Sister Tomorrow［３］


「汗をかいてるわ、ゼロス。お風呂に入った方がいいわね」
「汗…？」
額を拭う。たしかに、ゼロスは寝汗をかいていた。
「人間の身体って不便なものですね」
「でも、その分、心地よさや快適さが味わえるわ。私も一緒にお風呂に入る。背中を、流してあげるわ」
「えっ、リナさん、その……」
「何ガラにもなく照れてるのよ。ここには、あんた一人しか人間はいないんだから、恥ずかしいと思うことはないわ」
寝室へ向かう廊下の途中に、見慣れない新しいドアが出来ていた。開けると、湯気が廊下にまで漂った。
「浴室なんて、昨日まで無かったのに……」
「ここは、そういう世界なのよ。さあ、入って」
パジャマを脱いで、白い籠の中に入れ、透明な湯が満たされた浴槽に浸かる。冷えた身体を温めてゆく、柔らかな湯の温度。やがて、浴室のドアが開いて、裸のリナが入ってきた。真っ白な肌、結い上げられた髪、腕で隠された小さな胸。彼女の裸身は美しかった。
「リナさん……とても綺麗です」
「この身体を創り出したのはあんたよ。あんたは、服の上からしかあたしの身体を見る機会は無かったんだから」
「そうですね…でも、綺麗ですよ、リナさん」
リナは石鹸を手にとって泡立てた。
「さあ、お湯から上がって。身体を洗ってあげる」
「い、いいんですか」
「もちろんよ。さあ、早く。のぼせちゃうわよ」
ゼロスは、浴室用の小さな椅子に腰掛けた。リナの小さな手が、ゼロスの背中に白い泡を拡げてゆく。
「前は自分で洗えるわね」
「リナさん……お願いがあるんです」
「なあに」
「僕の背中に、抱きついてもらえませんか」
「調子に乗るな！…といいたいとこだけど、いいわよ、あんたのお願い、叶えてあげる。だって、あんたがめったに言わない贅沢だもの」
リナは、ゼロスの胸に手を回して、ぎゅっと自分の身体をゼロスの背中に押しつけた。
「あたし、胸がないからつまんないでしょ」
「いいえ、リナさん、とても柔らかいです……温かいです」
二人は、しばらくそうしていた。やがて、リナが身体を離した。
「いつまでもこうしていたら、風邪をひいちゃうわ。身体を流して、お湯に入りましょう」
浴槽は、二人が浸かってもまだゆとりがあった。リナの白い身体が揺らいで見える。
「気持ち、いいね」
「ええ、そうですね」
「さっき、あんたがあたしのことを綺麗だって言ってくれたけど…ゼロスだって綺麗よ。肌だって真っ白だし、髪の毛はさらさらしてるし」
「綺麗、ですか……」
ゼロスは、自分の容姿について考えたことは無かったので、その言葉を新鮮に受け止めた。
「あたし、あんたの見た目、好きよ」
「見た目、だけですか」
「それは秘密です」
リナは、唇に指をあてて、くすくすと笑った。
「容姿だけでも、好きと言われるのは嬉しいものですね」
そう、たとえ貴女が僕の作り上げた幻だとしても。

二人が長い入浴から上がると、空はすでに夕焼けの光に満ちていた。リナは、あの樹の下へ行き、夕食のための木の実をもいだ。
「今日は、同じ実を半分ずつにして食べましょう。リナさんと、同じ味を味わってるって知りたいから」
ゼロスは、テーブルの上で、小さなナイフを使って木の実をいくつか半分にした。
「いただきます」
二人で、同時に口の中に同じ果物を入れる。
「すっぱ！」
「酸っぱいですね。でも、爽やかな味です」
「ふふ、あたしたち、同じものを食べてるのね」
「嬉しいです、何か」
二人は、一つの実を片づけると、更にいくつかの実を味わった。どの実も、甲乙つけがたく美味しかった。
「僕は、これでお腹いっぱいです」
「そう？あたしはまだまだ足りないからどんどん食べさせてもらうわよ」
「僕は、リナさんが食べているところを見るのが好きですよ」
「四千年前も？」
「そうでした。さあ、遠慮なく食べて下さい」
「遠慮なんてするもんですか。じゃあ、改めて、いただきまーす」
リナは、夢中で木の実を食べ始めた。ゼロスは微笑んで、それを見守っていた。


あたりが暗くなると、二人はベッドに潜り込んだ。そして、どちらからともなくキスを交わした。
「リナさん、僕はこうしていることがとても自然に思えるんです。今まで魔族として生きてきた僕が消えてゆく。そして、貴女の優しい微笑みに見守られて生きる自分が、嬉しくて仕方ないんです。リナさん、いつか僕はここを出て行かなくてはならないのでしょうか？」
「いつかは」
ゼロスは、目頭が熱くなるのを感じていた。
「嫌です、僕はここにいたい。もう二度と、貴女を失いたくないんです。この世界があれば、それでいい。いけないのですか？」
「あんたが、ここにいたいと願う限りは、たぶん、ここにいられる。別れの日は、自然にやってくるわ。それを恐れないで」
ふとリナを見ると、リナも深紅の瞳から涙を零していた。二人は、もう一度キスを交わした。リナの唇は甘く、ゼロスは自分の身体が溶け出しそうになる感覚を味わっていた。

