tiny tiny tiny［２］
ゼフィール・シティを探し回る。何軒もある宝石店で、長い金髪の男が来なかったか尋ねる。それはすべて徒労に終わった。 「ゼフィール・シティには来てない……ということは、貸家で何かあったんじゃ……」 ショート・ソードの先に明り（ライティング）を灯して、リナは暗い街道を歩いた。滅多に人も通らない、細い道。そこに、倒れている人影を見いだして、リナは駆け寄る。地面に広がった金髪と、血のゼリー。プレートメイルが割れ、心臓を貫かれた傷痕。 「ガウリイ」 リナは、脚の力が抜けるのを感じた。とても立ってはいられない。そこにあるのは、死の匂い。ガウリイでなくなってしまった、ガウリイ。ライティングの青白い明かりが、その全てをリナに見せつける。 「ガウリイ」 リナは、そっとその頬に手を伸ばした。冷たい。生命は、すでに彼から去ってしまったのだ。 「ガウリイ……」 リナは、冷たいガウリイの手を掴んで、呆然としていた。 ゼロスは、獣王宮の自分の部屋で、久しぶりの休暇を楽しんでいた。 （せっかくの休みなのに、自分の部屋でのんびりしてるだけ、ってのも味気ない話ですね……でも、僕は無趣味ですから） 身体を伸ばし、椅子の背もたれに身体を寄せる。 （僕の趣味と言えば……リナさんをからかうことくらいでしょうか？） ぼんやりと、リナに思いを馳せる。 （ルビーアイ様の一部との対決……まさか、あの呪符を噛み砕くとは思いませんでしたね。でも……） くすり、と微笑む。 （リナさんの身体に、あの呪符の欠片が残っているから、僕はいつでもリナさんの気配を感じ取ることが出来るんです） 久しぶりに会いに行ってみようか、そう思った時、ゼロスの身体にリナの激しい感情の揺れ動きが伝わってきた。 （リナさん……？ 何かあったんでしょうか） ゼロスは、立ち上がった。そして、リナのもとへ空間を越えた。 （血の匂い……） リナのもとへ現れる。リナは、ライティングを灯したショートソードを地面に投げ出したまま、ぺたりと座り込んでいる。その小さな手に、冷たいガウリイの手を握りしめて。 「リナさん！ ガウリイさん……これはいったい」 彼女の深紅の瞳は、宙を見つめている。ゼロスの方を見ない。 「リナさん、しっかりして下さい、リナさん！」 リナは動かない。ゼロスは、リナが堅く握りしめているガウリイの冷たい手を放させようとした。しかし、リナの力は強く、爪がガウリイの手に食い込んでいる。 「リナさん……」 その時、新しい血の匂いが漂った。 （何……？） リナの白いワンピースの下腹部。そこに大きな血の染みが広がった。血は止めどなく流れ、リナの太ももを伝い、地面に流れ落ちる。 「ちょっと、しっかりして下さい、リナさん」 「う……痛……」 リナがうめく。だが、握りしめたガウリイの手は放さない。 「リナさん、お医者さんにいった方が……手を、放して下さい」 「ああっ……」 リナは前屈みになり、苦痛に眉をゆがめる。ガウリイの手は放さない。 「くっ……」 ゼロスは、掌に魔力を込めると、ガウリイの身体に向けてそれを放った。ガウリイの身体は、細かな霧と化し、空中に消え失せた。 「リナさん、貴女をお医者さんへ運びます」 瞳を動かさないリナを強引に抱えると、ゼロスは空間を渡った。 「夜分すみません！ 開けて下さい！」 ゼロスは、医院の扉を叩く。中年の男が、パジャマ姿で顔を出す。 「あなたは、お医者さんですか」 「ああ、そうだ。急患かね」 「この女性（ひと）を診て下さい」 「……ひどい出血だ。とにかく中に入りなさい」 ゼロスは、診療台にリナを横たえた。 「それじゃあ、あんたは待合室に出て。ちと暗いが、待っていなさい」 ゼロスは、診療室から漏れてくるランプの明かりを見つめ続けた。