Sister Tomorrow［１］

「ふふん、こんなところに隠してあったのですか」
銀行の地下金庫。札束の山に隠された隠し部屋に、ゼロスはなんなく空間を渡って入り込む。美術品でも飾るように保管されているのは、ルビーに魔力を込めたマジックアイテム。財産を殖やし、守る特別な力が秘められている。
「不況続きの世の中で、この銀行が栄華を誇って来られたのもこれのおかげですね。でも、それも今日までです」
ゼロスが魔力を込めると、ガラスケースはぱちんと音を立てて開いた。ルビーを取り出し、懐にしまう。ゼロスは、手の平から炎を出したが、それはすぐに消えてしまう。
「窒素を満たしてあるんですか……そこまで用心深く守っていたのに…残念なことですね」
再び空間を渡り、札束の置いてある部屋に戻る。手の平の炎は、そこでは赤々と燃え上がった。紙幣の束が、歪み、ゆらめき、黒い灰と化してゆく。天井のスプリンクラーが水を激しく振りまき始めるが、もう火の勢いは止まらなかった。
ゼロスは、銀行の上空に出た。そこから、いくつもの炎のつぶてを銀行に投げつける。いくつかは石の壁に当たって消えてしまうが、いくつかは上手く燃えやすいものにしがみついて炎を上げる。
「火事だ！」
銀行の中から、人々が押し合いへし合いしながら溢れてくる。ゼロスは、そんな人々の中にも炎のつぶてを放った。着衣に火がつき、絶叫しながら倒れ込む者。何とか炎を消そうと、手の平が焼けるのも構わず服を叩く者。無力な存在。それが何かゼロスをいらだたせる。
巨大な銀行は、いまや炎の城となっている。十数台の消防車が駆けつけ、放水を始める。ゼロスは、軽く手を振った。消防車が次々に爆発する。
「思い知るべきなんです」
ゼロスはつぶやく。
「人間がいかに弱い存在か。大事に財産を守っても、それがいかにすぐ失われてしまうものか。いま、ここで思い知るべきなんです」
ゼロスが錫杖をかざすと、火の勢いはいっそう強くなった。もはや燃えているのは銀行だけではない。隣接しているビルも、そのまた向こうのビルも。炎は周辺の街並みにも拡がっていく。ゼロスは、そこまで見届けると、街を後にして空間を渡った。彼の主が待つ群狼の島へと。

彼の主、ゼラス＝メタリオムが長椅子に腰掛けてゆったりとした姿勢を保っている。ゼロスは、膝をついて頭を下げたままで、今回の仕事の報告をしている。
「……というわけで、『招福のルビー』は取り返しました。これが今回の仕事の全てです」
「全て、というわけではなかろう……？」
物憂げな主の言葉に、ゼロスは頭を下げて黙っている。
「この宝石があった建物も、その周辺の街並みも、お前はすべて焼き払ったではないか」
「そ、それは……」
「まあ、人間の町の一つや二つ、焼け野原になってもどうでもいいことではあるが……」
ゼラスは長い煙管の煙草を二口ほど吸い、昏い空間に煙をため息のように吐き出す。
「ゼロス、お前は最近仕事が荒くなったな。そのようなことでは、いつかお前自身が滅ぶことにもなりかねんぞ」
「申し訳ありません……」
「謝ることなどないのだ、ゼロス。私はただ、思いのままを口にしただけなのだから。それでは、次の任務を命ずる。クレアバイブルの写本の一部が、人間の財産として高値で取り引きされているらしい。写本を始末せよ。場所は、サイラーグだ」
「はっ……」
ゼロスはひざまずいたまま、空間を越えた。
「ふっ、せっかちな事よのう。あのままでは、ゼロスは本当に……」
ゼラスは、もう一度煙を吐き出した。そして、煙管を灰皿の上に伏せた。


