tiny tiny tiny［１］



BABY前へ進みましょう。


あたし達の拡げた地図――とても大きい
そう、一度に理解できそうになくても
とても心が動く……なんでしょう？


もっと拡げよう？


リナとガウリイは、ゼフィーリアへ向けて、街道をのんびりと歩いていた。
「そろそろ昼飯時だな。近くの町でなんか食べようぜ」
「あたし、食欲ない……」
「はあ？　お前が食欲がない？　珍しいこともあるもんだな」
「吐き気……する」
「おいおい、大丈夫かよ……」
リナは、口を押さえて街道脇の茂みに飛び込んだ。せき込む音。苦しげな呼吸。
「背中でもさすろうか？」
「……いい。来ないで」
顔色を白くしたリナが、茂みから出てきた。ハンカチで、口のまわりを拭う。
「お前、何か悪いもの食べたか？……と言っても、俺と同じものしか食べてないか。風邪か？」
リナの前髪をかき上げ、大きな手で額に触れる。
「熱があるってわけじゃないな」
「そういえば……」
「そういえば、何だ？」
「ううん、何でもない」
「こら。そこまで言っておいて、『何でもない』はないだろ」
ガウリイは軽くリナを小突く。
「だって……その」
「いいから言えよ。何か病気なのか？」
「…………今月、来てないの」
「？……何が」
「ええい、察しろ！　このクラゲー！！」
リナは懐から取り出したスリッパで、ガウリイをはたく。
「いってー……ああ、あれか」
「……そうよ。あれ」
ガウリイは、リナの顔をのぞき込む。
「っていうことは、まさか……」
リナは、前髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「かもしれないわ」
「リナ！」
ガウリイはリナを抱きしめる。
「ゼフィーリアについたら、ちゃんと医者に診てもらおうな。……それにしても、俺とお前の子供か……俺は、リナに似た子が欲しいな」
「そう？　あたしはガウリイに似た……頭の中身はともかく……綺麗な金髪の子が欲しいわ」
「そうと分かった以上、お前に無理はさせられないな」
ガウリイは、ひょい、とリナを腕に抱き上げた。
「ちょ、ちょっと。恥ずかしい！　降ろせー！」
「ダメだ。もう、お前一人の身体じゃないんだから」
「このまま町へ入る気？」
「いいじゃないか。俺に頼ってろ」
「ただ歩くのなんて、無理のうちに入らないわよ。それに、重くない？」
「全然。お前なんて軽いよ。いいから俺に任せろ」
リナは、しばらくぶつぶつ言っていたが、ガウリイの胸に、頭をもたせかけた。

「チキンステーキと仔牛の煮込みとキドニーパイと……リナ、何か食べられそうか？」
「レモンジュース……それだけ」
「馬鹿！　しっかり栄養取らなきゃダメだろ。メニューよく見ろ。何か食えるだろう？」
「何も……食べたくない」
ガウリイはウェイターを呼び止める。
「すまん。こいつ、体調悪いんだ。メニューにはないが、お粥か何か作ってやってくれ」
「かしこまりました」
運ばれてきたレモンジュースとお粥を、リナはずいぶん時間をかけて食べた。
「きついのか？」
「うん、まあ……ね。ガウリイは気にしないでどんどん食べて」
「ああ。でも、心配だな。今日はこの町に泊まって、明日ゼフィーリアを目指そう」


リナの実家に彼らがたどり着いたのは夕暮れだった。ガウリイは、ずっとその腕にリナを抱えていた。
「リナ……リナじゃないの！」
ドアの外に出てきたのは、黒髪の美しい女性。
「姉ちゃん……ただいま。ガウリイ、下ろして」
ふらりと地面に立つ。よろけるリナを、黒髪の女性が支える。
「ルナ＝インバースさんですか？」
ガウリイが聞く。
「そうよ。あなたは誰？　リナの恋人？」
リナは真っ赤になる。ガウリイは、毅然と答える。
「はい。俺は、ガウリイ＝ガブリエフ。リナの恋人です」
「ガ、ガウリイ！」
「違ったか？」
「いや……違っては……いないけど」
「あらまあ」
ルナはにっこりと微笑んだ。
「何年ぶりに帰ってきたかと思えば、こんな素敵な恋人を連れて。きっと、父さんも母さんも喜ぶわ。さ、ガウリイさん、中に上がって。今日は多めに晩ご飯を作っておいて良かったわ」
ガウリイは居間に通された。
「食事の準備はすぐ出来るわ。待ってて。ビーフシチューだけど、いいかしら？」
「大好物です」
「あ……あたしはパス。果物とか、無い？」
「珍しいこともあるものね。リナに食欲がないなんて」
「ちょっとね、吐き気がするの」
「病気？」
ガウリイが、嬉しそうに語り始める。
「リナは、たぶんだけど……子供が出来たんだと思います。月のものも来てないそうだし、酸っぱいもの欲しがるし」
「そう」
ルナは、顔色一つ変えずにそう言った。
「もう、夕食が出来るから。食堂に来てちょうだい。ガウリイさん、あなたを両親に紹介するわ。リナ、リンゴでいい？」
「ありがと、姉ちゃん。リンゴでいいわ」

