遠い光[3]


激しい雨の夜。ドアが叩かれたのは、夜の11時だった。
「不気味ですねえ……誰でしょう」
「急用かもしれん。開けるぞ、アメリア」
ドアを開けると、ゼロスがずぶぬれになって立っていた。
「ゼロスさん……!すぐ上がって下さい。バスタオル持ってきますね」
「すみません、こんな夜遅く……」
「俺とお前の仲じゃないか。何も遠慮することはない。で、何があったんだ」
「少々借金取りに追われていまして……自分のアパートに帰れないんですよ」
「借金……何のためにそんなことを。まさかギャンブルにでもはまったのか?」
「ええ。大ばくちと言えるかも知れませんね」
「どういうことだ」
「今までの会社を辞めた退職金と、借金を合わせて、出版社を設立してみたんですがね。小説、ノンフィクション、雑誌、全ての分野で赤字を出してしまって」
「借金は、いくらくらいあるんだ」
「今の僕では返せないくらい、とだけ言っておきましょう」
「俺もそんなに金持ちではないが、肩代わりくらいなら……」
「ゼルガディスさんにお願いしに来たのは金策ではありません」
「……?何だ」
「うちの会社の、専属作家になっていただけませんか?原稿料は他社の1.5倍出します」
「そんなことでお前を助けられるのなら構わんが……社長のお前が借金取りに追われている状態で、原稿料が出せるのか?」
「一冊。一冊ベストセラーが出れば、簡単に借金は返済できますよ」
「俺にベストセラーを書けというのか?そう簡単にはいかないぞ」
「ゼルガディスさんを信用していないわけではありませんが……もう既に、何人かの作家と専属契約を結びました」
名前を並べる。大作家とまでは行かないまでも、名前の知れた作家ばかりだ。
「いいのか、俺なんかがこの面子に入って」
「ゼルガディスさんは、充分人気作家の一人ですよ」
「……で?今夜は泊まっていくのか」
「出来たらそうさせていただきたいんです。ご迷惑をおかけしますが」
「いや、気にすることはない。アメリア、いいだろう?」
「もちろんです!困ったときには助け合う!これが正義です!じゃ、ゼロスさん、シャワー使ってください。着替えは、ゼルガディスさんのでいいですね?」
「ええ。それでは失礼して……」
ゼロスの後に、俺もシャワーを使った。二人でパジャマに着替えて再び居間のソファに座り込む。
「お前が……無茶な会社経営をしているのは、彼女のためなのか」
「ええ」
ごまかすかと思っていたら、直球が返ってきたので俺はすこし焦る。
「彼女にふさわしい男になるためには、紳士録くらいには載らなくちゃ駄目ですからね。あ、そういえば今年の紳士録にゼルガディスさん、載ってましたね。おめでとうございます」
「俺はああいう人間をランク付けするような企画は好きじゃない」
「ゼルガディスさんはそうでしょうね……でも、僕にとってはあの本はバイブルなんです。眠れない夜には、読み返します。いつか、この中に僕の名前を刻み込んでやるぞってね」
「まずは借金を返してくれ」
「ええ。まずは、それからですね」

ゼロスの借金は、思わぬ形で返されることになった。俺の小説が、ベストセラーになったのだ。ゼロスの会社も、壊れかけたビルの3階から、借り物とは言え一つのビルを占めるようになった。俺は、毎日インタビューだの対談だので大忙しになった。それより駆け回っている男がいた。ゼロスだ。
「どうぞ、うちで専属で書いて下さい……」
高い原稿料と、よそより割のいい印税をちらつかせて、ゼロスは人気作家を次々に囲い込んでいった。俺のベストセラーは皮切りに過ぎなかった。ゼロスの会社から、次々にヒット作が生まれた。俺の作品の、映画化の話が持ち込まれた。俺が承諾を出すだけで、後のことは皆ゼロスの会社が進めてくれた。映画が封切られると、本の売り上げも倍増した。ゼロスは「出版界の革命児」と呼ばれ、ビジネス雑誌のインタビューには必ず呼ばれるようになった。その若さとルックス、そして独身と言うこともあり、ゴシップ雑誌は彼のスキャンダルを狙おうと戦々恐々とした。しかし、彼の身の回りに女の影はちらりとも無かった。
「ゼロスさん、結婚しないんですか?その『夢の女の子』と。もう充分でしょう?ゼロスさんはお金持ちになったんだし、迎えに行けばいいじゃないですか」
アメリアの当然の問いに、ゼロスは不思議な答えをした。
「彼女の方が、僕を求めてくれなきゃ駄目なんです。彼女は今、幸せなんです。僕はその幸せを壊したくない」
「『夢の女の子』には恋人がいるんですか?」
「ええ。強力なライバルがいます。僕も、それにはほとほと困ってるんですよ」

