Sailor blouse story[２]




「お腹、空いたね」
「ピザでも取りましょうか」
「いいわ。冷蔵庫の中、見せて」
僕たちは階下へ降りた。リナさんは、冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「うん。これなら、何か作れそう。ちょっと時間がかかるけど、待っててくれる？」
「リナさん、僕と同い年なのに、料理出来るんですか？」
「死んだ姉ちゃんに、さんざん仕込まれたわ。さあ、男の人は台所から出て行って」
「僕も、兄さんと二人暮らしの時には料理担当でしたからね。お手伝いくらい出来ますよ」
「……頼もしいわね。エプロン、ある？」
「僕の替えでよかったら」
リナさんが、白いセーラー服の上にギンガムチェックのエプロンをつける。僕は、少し鼓動が早まるのを感じた。
「さってと……」
スカートのポケットから出したヘアゴムで、長い紅茶色の髪をポニーテールにまとめる。手を洗う。
「そこの冷凍ホタテ、出して。クリーム煮を作るわ。パスタ、ゆでてくれる？」
「まかせて下さい」
「トマトピューレがあるから……パスタソースも作れそうね。二人分なら、余裕だわ」
リナさんは、てきぱきと作業を進めていった。僕は、言われるままにパスタを茹でて、バターを絡める。
「このイカも使っていい？」
「何でも使って下さい」
リナさんは、フライパンでトマトピューレとイカを絡め、パスタソースを作った。僕がパスタを皿に盛りつけ、ソースをかけた。
「あんたって、男の割に、料理上手ね」
「リナさん、それは男女差別ですよ。男だって、料理ぐらいします」
「それもそうね。あんたはほんとに手際がいいわ」
リナさんは、かすかに微笑んだ。
「初めて見ましたね」
「何を」
「貴女が、少しでも笑うところを」
「ああ……」
リナさんは、うつむいて言った。
「ガウリイが逝ってしまったとき、もう自分は二度と笑えないと思っていたのに……」
パスタソースに、涙がぱたぱたと落ちだ。
「あたし、まだ笑えるんだ。愛する人と、あんな悲しい別れ方をして、まだ……あたしって、薄情な女なのかな」
「リナさん」
僕は自然に彼女の手を取っていた。
「貴女が、この先一生笑わずに過ごすことを、きっと兄さんは望んでいないはずです」
「違う！あたしは残酷だわ。あの人を土に埋めてきたその日に、もう笑っているなんて……！」
「リナさん！」
僕は、泣いている彼女を抱きしめていた。
「ガウリイ兄さんは、何よりも貴女の幸せを祈っていました。微笑みのない幸せなんて無い。それに、笑うことが駄目なのだったら、このご飯を美味しいと思って食べることだって、お風呂に入って気持ちいいと思うことだって、すべて駄目になってしまうでしょう？貴女は、笑っていいんです。兄さんの代わりに、僕がそれを許します」
リナさんは、僕の背中に手を回した。胸に顔を押しつける。温かい涙が、エプロンからシャツへと染み渡った。
「ゼロスくん……」
「ゼロス、でいいです」
「ゼロス……あんたが、ガウリイにちっとも似てなくて良かったわ」
僕の背中をきつく抱きしめて、つぶやく。
「あんたの中に、あいつの面影を見つけられないから、こうして甘えられる……」
「好きなだけ甘えて下さい。貴女は、僕の大事なお義姉さんなんだから……」
「そうね。あんたはあたしの義弟なのよね……」
リナさんは、少しだけ微笑んで、僕の胸から顔を離した。
「泣かせてくれてありがとう。少し、楽になったわ」
僕とリナさんは、皿を持ってダイニングへ移動した。
「せっかくのパスタに、涙がかかっちゃったわね」
「それに、少し冷めてしまいました」
「あたしのせいね。ごめんなさい」
