Sailor blouse story［７］



「一緒に、寝ますね？」
僕が、先にガウリイ兄さんのベッドに入ると、リナさんはその後から滑り込んできた。そして、僕にしがみついた。僕も、リナさんの背中に手を回して抱きしめる。
「ね、抱いて」
「抱きしめてるじゃないですか」
「違うわよ。あたしのこと、あんたのものにして」
僕はリナさんの目を見た。曇りガラスのように不透明な、紅い瞳。
「できません。ここは、ガウリイ兄さんのベッドの上なんですよ。あなたは、兄さんの妻だ。そういうことをするわけにはいきません」
「どうして？あたし、魅力無い？」
「そう言う問題じゃありません」
「女一人も抱けないの、いくじなし！」
「何とでも言って下さい」
リナさんはするりとベッドを抜け出した。
「どこへ……行くんですか」
「街へ。誰でもいいから、あたしを抱いてくれる男を探すわ。最初に承諾してくれた男と、あたしは寝る―――」
「リナさん！」
僕は起きあがって、リナさんを抱きしめた。
「あたし、怖いの。ひとを刺してしまった……警察に捕まった。ゼロスに抱きしめられていても、足の底が抜けてどこまでも落ちていくように怖いの。お願い、あたしを安心させて」
リナさんは、僕の手を引いてベッドに戻った。
「リナさん、僕のことを兄さんだと思ってくれてかまいません。これで貴女が安心してくれるのなら……」
「ゼロス」
僕たちは唇を重ねた。僕は、ためらいながらリナさんのパジャマのボタンを外した。首筋に顔を埋める。甘い、リナさんの匂いがする。
「リナさん……」
僕は、リナさんがガウリイ兄さんの名前を呼ぶだろうと思っていた。でも、リナさんは僕の名前を呼び続けた。
「ゼロス……ゼロス」
僕は、リナさんの涙を見た。閉じられた瞳から、涙は際限なく零れおちた。
「ゼロス―――」
僕たちは身体を寄せ合ったまま、眠りについた。僕の眠りはいつになく深かった。夢の中に、ガウリイ兄さんが出てきた。
「ゼロス、俺はリナを愛してるんだ」
「すみません、兄さん……」
「ん？何を謝ってるんだ？」
兄さんは屈託泣く微笑む。その微笑みが、痛く僕を刺した。
「ゼロス、リナを守ってくれ」
「ええ」
「リナを守れ！」
ふいに兄さんが怒鳴った。僕は、その声に驚いて……目を覚ました。隣にリナさんの姿はなかった。
「リナさん？リナさん！！」
僕は部屋を飛び出した。居間。台所。玄関。どこにもリナさんはいない。玄関に靴があるところを見ると、外へ行ったのではなさそうだ。洗面所の前を通ったとき、かすかに流れる水音がした。浴室の灯りがついている。
「リナさん！いるんですか！」
返事はない。水音は、ひっきりなしにドアの外へ響いてくる。僕は、ドアノブを回した。鍵がかかっている。
「リナさん！！」
僕は、ドアに体当たりした。ドラマのように、簡単には開かない。肩がじんと痛んだ。それでも、僕は体当たりを続けた。やがて、蝶番の方が外れて、ドアは壊れた。僕は、力任せにドアを外し、中へ飛び込んだ。裸のリナさんが、左手にカミソリを持ち、右手を浴槽に浸して、ぐったりしていた。水であふれた浴槽の底には、血の帯が溜まっている。
「リナさん、しっかりして下さい、リナさん！」
リナさんの右腕を浴槽から出す。深く、深く切られた傷。血の雫が、浴槽にこぼれ落ちた。僕は、洗面所からタオルを取ってくると、リナさんの右手の肘をきつく縛った。そして、救急車を呼んだ。救急車が来る前にリナさんにせめてバスローブと下着でも着せようとしたが、リナさんのぐったりした身体に服を着せるのは意外と大変な作業だった。縛ったはずの右腕の傷から、新たな血が流れ出して、バスローブを汚した。