俺のゼロスの会社で書いた二作目の作品も、映画化が決定した。例によって俺は許可を出すだけで、後のことは全部ゼロスの会社がやった。製作発表の記者会見に、原作者として呼ばれた俺は、こういう席は苦手で、テレビに映らない隅っこの方に陣取っていた。主演女優が2時間遅れで入ってきた。華やいだ美人だ。こういう席のお約束で、映画に関する質問はほとんどなく、主演女優の恋の噂にレポーターたちはマイクを向けた。
「今やビジネス界の若きリーダー、出版社の社長の、ゼロス=メタリオムさんとの噂は本当ですか?」
俺は、ついていた肘をがくっと滑らせた。あいつはいつの間に、こんな噂を横行させているんだ。それとも、ようやくリナのことを諦めて、別の女に目がいったのか?
「ええ。本当です。よいおつきあいをさせてもらっています」
主演女優は婉然と微笑んで言った。
「これは大スクープです!人気女優と、出版界の若きビジネスリーダーの恋!……ゼロスさんは、貴女に優しくしてくれますか?」
「もちろん。私をおいて、彼を理解することが出来る女性はいないでしょう」
その時だった。会見場のドアがさっと開いて、ゼロスが入ってきた。
「これは嬉しい誤算!当事者の登場です。ゼロスさん、ここに来たと言うことは、この熱愛は本当だと思っていいんですね?」
「いえ、違います。僕は彼女を魅力的だと思いますが、愛してはいません」
ざわ……と会場が湧いた。
「愛していないと言うことは、当然おつきあいも……」
「仕事上のつきあい以外、プライベートで会ったことはありません」
「あなたの理解者であるというのは……」
「僕は、彼女の前でリラックスしたことはありません。さあ、これは映画の記者会見です。映画のことなら何でもお答えしますよ」
主演女優が、わっと泣き出した。ゼロスは、冷たい目でそれを見ていた。
「あたし、降板します!こんな映画、出られるもんですか」
そしてゼロスを睨み付ける。
「全部あんたのせいよ、ゼロス=メタリオム!あたしが、いくら気を引こうとしても、犬か猫でも扱うように平然とかわして……!この映画は失敗するわよ!こんな映画、主演のあたしで保ってるようなものなんだから……!」
「僕はそうは思いませんね」
ゼロスの声は、今までになく、冷たかった。
「それより、貴女がメタリオム社から捨てられることを考えた方がいいのでは?今後、うちの原作の映画化があっても、一切貴女にオファーが行くことはないでしょう」
会見場は静まり返っていた。司会役の女性が、無理に笑顔を作って俺にマイクを向ける。
「今回の映画化は、二作目ということになりますが……」
「ああ、光栄なことです」
女優は、立ち上がると舞台の裏へ去っていった。映画は主演女優を交代させてヒットし、俺の元にはまた金が転がり込んだ。


アメリアは別のパーティに招かれていたので、リナとガウリイからの招待は俺一人で受けることにした。またあの凄まじい食欲を見せられるのかと思うと辟易もしたが。Cの字方になっている湾の、岬の突端に、赤い灯りが灯っている。あの灯台だ。ここからぐるっと海岸沿いに回っていけば、ガウリイたちの家にたどり着く。Cの字のもう一つの突端に、人影があった。夕闇の中なので、最初は勘違いかとも思った。だが、あの髪型と背格好は間違いない。俺は車を止めた。男は、煙草を吸いながら、遠い赤の光を眺めていた。ゼロスだった。
「こんなところで何をしているんだ」
「おや、ゼルガディスさん。奇遇ですね」
「口うるさいことはいいたくないが……ここは私有地じゃないのか」
「ええ。私有地ですよ。僕の、ね」
「な……っ!」
「ここら辺は土地が高くて。まだまだ上物を載せるわけにはいきません、なかなかね」
「お前は、ここで何をしてるんだ」
「僕の日課ですよ。日が沈み、星が空を飾る頃、あの灯台に火が入るのを見る」
「そのために、この土地を買ったというのか……」
「あの光が僕を導いてくれる」
「おい、ゼロス。俺は今日はガウリイとリナの家に招待されている。今から行くところだ。一緒に来ないか」
「せっかくですが、お断りします」
「リナに会いたくないのか」
「リナさんが僕に会いたいと言ってくれるその日まで……僕はリナさんとは会いません」
「妙な意地を張るな。リナは……そりゃ確かに今は人の物だが……会おうと思えばいつでも会えるんだぞ。今日みたいに」
「お断りします」
ゼロスは、静かに灯台の光に目を移した。
「あの人の瞳と同じ……赤い光。僕は、いつかどんなかたちでも、あの光を手に入れてみせる。そのためなら、どんな犠牲も払います」
「怖いことを言うな」
「ゼルガディスさん、そろそろリナさんたちが待ちくたびれている頃ですよ。行ってあげてください」
それから、口の前で指を振る。
「僕がこの土地を買ったこと、灯台の明かりを毎日眺めていること……全部、リナさんたちには秘密ですからね」
「分かった」
俺は車を発進させた。ゼロスは、潮風に吹かれて、ずっと灯台の光を眺め続けていた。


