Sister Tomorrow［２］


昨日のように、ゼロスは三つの果実で満腹した。リナは、十個以上の実を、ぱくぱくとよく食べた。ゼロスはくすっと笑う。
「リナさんは、相変わらずよく食べるんですね」
「そうよ。悪い？」
ちょっとふくれて、また口に実を運ぶ。最後の実を食べて、指に伝う果汁を舐めた。
「ふう……美味しかった」
「美味しかったんですけど…何か、昨日とは味が違うような……」
「そうよ。あの樹は、あたしたちを飽きさせないように毎日木の実の味を変えてくれるの。でも、今日のも昨日のに負けないくらい美味しかったでしょう？」
「はい」
「良かった」
リナは屈託無く微笑んだ。その笑顔が懐かしくて、ゼロスは胸を締め付けられる。
「じゃあ、特にやることもないし、お散歩でもしましょう」
リナは、寝室に入っていった。そして、出てきたときには魔導士の衣装をまとっていた。マントは外している。
「ゼロスも外出着に着替えて」
ゼロスが部屋にはいると、ベッドの上に神官服ひと揃いが並べてあった。ゼロスは、少し迷ったが、錫杖は置いていくことにした。
「ライティング」
リナが呪文を唱えると、蒼白い光が宙に浮かんだ。
「この光を目指してくれば、迷うことはないわね。行きましょう」

リナの両手首と首と腰に、魔血玉のタリスマンがついていることに気づいたのは、歩き出してしばらくしてだった。
「リナさん？そのタリスマンは……」
「ああ、これ？あたしがあんたから買ったものじゃない。いつも身につけてるわよ」
「それは……もうこの世界に無い物のはずですが」
「あら、そう？」
「この世に一組しかなかったんです、このタリスマンは。なのに、それを砕いたはずの貴女がそれを身につけている。いったい…」
「ゼロスは、ここを『この世』だと思っているの？」
リナはくすくす笑った。
「じゃあ……ここは死者の世界なのですか？」
「それも違うわ。まあ、そう言うことはおいおい話していくとして……ついたわ」
そこは、川だった。真っ白な平原を緩やかに蛇行しながら流れる川。深いが、底まで澄んでいる。生き物の影はなかった。
「魚もいないんですね……」
「ここで生きているのは、あの樹と、あんただけよ」
「リナさんは……」
「昨日も言ったでしょ、あたしはあんたの心の影。幻なのよ」
「でも、こんなにはっきり掴める」
ゼロスはリナの細い腕をとった。腕は、温かく、脈打っていた。そのまま、ゼロスはリナを抱きしめる。
「ちょ、ちょっと。何すんのよ」
慌てたような声。これも幻だというのだろうか？リナは、しばらくゼロスの腕の中で暴れていたが、次第におとなしくなった。耳を、ゼロスの胸につける。
「ゼロス、心臓、どきどきしてるね」
「えっ？僕は魔族です。心臓なんてありません」
「自分で触れてみれば？」
ゼロスは自分の胸に手の平をつけた。確かに、脈打つものがある。先ほどまでリナを抱きしめていたことを思い出すと、脈動はいっそう激しくなった。ゼロスは、懐から小さなナイフを取り出すと、自分の左手首に薄く傷をつけた。ぷつぷつと血が珠のように噴き出す。
「これは……」
「あたしにもよく分からないけど、この世界では、あんたの身体は人間と同じようにふるまうらしいわね。さっき、抱きしめられたとき、温かかったわ」
リナは、靴を脱いで裸足になり、川の縁に腰掛ける。
「あんたも来なさいよ。気持ちいいわよ」
ゼロスも靴を脱いで、リナの隣に座った。白い空と白い大地に囲まれた、透明な水。流れは速い。
「この川は、どこから流れてくるのでしょうか……」
「そうね、あたしも知りたいわ」
「この川は、やがては海に通じるのでしょうか？」
「たぶん、この世界に、海は、ない」
「ならば、これらの水は……」
「この世界は、分からないことだらけよ。はっきりしてるのは、この水が、冷たくて、気持ちいいってことだけ」
リナは、身をかがめて手で水を掬うと、ぱしゃっとゼロスに跳ねかけた。
「やりましたね〜」
ゼロスも、冷たい水に手を浸し、水をくんで、リナに浴びせかけた。
「ずるい、ずるい、ゼロスの方が手が大きいんだもん」
リナはふくれっ面をしてそっぽを向く。と、リナの足が大きく動いて、ばしゃっと大きな水はねを作った。リナもゼロスも、頭からずぶぬれになる。
「あはは、ごめんね」
リナは、足を水に浸したまま、大理石のような大地に横になった。上気した頬が美しい。ゼロスも、その隣に横たわった。腕を伸ばしてリナを引き寄せる。そのまま、リナはゼロスの腕を枕にする。
「リナさん……貴女はいくつなんですか」
「１６よ。あんたと出会ったのと同じ年齢。ゼロス、あんたはいくつ？」
「さあ……千年を越えるころから、数えるのを止めてしまいましたから。でも、たぶん、五千年は経っているでしょうね、創られてから」
「その五千年、楽しかった？」
「僕は目的を達成するために主が創り出された魔族ですから。楽しいとかそういう感情はありません。でも……」
「でも？」
「リナさん、あなたと出会った、旅した、ほんの短い時間……僕は楽しかった、気がするんです」
「光栄ね」
「それ以外の時、僕は在るものを無に返すことのみをしてきました。貴女にも知られたように、数千の竜族を斃した事もありましたし、その後も繰り返された降魔戦争で、何万という竜族やエルフ、人間たちの命を奪ってきました。そう、この世界に来る一瞬前までも、僕は人間の命を弄んで、無に帰していたんです。僕は……貴女とこうして話す資格なんて無いんです」
「資格？あたしはあんたにどんな資格も求めないわ。あんたは魔族、それくらいのことはするでしょ。それも分かった上で、あたしはあんたと一緒にいるのよ」
「リナさん」
不意に、胸の中に熱い塊が生まれた。それはまぶたを押さえつけ、鼻の奥をつんとさせた。ゼロスは気づいた。自分が泣いていることに。
「僕は、僕は……僕の手は、血で汚れています。汚れなき貴女をよごしてしまう。だから、貴女を抱きしめたくても、抱きしめられなかったんです」
「さっき抱きしめてくれたじゃない」
「貴女が生きていたときの話です」
「あたしは、汚れなき存在なんかじゃ無かったわ。悪人だったら容赦なく殺したし、あんたのお仲間の魔族だってずいぶん滅ぼしたわ。あんたが引け目に感じる事なんて何もなかったのよ」
新しい涙が、目から溢れてくるのを感じた。ゼロスは、それを拭うこともせずに、リナの小さな身体を腕の中に抱きしめた。
「じゃあ、こうしていてもいいんですね」
「いいの」
リナは、優しい声で言った。
「そのために、あたしはここにいるのよ」