Sister tomorrow
今も覚えてるさ　くちづけのぬくもりを
永遠に届きそうな夜を

「川に行きましょう」
二人は、旅装束に着替えると、川に向かった。どこまでも白い平面の大地を、穿って流れる深い川。その眺めは、二度目に見ても新たな感慨をもたらした。
二人は早速靴を脱いで、川に足を浸した。
「冷たい……」
「そうね」
「いえ、この前に来たときよりも、冷たくなってるんです。リナさんには分からないんですか？」
「分かるわよ。秋が近づいてるのね」
「秋って…この世界にも四季はあるんですか？それに、この世界に来る前、世界の季節は春だったんですけど」
「この世界の四季は、外の四季には縛られないわ。ここにいる人の心に、四季が巡り来るのよ」
「僕の心に？」
「そう。そして、やがて冬がやってくる。寒くて、辛くて、厳しい冬が」
「冬が来ても、僕がいれば大丈夫です、リナさん」
「そうね」
リナは、どこか上の空でつぶやいた。

川から戻ると、リナはいつものように、樹から果物をもいだ。その葉は、赤く紅葉していた。
「葉が……」
「気にすること無いわ。木の実のおいしさにに変わりはないし」
二人は、木の実を食べ、湯を浴び、くちづけして、眠った。ゼロスは、満たされた気持ちで毎晩眠りにつくことに慣れていった。やわらかな白い枕に顔を埋めて眠るのは、どんなに幸せなことか。隣で安らかな寝息をたてるリナの頬にキスすることは、どんなに心安らぐことか。


紅葉した葉は、次第に枯れ葉に変わり、地面に落ちていった。どこから来るのか分からない風がそれを遠い遠い平原に運んでいった。枝になる果物も、明らかに数が減ってきていた。
「リナさん、僕は二つでお腹いっぱいです。もう一つはリナさんが食べて下さい」
「やーね、ゼロス。あたし、この世界では、ほんとは物を食べる必要なんて無いのよ」
「そうなんですか…でも、今までの食欲は……」
「それも、あんたが見ていたリナのまぼろしよ」
ゼロスは、黙って三つめの果物を食べた。その果物は甘酸っぱく、切ない味がした。

「眠れないの？ゼロス」
「リナさんこそ、まだ起きていたんですか」
「ライティング」
部屋の中に、蒼白い明かりが灯った。その光を天井近くまで浮かび上がらせると、リナは微笑んだ。
「何か、あたしに言いたいことがあるみたいね」
「リナさん……」
「顔に書いてあるわよ。あたしには全てお見通し」
ゼロスは、ため息をついた。そして言った。
「なぜ、貴女はガウリイさんと結婚してしまったんですか」
「ガウリイを愛していたからよ」
その答えは、ゼロスの胸を詰まらせた。
「なぜ、貴女は僕を愛してくれなかったんですか」
「愛してたわ、ゼロス」
ゼロスは目を見開いた。
「あたしは、あんたのことも、ガウリイと同じくらい愛していたの」
「なぜ、それを言ってくれなかったんですか？」
「あんたが魔族だったから……千年生きてるあんたに、十何歳のあたしが想いを寄せても、軽くあしらわれそうだったから……言えなかったのよ」
「ガウリイさんと結婚しても、僕のことを想ってくれましたか」
「もちろんよ。何度もあんたの夢を見たわ。でも、結婚してから死ぬまで、あんたはあたしのまえに姿を見せなかった」
「つらかったんです。幸せそうな貴女たちを見るのが」
「会いたかったわ」
「リナさん。もし、ガウリイさんより先に、僕が貴女に愛を告白していたら……僕と一緒に来てくれましたか？」
沈黙が耳に痛い。リナの唇が、そっと動いた。
「たぶん。あんたと一緒に行ったと思うわ」
「リナさん……！」
ゼロスは、知らないうちに再び涙を流していた。その涙は塩辛く、止めどなく流れた。
「貴女は僕の創り出した幻だから……僕に都合のいいことを言うんでしょう？本物のリナさんはそんなこと考えてもいなかった」
「違うわ」
リナは、小さな手をゼロスの髪の上に置いた。
「分からない？あんたは、リナの気持ちに気づいていたのよ。いつの間にか、無意識に……それが、今、ここのあたしに投影されている……」
静かな声が、紡がれる。
「あたしは、あんたを愛していたわ」
言葉が空間に消えていった。ゼロスは、リナの唇に自分の唇を重ねた。そして、壊れ物にふれるようにリナのパジャマを脱がせていった。


