Sailor blouse story［６］



「怖かった、ゼロス！」
リナさんは僕に抱きついてきた。その力は強かった。胸に、リナさんの小さな乳房の感触を感じて、僕は少し赤くなった。
「三日分の食材は買い込んできました。もう、離れることはありません。大丈夫です」
その時、居間の方でガラスの割れる音がした。
「リナさん、二階に上がって。僕が様子を見てきます」
それでも、リナさんは縫いつけられたようにそこから動かなかった。僕は、彼女を背中にかばって、居間の扉を開けた。そこには、外から投げ込まれたらしい瓶があった。布きれで封をされ、何か液体が入っている。
「触らない方が良さそうですね。警察を呼びましょう」
「警察？呼ぶの？」
「もし火炎ビンだったりしたら厄介です」
「あれ、火炎ビンなの？」
「もしも、の話ですよ」
僕は電話を取り、警察の番号を押した。面倒くさそうな警官に、事情を説明した。５分もしないうちに、警官がやってきた。
「警察です」
僕たちは、慎重にドアを開けた。
「その、投げ込まれた瓶、というのを拝見しますよ」
警官はさっさと上がり込んだ。居間に入り、瓶を手に取る。布きれを引っ張り出し、液体の匂いをかぐ。
「こりゃ、水ですね。単なるイタズラですよ」
僕の後ろで、リナさんの肩の力が抜けるのが分かった。僕は警官に言った。
「お巡りさん、この家はネットで住所を公開されたんです。特別に警備をしていただくわけにはいきませんか？」
「こっちも忙しくてねえ。特別にお宅だけ、ってわけにはいきませんよ。まあ、また何かあったら連絡して下さい」
あっけなく警官は帰っていった。僕は、また玄関の鍵をしっかり閉めた。
「ゼロス、あたし、怖い」
「大丈夫です。僕がいますし、さっきみたいな連中が来たら、また警察を呼べばいい」
僕たちは二階に上がり、兄さんの部屋のダブルベッドに座り込んだ。言葉を交わさないまま、部屋は暗くなっていった。
「夕食にはシチューを作りますよ。リナさんはここにいて下さい」
僕は、台所での作業に熱中した。できあがったシチューをトレイにのせて二階に上がる。リナさんは、眠っていた。涙の流れた後が、頬にあった。肩に手を乗せると、リナさんは小さな声で言った。
「ガウリイ……」
僕は、ほんの少しだけ兄さんに嫉妬した。こんな時、彼女の心の支えになれるのは、たった一人、兄さんだけなんだ。僕には、どうしても入っていけない領域が、彼女の中にある。
「リナさん、起きて下さい。晩ご飯ですよ」
「ゼロス……」
リナさんは、起きて、目を拭った。
「眠りながら、泣いちゃったみたい……ちょっと今日は、参ったかな」
「あんなことがあれば誰でも参ります。しっかり食べて、早く休みましょう」
僕たちはベッドの上で夕食をとった。下の方で、一度だけ、どん、とドアが蹴飛ばされるような音がした。僕が降りていこうとすると、リナさんが引き留めた。
「行かないで」
僕は彼女に従った。
「変なこと、頼んでもいい？」
「何でも聞きますよ」
「お風呂、一緒に入って」
「いいですよ」
僕はバスタブに湯を張って、リナさんを呼んだ。彼女は、胸まできっちりバスタオルを巻き付けて、浴室に入ってきた。僕も、タオル地のバスローブを着たまま、髪を洗い、身体を適当に洗った。
「ゼロスは、細いね」
「兄さんは、たくましい人でしたからね」
「でも、あたしよりはずっと大きい」
「男ですから。それに、リナさんは女の子の中でも小さくて、華奢ですからね」
「モデルには、それで良かったんだけど、ほんとはもう少し胸が欲しかった」
「僕は小さな胸の方が好きですよ」
「ふうん……」
リナさんは、上気させた頬を、ほんの少しだけ更に赤らめたような気がした。
「交代しましょう」
僕がバスタブにつかり、リナさんが髪を洗う。繊細なうなじが見えて、色っぽい。
「ねえ、あたしのこと、変な女だって思うでしょ」
「どうしてですか？」
「一緒にお風呂に入れ、だなんて」
「変だなんて思いませんよ。僕をそこまで信頼してくれてるなんて、嬉しいですよ」
「ゼロスは、優しいね……」
スポンジで、全身を洗いながらリナさんが言う。
「ゼロス、きっともてるでしょう。あたしの相手をずっとさせて、考えてみれば迷惑な話よね」
「僕は、リナさん以外の女の子なんていりません」
「だって、あたしはガウリイの……」
「分かってます。僕は兄さんの代わりに貴女を愛します。それで、僕には充分なんです」
「つまり、ゼロスは、あたしを愛してるってこと？」
「ええ。愛してます。気づきませんでしたか？」
「あたしも、ゼロスを愛してるわ。ガウリイの弟として」
「じゃ、僕たち愛し合ってるんですね」
「そうね」
僕たちは、くすくす笑った。
「そろそろ上がりましょう。のぼせそうです」
脱衣室で、僕たちは互いの身体を見ないようにパジャマに着替えた。
「楽しかったね」
「リナさん、元気が出たようで良かったです」
「今日も一緒に寝てくれる？」
「もちろんですよ」
「嬉しいな」
リナさんは僕の片腕にぎゅっとしがみついた。その腕は、不安げに震えていた。ガウリイ兄さんが天国から見ていたらきっと呆れているだろう。僕は、リナさんを不安や緊張から少しも守ってあげることが出来ないのだから。
「ゼロス……」
ベッドの中でリナさんがつぶやいた。
「このベッドから、ガウリイの匂いが薄れていく……」
兄さんのコロンの匂い。汗の匂い。確かに、以前は枕から、シーツから感じていたその匂いは、薄れてきているような気がした。
「それでも、このベッドはガウリイ兄さんのベッドですよ。今は、貴女の匂いに染まっていく。それでいいんです、きっと」
「こんなにゼロスと一緒に寝てたんじゃ、ゼロスの匂いも移っちゃうかも」
「嫌ですか？」
「ううん、あたしと、ゼロスの匂いがガウリイの匂いを包み込んでいくのよ……嫌じゃないわ」
僕は、ドライヤーで乾かしたばかりの、ふわふわのリナさんの前髪に触れる。リナさんは目を閉じた。閉じた目の内側で、ガウリイ兄さんに撫でられているところを想像しているんだろうな、と思った。かまわない。僕はそのためにいるのだから。