ゼロスの会社は、順調に業績を伸ばした。ベストセラーを作り、それを売り、映画化してさらに売る。俺は、正直言ってあまりそういうシステムのような物に組み込まれるのは好きじゃなかったが、もう事態は俺の一存では引き返せないところに来ていた。俺の作品はベストセラーランキングから落ちることはなく、映画も四作目がクランクインしていた。
ある日、俺はゼロスに呼び出された。
「あの岬で待ってます」
その言葉だけで、電話は切れた。好きなときに休みを作れるのが作家業のいいところだ。俺は車を出し、いつかゼロスを見つけた岬へと向かった。
岬は、前とあまり変わっていないように思えた。しかし、近づいてみると建物の土台が出来ていることに気づいた。
「これは……!」
「僕にも、ようやく上物を乗せることが出来そうですよ」
ゼロスは珍しく、本気で嬉しそうだった。
「ここが、居間です。ここはテラス。窓を開けると庭へと続きます……」
「おい、庭がやたらと広くないか」
「パーティのためです。庭の隅を見て下さい」
雛壇状の石が積み上げられている。
「ここに、ビッグ・バンドを招きます。オーケストラでもいい」
幸せそうに、庭を歩き回る。
「この辺に、テーブルを置く。そうですね、リナさん専用のテーブルを置いた方がいいかも知れない。あの人が気兼ねなく食べられるように」
「そうだな、ようやくお前もリナをパーティに呼べるな」
「僕の方から呼んだりはしません」
「はあ?」
「あの人が僕を見つけてくれるまで……僕のパーティに来たいと思ってくれるまで……僕はリナさんを招待しません」
「また妙な意地だな」
「僕はあの人を呼びつけて縛ったりしたくないだけです」
夢見る瞳で、ゼロスは言った。
「きっと、あの人から僕の家のドアのチャイムを押す日が来る。その時まで、僕はリナさんを招待しません」