人間の世界は、この数千年でめまぐるしい進歩を遂げていた。空を鉄の塊が飛び回り、石油と原子力があらゆる電力の供給源となり、夜を昼のように明るく照らし出した。そして、人間には魔族が見えなくなっていた。ゼロスが姿を現したままで街をうろついても、誰にもゼロスの姿は見えないらしかった。人間は神を捨てたのと同時に、魔族も捨てたのだ。人はもはや魔族を怖れない。だからゼロスはときどき思い知らせてやりたくなるのだ。人間が、いかに驕っているか。いかに無力かを。
「ゼロス、それは私たちの役目ではない」
ゼラスはそう言う。
「このまま文明が発達すれば、近い将来必ず人間には破局が訪れる。その時まで、人間など放って置けば良いのだ、ゼロス」
香水の匂いをぷんぷんさせた女学生が、笑いさざめきながらゼロスの身体を通り抜けていく。ゼロスは、空間を渡って、古美術商の地下室に入り込んだ。
「クレアバイブルの写本を始末する……」
それは、久しぶりの仕事だった。かつては彼はその仕事専門に動いていたこともあったのだ。
写本は、たやすく見つかった。ゼロスはケースを開けると、手の平から蒼い炎を出して、それを燃やした。その倉庫には、いくつかのマジックアイテムもあった。ついでに、それらも処分することにした。
薄桃色のサファイアを砕き、宝石で装丁された魔法書に火を付ける。古い羊皮紙を閉じた魔法書は、あっという間に燃え上がり、周りの絵や古文書に火の粉を飛ばす。地下室は火の海になった。その中で、平然とゼロスは立っていた。様子を見に来た古美術商が、火の海の中のゼロスを見て、叫ぶ。
「何者だ、お前は」
「恐怖に駆られると、人間にも僕が見えるみたいですね」
ゼロスは火の塊となったクレアバイブルの写本を、古美術商に投げつけた。高価そうなスーツに、たちまち火の舌が絡みつく。
「う、うわあぁぁ。何をする。助けてくれ、火を消してくれ」
男はゼロスに懇願する。ゼロスは、冷たい紫の目で、男が燃えていくのを見ていた。
「安心して下さい。貴方の大事な美術品にも、後を追わせて上げますよ」
もはや声も出せなくなった古美術商を横目に、ゼロスは階段を上がった。豪奢な店内には、絵や、宝石や、古文書が整然と並んでいる。ゼロスが錫杖を振ると、それら全てから火の手が上がった。ゼロスは、炎の中に身を置いて、むなしさを感じていた。こんなちっぽけな人間一人、苛めたところでなんになる？
「一緒に死んでくれるお仲間を集わせましょうか」
炎上する古美術店を遠巻きに見ていた野次馬の一人から炎が上がる。民衆は、ざわめき、何とか炎をよけようとする。化繊の柔らかい生地に身を包んだ者は、肌に張りつくような炎になぶられて、倒れていく。逃げようとする者が将棋倒しになって、人の足に踏みつけられて命を落とすものもいる。古美術店の中も、外も、阿鼻叫喚の地獄となっていた。例によって、駆けつけた消防車からも火の手が上がる。防火服に身を包んだ消防士たちが、我先に逃げ出す。ゼロスは、その街一帯が火に包まれるのを、酔いたくもない酒に酔ったような、胸の悪い思いで眺めていた。
「これで充分ですね。主の元へ帰りましょう」
今度は何と報告すればいいのか……気の重いまま、ゼロスは空間を渡った。