夕食の席。ガウリイは、リナの父親の顔を見て、目を見開いた。
「よお、お前さんか。ずいぶんといい面構えになったじゃないか」
「あんたが……リナの親父さんだったなんて」
「なあに？　二人は前に出会ったことがあるの？」
栗色の髪をくくったリナの母が尋ねる。
「ああ。あれは何年前だったかな……とにかく、リナがお前さんを連れてくるなんて、まさしく神様のお導きだ」
相変わらず年よりずっと若く見える、赤い瞳の父親は、ガウリイを優しく見つめた。
「さ、食べましょ。冷めちゃうわ」
一同はスプーンを動かし始めた。リナは、シチューの湯気の匂いさえも苦しいらしく、顔を背けてリンゴを食べていた。
「リナ、具合でも悪いのか？」
リナの父が問う。
「妊娠してるかもしれないんだって」
ルナが冷静に言う。
「まあ」
リナの母が、にっこりと微笑んだ。
「リナが……妊娠！？　なんてこった、相手は……当然お前さんだな」
ガウリイは、スプーンを置いて立ち上がった。
「不躾で申し訳ないんですが……リナを、俺に下さい。リナも、お腹の子も、絶対に幸せにしてみせます」
「ふむ、お前さんが、リナの婿にねえ……」
リナの父は、黒い髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
「とりあえず、飯をすまそう。話はそれからだ」
皆の皿が空になった。リナの母と、ルナが、皿を流し台に運んでいく。
「あ、母さん、姉ちゃん、あたしも手伝う……」
「なに馬鹿なこと言ってるの。あんたは休んでなさい」
リナは、ふらふらと椅子に座り直した。
「で？　ガウリイ＝ガブリエフさん。あんたは、うちのリナを孕ませた上、嫁にしたいわけだ」
「……まあ、そうなります。妊娠のことは、お医者さんに行って確かめてみないと、はっきりしたことは言えませんが……」
「今のあんたなら、リナを任せられそうだ。風の噂に聞いたが、あんたとリナは相当厳しい旅をしてきたんだろう？　どうだ？　あの時湖に投げ捨てようとしていた剣で、守れるものは見つかったか？」
「それが、リナです」
「リナ、お前はガウリイさんのことを好きなのか？」
「あ……あたし、は……うん、その、好きよ」
「分かった」
リナの父親は、立ち上がった。
「あんたに、リナを託そう。だが、条件がある」
「どんな条件ですか」
「一発、殴らせてくれ。目に入れても痛くないほどに、可愛がってきた娘を持って行かれるんだ。それくらいいいだろう？」
「構いません。思い切り殴って下さい」
「じゃあ遠慮なく……」
そう言って、リナの父親は、釘がびっしりと植え付けられた棍棒を取り出した。
「あの……殴るって、まさか、それで」
「ああん？　素手で殴るとは誰も言ってないだろう」
「か、勘弁して下さいよ。あなたの腕で、それで殴られたら、俺死にますよ」
「ああ。根性のない奴は死ぬかもな。この程度で死ぬ奴には、リナは任せられない」
「ちょっ……」
ガゴン。ガウリイの頭に、棍棒が振り下ろされた。ガウリイはよろめいて、椅子に倒れ込む。
「ガウリイ！　ガウリイ、大丈夫？……血が出てるじゃない」
「ああ、リナ。ちょっと痛いが、大丈夫だ」
「ちっ、頑丈な奴」
「父さん！　ガウリイを殺す気？」
「結果的に、ぴんぴんしてるじゃねえか。まあ、それくらいの痛みはこらえてもらわなきゃならん。リナを連れて行かれるんだからな」
「私も、一発殴らせてもらっていいかしら」
ルナが、穏やかな笑みを浮かべ、モーニングスターを構えている。
「あの……ルナさん、スィーフィード・ナイトでしたよね」
「ええ、そうよ」
「雷撃竜（プラズマ・ドラゴン）を包丁一本で倒すって……」
「簡単な事よ」
「死ぬ！　今度こそ、俺は死ぬー！！」
「姉ちゃん！　勘弁してやってよ！」
「あたしはリナを、とっても愛してたの。結婚もする前に子供ができたですって？　殴らせてもらわないと、気が済まないわ」
「愛してたって……リナは、ルナさんのことをいつも怖がって……」
「そうよ。リナを怖がらせる事ができるのは、この世で私一人だけ。それが、私の愛し方」
ズガン！　すんでのところでモーニングスターをかわしたガウリイは、椅子から転げ落ちる。
「あら、いい反射神経してるじゃない。じゃあもう一発……」
「姉ちゃん、待って、姉ちゃん！」
リナが床に倒れたガウリイをかばう。
「ガウリイは、何にも悪くないから！　お願いよ」
「ふうん……運のいい男ね。分かったわ。リナがそこまでかばうんなら、それなりの男なんでしょう」
ルナは、モーニングスターをテーブルの上に置いた。鉄の塊の重みでテーブルが傾く。ガウリイは、安堵のため息をつく。
「それで？　結婚式なんかはするのかしら？」
今までの展開を、紅茶を飲みながら眺めていたリナの母が口を挟む。
「け、結婚式？　いいわよ。あたしとこいつは、もうずうっと長い間、旅をしてきたんだから。いまさら、ちゃらちゃらしたドレスなんて着たくないわ」
「残念ね。リナのウェディングドレス、見てみたかったけど……まあ、あなたたちが納得するようにおやりなさい」
「籍を、入れるだけでいいわ。あとは内々で、親しい人を招いてお食事でもして。……と言っても、招きたい人、かあ。一人はセイルーン王国のお姫様だし、もう一人はどこにいるかも分からない旅の空。あ、あと一人いるわね。でも魔族だし……」
「リナ、お前どんな旅してきたんだ」
リナの父が呆れ声で言う。リナの母は、動じずに続ける。
「あなたたち、どこで暮らすの？　ガウリイさんの故郷？」
「……いや、俺は、俺の故郷には未練はないです。このゼフィーリアで、どこかいいところを探します」
「あそこなんかいいんじゃないかしら」
ルナが口を開く。
「ここから、一時間ほどかかるけど、丘の上に、貸家があったわ。リナと、ガウリイさんと……それから、生まれてくる赤ちゃんが暮らすのにちょうどいい大きさの家が」
「いいですね。こんど、俺が見に行ってみます」
「なにはともあれ、お医者さんね。リナ、もう休みなさい。身体、きつくない？」
「うん……ちょっと苦しい。先に休ませてもらうわね」
「ガウリイさん、俺たちは一杯呑もうか」
「つきあわせていただきます」
「リナとの旅の話を聞かせてくれ」
その夜、遅くまで居間の灯りはついていた。