料理して、食事をして、片づけて、二人で静かに過ごして、またお腹が空いたら料理して……夜が来たら、一緒に寝て。そんなことを繰り返すうちに３日が過ぎた。リナさんの携帯に、ゼルガディスさんからの電話があった。
「はい……はい……そうですか。分かりました……気をつけます」
リナさんは、嬉しそうに電話を切った。
「ゼルガディスさん、何と言ってたんですか？」
「インターネットのうちの住所なんかの情報は、出来る限り削除したって。だから、明日から学校に行ってもいいって。ただ、何人の人があの情報を見たか分からないから、しばらくは絶対に一人で出歩かないようにって」
「それなら大丈夫ですよ。僕がリナさんを一人で歩かせたりしません」
「やっと学校に行けるのね。嬉しい！また、一緒に中庭でお弁当食べようね」
「ええ、いいですよ」
その夜遅くまで、リナさんは台所に立って、明日のお弁当の準備をしていた。
「リナさん、張り切りすぎると疲れますよ」
「だって久しぶりなんだもの。さてと、鶏肉はソースにつけ込んだし……」
僕が、居間のソファでうとうとしていると、リナさんが声をかけた。
「ごめんね、待たせて。一緒に寝よう」
僕たちは、久しぶりに安らかな気持ちで眠りについた。明け方、ふっと目を覚ますと、リナさんはしっかりと僕の胸にしがみついていた。僕は微笑んでリナさんの髪を撫で、また眠った。
「ゼロス、朝ご飯出来たよ」
気がつくと、朝になっていた。リナさんは、久しぶりの制服の上にエプロンの姿で、僕を起こしにきていた。僕が目をこすりながら起きあがると、
「ゼロスのねぼすけさん」
と、リナさんは笑った。

