遠い光［６］



アメリアは、フィリアと会うと、意気投合してどこかへ行ってしまった。俺が一人でシャンパンを飲んでいると、ゼロスが近づいてきた。どん、と脇腹を叩かれる。
「やってくれましたね」
「自分の出版社で出す本には、目を通しておくべきだ」
「そんなこと言ったら、僕は読書で仕事が出来なくなりますよ。とりあえず、映画を見て度肝を抜かれました」
「なかなかロマンチックに描かれていただろう？」
「こんなことをして、リナさんにばれたらどうするんですか」
「作中では、ヒロインは顔とスタイルだけの馬鹿女、その夫はただの凡庸な男に描かれている。主人公も、鉄鋼業で財をなしたことになっている。おまけに夫が死んで未亡人になった女を主人公が慰めてるうちに愛が芽生えてハッピーエンドだ。気づくわけ無いだろう」
「それでも、モデル料は頂きたいですね」
「お前の出版社だって、相当儲けただろう。ちゃらだ、ちゃら」
「おう、何話してるんだ？」
俺はびくっと振り返った。ガブリエフ夫妻が微笑んで立っていた。
「今回のゼルガディスさんの新作について話してたんですよ。ガウリイさんはお読みになりましたか？」
「いや、すまん。俺は字ばっかりの本を読むと眠くなるんだ。リナは読んだだろう？」
「ええ。読んだわ。ゼルの作品には珍しいほどのハッピーエンドね。普通、大ベストセラーと言ったら紅涙を絞るものと相場が決まってるんだけど。主人公のどんなときも変わらない恋心が、たくさんの人の心を掴んだんだと思うわ。とにかく、おめでとう、ゼル」
リナは、例のルビーのついた黒いドレスに身を包んでいた。今日も、彼女の美しさに揺らぎはなかった。
「ねえガウリイ、あたし、今日の主役と一曲踊ってきてもいいかしら」
「ああ。かまわないぜ」
「いや……」
俺はゼロスを見る。
「俺の本をここまで売ってくれたのはこいつだ。俺にはアメリアがいる。今日のもう一人の主役であるこいつと踊ってやってくれ」
「……分かったわ。いこ、ゼロス」
ゼロスとリナは、管弦楽団の奏でる愛のメロディを踊った。ガウリイは、微笑んでそれを見ていた。
「おー、俺の奥さんは、離れて見ても美人だな」
「……妬いたりは、しないのか？」
「俺はリナを信じてる。そして、リナも俺を信じてる」
明るい海の瞳は、そう言った。俺は、無理やりゼロスとリナを踊らせたことに、罪悪感を感じていた。やがて、息一つ乱さずにリナとゼロスが帰ってきた。俺たちは、シャンパンで乾杯した。