リナさんが救急治療室に運び込まれてしまうと、僕はいったん病院を出て、警察に電話をかけ、リナさんの担当だった警官を呼び出し、事情を告げた。
「君は大丈夫だと言ってなかったか？」
少しいらいらした声で警官は言った。
「本当にすみません」
「いや……こうなった以上は仕方がない。彼女の回復を待って、取り調べを再開するよ。君は、彼女についていて上げなさい。それから、誰か大人の人を呼んだ方がいいね。彼女の学校に連絡しようか」
「いえ、彼女の叔父がいるので……」
「それにしても、学校には連絡させてもらうよ。それじゃ、また何かあったら連絡してくれ。それから……」
「何ですか？」
「君も辛いと思うけど、しっかりしなさい。彼女を守ってあげなさい」
「ありがとうございます」
電話は切れた。僕は、リナさんの叔父さんに電話をかけ、簡単に事情を説明した。叔父さんは、「すぐにそちらに向かう」と言って、電話を切った。救急治療室から、医者が出てきた。
「君は、リナ＝ガブリエフさんの……」
「義理の弟です。リナさんは……」
「幸い、命に別状はなかったよ。右腕の傷がかなり深いのが問題だが……あと、しばらくは輸血をしないといけないね」
「ありがとうございました」
「ただ、本当に大変なのはこれからだよ。彼女をああいう行為に走らせた原因、君に心当たりはあるかね」
僕は黙って唇をかみしめた。心当たりはありすぎるほどにある。僕が彼女を抱いたからだ。あの時、いくら求められても、きっぱりと拒絶すべきだったんだ。僕に抱かれたことで、彼女は追いつめられた。そして、自らの手首を切ったのだ。深く、深く……。
「彼女は、精神科にかかった方がいいね。いい精神病院を紹介するよ。しばらく、彼女は人の目に触れない場所で安静にしておいた方がいい」
「精神病院、ですか……大げさじゃないですか」
「彼女を今のまま放っておくと、また自殺未遂を起こしかねない。いや、今度こそ死んでしまうかもしれないんだ。心配しないで。精神病院といっても、明るい、綺麗なところだよ。彼女の心を休ませるには、うってつけの場所だと思 うがね」
その時、リナさんの叔父さんが病院の廊下を走ってきた。
「リナは……リナは無事かね」
「ええ、命に別状はないようです」
「なんで……何でリナはこんなことを」
僕は、答えるべき言葉を持たなかった。