戸締まりをして、家を出る。家から十歩も離れていないところで、僕たちの横に一台の車が止まった。ドアが開き、何人かの柄の良くない男が出てくる。
「ずいぶんと待たされたな。リナ＝ガブリエフ、俺たちの車に乗れ」
「何であんたたちなんかの車に」
「ふん。気が強いな」
「あなたたちは何ですか。リナさんに何かご用ですか」
「おまえがネットで顔写真が流れてたリナの義弟か。ナイト気取りか？それとも、兄貴の女だったけど、もう自分の女だから、これ以上他の男には渡せないってのか？」
「帰っていただきましょう」
「そう言うわけにはいかねえよ」
「俺たちは、その可愛いリナちゃんをいただくためにここで待ってたんだからなあ」
僕は、ポケットから気づかれないように携帯を出し、警察の呼び出しを押した。
『はい、警察です』
それを、顔の横に持ってくる隙がどうしても出来ない。
『もしもし、もしもし！』
電話から漏れる声に、男の一人が気づいた。男は僕の腕を乱暴に掴み、携帯を取り上げ、通話を切った。
「警察でも呼ぼうとしてたのか？無駄なことしやがって」
携帯は、男の手でへし折られた。プラスチックの固まりになったそれが、道の脇のどぶに投げ込まれる。
「誰かーーーーーっ！誰か助けてーーーーーーーーーっ！」
リナさんが声を上げた。誰も通りかからない。近くの家のドアも開かない。
「ちっ、面倒なことになる前に、さっさと連れて行こうぜ」
男の手が、リナさんにかかる。僕は、その手をはねのけた。
「リナさんを連れていかせはしない！」
「邪魔な男だな。どいてろ」
男は、懐からナイフを出して、僕に突きつけた。僕は、それでもリナさんの身体を引いて、背中にかばった。
「どいてろ、って言うのが聞こえないのか」
男はナイフを横に振った。僕の頬が切れるのが分かる。なま暖かい血が、顔を伝った。
「やめて」
硬い声がした。その声には、何の感情もこもっていなかった。
「あんたは……あたしからガウリイを奪うだけでは足りなくて、ゼロスまで奪うの？」
「はあ？がうりい？何のことだ」
「リナさん！」
「許さない……そんなことは絶対に許さない」
抑揚のない声。そして、リナさんがするりと僕の前に飛び出した。
「リナさん、危ない！」
「ガウリイを奪い、ゼロスを奪おうとするあんたを……許さない」
リナさんは、素早く男の手からナイフを奪った。そして、それを逆手に持つと男の胸に突き刺した。
「ぐあああっ」
刺された男は、力無く地面に倒れる。リナさんは、人形のような目でその男を見ていた。その時、ようやく近くの家の扉が開いた。
「何か……あったんかい」
顔を出したおばあさんに、僕は叫んだ。
「警察を！警察を呼んで下さい。それから救急車も」
「ちっ……まずいな。引き上げだ」
男たちは、刺された男を置き去りにして、車で去っていった。僕は、とっさにそのナンバープレートを控えた。そして、地面に座り込んだリナさんを見た。
「リナさん、とりあえず、きちんと警察に行きましょう。事情を説明すれば、そんな重い罪には……」
リナさんは瞳を動かさなかった。凍りついたように動かなかった。
「リナさん！」
肩を掴んで揺さぶる。リナさんは動かない。ただ、その深紅の瞳から、一条の涙が流れ落ちた。僕は、地面に転がって動かない男の様子も見た。息は荒いが、ちゃんと生きている。胸に刺さったナイフは、大事には至らなかったらしい。やがて、荒々しいパトカーのサイレンが鳴り響いた。