それから、数日後のことだった。激しい台風が湾を襲っていた。俺はマスコミを避けて、ゼロスの家に寝泊まりしていた。
「参りましたねえ。道路が冠水して、このままでは湾から出られない。まあ、缶詰などの予備はありますが……早く通り過ぎてもらいたいものですね」
その時、チャイムが鳴った。
「こんな時に……救助でも来たんでしょうか？」
俺とゼロスは玄関に出た。鍵を外す。
「どうぞ」
入ってきたのは、頭からつま先までずぶぬれのリナだった。薄い綿のワンピースはぴったりと身体に貼り付いている。
「リ……リナさん！？その格好は……？」
「ガウリイが、あたしを裏切ったの」
リナは、きっぱりと言った。
「ごめんね、ゼロス。ほんとは車で遠くまで逃げたかったんだけど、この台風で……」
「いえ、いいんです。とにかく、タオルを持ってきますね」
髪と身体を拭いたリナは、居間に通された。
「ゼルも、いたのね」
「邪魔だったか？」
「ううん。ゼルだけ？」
「ああ。アメリアは実家に帰っている。マスコミがうるさくてな。それより、事情を聞かせてくれ」
「昨日、女学校時代の同級生で、今はお嫁に行ってるシルフィールって子が急に遊びに来たの。あたしも懐かしくて、ついついお酒が進んじゃって……気がついたら、あたしは居間のソファで寝てて、二人の姿はなかったの。それで、寝室に行ってみたら、ガウリイが下着姿のシルフィールを抱きしめてて……すごく親密な空気だった。あたしは何も言わず飛び出した。ガウリイはあたしを見てたはずなのに、追いかけても来てくれなかった」
「それは……」
ゼロスも、言葉を失っていたようだった。
「冷えるな。俺はコーヒーを淹れてくる。ゼロス、台所借りるぞ」
俺は、台所で三人分のコーヒーをつくった。トレイに乗せて戻ろうとしていると、ゼロスの声が聞こえてきた。
「ガウリイさんと、別れませんか」
俺は慌てて壁に身を隠した。
「あなたを傷つける男は、ガウリイさんと言えども許せない。別れるべきです」
「簡単に言ってくれるじゃない」
リナは、涙声で答えた。
「あたしは、もうずっと長い間、ガウリイだけを愛し続けてきたのよ。今回のことは許せないけど……それで、ガウリイと別れられるわけ、ないじゃない」
「あなたをもっと大切にする男が側にいるとしても？」
「えっ？」
その時、玄関のチャイムがけたたましく鳴り響いた。
ゼロスと俺の二人で玄関に向かった。鍵を外す。ばん、とドアが開いて、外の暴風雨が吹き込んできた。ガウリイと、若い女だ。
「ここに、リナは来ていないか」
「その前に、タオルですね。それと、できたら事情を聞かせて欲しいんですが」
「リナは来ているんだな」
「今はお答えできません」
「私……シルフィール＝ネルス＝ラーダと言います。リナさんに、誤解を与えてしまったようなので……リナさんと直接お話ししたいんです。この台風だし、ここより遠くへ行ったとは考えられない。ねえ、リナさんはここにいるんでしょう？」
「いるわよ」
「リナさん……！」
「何よ、今更話したいことって」
「ガウリイさんは悪くないんです……！」
シルフィールと名乗った女は泣き崩れた。
「私……学生時代からガウリイさんに憧れていて……大好きで。ここに住んでいると知ったら、矢もたてもたまらず会いたくなって……」
シルフィールは涙を拭う。
「リナさんが眠ってしまってから、一度だけ抱いて欲しいってガウリイさんに頼んで、あたし、夢中で……そしたら、リナさんが私とガウリイさんのことを見つけて、家を飛び出していったんです。ガウリイさんは確かに言った。リナさんを裏切れないって。リナさん、私ガウリイさんにはっきり振られたんです。ガウリイさんは何も悪くない。リナさん、どうかガウリイさんの元に戻ってあげて下さい……！」
「…………」
リナは、呆然とした顔でシルフィールの顔を見ていたが、ふっとガウリイに向き直っていった。
「信じて、いいの？」
「当たり前だろ」
ガウリイは腕を拡げた。リナは、小さな身体をその腕の中に滑り込ませて、小動物のようにガウリイにしがみついた。俺はゼロスを見た。ゼロスは、感情の読めない笑顔を浮かべて、二人を見ていた。
「あの……本当にご迷惑をおかけしてしまって。私、もう帰ります」
シルフィールが、おずおずと言った。
「この雨の中を？」
ゼロスは微笑んで言った。
「誤解も解けたところで、皆さん、しばらく飲んでいったらいかがですか。食材は缶詰ものしかありませんが、酒は最高級品を用意させますよ」
やがて雨はあがった。シルフィールは、自分の車で来ているといったので、ガウリイとリナの三人で、湾の内側の路を歩いていった。道路には、色々な物が打ち上げられていた。


「あっついわねー。プールに入っているときには涼しかったのに」
「リナさん、胸元をパタパタさせるの、はしたないですよ」
「そう言うあんたも、さっきからスカートの裾をばさばさしてるじゃない」
「僕たちにとっては目の保養ですけどね。それにしても暑いですね〜。もう一度、プールに入りますか？」
「ううん、それはもう充分……。何か、冷たい物が飲みたいわ」
「天井の扇風機も、ぬるい空気をかき回しているだけで、なんの役にもたってねえな」
ガブリエフ夫妻。俺と、アメリア。そしてゼロス。いつもの面子で、ゼロス邸にあつまっていた俺たちは、ゆだりきっていた。
「ゼロス、氷無いの、氷」
「それが、冷凍庫が壊れたままになってまして。修理の人を頼んでいるんですが、なかなか来てくれなくて」
「ゼルは暑くないの？涼しそうな顔してるけど」
「暑くないわけ無いだろう。俺は、暑いからといって、暑そうな表情を顔に出すことが嫌いなだけだ」
「んーもう。ゼルってストイックなんだから」
「ドライブにでも行くか？」
ガウリイの提案に、皆が顔を上げた。
「そいつはいいな。風も入るし、涼しくなる」
「目的地はどこにしますか、リナさん」
「ニューヨーク！」
「この暑い中、お買い物ですか？」
「何言ってるの。ホテルのバーで飲むのよ。ホテルなら、氷もいっぱいあるでしょ」
「決まりですね」
「じゃあ俺、ひとっ走り車取ってくる」
「それには及びませんよ」
ゼロスは、俺たちをガレージに導いた。そこには、以前から持っていた深紅のコルベットの他に、ダークブルーの真新しいコルベットがとまっていた。
「じゃあ、赤の車には僕とグレイワーズ夫妻が。新車の方には、ガブリエフ夫妻が。それぞれ乗って行きましょう」
俺とアメリアは、ゼロスの運転する車に乗り込んだ。ゼロスの車が先行した。ダークブルーの新車が、その後を追ってきていた。
「やっぱり、ニューヨークは空気が悪いですね」
「でも、窓を閉めるわけにも行かないしな」
「ええ、窓がありませんからねえ」
二台の車は、古めかしいホテルの駐車場に入っていった。

