彼と彼女のソネット［４］
ゼロスは、一晩中リナの様子を見ていた。やがて紅潮していた顔色が戻り、額に触れても熱くはなくなった。夕べの自分を思い出すと、嫌悪感だけが湧いてきた。このどうしようもない独占欲。魔族にもそんなものがあったのか、それとも魔族だからこそ、よけいに強いのか……。 「……あ」 リナが目を覚ました。 「リナさん、だいぶ楽になったでしょう？」 リナはそれでも弱々しく、ゼロスの目をキッと睨みつけた。 「ひどいわ、ゼロス。あたし、苦しかった……！」 「僕も苦しかったんです！」 ゼロスは怒鳴った。リナは、この滅多に感情を見せない魔族の怒りに、言葉を失った。 「貴女はひどい。僕を苦しめる。あの人を想っているなら、なぜ僕と一緒に旅を続けているんですか！」 「ゼロス、違う。好きなのはあんただけよ」 「ならなぜ、苦しいときに彼を頼ったりするんです！」 リナは、しばらくうつむいていた。そして、ぽつぽつと話し始めた。 「ゼロス、あんたのことが好き。でも、ガウリイと共に過ごした時間は、とても長く、大事なものだったの。他の人には代えられない。旅をしていて熱が出たのは、これが初めてじゃないから。その時、いつも一緒にいたのはガウリイだったから……でも、これだけは聞いて。ガウリイのことを、あたしは愛してはいなかった。愛していると言えるのは、ゼロス、あんただけよ」 ゼロスは、ゆっくりベッドの上のリナを抱きしめた。甘い汗のにおいがする。 「あまり僕に嫉妬させないで下さい」 「嫉妬する事なんて何もないのよ」 リナは、ゼロスの腕の中で言った。 「あたしが好きなのは、ゼロスだけなんだから」 リナは、ベッドから立ち上がった。大きくよろける。 「大丈夫ですか、リナさん」 「大丈夫」 「着替え、手伝いますよ」 「いいわよ、別に。このすけべ神官」 「すけべって……僕はリナさんの裸をなんども見てるんですけど……」 「それとこれとは別なの！部屋から出て行って」 服を取ろうとして、またよろける。 「……あはは、昨日一日寝てたくらいで情けないわね」 照れ笑い。 「ガウリイさんは、貴女の着替えを手伝ったことはありますか」 「な……っ。そんなことあるわけ無いじゃない」 「今日だけ。手伝わせて下さい」 「まあ、いいけど……」 リナのパジャマを脱がせ、複雑な魔導士の服を一枚一枚着せていく。ショルダーガードとマントを除いた軽装になったリナは、 「これでいいわ、どうもありがとう」 と、優しい表情で言った。 「あっ……」 またよろける。ゼロスは、よろけたリナを自分の胸で受け止めた。体温のない、その胸が思いがけず心地よくて、リナはしばしそこにもたれる。 「あんたの胸って、大きいね」 「リナさんは胸が小さいですね」 すぱぁぁぁぁん。宿屋のスリッパが炸裂する。 「意味が違う！全く、せっかくあんたに甘えてやってたのに、台無しじゃない」 「僕に、甘えて下さっていたんですか？」 「そうよ。嫌？」 「いえ、とても、嬉しいです」 「じゃあ、ご飯食べに行こうか」 「肩を僕に。支えます」 「大丈夫よ」 「どうして貴女は素直じゃないんでしょうね」 ゼロスは、強引にリナの脇に手を回した。 「今日は何人前も朝食を食べないんですね」 「まだ、ちょっとね。食欲がないの」 「飲み物をもらってきます。何にしますか？」 「自分で取りに行くわ」 「リナさん……」 ゼロスは、困った顔をする。 「そんなに、僕は頼りないですか？それとも、僕に頼るのが嫌なんですか？」 「あんたのせいじゃないわ」 リナは、深紅の瞳を上げた。 「いつ独りになっても生きていけるように、誰にも頼らない自分を作りたいのよ」 「貴女は、僕が貴女を独りにすると思っているんですか？」 「獣王様から、あたしを監視するなんていう呑気な仕事より、もっと重要な仕事が来たら？」 「それは……」 「ね。いつあたしは独りになるか分からないでしょ」 「そんなことになったら……昔のお仲間を集めたら……」 「みんな自分の人生を生きてるわ。あたしのわがままにつきあわせるわけにはいかない」 ゼロスは、少しためらって、言う。 「ガウリイさんなら……きっと、喜んで貴女と旅をしてくれると思いますが……」 「あんたには言ってなかったけど」 リナはゼロスを見る。 「あたしは、この旅に出る前に、ガウリイのプロポーズを断ってきた。