輸血が終わった。リナさんと、僕、そしてリナさんの叔父さんはタクシーに乗った。運転手が、血の付いたバスローブ一枚のリナさんを見て、怪訝な顔をした。向かった先は、確かに綺麗な病院だった。僕は、一つの決意を胸に秘めていた。
「お願いします、リナさんと一緒に入院させて下さい」
目の前の看護士は、あっけにとられて僕を見た。
「いや、しかし、何の症状も無い人を、入院させるわけには……」
「リナさんの側にいたいんです。お願いします」
「ゼロスくん」
叔父さんが口を開いた。
「君には、学校もあるだろう。毎日お見舞いに来るだけではいかんのかね？」
「リナさんを、ひとりぼっちにすることは出来ません。入院費は、リナさんの分も、僕の分も、僕が払います」
「ゼロスくん、私たちがリナの入院費は持つよ」
「父の遺してくれたお金があります。大丈夫です」
「君も大学に進学するだろう。大事なお金に手をつけちゃいかんよ」
「僕は大学には行きません。高校を卒業したら、働きます」
「とにかく、先生に聞いてきます」
看護士は、慌ただしく去っていき、そして戻ってきた。
「今はベッドが空いてるらしいから……君も入院してくれてかまわないそうだ。ただし、入院中はパジャマを着るなり、病院食を食べるなり、こちらの指示に従ってもらうよ。他の患者さんに負担をかけないように」
「分かりました」
「じゃあ、二人の入院届けを書いてくれ。君の病名は……鬱病、とでもしておこうか」
「それでお願いします」
僕はリナさんを叔父さんと看護士に預けると、まず学校に電話をかけて、しばらく休学すると告げた。それから街に出て、二人分の着替えのパジャマと下着を買った。病院に引き返す。リナさんは、相変わらず感情のない瞳で、窓の外をぼんやりと眺めていた。
「リナさん」
リナさんは怯えたような表情で振り返った。僕だと分かると、くるっと後ろを向いてしまった。毛布を頭からかぶる。
「怯えなくていいんですよ。パジャマを買ってきただけです」
「そこに、置いて」
リナさんは、僕が身につけさせた、血まみれのバスローブのままだった。僕が向こうを向いている間に、リナさんが着替える。あの深い傷は痛くないのだろうか。
「リナさん」
「何よ。あっち向いててって、言ったでしょう」
「その傷で、着替えられますか？」
「痛くて……パジャマが持ち上げられない」
「僕が着替えを手伝います」
「恥ずかしい」
「僕は、貴女の裸を見てるんです。今更恥ずかしがることはありません」
僕は振り返ると、さっさとリナさんのバスローブを脱がせ、水色のパジャマを着せ掛けた。
「ズボンははけますか？」
「ううん、痛くて、はけない……」
僕はリナさんの足をズボンに通し。ウエストまで引っ張り上げた。
「ごめんね……ゼロス」
「いいんです。リナさんの役に立てるなら」
夕食が運ばれてきた。考えていたよりも、ずっと美味しそうだった。これならリナさんも思いきり食べられるだろう。しかしリナさんは、ベッドに掛けられた簡易テーブルの上を見つめるだけで、食べ物には手を伸ばそうとしなかった。
「リナさん、食べないんですか？」
「あたしは、あたしは……許されないのよ」
リナさんは左手でフォークを取ると、それを迷い無く自分の太ももに突き立てた。パジャマに血の染みが拡がる。リナさんは、それを抜いて、もう一度自分の脚に突き立てた。止める間もない、あっという間の出来事だった。リナさんが、三たびフォークを構えたので、僕はリナさんの腕を必死に掴み、固く握りこまれたフォークを奪い取った。そして、ナースコールを押した。看護士が部屋に入ってくるまで、僕はナースコールボタンを押し続けた。

血で汚れ、破れたパジャマは捨てられ、リナさんの太ももには白く包帯が巻かれた。
「今夜は、特別看護室に入れる必要があるわね」
リナさんの主治医であるフィリア＝ウル＝コプト先生がつぶやいた。
「特別看護室って、どんなところですか」
「急に暴れたり、リナさんのように自傷行為をする人に、落ち着くために入ってもらう部屋よ。そこで、一晩過ごしてもらうわ。強い薬も飲んでもらう」
「そこに、僕も一緒に入ることは出来ませんか？」
「出来ないわ。特別看護室に入れるのは一名だけなの」
「なんとか……」
「あなたの気持ちは分かるわ。でも、自暴自棄になった患者さんの力はすごく強いのよ。あなたの手に負えるとは思えないわ」
二人の男の看護士が、リナさんの両腕を掴んだ。そのまま、リナさんは引きずられていく。
「な……何するのよ！助けて！ゼロス、助けて！」
「リナさん」
立ち上がろうとする僕を、フィリア先生が制した。
「明日になれば、また会えるわ」
「ゼロス！！たすけて！！」
リナさんの叫び声は、いつまでも耳の中に残った。フィリア先生は僕の肩に手を置いて言った。
「あなたのために、入眠剤を処方しましょうか」
「僕は……べつに」
「リナさんの看護があなたの仕事でしょう。あなたがしっかり睡眠を取らなかったら、リナさんのお世話なんてとても出来ないわ」
「分かりました。お願いします」
その夜、入眠剤を飲んでも、僕はなかなか寝つけなかった。リナさんの叫び声が耳の奥にこだましていた。
「リナさん、大丈夫ですか？」
次の日の昼に、リナさんは僕たちの病室に帰ってきた。たった一晩で、ずいぶんやつれてしまったように思った。
「ゼロス……怖かった。ひとりぼっちだった。ねえ、約束してよ。もうあたしを一人にしないって」
「いいですよ。その代わり、リナさんも約束して下さい。もう二度と、自分を傷つけたりしないって」
「ん……」
リナさんは、肯定とも否定ともとれる返事をした。リナさんの昼食には、フォークがついてこなかった。軟らかく煮た野菜とか、スープとか、スプーンで食べられるものばかりだった。