やがて地平線が赤く染まった。
「暗くなる前にかえりましょう」
リナは、冷たくなった足を水から上げ、小さなタオルで拭い、同じタオルで、ゼロスの足も拭った。
二人は、暗くなっていく地平線を見晴るかした。遠くに、小さな蒼い光が見えた。朝、リナが唱えたライティングが、まだ光を放っているのだ。二人は、その光を目指して、難なく家に帰り着くことが出来た。家の側の樹には、鈴なりに赤い実がなっていた。
「ただいま」
「ただいま」
誰に言うともなく、二人の声が重なる。二人は、顔を見合わせて笑った。
いつもの、赤い実の夕食。ゼロスは、二つを食べた。
「もう一つ、残ってるわよ。食べないの」
「いえ……今の二つ、それぞれ味が違ったんです」
「よくあることよ」
「それで、リナさんが食べてるのはどんな味なのか、興味が湧いてしまって」
「あのねえ」
リナは呆れ声で言う。
「この実は、本当に色んな味があるのよ。いちいち気にしてたら、身がもたないわよ」
「とりあえず、今リナさんが食べているのの、味見をさせて下さい」
ゼロスはテーブルの上に身を乗り出し、リナの顔を引き寄せた。唇が重なる。
「んっ……」
ゼロスの温かい舌が、リナの口の中を探る。そして、二人は顔を離した。
「も、もう。何すんのよ、馬鹿ね」
「リナさんの唇が一番美味しかったです」
すぱーん。白いスリッパで頭をはたかれる。
「このすけべ神官！乙女の唇を奪っておいて、言いたいことはそれだけかー！」
すぱこーん。返すスリッパでもう一度殴られる。
「す、すみませんリナさん、もうしません」
「もう。今夜、一緒に寝てやらない」
「反省してます。もうしませんから〜」
「しょうがないわね」
リナはライティングの蒼白い光の下、頬を赤く染めていた。