その不思議な扉を開けるキスや、
素直に開く心の合言葉を、
おそろいのキーホルダーで深くつなぎ止めた――。


一つだけもってて。
もしなくしてもあたしのをわけてあげるよ……。


ゼフィーリアでも屈指の魔法医。その待合室で、ガウリイは長い脚を持て余すように組んで、リナが診察室から出てくるのを待っていた。
ドアが開く。白い顔のリナが出てくる。 「ど……どうだった、リナ」
ガウリイの掌に汗がにじむ。
「２ヶ月、だって。今が一番無理をしてはいけない時期だから気をつけるようにって」
「そうか！　俺は父親になるのか！……男か？女か？」
「あのね、２ヶ月でそんなこと分かるわけないでしょ。産まれるまでのお楽しみよ」
ガウリイは、医院に来る時と同じように、リナを抱き上げた。
「恥ずかしいってば。他の妊婦さんだって、みんな自分で歩いてるじゃない」
「いいんだ。お前は俺に頼ってれば。何度も同じ事を言わせるな」
二人はリナの実家へ帰った。
「どうだったの？」
リナの母が微笑んで聞く。
「２ヶ月、だそうです。今は安静にしてるべきだって」
「まあ、そうなの。良かったわね、リナ。籍を入れるのは、早い方がいいわね。明日にでも町役場に行って、婚姻届をもらってきましょう」
「じゃあ、明日は俺はその貸家ってのを見てきます。リナも新しい環境に早く慣れた方がいいでしょうからね……それから、帰りにゼフィール・シティに寄って、指輪を買ってきます」
「素敵じゃない」
ルナも微笑む。
「リナ、宝石は何がいい？　お前さんの瞳の色……ルビーにするか」
「ルビーってのはちょっと……辛い思い出が出来ちゃったからね。赤い宝石なら、ガーネットがあるわ」
「ガーネット……初耳だ。でも、お前はそれがいいんだな？　とびきり綺麗なやつを買ってきてやるよ」
ルナは、眉をひそめる。
「ガーネットを知らない？」
「ああ、姉ちゃん、こいつ、一見まともそうな大人に見えるでしょ。でも、のーみその中にはヨーグルトが詰まってるんだから」
「でも、好きなのね？」
「うん。そうよ。あたしはガウリイを愛してる」
「嬉しいな」
ガウリイはリナの頭をくしゃくしゃにかき混ぜた。