ノックの音がした。リナさんの叔父さんだった。
「君たちの家のポストに入っていた手紙を持ってきたよ」
一通は学校からリナさん宛。一通は警察から。一通はゼルガディスさんから、僕とリナさん、両方へ宛てての手紙だった。リナさんは、学校からの手紙を開けて、呆然としていた。僕は、リナさんの手元を覗き込む。
「リナ＝ガブリエフ殿。あなたを退学処分にします」
短い文面だった。リナさんは、しばらく肩を震わせて、そしてその手紙をずたずたに引き裂いた。リナさんの叔父さんがおろおろとしていた。警察からの手紙は、退院したらすぐ出頭するように、との事務的な連絡だった。僕は、ゼルガディスさんからの厚い封筒を開いた。事務用の白い便せんに、びっしりと書かれた右肩上がりの文字。

「リナ。携帯で連絡が取れないので、こうして手紙を書いている。お前の手にきちんと渡ることを望んでいる。こんなことを言っても本当にいまさらだが、すまなかった。少女雑誌のモデルの仕事をあんなに喜んでやっていたお前を、こういう立場に追いやるとは……
我がプロダクションは、お前との契約を正式に破棄することを決定した。直接の原因はお前が起こした傷害事件だ。だが、それを引き起こしたのはインターネットでのお前の個人情報の流出だし、それは、嫌がるお前を無理にジェラードさんのモデルとして起用した俺の責任だ。正直言って、俺は俺のマネージメントするモデルの中から、有名人を出したかった。そういう欲が、結果的にお前とゼロスを傷つけてしまったことを、俺は認める。そして、許されることなら謝罪したい。もう、お前たちの前に顔を出せるほど俺は図々しくないが、出来ることなら土下座でもしたいくらいだ。
ゼロス。リナを守ってやってくれ。いい大人の俺が高校生のお前に頼むことではないが、ガウリイの代わりに、お前がリナを守ってくれ。ガウリイは、俺の最良の友人だった。その奥さんを、こんなに傷つけてしまった俺は、マネージャー失格だ。お前たちにとって何の意味もないことは分かっているが、当分は仕事を休んで俺の仕事のあり方を考え直す。許してくれ、とは言わない。ただ、本当に、すまなかった。

ゼルガディス＝グレイワーズ」


リナさんは、丁寧にその手紙をたたむと、元の封筒に入れた。そして、静かに涙を流した。
「あたし、学校も、モデルの仕事も、両方なくしちゃった」
「リナさん……学校は、また別の学校を探せばいい。仕事は……しょうがないですけど」
「学校は、もうたくさん」
リナさんは、小さく頭を振った。
「あたし……セーラー服を永久に失ってしまったのね」
「リナ、辛いのならまた私たちのところへ帰ってきてくれてもいいんだよ」
「叔父さん」
リナさんは涙目を上げた。
「あたしは、何度も言うけど、ガウリイの妻です。そして、ゼロスは、今では大事なあたしの家族。叔父さんの気持ちはありがたいけど、あたしは、ゼロスと共にいきます」
「分かった。また明日、お見舞いに来るよ」
「ありがとう、叔父さん」

夕食はシチューだった。リナさんには、フォークは出されなかった。僕にも。僕たちは、デザートの梨を手づかみで食べた。食べ終わる頃に、看護士さんが熱を測りに来た。
「こういう病院で、熱を測って意味があるんですか？」
「患者さんの体調を把握しておくのは病院として当然のことです」
「こういう……病院？」
リナさんが不思議そうな顔をした。




ゼルガディスの手紙は、本当に二人に宛てるつもりで、気合いを入れて書きました。リナちゃんを精神病院行きにするのは、「Love destiny」以来ですね。ひどい目に遭わせてしまって重ね重ねすみません。次で最終章となります。暗い話でしたが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんはリストカットをするような女の子ではない……あれ？　このセリフ、前にもどこかで書いたような。ともかく、リナちゃんはこの苦しみから抜け出せるのでしょうか。次が最終章です。


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