目を上げれば、主の顔があるはずだった。でも、そこにあったのは、地平線までつづく、白い、白い光景。天と地の境さえ定かではない、不可思議な世界。
（他の魔族からの攻撃？）
ゼロスははっと周りを見回して、身構えた。しかし、いくら待っても、何も起こらなかった。ゼロスは、警戒を解く。空間を渡ろうとしたが、出来なかった。ゼロスは、二、三歩歩き出して、足を止めた。どちらに進めばいいのか、まるっきり分からなかったからだ。下手に動くと、二度とこの地点に戻ってくることが出来なくなるかも知れない。
（だからどうだというのだ？）
果てしなく拡がる世界の、一点に立ちつくしていてどうなるというのだ？
ゼロスは、錫杖を地面に突き立てて、印を付けようとした。しかし、ミルク色に霞んだ地面は大理石のように固く、ヒビ一つ入らなかった。
（ならば……）
口の中で短く呪文を唱える。蒼白い火が地面を焼いた。しかし、火はすぐに消え、すすの後さえ残らなかった。
ゼロスが途方に暮れていると、遠くにぽつりと青い光が見えた。それは、ずっと前からあったのか、今灯ったものなのか、ゼロスには分からなかった。しかし、手がかりではある。ゼロスは、そちらの方向に歩み始めた。

光は、次第にはっきりしたものになってきた。それが、誰かの手によって掲げられているのを見たとき、ゼロスは安堵感で倒れそうになった。後数十歩。ゼロスは足を引きずるようにして進んだ。そして、青い光のランプを手にしている人物を見たとき、ゼロスは驚きに目を見開いた。
「リナさん……！」
「ゼロス」
よく通る、甘い声。この世界にとけ込むような、白いワンピースを着ている。紅茶色の長い髪。そして、深紅の瞳。
「リナさん…リナさんなんですか」
リナは答えない。
「ありえない。貴女が死んでしまってから、もう四千年が過ぎ去っているんですよ。貴女は、ガウリイさんの妻になり、寿命を全うして死んだ。こんなところで、少女の姿のままでいるなんて、ありえない」
「そうよ、ゼロス」
リナの姿をした少女は、リナの声で言った。
「あたしは、あんたがリナと呼ぶ少女ではないわ。あたしは、他人の心の奥底にある、大切な幻を映し出す鏡のようなもの。あたしは誰でもあり、誰でもないの」
「幻……」
「そう。ここは幻の世界。あたしは、ここの分不相応な管理者なのよ」
「ここには、貴女の他に誰もいないんですか」
「正確に言うなら、あんたの他には誰もいないわ。あたしは、幻。数には入らない」
「でも、貴女はリナさんに似すぎている。声も、顔立ちも、髪も、華奢な身体も……本当に、貴女はリナさんではないんですか」
「質問をしてみて」
「質問……」
「あたしが本物かどうか、試す質問を」
ゼロスはとまどったが、少女に問うた。
「貴女の名字は」
「インバースよ」
「貴女のお姉さんの名前は」
「ルナ」
「貴女の誕生日は……」
「……」
ゼロスは、がくりと膝をついた。
「答えて下さい、リナさん」
「答えられないの。あんたが、リナという人間の誕生日を知らないから」
少女は優しくゼロスの肩に手を置いた。
「ごめんなさいね、あんたの望み、全て叶えて上げたいんだけど、あたしに出来ることはとても限られているの。でも、できる限りのことをあんたにしてあげたい。とりあえず、夕食にしましょう」
「夕食？魔族は食事なんて取りませんよ」
しかし、ゼロスはその時、自分の身体がひどく飢えていることに気づいた。のども渇いている。信じがたい事だったが、彼は人間のように飢えかつえていたのだ。
少女は、白い壁の家へ入っていった。床も、天井も、白一色。時折どこからか吹く風にあおられる薄いカーテンも、まっ白だった。
「さあ、これが今日の夕食よ。食べてみて」
半透明のミルク色のテーブルに、赤い果実が三つ置かれた。ゼロスは、かぶりつくようにしてそれを食べた。甘い果汁が喉を通り、空腹が満たされていく。気がつくと、三つの果実は芯だけになっていた。
「どう？足りた？」
「はい……とても満たされた気持ちです」
「よかった。じゃあ、あたしも食べるわね」
少女は、外へ出ていくと、十個ほどの果実を抱えて戻ってきた。そして、素晴らしい速さでそれを平らげた。
「ふー、満足満足。お腹いっぱい」
そう言って、お腹をさする仕草は、まるであのころのリナと変わらない。
「あの……」
「なあに」
「リナさん、と呼んでもいいんでしょうか？」
「もちろんよ」
『リナ』はにっこりと微笑んだ。
「そのために、あたしはここにいるんだから」