「いや、別にお義姉さんのせいといったわけでは……」
「『お義姉さん』なんて照れちゃうわ。リナでいいわよ」
「じゃあリナさん。食べましょう」
リナは、パスタをフォークに巻き付けて、一口食べた。
「ん！美味しい。あたしの料理の腕は鈍ってないわね」
そして、つぶやくように言った。
「ガウリイが、二度と食べることのないご飯を、あたしたちは食べてるのよね……」
「生きていますから」
「そうね。どんなことが起こっても、あたしたちは生きている」
「だから、美味しくいただきましょう。それが、生きているものの務めです」
しばらく、僕たちは黙々と料理を食べた。
「リナさん、このホタテのクリーム煮、とても美味しいです」
「そう？良かった。たくさん、食べてね」
しばしの沈黙。会話が続かない。
「……兄さんの、どんなところに惹かれたんですか」
「優しいところ。あたしのいた世界では、見た目優しい奴は多いけど、本当に優しい人は滅多にいないの」
「貴女のいた世界？」
「芸能界……のはしくれ、とでもいうのかな。モデルさんとか、カメラマンとか、マネージャーさんとか……あたしのマネージャーのゼルガディスのことは知ってる？」
「兄さんの、親友でしたね」
「そう。ゼルも、厳しくて優しい人だけど、ガウリイを見たときに思ったの。こんなに優しい人は、他にいないって」
「そうですね。本当に優しい人だった」
「あたし、疲れてたんだと思う。モデル同士のいがみ合いとか、カメラマンから言い寄られたりとか。ガウリイと話してると、そういう疲れがすーっと抜けていったの。そして、出会って一ヶ月目の日、あいつはあたしにプロポーズした」
僕は呆れた。急な結婚話だとは思っていたが、出会ってわずか一ヶ月で求婚していたなんて。
「あたしは、喜んでそれを受けた。あいつとなら……一緒に旅していけそうだと思ったの」
「旅、ですか」
「人生って、旅のようなものよ。時に穏やかな草原を行ったり、時には嵐の船に揺られたり……ガウリイとは、それを一緒にこなしていけそうだと思ったの」
「兄さんも、リナさんのことを『運命の相手』だって言ってました」
「そう。嬉しいわ」
テーブルの上があらかた片づいた。
「お皿洗いはあたしがやるわ」
「うちには食器洗浄機がありますよ」
「へえ、便利ね」
「汚れたお皿を持ってきて下さい」
食器洗浄機をセットすると、僕は食後のコーヒーを入れた。兄さんがコーヒー好きだったので、豆から挽くコーヒーメーカーを使う。水入れにミネラルウォーターを注いでしばらく待つと、香ばしい匂いが漂ってきた。
「はい、リナさん。コーヒーです」
「ありがとう。……美味しいわ」
「兄さんが、コーヒー好きだったんです」
「知ってるわ。うちの事務所に来たときにも、濃すぎるだの薄すぎるだのさんざん文句言ってたもの」
「それはご迷惑をおかけしました」
「いえいえ」
二人で、コーヒーを味わう。
「不思議ね。こうして話していると、ガウリイはまだすぐ側にいるみたい」
「こういう話を知っていますか？亡くなった人は、その人を覚えている人がいる限り、本当には死なないって」
「ふうん……なかなか素敵な説ね」
「だから、僕もリナさんも、兄さんのことを覚えていましょう。いつまでも。兄さんのあの綺麗な金髪も、優しい声も」
「ええ。忘れないわ。そして、あたしは一生リナ＝ガブリエフでありつづけるわ。ゼロスは、それでいい？」
「こんな素敵な人が僕のお義姉さんだなんて、嬉しいですよ。ずっと、兄さんの奥さんでいて下さい」
飲み終わったコーヒーカップを、流し台で洗う。食器洗浄機の中の、綺麗になった食器を、棚にしまう。
「悪いわ。ゼロスばかりに働かせて」