「ミント・ジュレップ！氷、いっぱい使ってね」
「あ、あたしもです〜」
「ロングアイランド・アイスティーを」
「僕は、ソルティ・ドッグで」
「俺は、ビールだ！ギネスを頼む。冷えたやつをな」
口々に注文する。カクテルは、まず女の前に、そして男の前に差し出される。俺は、アイスティーの味なんてちっともしない、ロングアイランド・アイスティーを喉に流し込んだ。暑さが僅かだが引いていく。リナとアメリアは、氷をぎっしり詰め込んだグラスで、あっという間にミント・ジュレップを飲んでしまい、おかわりを注文していた。ゼロスは、口を僅かに潤すように、静かにソルティドッグを飲んでいた。ガウリイは、瓶に口を付けて、黒ビールをごくごくと飲んでいた。
「ゼロス、喉乾いてないのか」
「いえ。ただ、あまり飲み過ぎると、帰りの運転に支障が出ますから。ガウリイさんはもう出来上がってしまったようですし、ゼルガディスさんもあまり飲まないで下さいね」
「言われなくても、そのつもりだ」
「もう一杯、ミント・ジュレップ！氷も詰め直して！」
「わ、私はもうだめでふ〜」
リナは、よっぽどのどが渇いていたのか、５杯もおかわりしていた。
「あ、ゼルガディス＝グレイワーズさんですよね？あの、サインして下さい」
「あら、ビジネス界の最後の大物独身、ゼロス＝メタリオムじゃない。どう？私と飲まない？」
「お、三州に並ぶ事なき美女、リナ＝ガブリエフ。俺たちはついてるぜ」
周りがうるさくなってきた。
「そろそろ、引き上げませんか」
「ああ」
「いやあ、まだ飲む〜」
「リナさん、帰りますよ」
「ん〜」
駐車場まで来て、もめ事が起こった。
「あたし、どうしても運転する！」
「駄目です。リナさん酔ってるでしょう」
「それはあんただって同じでしょ、ゼロス」
「僕はカクテルを１杯しか飲んでいません。５杯もおかわりしたリナさんが運転できるわけないでしょう」
「いや。あたしは、このきれいなダークブルーのコルベットを運転してみたいの！もう決めたの！それとも……」
リナは、深紅の瞳でゼロスを見つめた。
「あたしの言うこと、聞けない？」
「分かりました。リナさんが運転して下さい」
「おい、ゼロス！」
「その代わり、僕が助手席に乗ります。何かあったら、すぐに運転を代わってもらいますからね。ゼルガディスさんは、ガウリイさんとアメリアさんを頼みます」
「わかった」
「鍵です」
俺たちは、連れだって駐車場を出た。前を行くリナの運転は、意外と普通だった。
「ミント・ジュレップではそんなには酔わないか……」
しかし、町を抜けて郊外に入る頃、ダークブルーの車は、微妙に蛇行を始めた。
「おい。大丈夫なのかリナは───」
後ろの座席を見る。アメリアも、ガウリイも、すっかり寝入っていた。
やがて、前を行く車が、どん、と音を立てて止まった。俺も車を止めて、外に出ようとした。
「来ないで下さい！」
ゼロスが叫んだ。
「車に戻って。僕たちも、すぐ発進します」
眠っているらしいリナを助手席に移し、ゼロスが運転席に乗り込んだ。エンジンが悲鳴を上げるほどアクセルを踏み込み、ダークブルーのコルベットが去っていく。俺も後を追った。道路の脇に何かがあったような気がしたが、ゼロスの車に追いつくのに精一杯で、気にしている暇はなかった。
ゼロス邸にたどり着くと、俺はガウリイとアメリアを起こした。ガウリイは、赤い車を借りて、眠ったままのリナを抱き上げ、自分の家に帰っていった。アメリアは、客用寝室に入って、すぐに眠り込んでしまったらしい。俺とゼロスは、いつものベンチに並んで座った。赤い光は、もちろん今日も灯っていた。
「僕は、どんな形であれ、リナさんの幸せを願います」
奴は、ぽつりとそう言った。
「あの暴風雨の日に、僕のものにしてしまいたいと願ってしまいましたが───」
夢見るような口調で続ける。
「今度は、僕のものに出来るかもしれない」
「今度？」
「それは……秘密です」
俺たちも家に戻り、冷め切らない酔いの勢いで眠っていった。