ときおり、リナの苦しげなうめき声が聞こえた。やがて、診療室から医者が出てきた。 「あなたは、患者さんの……」 「……知り合い、です」 「ご家族の方などは」 「いえ、今は僕一人です」 「立ち入ったことを申しあげてもよろしいか？」 「リナさんに何が……いいです、話してください」 「彼女は、流産した。身体の方には何の異常も見当たらないことからすると、精神的なショックがあったようですな」 「流産……精神的なショック……」 「心当たりはおありで？」 「……ええ。あります。彼女の意識は……」 「今は痛み止めで眠っています。あなたは、うちに帰って休まれた方がいい。明日、彼女を迎えに来て下さい」 「いえ、僕は眠りません。彼女の側についていてもいいですか？」 「大丈夫かね。面倒を見る側が倒れちゃ、何にもならんよ」 「僕は、大丈夫です」 「じゃあ、明日の朝、あらためて診察させてもらうよ」 医者は自分の部屋へ引き上げていった。ゼロスは、リナの血の気のない頬を撫で、小さな手を握った。 「応急処置はしたが、しばらくは出血があると思う。それと……実に残念なことだが……」 「何ですか。言って下さい」 「彼女は、もう子供は産めないよ。君は、彼女の知り合いと言ったね。彼女の中にいた子供の父親ではないんだね？」 「……ええ。子供の父親は、別にいます」 「その人に伝えてくれ。子供が出来なくても、愛し合っている人たちはたくさんいると」 「……分かりました」 その時、リナのまぶたがゆっくりと開いた。 「おっ……」 「リナさん！ 大丈夫ですか？ どこか痛くありませんか？」 リナは、白いシーツに手をついて、ゆっくりと身体を起こす。 「ゼロス……どうしてあんたがいるの。あたしは、ガウリイを家で待っていたはずなのに」 「リナさん？ あなたは、ガウリイさんの遺体の手を握りしめて……」 「縁起でもないこと言わないでよ、ゼロス。ガウリイは、あたしのために指輪を探しに行ってるのよ」 「……」 思わずゼロスは黙る。医者も、何か察したのか、リナの瞳を見て話しかける。 「お嬢さん、あなたは流産したんですよ。分かりますか？」 「流産？」 リナはきょとんとした顔をする。 「何言ってるの、おじさん。あたしのお腹の中には、ガウリイとあたしの子供がいるのよ。まだ小さな小さな、小さな……」 「だから、その子をあなたは流産……」 「変なこと言わないで。ね、ゼロス。ここはどこ？ そして、ガウリイはどこ？」 「リナさん……！」 ゼロスは、リナの華奢な身体を抱きしめた。リナは中空を見て微笑む。 「なあに、ゼロス。苦しいわよ。それより、ガウリイはまだ帰ってこないの？」 ゼロスは、リナを抱いて空間を渡った。リナの実家の前に出る。家の外でリナたちの帰りをひたすら待っていたリナの母が、呆気にとられてゼロスを見つめる。そして、彼の腕の中のリナに目を移す。 「……リナ！ リナはどうしたの。気を失ってるの？」 「眠っているだけです。リナさんの、お母様ですね」 「あなたは一体誰？ なぜリナを連れてきてくださったの？ それと、ガウリイさんの行方はご存じない？」 「話すことはたくさんあります。家の中に入れてください」 家に入ると、くわえただけの、火のついていない煙草を灰皿に放り出して、リナの父がじろりとゼロスを見た。 「……魔族か」 「おわかりになりますか」 「魔族？」 リナの母の顔が曇る。 「あなた、リナに何かしたんじゃ……」 「言い遅れました。僕はゼロスというものです。確かに、魔族です。リナさんとは、しばらく共に旅をしました」 「……」 リナの両親は黙る。 「悪い知らせが三つあります。一つは……ガウリイさんは亡くなりました」 「な……っ」 リナの父も顔色を変える。 「彼は優れた剣士でしたから……僕も信じられないくらいです。