風にながされていく雲のようなはかなさ拭えないで
昨日までだけ信じてた　俺に明日を見せてくれたのさ


朝が来た。部屋の中は、眩しいほどの白い光に満ちていた。明らかに、昨日までとは違う光だった。そして、毛布から出していた手は痛いほど冷えていた。隣には、リナが抜け出していった後があった。そこに、ゼロスの旅装束がひと揃い、錫杖も一緒に用意されていた。ゼロスは、とまどったが、それらの衣服を身につけた。錫杖を手に持ち、部屋を出た。真っ直ぐな廊下を歩く。浴室への入り口も、食堂もなくなっていた。廊下は、直接外へ通じていた。
「おはよう、ゼロス」
真っ白な平原に、雪が積もっていた。十センチほど、どこまでも平らに。そして、その中に一筋の道が出来ていた。道の遠い向こうに、大きな扉があるのが見えた。
「リナさん、これは……」
リナは、ゼロスがこの世界に来たときと同じ、白いワンピースを着ていた。そして、リナの隣には、すっかり枯れ果てた樹がぽつりと立っていた。
「ゼロス、さよなら」
「リナさん！」
ゼロスはリナを抱きしめた。彼女は、夕べと同じに、温かかった。
「嫌です、リナさん。別れたくありません。僕をここに置いて下さい」
「今が、お別れの時なの」
リナは、ゼロスの腕からするりと抜け出した。そして、ゆっくりとゼロスに口づけた。
「あの扉は、誰にも、一度しか開かない。この時を逃したら、あんたはこの世界で、この樹のように枯れ果てて死んでしまう」
「僕は、魔族です。食べ物を食べなくても死んだりしません」
「この世界では、あんたの身体は人間と同じものよ。もうこの樹は木の実をつけない。あんたは飢え死んでしまうわ。それに……」
リナは、深紅の瞳を上げて、ゼロスを見つめた。
「あんたは、もうあたしを必要としていないわ。今は分からないかもしれないけど」
「貴女を失いたくないんです、リナさん」
「あたしは、いつでもあんたの側にいるわ。あんたの心の中に。今までも、あたしはあんたの中にずっと住んでいたのよ。あんたがはっきりと意識していなかっただけで」
「リナさん……」
「さあ、行って。振り向かないで、真っ直ぐ、あの扉に」
ゼロスは、最後にもう一度リナを抱きしめて口づけた。そして、地面に転がった錫杖を拾うと、重い足取りで歩き出した。道には雪が全く無く、雪原にくっきりとその姿を浮かび上がらせていた。

ページをめくるように時は過ぎてゆくMy love
最後に交わしたキスは今でも切なくSo sweet

Still love you,I miss you. Still I miss you.
I love you,so 覚えてるかい？

リナの言葉に背いて、ゼロスは後ろを振り返った。リナのいた場所に人影はなく、初めてここに来たときと同じ、青い光だけが灯っていた。

そしてゼロスは、扉にたどり着いた。扉は、遠くから見たときよりもずっと大きかった。疲れた足で、手すりにしがみつき、ドアを押す。その時、世界が変わった。ゼロスは、岩だらけの海岸に立っていた。そこが、群狼の島であることはゼロスにもすぐに分かった。振り返ってみたが、扉はどこにもなかった。
「リナさん……」
（あたしは、いつでもあんたの側にいるわ。あんたの心の中に）
ゼロスは、しばらく海岸で立ちつくして、呆然としていた。この世界に、身体をならすのに、数時間を要した。胸を押さえてみたが、そこに鼓動はもう無かった。そして、彼は久しぶりに空間を渡った。彼の主の元へ。

「クレアバイブルの写本は焼き払いました。……長く、ここを留守にしてしまって申し訳ありません」
「長く……？」
「はい、半月ほど」
「お前が写本を始末するために姿を消したのは昨日のことだ」
「……そんな、そんなことは……」
「───お前も行ったのだな、あの白い世界へ」
ゼロスは目を見開いた。
「ゼラス様も、あの世界に行かれたことがあるのですか」
「ああ。遠い昔に、一度だけ……」
そしてゆっくりと煙を吐き出す。
「主は、そこで、誰と出会ったのですか」
「それは、聞くだけ野暮というものであろう？私も、お前があの世界で誰と時を過ごしたのかは聞かぬ」
そして煙管を灰皿に伏せる。
「尖ったところが無くなったな……ゼロス。あの世界での出来事は、お前を良い方へ変えてくれたようだ。それでは、次の仕事を命ずる……」
ゼロスは、ひざまずいたまま、主の命令を聞いていた。その心は、『昨日』と違って穏やかだった。
「次の仕事の場所は、ゼフィーリアに近い。リナ＝ガブリエフの墓参りに行ってくるが良い」
「はい……ありがとうございます」
ゼロスは、微笑んで、空間を渡った。

Sister tomorrow　今も覚えてるさ　くちづけのぬくもりを
忘れられないさ 永遠に届きそうな夜を


I love you.






いつもはガウリイたちも登場させてにぎやかにするのが好きな私ですが、今回はゼロスとリナちゃん二人だけの世界にこだわってみました。ゼラス様は、誰と一緒にこの世界を過ごしたんでしょうね？
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「白い世界」の描写には苦心しました。（でも感想もらえなかった）←（しつこい）　あと、お風呂のシーンがお気に入りです。それでは、また別の小説でお会いしましょう。


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