いまさら、また旅をしてくれ、なんて言えないわ」 「なぜ、断ったんですか？」 「決まってるじゃない。好きな奴がいたからよ」 「今、好きな『人』とは言いませんでしたね」 ゼロスは嬉しそうにリナの髪に触れる。 「そういうこと。それから、恥ずかしいから髪に触るのはやめて」 「僕のことを好きでいてくれるのに、独りになることを考えるんですか？」 「あたしは臆病なのよ」 「リナさんらしくないですね」 「今まで、いろんな連中と旅をしてきた。今はあんたと。独りになるのは、正直、怖いわ」 「…………」 「ま、今回の旅だって、あんたがいなければ、訳の分からない魔族のコレクションになって終わってたけどね。一人旅は本当に物騒だわ」 「リナさん。それで、飲み物は何を取りますか」 「紅茶を」 透き通った紅茶に砂糖をスプーン半分入れてかき混ぜながら、リナは言った。 「感謝してるわ」 「いえ、僕は毎晩それ以上のものをいただいて……」 すぱーん。今度は靴で殴られる。 「恥ずかしいことを公衆の面前で言わない！」 朝の光が窓から差し込む。リナの顔に、紅茶の表面が照り返しを造る。 「あたし、本当に、独りになるのが怖いの」 「リナさん」 朝日には似合わない、闇紫の目。 「僕は、例え我が主から別の仕事を命じられても……貴女を一人にはしません」 「ふうん……どうやって」 「我が主の命令に反してでも」 「ん……」 リナは、優しい目をゼロスに向けた。 「さて、貴女の身体はまだ本調子じゃない。今日は、おとなしくこの街を巡りましょう」 「そうね。そうするわ」 リナは、ショルダーガードをつけずに街に出た。マントをまとったゼロスが後に続く。 「いいお天気で良かったわ」 「平和ですね」 「昨日、大盗賊団を滅ぼしたばかりだから」 街をゆく人々の表情は穏やかだ。 「魔導士協会にでも行きましょうか」 「なぜ？」 「ここの文書館は、かなりの蔵書数を誇ると聞きます。リナさんの好きな魔術書の類もあるのでは？」 「なるほどね」 「文書館には、鍵のかけられた奥の部屋があると聞きます。そこを開けてもらえるように頼みに行きましょう」 二人は、やがて魔導士協会の建物に着いた。中年の魔導士が、カウンターでお茶をすすっている。 「なんだね、お兄さん、お嬢さん」 「ここの文書館の場所と、奥の部屋への入り口の鍵を」 「お前さんたち、封除（アンロック）は使えるかい？」 「あたし、使えます」 「使えるなら、その呪文をもって中に入りなさい。それだけの力があるのなら、あの奥の部屋に行くのも意味のあることだろう」 「場所は……」 「ここからだと、北西の方角にある。何、着いたらすぐに分かる」 ゼロスとリナは魔導士協会を後にした。 「北西、北西っと」 「あ……あの建物ですかね」 巨大な岩に、建物が半ばめり込むようにして建っている。 「岩を穿って造られたのね……」 「かなりの大きさですね。今日一日は楽しめそうだ」 「早く、奥の部屋とやらに行きましょう。表の文書館の書物には、たいしたことは書いてないわ」 文書館の中は、ランプで照らされていた。窓は一つもない。 「変わった、建物ね……」 「ええ」 二人は、建物の奥を目指した。 「行く手を閉ざす扉よ…我が魔力をもって…戒めを解き放て」 封除（アンロック）を唱えると、鍵はあっさりと外れた。二人は奥へ進む。 「うーん、古い時代の魔導書ばかりね……あ、この表紙は！」 「何ですか。リナさん」 「んーん。何でもない。ゼロスは、ほら、あっちの部屋見てきたら」 「リナさんは素直だからごまかし方が下手ですね。……クレアバイブルの写本、見つけたのですね？」 「ちょ、ちょっと待ってよ。燃やしちゃうなんてもったいない。あたしが、これをいただくわ。それで、この写本は他の人の目にも触れることはない。ね、いいでしょ？」 「駄目です。写本と分かった以上は、この世から消させていただきます」 「じゃ、ちょっとだけ待って。中身にざっと目を通すから」 「リナさん」 「お願い。ね、ゼロス」 「……分かりました。さっさと読んで下さい」 「お言葉に甘えて……」 古い羊皮紙で出来た写本は、古代文字で書かれている。 「読めるんですか？リナさん」 「この文字なら読めるわ。さてと、新しい魔法のことでも書いてないか……」 「貴女はクレアバイブルの本体に触れたのでしょう？