「今日は疲れたでしょう。いいんです。僕には体力があるんだから。……お風呂、入りますか？」
「あ……入りたいけど、着替えがないわ」
「貴女の部屋のクローゼットを開けてみて下さい。兄さんが、貴女のためにパジャマを買っていたはずです」
「見てみるわ」
やがて、リナさんは、ピンクのパジャマを持って降りてきた。
「何から何まで、用意してたのね、ガウリイは」
「浴室は、そこを出て左のドアです。ゆっくりしてきて下さい」
「お言葉に甘えて」
リナさんは、パジャマを胸に抱えて、去っていった。
「ガウリイ兄さん……」
僕はつぶやく。
「リナさんは、素敵な人ですね。兄さんの気持ち、よく分かりますよ」
やがて、パジャマに身を包み、濡れた髪のリナさんが現れた。その姿に、僕はまた鼓動が早まるのを感じた。
「あんたも、入ってきなさいよ。あたしは、ここでゆっくりしてるから」
「テレビでも見てて下さい」
「ありがとう。でも、今日はテレビを見る気にはなれない」
「……そうですね。行ってきます」
「ごゆっくり」
湯気の立ちこめた浴室に入る。さっきまで、裸のリナさんがここにいたのだと思うと、何だか照れくさかった。
「上がりました」
「喉が渇いたから、冷蔵庫の中のミネラルウォーター飲んじゃった。かまわなかった？」
「今日からここは貴女の家です。何でも自由にして下さい」
「ありがとう」
二人で、食卓の椅子に座った。リナさんが、話し始めた。
「ガウリイの最期の言葉をあんたに伝えたいの。いいかしら？」
「もちろん。兄さんの言葉なら、聞いておかなくてはいけませんね」
「あたしたちは、空港でスリにあったの。小さなトランクを、奪われた。ガウリイは、足が速いからすぐにスリに追いついたわ。そしたら、そのスリが、ナイフを出して……」
少し言葉を切る。
「血まみれのガウリイは、追いついてきたあたしに言ったわ。『ゼロスに頼れ』って。『どういうこと？』ってあたしが聞き返したら、『愛してる。幸せになれ』って、切れ切れに言ったわ。そして、動かなくなった……」
リナさんは、また泣いていた。細い肩が震えた。
「ゼロス。ガウリイは、あんたに頼れ、って言い残したわ。だから、頼ってもいい？」
「もちろんです。兄さんがそういうことを言っていたなんて……僕は、いくらでも貴女に頼られますよ」
「いいの？あたしと同い年でしょ、あんた」
「兄さんの最期の言葉には逆らえませんよ。力の限り、貴女を守ります」
「優しいのね、あんた。そういうところはガウリイに似てる」
リナさんは、また淡い笑みを浮かべた。

「そろそろ寝ましょうか」
「ええ。でも、あたしの部屋に、ベッドは無かったわ」
「それは……ガウリイ兄さんの部屋で、貴女を眠らせるつもりだったんでしょう。案内します。ついてきて下さい」
食堂の電気を消し、二人で二階に上る。
「ここが、ガウリイ兄さんの部屋です」
「散らかってる」
「兄さんは、そういう人でしたから」
「ダブルベッドね。この部屋に似合わないわ」
「兄さんは、寝相が悪かったですから。リナさんも、一緒に眠ってたら蹴飛ばされてたかもしれませんよ」
「ふふ……蹴飛ばされてみたかったなあ」
「電気のスイッチはここです。じゃあ、お休みなさい、リナさん」
「お休みなさい、ゼロス」
僕は、そっとドアを閉め、自分の部屋に向かった。ベッドに身を投げ出す。長い一日だった。そして現れた同居人……。
「これから、上手くやっていけますかね」
独りつぶやく。確かに、兄さんが言っていたように、強く、明るく、そして脆い。僕はふと心配になった。ちゃんと眠れているだろうか。僕はベッドを抜け出した。兄さんの部屋へ向かおうとすると、兄さんの部屋のドアがかちゃりと開いた。