警察の取調室。夏だというのに、薄暗く、薄ら寒い。
「それで？男たちが君たちを囲んだ、と……」
「はい。リナさんを連れ去るのが目的だったようです」
僕の頬には、ガーゼが貼られている。警官は、ボールペンの端で髪の中をこりこりと掻いて、話を続けた。
「それで、抵抗していたら、刺された男がナイフを出した、と……君のその頬の傷は、彼につけられたものだね」
「はい、そうです」
「それで、お嬢ちゃんが前に飛び出して、そいつのナイフを奪って、そいつを刺した、と……」
「はい。止められなかった僕が悪いんです」
「何も君を悪いとは言っていないよ。お嬢ちゃん、どうして刺したりしたんだ」
「ガウリイが……刺されて」
「は？ガウリイ？誰だい、それは」
「ガウリイが……刺されて、血がいっぱい出て、何も出来なくて、あたしは……」
「お嬢ちゃん、言ってることがさっぱり分からないよ。僕が聞きたいのは、なぜ、君が男を刺したか……」
「ゼロスが、いなくなったら、あたしはもう生きていけない。いいえ、ガウリイを失ったときにあたしも死ぬべきだったんだわ！ガウリイ……」
リナさんは泣き続けた。その口から紡ぎ出される言葉は、痛々しい後悔と哀しみの言葉。もっとも、事情を知らない人には、それは意味をなさない言葉の羅列でしかなかった。
「えーっと……ゼロスくん。君は、なぜ彼女が男を刺したと思うかね？」
リナさんに聞いてもらちがあかないと思ったであろう警官が、僕に質問の矛先を向けた。
「彼女は、夫をナイフに刺されて亡くしているんです。たぶん、僕があの男に頬を切られたとき、その記憶がよみがえって、混乱したのではないかと……」
「なるほどね。しかし、これは傷害事件だ。幸い、大した傷ではないそうだが……彼女自身から調書を取れないと、困ったことになるね」
「ガウリイ……ガウリイ」
リナさんは、スカートを握りしめたまま、呪文のようにガウリイ兄さんの名前を繰り返していた。
「一日、待ってくれませんか。ご飯を食べて、ゆっくり眠ったら、リナさんも少しは落ち着くかもしれない」
「一日か。まあ、かまわないけど、逃げだそうとしたりはしないだろうね」
「僕は、今回の事件については、リナさんがちゃんとその責任を取るべきだと考えています。逃げ出したりしません」
「じゃあ、また明日署に来てくれ。お嬢ちゃんをゆっくり休ませてやってくれ」
「ありがとうございます」
僕たちは、パトカーで家まで送られた。
「君たちだけで大丈夫かい？」
「大丈夫です」
警官の一人が、僕にだけ囁くように言った。
「君は、疲れてないのかい？」
「いいえ、大丈夫です」
僕は、微笑んだ。頬の傷が引きつれて痛んだ。

夜も遅かったので、晩ご飯はピザを取った。リナさんは、湯気を立てるピザを目の前にして、ぴくりとも動かなかった。
「リナさん、明日も警察ですよ。食べておかないと身体が持たない。手作り出来なくて悪かったですけど、食べて下さい」
リナさんは、ゆっくりとピザを食べた。二きれ食べると、それ以上手を出そうとはしなかった。僕は、半分を食べ、残りをゴミ箱に捨てた。
「リナさん、お風呂に入って下さい。なんなら、一緒に入りますか？」
「ううん、一人で入る……」
「よかった。やっとしゃべってくれましたね」
リナさんはその声を無視するように、浴室に入っていった。




リナちゃんに傷害事件を起こさせてしまってすみませんm(_ _)m　でも、ゼロスを守るためにリナちゃんが手を血に染めるというのは、最初から考えていたことなので、はずせなかったシーンなのです。取り調べの様子とかは、具体的なことが分からないので想像です。それでは、続きもよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんは限りなく強く、そして限りなく脆い子だと思っている羽久です。際限のない苦しみの中にいるリナちゃんを、ゼロスは助け出せるのか……


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