たぶん、魔族に不意打ちをくらったのでしょう」 「同じ魔族のあんたから聞かされても、説得力がねえな。ガウリイさんを襲った魔族があんたじゃない、と証明できるか？」 「あと二つの悪い知らせを聞いて下さい」 ゼロスは話を進める。 「リナさんは、流産しました」 「そんな……！」 リナの母が立ち上がる。 「リナさんは、ガウリイさんの遺体の側で、出血して倒れたんです。僕が医者に連れていきましたが……手遅れでした。リナさんは、もう子供が産めない身体になったそうです」 「リナ……リナ」 食堂の椅子に無表情に腰掛けているリナを、リナの母が抱きしめる。リナは、微笑んで母を見上げる。 「どうしたの、母さん。この世が終わったみたいな顔して」 「……リナ？」 「最後の知らせです」 ゼロスは、リナを見た。 「リナさんは、ガウリイさんを亡くしたことと、流産したことのショックでしょう……正気を無くしています」 「そんな……そんな事って……昨日までは、あんなに楽しそうにしていたリナとガウリイさんが」 その時、玄関のドアが開いて、ルナが帰ってきた。 「何？ この禍々しい魔力は。……獣神官（プリースト）ゼロス……うちに何の用事かしら」 「これは、スィーフィード・ナイト。初めまして。お見知り置きを」 「ふざけないで。リナはどうしたの。ガウリイさんは？ あなたが何かしたの」 「誤解しないで下さい。僕は、ただリナさんを医者に連れていっただけです」 「医者？」 怪訝そうな顔をするルナに、母が口を開く。 「こちらの方のおっしゃるには……ガウリイさんは亡くなったんですって。そして、リナはそのショックで流産して……そして、今は正気を失っている」 「そんな……リナ？」 リナは、幸せそうな笑みを浮かべて姉を見る。 「お帰り、姉ちゃん」 「なぜ、笑ってるの、リナ。あなたの大事なガウリイさんは亡くなったのよ。それに二人の間に出来た子供だって……なぜ、笑ってるの！！」 「ガウリイは、あたしのために指輪を探してる。もうすぐ帰ってくるわ」 「リナ！」 「そして、あたしは、あたしと、ガウリイと、あたしたちの子供の三人で、丘の上に暮らすの。時々は、赤ちゃんを連れて、ガウリイとここへ帰ってくるわ……ガウリイ、早く戻ってこないかな。二人で、名前を考えなくちゃ……男の子だったら…女の子だったら」 ルナは、リナの頬を平手で叩いた。白い頬が赤く染まる。 「リナ、目を覚ましなさい！ ガウリイさんはもういないのよ。あんたの子供だって……」 「どうして、殴るの？」 リナは、薄く涙を浮かべて姉を見る。 「どうして、皆変なことばかり言うの？ あたしは、ガウリイと幸せになるのよ。それはいけないことなの？」 ゼロスは、リナの手を引いて立たせた。そして優しく抱きしめる。 「そうですね、リナさん。ガウリイさんを待ちましょう。その丘の家で……」 「何を言うの、獣神官ゼロス！」 ルナの鋭い声に、リナはおびえたように、ゼロスの胸に寄り添った。 「僕に、リナさんの面倒を見させてください」 「何だと？ この魔族」 リナの父も腰を浮かせる。 「リナを医者に連れていってくれたことは感謝する。だが、リナがこんな状態になった以上、面倒は俺たち家族が見る。お前は引っ込んでいろ」 「僕がリナさんと一緒に暮らします。『ガウリイさんを待ちながら』」 「そんなこと、リナのためにならないわ」 リナの母も、ゼロスを見つめる。 「現実を……どんなに辛いことでも、現実を見なきゃ」 「それが、リナさんの幸せであると？」 「あなたは……」 ルナの瞳に火がともる。 「幻想に取り憑かれたリナを、そのままもてあそぶつもりなの？」 「僕は、リナさんに手を出したりしません。ただ、側にいるだけです」 「あなたのその気持ちは、恋愛感情なの？