんを飾れるのならば、あのルビーも幸せでしょう。僕なんかが後生大事に持っていても仕方がない」
「ゼロス……どうしてあたしにそんなに良くしてくれるの？」
「……それは、秘密です」


リナを家で降ろした俺たちは、夕暮れの中、あのベンチに座っていた。もうずいぶん日が長くなった。夏が近づいているのだ。それでも、決められた時間に、灯台には火が入った。
「ゼロス。あの宝石は何だ。いくらお前が金持ちだからと言って、おいそれと買える代物じゃないだろう」
「……母の形見です」
「何だと」
「僕の妻になる女性に、あれを渡せと。それが母の遺言でした」
「……！」
俺は、奴を殴ろうとして、止めた。
「僕を殴りつけてやりたそうな顔ですね」
「リナは、お前の妻にはならないぞ。ガウリイの物だ。もし今リナが不幸せだったらさらってやれとも言えるが、今のところあそこはいい夫婦だ。そんなリナに、そんな由来のある宝石を身につけさせるのか……！」
「あのドレスを着ている間、リナさんは僕の妻になる」
「馬鹿野郎……！」
俺は膝を叩いた。
「そんなことが、あるわけないだろう」
「いいんです、僕はそれで」
「お前は、そのことで、お前の母さんを裏切り、リナを裏切り、ガウリイを裏切るわけだ。そんな罪深いドレスをリナに着せて、お前は満足なのか？」
「言ったでしょう」
ゼロスは、平然と言った。
「僕は、彼女のためなら、変態にでも罪人にでもなれるって」

リナのドレスは、完成するまでに何度か仮縫いがあった。そのたびに、ゼロスと俺が付き添った。
「ゼルガディスさん〜」
幼いアメリアの声が仕事場の窓の外からする。俺は窓を開けた。
「何だ」
「招待状、来てますよ。ゼロスさんから」
「いつものことだろう。俺は忙しいから行かんぞ」
「でも、メモが入ってて……」
「何と？」
「リナさんの新しいドレスを披露するそうです。これ、ゼルガディスさんが取材に行ったときに作ったドレスのことですよね」
「なるほど……行くか」
「私も行っていいですか？」
「ああ。最近、パーティに連れ出してやれなくてすまなかったな」

パーティが一番の盛り上がりを見せたのは、リナが姿を現したときだった。アップにされた栗色の髪。黒のベルベットのドレス。身体のラインに沿って、緩やかにカーブする。深く入ったスリット。そして、胸元に輝くルビー。
「リナさん、お美しいわ」
「リナさん、素晴らしいドレス。これは、やはりあそこであつらえたのかしら？」
「そのルビー、本物ですわね。三州一の美女の胸元を飾るにふさわしいわ」
「このドレス、ゼロスさんからの贈り物なんですって？」
婦人たちに囲まれたリナは、「ええ」「まあ」と曖昧に答えていた。アメリアがリナに駆け寄る。
「リナさん！すっごくすっごく大人っぽいです！リナさんに、こんな魅力的な一面があったなんて……」
「アメリアまで。お世辞はいいのよ、もう」
「お世辞なものですか！リナさんだって、鏡を見て、ため息つきませんでしたか？」
「ふふ……ちょっと、ため息ついた」
「リナさん、今日の主役はリナさんで決まりですね！」
「それでは、スポンサーからの依頼です。一曲踊っていただけますか？」
「ゼロスさん！このドレスはゼロスさんからのプレゼントなんですよね」
「まあ、その前に一着台無しにしてしまいましたから、これでちゃら、なんですけどね」
「ちゃらなもんですか」
「リナさん……」
「前のドレスを１０着買って、お釣りが来るほどの値段よ。この服に縫い込む前に、宝石店で鑑定してもらったそうだけど……」
「値段の話はいいじゃないですか」
「ゼロス……！」
「このドレスは、リナさんに似合う。それだけで、僕は満足です」
「ほんとに似合うな、リナ。我が妻ながら見直したぜ。なんでも、デザインのアイデアを出したのはゼロスなんだって？」
「ええ。まあ僕の個人的な思いで。大人っぽいリナさんも見てみたかった、ということで」
「ありがとう、ゼロス。大切に着るわ。この服なら、もっと大人になっても着られるわね」
「そのつもりで選びましたから。良かったら、これからも色々なパーティで着て下さい」
「言われなくたって着るわ。古びたら、なおしてでも着るわ。家では、クローゼットの一番いいところに下げるわ。ほんとに、ほんとにありがとう」
リナは、ゼロスの頬に軽いキスをした。ゼロスは、その場所を手で押さえた。そして、本当に幸せそうに微笑んだ。
「踊りましょう」
リナとゼロスは明るいワルツを踊った。リナが動くたび、胸元の宝石が煌めいた。
「素敵ですね……！」
アメリアはうっとりした声で言った。
「そうだな」
俺は憮然と答えた。





このドレスとルビーのエピソードは、確か「ギャッツビー」にはなかったはずです。オリジナルです。結構気に入っています。ゼロスははたしてどのような恋の道行きをたどるのか……では、続きも読んでいただけると幸いです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。変態（？）入ったゼロスがお気に入りです。リナちゃんの大人っぽいドレス、というのも見てみたい。ああ、絵が描けたら！　イラストかける方、羨ましゅうございます！


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