「リナさん……」
「ゼロス……眠れないの。お布団から、あの人の匂いがして……眠れないの」
「今日だけ、一緒に寝ましょうか？」
「いいの？」
「僕は寝相はいいんです。貴女を蹴飛ばしたりしません」
僕たちは、兄さんの部屋に入った。床に散らばる本やＣＤを踏まないように奥のベッドにたどり着く。僕が先にベッドに入った。リナさんが、その後ごそごそと毛布に潜り込む。
「たしかに、兄さんの匂いがしますね」
「うん。辛くて、眠れなかった」
「僕がいれば、辛くありませんか？」
「辛いのは、辛いよ。でも、独りじゃない、って思えるから……」
そうだ。まさにこの瞬間、僕たちは兄さんという死者を共有しあっているのだ。
「独りじゃ、ありませんよ……僕は、ずっと貴女についています」
「ほんと？」
「ええ。それが、兄さんの遺志を継ぐことになるのなら」
枕に顔を埋める。兄さんのつけていたコロンの匂い。兄さんの汗の匂い。死者は、不思議なものを僕たちに遺していく。
「ねえ……髪、撫でて」
もう眠ったかと思っていたリナさんが、ふとそう言った。
「眠ってた？」
「いいえ。起きてましたよ。兄さんの匂いをかぎながら」
「あたしも。明日から学校なのに、これじゃ駄目だね」
「髪、触っていいんですか？」
「もちろん」
僕は、指を伸ばして彼女の細く柔らかな髪をそっと撫でた。
「違うの。前髪のところを、くしゃくしゃってして」
僕は言われるままに、彼女の前髪をかき混ぜた。優しいシャンプーの匂いがした。本当に、柔らかい。
「リナさん、兄さんとは身体の関係はあったんですか？」
ふと、僕は聞いた。そして、赤面した。沈黙があった。彼女を傷つけてしまったかもしれない、と僕が後悔し始めた頃、彼女が口を開いた。
「あったよ、ガウリイとは」
「そうですか」
「初めて会って一週間で、ホテルに誘われた。そんなこと、業界じゃよくあることだったけど、ガウリイのはそうじゃなかった。ガウリイに抱かれている間、あたしはずっと彼に優しく包み込まれてる感じがしてた。それからね、はっきりいって、会うたびにホテルに行ってたの。二人の身体の距離を、ゼロにしたかった。ねえ、こんなこと言って、あたしが……だらしない女だと思わない？」
「僕は兄さんも知ってるんです。兄さんと貴女の二人が、どうやって愛を育んで来たのかくらいわかります」
「ガウリイはね……優しかったよ。あたしの嫌がることは絶対にしなかったし、あのあったかい手で、体中撫でてくれた。でも、一番好きだったのは、前髪をくしゃくしゃされることだった」
僕は、もう一度彼女の前髪をかき回した。
「そして、言うの。『お前なんかガキだ』って。『早く、あと１０年経っていい女になれ』って。悔しくて、いつもあの長くて綺麗な金髪を引っ張り返してやってた。ねえ、ガウリイの金髪って太陽みたいだったよね？」
「ええ。あの人が空の下に立つと、髪に光が反射して、本当に綺麗でした」
「瞳も、青空の色だった」
「そうですね。兄さんは、夏の空みたいな人だった」




語られるガウリイの想い出。ガウリイを愛し続けるリナちゃん。そんなリナちゃんを見守るゼロス。少しずつリナちゃんに惹かれながら。この先も二人には過酷な運命が待っています。それでは、続きもよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ガウリイ＝夏の青空、ゼロス＝冬の夜というのは、私の中での彼らの位置づけです。彼らは正反対に属し、そして暁のリナちゃんを奪い合うのです！（何か言ってますけど無視して下さい）


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