……魔族に、そんなものがあるって話は聞かないけれど」 「僕にも分かりません」 ゼロスは、リナの背中に回した腕に力を込める。 「けれど……僕はリナさんの微笑みを守りたい。貴女たちとは違う方法ですが……僕は僕なりにリナさんを好きなんです」 リナの父が口を開く。 「もし、リナを渡さねえ、と言ったら？」 「あなたたち全員を殺してでも、連れていきます」 「俺と女房はともかく……お前はうちのルナを倒せるのか？」 「父さん」 ルナの額には、冷や汗の滴が浮かんでいる。 「私と、この魔族は……良くて、相打ち。悪ければ……」 「な……っ。お前にそう言わせるほど、こいつは強いのか」 「魔族の中でも屈指の力よ。戦ったら、私も命の保証はない」 ゼロスは、笑みを深くする。 「リナさんを、渡していただけますね？」 リナの母が、毅然として言った。 「あなたが、リナを不幸にしないと言うのなら。でも、これだけは覚えておいて。あなたがリナの心を傷つけたら……私たちは、命に引き替えてでも、あなたを倒すわ」 リナの父は、椅子に深く座り直した。そして、何も言わなくなった。 「私が、リナたちが暮らすつもりだった家まで、案内するわ。行きましょう」 リナの母がふと言った。 「ガウリイさんの遺体は？ せめて、私たちでお葬式でも……」 「ガウリイさんの遺体は、僕が始末させていただきました。リナさんが、どうしても彼を離さなかったので」 「何てこった」 リナの父が頭を押さえる。 「じゃあ、父さん、母さん。ゼロスさんとリナを送ってくるわ」 「スィーフィード・ナイト」 「ルナで結構よ」 「じゃあ、ルナさん。僕の願いを聞き届けて下さって、ありがとうございました」 「……リナが正気に返るまでよ」 「ええ、分かっています」 「わざとリナを狂気に追いやるようなまねはしないでね」 「僕は、リナさんを大事にする。それ以外のことは何もしません」 ルナは黙って、ゼロスの先を歩いた。ゼロスは、リナをマントの中に包み込むように、ゆっくりと後を追った。 「……ここよ。鍵は、おとといに借りてあったの」 ルナは、丘の上の家の鍵をゼロスに渡した。 「家具も、古いけど、揃ってるわ。リナを、頼んだわよ」 「僕を疑わないんですか？」 「……」 「本当は、ルビーアイ様の分かたれた一部を二体も滅ぼしたリナさんに、僕が復讐するのかもしれない。そうは思いませんか？」 「私には、分かるの」 ルナは目を伏せた。 「あなたは、そんなことはしない」 「ええ……でも、なぜ魔族の僕を信じられるんですか？」 「私も、リナを愛しているからよ」 目を、開く。 「あなたと、同じように」 「……僕にも分からないんです。これは、愛なのでしょうか？ ただ、傷ついたリナさんを守りたい。側にいたい。本当に……僕は、僕が分からないんです」 「また、来るわ。それから、これ」 懐にしまっていた、小さな蓋付きの皿を取り出す。 「今夜、リナに食べさせてやって。リナの好きだった料理よ。それから」 ぐい、とゼロスの襟飾りを引き寄せる。 「少しでもリナを傷つけたら、私は例え命が尽きてもあなたを滅ぼすわ。私の力は分かっているわね。忘れないで」 ルナは去っていった。リナは、ゼロスとルナのやりとりを、人形のように見守っていた。 「リナさん、家に入りましょう」 「……ええ。ここに、ガウリイが帰ってくるのよね？」 「そうです。さあ早く。あまり風に当たるのは、身体に良くないです」 「あたしのお腹の中には……」 リナは、そっとお腹に手をやった。 「小さな小さな、小さな……命がいるんだものね」 「tiny tiny tiny」は、（またまた）ＣＨＡＲＡさんの曲です。小さな小さな、小さな……生まれなかったガウリイとリナの子供のことでもあり、リナちゃん本人のことでもあります。   |