毎夜のように開かれるパーティー。会場の外まで、溢れる熱気。空へ向けて放たれるドラムの音。俺は、ほとんど毎日に近く招待状を受け取っていた。もちろん、その全てに出席していては、俺の仕事は進まなくなる。2週間に一回ほど、義理で顔を出した。
「ゼルガディスさん、来て頂けて嬉しいですよ」
「ふん。お前の本当の待ち人はまだ来ないのか」
「ええ。今日も、待ち人来たらず、ですね。こんなに騒がしくしているのに」
「リナは、いくら楽しそうだからって、招待もされていないパーティにのこのこやってくる女なのか?」
「この辺の社交界のほとんどの人を招待しました。あとは、噂が拡がるのを待つだけですよ」
「悪趣味だな」
「僕は、自分の手でここに舞い降りてくる天使を待っているんです」
「天使……か。彼女はたしかに美しく、頭もいい。だが、ただの人間だ。醜い部分だって、人並みに持っているはずさ。それを知ったとき、お前が傷つきそうな気がして俺は怖い」
「もちろん、リナさんにだって欠点の一つや二つ、あるでしょう。それでも、言ったでしょう?彼女は僕の『夢の女の子』だって」
その時、ボーイがゼロスに近づいてきた。
「ご招待されていないお客様が、ぜひ参加したいとおっしゃっておられるのですが」
ゼロスの顔色が変わった。
「お名前は、聞いてきましたか?」
「はい、ガブリエフさまと……」
「ご夫婦で?」
「はい」
ゼロスは、俺に向かって片目をつぶると、エントランスホールへ向かって駆けていった。やがて、シンプルなピンクのドレスのリナと、上等のスーツに身を包んだガウリイが、庭に案内されてきた。
「ゼロス、このパーティーを主催していたのがあんただったなんて」
「水くさいぞ。どうして俺たちには招待状をくれなかったんだ」
「あなたたちなら、いずれ来られると信じていましたから。この通り、今日、来て下さったでしょう?」
「それでも、み・ず・く・さ・い」
リナはゼロスの頭を抱え込んでぐりぐりひねった。ゼロスは、本当に幸福そうに笑った。
「それにしてもすごいパーティーね。出版界の有名人がほとんど集まってるんじゃないかしら」
「ご紹介しますよ。僕についてきてください」
リナとガウリイは、会場を回って、様々な名士たちと会話を交わした。はっきり言って、親の財産を受け継いだだけ、戦争で部隊長を務めたことが唯一の業績と言える、そして本という本を全く読まないガウリイにとっては、いごごちのいいパーティではなさそうだった。リナは、目を輝かせて有名作家と握手を交わしていた。作家や詩人、編集者たちも、かつて三州一の美少女と噂されたリナを見て、ため息をつき、その美しさを褒め称えた。
「さってと、招待もされてないのに何だけど、美味しそうな料理がたくさんあるわね」
「ええ。お好きなだけどうぞ」
それはそうだろう。毎日、これらの料理はたった一人の女のために作られていたのだから。
「いっただきまーす。……ん、美味しい!素晴らしいわ、ゼロス!」
「そのオマールエビに良く合うワインを持ってきますよ」
「ありがと、ゼロス。でも、こんなにお客様がいるんだから、あたしたちだけに構わなくていいのよ。あたしたちはここで料理を片づけてるから」
「せっかく自分から来て下さったお客様を、放って置くわけにはいきませんよ。はい、リナさんワイン」
「あ、どもども。うん……美味しい!完璧に合うわ」
「良かった」
ガウリイの旦那は気づかないものだろうか。ゼロスが、自分の妻を見てとろけそうに幸福な表情をしていることを。
「ねえゼロス、あたしたち、また来てもいい?パーティ」
「もちろんです」
リナはもちろん気づかないのだろう。この莫大な金をつぎ込んだパーティ全てが、自分のために用意された物だったと。
「じゃあ、夜も更けてきたし、あたしたち帰るわね。お休みなさい。次のパーティも絶対誘ってよ。それにしても……」
「それにしても、何ですか?」
「出世したのね、ゼロス。あんたはこの国の名士の仲間入りだわ。来年の紳士録には絶対に載るわね」
「僕は野心的な人間ですから」
「怖いわ、そういう人」
「じゃあ、これ以上儲けるのは止めます」
「ちょっとちょっと。あたしは何もそこまで……」
「冗談です」
「初めてあった頃には、あんたはそんなにがりがり出世する方じゃないと思ってたんだけどなあ」
「ちょっと事情が変わりまして」
「事情?」
「ええ。お金を作る理由が出来たんです」
「ご両親?」
「僕は天涯孤独の身ですよ」
「それじゃ、恋人」
「そんなところです」
「じゃあ、そろそろ身を固めれば?あんたくらいの紳士が独身だなんて、若いお金目当ての女の子たちの格好の餌食よ」
「僕は、誰とも結婚しません」
「……その人、死んだの?」
「いえ、生きています。生き生きと、幸せそうに」
「じゃあ迎えに行けばいいわ」
「そう簡単に行かないんです」
「あんたの話を聞いてると、頭がこんがらがってくるわ。男なら、ずばっと想いを告げて、ぱーっとさらって来ちゃえばいいのよ」
「リナさんだったらそうされたいですか?」
「もちろんよ。ただ、独身だったら、ね」
ガウリイが、穏やかな笑顔でリナの肩に手を回した。
「話しすぎたわね。お休みなさい。あなたのその想いが、いつか届きますように」





「あなたのその想いが、いつか届きますように」というのは「少女革命ウテナ」の有栖川樹璃の台詞からのパクリです。すみません。ゼロスはどんどん社会的に成功していきますが、それが彼の恋をどのように導いていくのか……まあ、「グレート・ギャッツビー」が元ということは、エンディングは決まってるんですが。それまで、せめて楽しんでお読み下さい。

ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。幸せで無自覚で残酷なリナちゃん。彼女だけを思い続けるゼロス。それはもう妄執にも似て……。


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