二人で、白いパジャマに着替える。リナは、白いついたての向こうだ。
「覗いたりしたら、また殴るからね」
「信頼して下さいよ」
そして、ベッドの両側からかけ毛布の下に入る。互いの息がかかるほど、側に行く。
「今日は、色々すみませんでした。突然泣いてしまったり……」
「突然キスしたり？」
「謝ってるじゃないですか」
「……泣くのは、全然構わないけど？」
「そうですか？」
「ん……むしろ、泣いて欲しいと思う。もっといっぱい」
そう言われただけで、ゼロスの目にはもう涙が溜まってきていた。
「街を、焼き払ったんです」
「そう、街を？」
「ええ。する必要のない虐殺でした」
ゼロスのすみれ色の目から涙がこぼれ落ちる。
「いらいらしていたんです。自分でも、何をしているのか分かっていなかった。僕たち魔族が人間を殺すのを何とも思わないのは当たり前なんですが……その時の僕は、魔族ですらなかった。ただの、苛立ちの塊でしかなかった。こんな事したくないと思いながらも止められなかったんです」
「もう、しない？」
「きっと、しません。こうして、リナさんに話したら、胸のつかえが取れました」
「もう、意味もなく街を焼いたりしない」
「ええ。焼いたりしません」
「ねえ……あたし、今の外の世界のことを全然知らないのよ。竜族と魔族、そして人間は、未だに対立しあっているの？」
「今、もっとも興隆を誇っているのは人間ですよ」
「人間が？」
「人間は、魔法を使うことを忘れました。そして、様々なものを創り出しました。空を飛べる機械、映像を映す機械、そして、世界を滅ぼせる爆弾……」
「爆弾なら、あたしが生きている時代にもあったわ。火薬を使って……」
「そんなものじゃないんです。炎と風と毒……それらを世界中にまき散らせる、そんな爆弾です」
「なぜ、そんなものを人間は創ったの？」
「互いの国を牽制するために。でも、この世にあるのですから、いつかは誰かが使うでしょうね。その時、全ては無に帰り、全ての母の望む世界に還るのかもしれません」
「……」
「そして、魔法を忘れた人間たちは、竜族と魔族を見る力を失いました。今では、僕が姿を現して歩いていても、誰も気にも止めません」
「そう…そんな世界になったのね」
「でも、リナさんは四千年の昔のままですね」
リナは、少し悲しそうに微笑んだ。
「だって、あたしは幻だから」
その夜、ゼロスはリナを腕に抱いたまま、話し続けた。リナがいなくなってしまってから、幾度か起こった降魔戦争。そして、人間同士の争い。今では、人間が自ら滅ぶのを待ち続けているかつてのシャブラニグドゥの腹心たち……

───夜明けも気づかないで　抱き合ったままでwispered───

「ゼロス、朝焼けを見に行こう」
「もうそんな時間ですか。リナさん、眠たかったんじゃないですか」
リナは、再び寂しげに微笑んだ。
「ここでは、あたしの方が、眠くなることはないの」

二人は、赤く染まる地平線を見た。無機質な白い光が世界を満たすまで、二人は抱き合ってじっとしていた。

朝食を木の実ですますと、夕べ一晩語り明かしたせいか、ゼロスは急に眠たくなった。
「ふふ、ゼロス、今にも目を閉じてしまいそう」
二人は、居間の真っ白なソファに座った。ゼロスはそのまま、リナの膝の上に頭を載せて横になる。リナの細い指が、ゼロスのさらさらした髪を梳く。
「眠りなさい」
「リナさん……重くないですか」
「ちっとも。さあ、お休みなさい」
ゼロスは、あっという間に眠りに落ちていった。それは、とても心地よい瞬間だった。ゼロスは、リナに全てをあずけた。このまま滅ぼされても、構わないくらいに。

星のまたたきよりも　かすかな夢だけポケットに詰めて
二人旅した夜は　遠くFade away

そしてゼロスは夢を見た。夢の中で、ゼロスはリナたち一行と旅をしていた。先頭を行くのはいつもリナとガウリイ。ゼロスは、列の最後尾から、二人を眺めている。何かを言いたい。でも、それは口に出してはいけない言葉。
「……ゼロス」
夢の中のリナが振り返る。深い森の木漏れ日の下、黒いマントをまとったリナは、妖精のように美しい。
「ゼロス」
リナが、こちらに片手を伸ばす。その手に触れてもいいということだろうか。
「リナさん」
ゼロスも手を伸ばした。二人の手が触れ合おうとした瞬間、ゼロスは目を覚ました。
「あ……」
「夢を見てたの？」
柔らかな膝枕の上。目を上げると、夢の中と同じリナが微笑んでいる。
「貴女と、旅をしている夢を見ていました」
「四千年前と同じように？」
「そうです。僕はいつもあなたたちの後ろを歩いていて……僕は、羨ましかった。いつも貴女の隣を歩けるガウリイさんが」
「あんたも隣に来れば良かったじゃない」
「僕は、あなたたちを見守ることが仕事でしたから…それに、あの頃から、貴女とガウリイさんはお似合いでしたよ」
「そう」
リナは優しくつぶやいた。




この「色んな味のする木の実」は、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の「アイゥォーラおばさま」の章からぱくりました。この本のこの章はめちゃめちゃ泣けるので、未読の方はぜひ読んでみて下さい。それでは、次で最終章となりますが、よろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「Sister Tomorrow」は、今インターネットで調べてみたら、全部で８０００枚しか売れてなかったって……。マイナーなはずですよね。UP-BEATは人気バンドだったのに。でもいつか、この曲をあなたが聴く機会があるように願っています。（ホントに良い曲なんですよ〜）


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