次の日のブランチ。少しでも涼を取ろうとプールの周りに設えられたテーブルセットの上で、俺たちはジュースとパンケーキを食べていた。玄関の方で、銃の音がした。ゼロスが立ち上がる。
「皆さん、落ち着いて下さい。ここから動かないで───」
やがて、オーバーオールを着た農夫らしい男が、ゼロスと共に、プールのところまでやってきた。手には、ライフルを持っている。照準は、ゼロスの心臓にぴたりとあっている。
「昨日の夜、八時半頃、ブロンクスの辺りで俺の女房を轢いたのは誰だ！？運転していたのは誰だ！」
俺はリナを見た。蒼白になっている。
「動くな！銀髪の男。動くと、お前から殺すぞ」
俺は視線を元に戻した。
「ナンバー９１９＝ＹＤＬ。俺は夜目が効くんだ。交通局に問い合わせたら、すぐにここの車だと分かったよ。俺の恋女房を轢いたのはどいつだ！」
しばらく俺たちは誰も動かなかった。時間が凍りついたようだった。ゼロスが、ゆっくりと右手をあげた。
「僕、です───」
「貴様か！」
男はライフルを発射した。弾丸は、ゼロスの眉間に真っ直ぐに当たった。ゼロスの身体は力を失い、プールへ落ちた。水しぶきが上がった。
「これで俺の用事は終わった。邪魔したな。おたがい警察には言いっこなしだ」
男は立ち去ろうとした。
「待って……」
リナが小さな声で言いかけた。
「リナ！」
俺は鋭い声で彼女を制した。リナは、それで何もかも察したらしかった。男が玄関を閉め、やがて去っていく車の音がした。
「ゼロス……ゼロス！」
「リナ」
ガウリイが後ろからリナを抱きしめた。リナは、瞳に怒りをにじませてガウリイを睨み付けた。
「離して！」
そして、リナはワンピース姿のまま、プールに飛び込んだ。見開いたままのゼロスのまぶたを閉じさせた。
「ゼロス……ゼロス！！」
リナは大声を上げて泣き、血を流し続けるゼロスの頭を抱きしめた。
「なぜ？なぜこんなことをしたの？なぜあたしを助けてくれたの？なぜなの！！」


出版社は重役が継いだ。ゼロスは、自宅のプールで溺死したことになった。ビジネス誌が、いくつか悔やみの言葉を載せ、やがてゼロスのことは忘れ去られていった。ゼロスの家は、使用人も去り、壊れるに任せるままになった。ガウリイが、引っ越しを提案したが、リナが了承しなかった。ガブリエフ夫妻は、今でもあのＣの字型の湾の片方の岬に住み続けている。
俺は、時折車をゼロスの家の跡に走らせる。すっかり錆の浮いた白いベンチに腰掛ける。夕闇が辺りを覆うと、向かいの岬に、赤い、ルビーのような灯りがつく。
「なあ、ゼロス。お前はそうやってリナを手に入れたのか？」

『───僕は、いつの日か必ずリナさんを手に入れてみせる───』

『───どんな形であってもね───』

『───今度は、僕のものに出来るかもしれない───』

俺は、ベンチを立ち上がり、服に付いた錆を払った。

俺はある男について語ったと思う。彼は、有能で、野心家だっだが、心の奥底には夢を持ち続けた男だった。いや、夢こそが彼を成り立たせるたった一つのファクターだったのではないか？とにかく、男は夢を持っていた。そのために、全てを手に入れて、全てを失った男のことを、俺は語ったと思う。

帰ろう。アメリアの元へ。




私の作品にしては珍しく、リナちゃんが生き延びています（いやだなあそんなＳＳ書き）。ゼロスの死に関しては、これ以外ないというか、モトネタにした「グレート・ギャッツビー」がこんな小説だったからというか。彼はその死によって、永遠にリナちゃんを手に入れたんだと思うんです。それと、ゼルガディス視点での話を書くのは、結構新鮮な体験でした。それでは、暗い話につきあっていただき、ありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんは、この後どういう人生を送ったのでしょうね。でも、ゼロスのことを忘れなかったのは確実だと思います。岬に住み続けることが、彼女なりのゼロスへの愛……というか、友愛の証だったのではないでしょうか。


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