「じゃあ、私が町役場に行って来るわ」
「悪いわね、姉ちゃん」
「可愛い妹の婚姻届を取りにいくんだもの。喜んで行くわ」
「俺は……帰り、少し遅くなるかもしれません。リナ、ゆっくり休んでろよ」
「はいはい……っと。あー、退屈」
リナの母がリナを小突く。
「お医者様からも言われたでしょ。今が一番大切な時期。今朝もレモンの蜂蜜漬けしか食べられなかったくせに。部屋で横になってなさい」
「はあーい。……ガウリイ、早く帰ってきてね」
「分かった。出来るだけ急ぐよ。じゃあ、行って来ます」
「ガウリイさん、途中まで一緒に行きましょう」
「ルナさんと二人か。緊張するなあ」
二人は、明るい空の下に歩み出ていった。

「遅い……」
夜の８時をまわっても、ガウリイは帰ってこなかった。
「指輪のデザインを迷ってるのよ、きっと。大人の男なんだから、心配いらないわよ」
時計が、９時を打った。
「あたし、ガウリイを迎えに行ってくる！」
「リナ！　馬鹿はやめなさい。第一、あんなに広いゼフィール・シティのどこを探すのよ。心配ないから、待ちなさい」
「あいつ、頼りないから。あたし、どうしても行くわ」
「待ちなさい、リナ、待ち……」
リナは、ブーツを履いて、飛び出していった。
「だめよ、リナ！　お腹の赤ちゃんに良くな……」
「翔風界（レイ・ウィング）！」
リナは空へ上がった。見る見る小さくなっていく。
「リナ……」
「あの子は、昔からああね」
リナの母が、遠い目をしてつぶやいた。

時は戻って、真昼。ガウリイは、貸家の中を歩き回っていた。
「ちょっと古いけど、広いな。ここが、リナの部屋で、この辺にベビーベッドを置いて……うん、気に入った。家賃も安いしな。さて、指輪の方へ行くか」
ガウリイがゼフィール・シティに続く街道を歩いていると、異様な殺気が高まった。ガウリイは斬妖剣（ブラスト・ソード）に手をかける。一見、草の蔓のような化け物が、ガウリイの前に立ちはだかった。
『ガウリイ＝ガブリエフだな。ルビーアイ様の分かたれた一部を滅ぼした』
「ああ、そうだ。お前は魔族か。俺に何の用だ……と言っても、穏やかな用じゃなさそうだな」
『その通り。ここで死んでもらう』
草の蔓が、何本も伸びてガウリイに向かう。ガウリイは、剣でその全ての蔓を叩き斬った。
『なるほど……やりおるわい』
（本体はどこだ？）
ガウリイは、感覚を研ぎ澄ませ、殺気の源を探る。その間にも伸びてくる蔓を、剣で薙ぎはらう。
「そこだ！」
ガウリイは跳躍し、少し離れた地面に剣を突き立てた。ざくりとした手応え。うねうねと伸びていた蔓が、いっせいに力を失う。
『くっ……このまま、滅びはせんぞ』
「負け惜しみか」
ガウリイは、もう一度剣を引き抜き、さらに魔族の本体に一撃を加えた。
『ごがああああっ』
「口ほどにもなかったな」
ガウリイは、剣をさやに収め、再び街道を歩き出した。その時。地面に横たわっていた蔓の一本が、鋭く堅くとがって、ガウリイに襲いかかった。ガウリイが気配を感じて振り返ると、プレートメイルを破って、その心臓に棘が突き立った。
「ぐ……うあああっ」
鮮血が吹き出す。ガウリイは、胸を押さえて倒れる。
「リナ……リナ。俺は、お前に……ガーネットの……」
それ以上言葉は続かなかった。地面に血が広がり、鉄の匂いが立ちこめた。
「リ……ナ……」
ガウリイは、それきり動かなくなった。

たいそうハッピーな始まりから、いきなりどん底。また暗い話を書いてしまってすみません。「許さん！」という方以外、次へお進み下さい（汗）


次へ