今更写本なんて」 「あの時は、せっぱ詰まってたから必要なことしか調べられなかったわ。さてと、この本は……」 リナは親指を舌で湿らせると、本のページを繰った。 「ふむ……この魔法は使えそうね。ちょっとメモしとこ」 「駄目です」 「何でよ」 「貴女がメモしたとすれば、それが新たな写本になるでしょう。いいから、さっさと読んで下さい」 「まあ、呪文を覚えるのは得意だけど……」 リナは、写本を眺めていた。そして、ふっと前に倒れた。 「リナさん……？リナさん！」 呼吸が荒い。 「病み上がりなのに無茶でしたかね？」 リナの肩を揺する。 「起きて下さい、リナさん。宿まで送ります」 リナの顔は蒼白で、どんなに揺すっても、頬を叩いても、目覚める気配はなかった。 「突然の病気でしょうか。それとも……」 ゼロスは写本に触れた。伝わってくる強い魔力。 「毒、ですか……写本の作者が、自分以外にこの本を読まれないように、仕掛けてあったんですね」 ゼロスは、手のひらから蒼い炎を出した。写本を焼き尽くす。 「リナさん、今、魔力の毒を解いてあげますからね」 ゼロスはリナに触れた。魔力を注ぎ込む。リナは目を覚まさなかった。 「ずいぶん長くこの本に触れていましたからね……またしばらくは休んだ方がいい」 椅子からリナを抱き上げる。いつもリナは、悲しくなるほどに、軽かった。 「ねえ、リナさん」 腕の中の小さな少女に呼びかける。 「こんな貴女を放っておけると思いますか？」 宿の夜。リナは目を覚ました。 「あたし……どうしちゃったの？何でここにいるの？あ、パジャマ着てる……」 「やっと目を覚ましましたね。心配しましたよ、リナさん」 「あたしは……」 「あのクレアバイブルの写本には、魔力の毒が込められていた。読んだ人間はまず助からないほどの」 「でも、あたし、生きてる」 「僕がすぐに毒を中和する魔力を注ぎ込みましたから。そうしなかったら、貴女は危なかった」 「そう……ありがとう。一応、お礼を言うわ」 「リナさん」 ゼロスは真剣な目でリナを覗き込む。 「もし僕がいなかったら、どうなっていたと思いますか？貴女は強い。でも、危なっかしすぎるんです。貴女はもっと僕に頼ることを覚えるべきだ。違いますか？」 「だって、あたしはいつ独りに……」 「独りになんて、僕がさせません」 「独りになりたくなくても、独りになるときは絶対に来る。でも、今日のは失態だったわね。助けてくれて、ほんとにありがとう」 「さあ、もうしばらくは眠った方がいい。あなたは、ただでさえ病み上がりだったのだから」 「うん……お休み」 リナは、しばらくすると、穏やかな寝息を立て始めた。ゼロスは、それを確認すると、空間を渡って文書館の奥の部屋に入り込んだ。今日リナが見ていたのと同様の写本を探す。一晩かかって調べて、写本は３冊見つかった。いずれも、魔力の毒が込められていた。ゼロスは、その３冊の文書を、中身も見ずに焼いた。 「おかえり」 空間を渡って戻ると、リナが目を覚ましていた。 「どうせあの文書館に行ってたんでしょ？ほかに写本がないか」 「ええ」 「それで、何冊焼いたの」 「３冊です」 「ああ、もったいない。この天才美少女魔導士が、新たな力を得るいいチャンスだったのに」 「貴女は今のままで充分強いです」 「だったら、守らないでよ……」 リナがつぶやいた。 「リナさん？何か？」 「ううん、何でもない。そろそろ明け方ね」 「朝日の当たる文書館に行ってみましょうか。きっと綺麗です」 「でも、まだあたし足が……」 ゼロスは、リナの黒いマントでパジャマ姿のリナをくるむと、リナを抱いたまま空間を越えた。岩を穿たれて造った壮麗な建物。そこに、上ってくる朝日が、微妙な影をつくりだす。 「綺麗……」 「来て良かったでしょう？」 「ええ。ありがと」 「リナさん、二人でいると、こんないいこともあるんですよ」 「うん。今は、あんたと二人でいることを楽しんでる。でも、いつか独りになることを知ってる」 「どうして、僕を信じてくれないんですか」 「信じてないわけじゃ、無いわ」 ゼロスは、腕の中のリナを、きつく抱きしめた。 「独り」になることを怖れるリナちゃん。はたしてゼロスは彼女を救 うことが出来るのでしょうか。岩の中に半ばめり込んだ文書館は、私が夢で見た ものです。それでは、続きもよろしくお願いします。   |