この世界に太陽はない。白い薄明かりに満ちているが、光源がどこなのかははっきりしない。しかし、やがて地平に赤い光が現れた。
「夕暮れね」
リナはゼロスの腕をそっと掴んだ。
「綺麗だと、思わない？」
「ええ……綺麗です」
そして、リナへ振り向く。
「貴女も」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ」
リナは夕暮れの明かりとははっきりと違う、赤い頬を見せた。
（良くできている……）
ゼロスは、自分の心に言い聞かせる。
（でも、これはリナさんじゃない）
やがて、赤い光が消えると、暗くなった。空に星は一つもなかった。
「そろそろ、寝ようか」
「リナさん、魔族は眠らなくても……」
言葉の続きはあくびにかき消された。
「ふふっ」
リナは、いたずらっぽく笑う。
「まだ、この世界のこと、分かってないのね。ここでは、あんたはお腹もすくし、眠くもなるのよ」
彼らは、さっきの建物に入った。白い廊下の突き当たりが、寝室だった。真っ白なシーツの掛かった、ダブルベッドがあった。
「ベッドは、あたしと同じになるけど、構わない？」
「ええ。構いませんよ」
二人は、ベッドに潜り込み、柔らかな枕に顔を埋めた。
「おやすみ、ゼロス」
「……」
「どうしたの？眠らないの？」
「ここは……この世界は、僕の夢なんじゃないでしょうか。そして、眠ったら……この世界は消えてなくなってしまうんじゃないでしょうか」
「馬鹿ね」
リナは、手をのばして、ゼロスの髪を梳いた。
「あんたが目を覚ましても、あたしはここにいるし、この世界も消えないわ」
「それでは、僕は永遠にここに居続けることになるのでしょうか？」
「その話をするのは、まだ早いわ。とにかく、今日はお休みなさい」
リナは、ゼロスの髪を梳き続けた。ゼロスは、心地よい指の流れに身を任せるように、眠りに落ちていった。

ゼロスは、ゆっくりと意識が戻ってくるのを感じた。身体は、まだ動かない。たぶん、これが、人間のいう「目覚め」というもの。

───白いシーツにくるまって　ほほえんだSister tomorrow───

「おはよう、ゼロス……」
紅茶色の髪をシーツの上に滑らせて、リナはそう言った。
「ね？消えてなんていないでしょう？あたしも、この世界も」
「リナさん……」
「外へ出てみない？『夜明け』がきっと綺麗よ」
リナは白いパジャマのままで、ゼロスの手を引いた。いつの間にか、ゼロスも白いパジャマを身につけていた。

「夜明け」は美しかった。地平線から赤紫色の光がオーロラのように立ち上り、暗い夜空は次第に光に追いやられて消えていった。じっと見ていると、赤紫色の光も消え、世界は再び白い光一色になった。
「どうだった？」
「とても神秘的でしたね」
「じゃあ、朝御飯にしましょうか」
家の脇に、一本の緑の葉を茂らせた樹が生えている。葉の中には、昨日食べた赤い木の実がたわわになっている。リナを除くと、この世界で唯一、色のある存在。リナは、次々に実をもいで、ゼロスに持たせた。
「あの…そんなに摘んだら無くなりませんか？」
「この樹は、いつでも必要な数の実をならせてくれるの。心配すること無いわ」




「Sister Tomorrow」とは、UP-BEATというバンドの曲です。今では手に入りにくいかもしれないけれど、とてもいい曲です。それでは、この先もよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。実は、けっこう気合い入れて書いたにもかかわらず、掲示板でもメールでも感想をいただけなかった悲劇の作品でもあります。（やっぱ出てくるリナちゃんがニセモノっていうのが良くなかったかな？）　この話を最後まで読んで、何か感じるところのあった方は、ゲストブックの方にでも感想を書き込んで下さい。作者が泣いて喜びます。では続きを……。


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