Love Destiny［２］

次の日、病院に出向いた三人は、部屋の中の光景に驚いた。壁には、牛乳瓶を叩きつけた後がある。朝食の残骸と思われる食べ物が部屋中に散らばり、食器が割れて転がっている。頑丈そうな看護婦が一人、部屋の片づけをしていた。当のリナは、ドアに背を向け、窓の方向をみて、ぼんやりと座っている。
「リナ！どうしたんだ、お前。食べ物を粗末にするなんてお前らしく無いぞ。それに、昨日暴れるなって言ったばっかりじゃないか。何か嫌なことでもされたのか？」
リナの小さな肩が震えた。
「されたわよ！こいつら、変な薬を飲ませるのよ。その薬を飲むと、何かこう、落ち着かない気分になるの。まるで、ゼロスがこの世からいなくなっちゃったような……そんな感じ。だから、今朝は薬を飲むのはイヤだっていったら、手足を押さえつけて、鼻つまんで飲ませようとすんのよ。だからあたし、抵抗したの。魔法使おうとしたけど、この部屋の中では、なにか結界が張られてて使えないの。この病院、おかしい！こいつらみんな変よ。あたし、退院する！何があっても退院する！！」
最後の方は、絶叫に近かった。三人があっけにとられていると、部屋をノックする音が響き、検診でリナを診た精神科医が入ってきた。
「リナくん、あの薬がイヤだったようだね。でも、君の症状にはあの薬が一番よく効くんだ。続けて飲んでいくことが大切なんだ」
「冗談じゃないわよ！」
リナは怒りを爆発させた。
「あんな薬を続けて飲んだら、頭おかしくなっちゃう。あたし、退院します！何の権限があって、あたしの手足を押さえつけてまであの薬を飲ませようとするわけ？まさか、退院させないってんじゃないでしょうね。裁判所に訴えるわよ！この悪徳病院。あたし本気よ！！」
精神科医はちらっとドアの外に目をやる。すると、三人の脇をすり抜けるようにして、看護士たちが入ってきた。リナをベッドに押さえつける。パジャマの袖をまくり、あらわになった腕を脱脂綿で消毒する。そして精神科医が懐から注射器を取り出し、針の先から薬液をすこし出した。
「いやあっ！何注射すんのよ。やめて！」
リナの静脈に静かに薬が注入される。リナはしばらく悪口雑言をまき散らしていたが、そのうちに糸が切れたように静かになり、ベッドに倒れ込んだ。
「リ……リナ！」
ガウリイが駆け寄った。リナは薄く目を開け、何かをつぶやいていた。
「心配せんでも、今うったのは単なる鎮静剤だよ」
精神科医が言う。
「しかしあの薬を飲むのを嫌がるとなると……次の策を考えんといかんなあ」
「リナさんにどんな薬を飲ませたんですか！」
アメリアが精神科医に詰め寄る。
「ごく一般的に使われている、妄想を治める薬だよ。それを飲むのを嫌がる、ということは、リナくんは妄想の中に浸っていたい、それなりの理由があることになる。つまり、彼女の例の婚約者のことだね。彼女は、心の中でその幻影に依存している。それが揺らぎそうになるのが耐えられないんだろう」
「じゃあ、三ヶ月待ってみたらどうでしょうか」
アメリアは思い出したように言った。
「リナさんの誕生日。その日に、『ゼロス』さんが姿を現さなかったら、リナさんの考えも変わるかも知れません」
「ふむ、なるほど……」
精神科医は、豊かな白い髭をしごいた。
「ただ、それまでは、リナくんを預からせてもらうよ。別の薬も試してみた方がいいようだし、今日みたいに興奮して暴れたりしたら君たちの手には負えんだろうからな」
「そう…だな。先生、リナのこと、よろしくお願いします」
ガウリイは精神科医に頭を下げた。
「ただ……リナさんを押さえつけたり、無理矢理薬を飲ませるの、できるだけ止めてくれませんか？リナさんが可哀想です」
アメリアは懇願する大きな瞳を精神科医に向けた。精神科医はうなずいた。三人は病院を後にした。
「おい、旦那、本当にこれでいいのか？」
「そんなこと言っても、俺達の手で何が出来る？専門家に任せるのが一番だろう」
「ただ、このままじゃ、リナが気の毒すぎる気がしてな」
「ゼルガディスさん、私たち、毎日お見舞いに行きましょう。リナさんの好きな食べ物を持って」
「もちろんだ」
「あー、何でこんなことになっちまったんだろうな」
ガウリイは額を押さえる。
「俺達は、リナに頼りすぎていた…と思わんか。いつも、あいつのドラグ＝スレイブで、ラグナ＝ブレードで、最終的には敵を倒していた。俺達は、確かにあいつをサポートは出来た。でも、最後の責任を負うのはいつもリナだった」
ゼルガディスが真摯な瞳で言う。しかも彼らは、冥王フィブリゾとリナが対峙したとき、リナがギガ＝スレイブまで発動させ、金色の魔王をその身に憑ろしたことを知っている。
「確かに」
ガウリイは、初めてシャブラニグドゥの分身と戦ったときの、銀髪となったリナを思い出していた。
「リナは、俺達のことは信用してくれていたとは思う。だが、あいつも一人の人間だ。それも、少女といえる歳だ。もっと強く、絶対的なものに守られたいと思う気持ちがあったとしても不思議じゃない」
「それが、魔族の『ゼロス』さんなんですね……」
アメリアがつぶやいた。
「魔族…俺達人間とは相容れない存在。その魔族から求婚されたとまで思いこんでいるリナは、相当精神的に疲れているのかもしれない。あの、『ゼロス』のことを話すときのリナの瞳を見たろう。幸せそうな、それでいて儚げな、あんなリナを、いままで俺達は見たことがなかった」
ゼルガディスは、吐き捨てるように言う。自らの無力をかみしめるように。

鎮静剤を絶え間なくうたれているリナは、ぼんやりとした意識を閉ざされた部屋の中で彷徨わせていた。部屋は綺麗に清掃され、朝、彼女が暴れた痕はすでに無い。リナは、起きあがって、嵌殺しの窓を見る。
「ゼロス……寂しいよ」
リナは、恋人の名を呼ぶ。
「タリスマンがここにあるんだから、あたしのいる場所はわかってるでしょ。いつものように、空間を渡って、迎えに来てよ。そして、このくだらない病室からあたしを連れ出して」
そして、しばらく沈黙する。
「いつもの……ように？いつも、ゼロスは、どうやってあたしに逢いに来た？いつも？いつ…も？」
リナは、いつのまにか、あの薬を飲まされていたことに気付く。夕食に溶かしこまれていたのだろうか。猛烈な不安が彼女を襲う。けれども、鎮静剤が彼女の怒りを淡いものに変えていく。不安は哀しみとなって、彼女の深紅の瞳から零れ落ちた。彼女は瞳を閉じ、瞼の裏にいとしい彼の姿を思い浮かべて、気持ちの揺れに耐えた。

ひとみ　閉じたら　ふたりになれる
今たとえ　この部屋ひとりでも
It's my only destiny


「リナさん、お願いですから病院の食事も食べて下さい。このままじゃ、心臓と肝臓と膵臓以外の病気になっちゃいますよ」
アメリアは瞳を潤ませてリナに懇願する。リナは、入院して二ヶ月で、すっかりやせ細っていた。思春期の少女独特の丸みが無くなり、そのせいで少し大人びて見えた。
「あんた…達の…持ってくる、果物とかを…食べてるから、大丈夫」
強い鎮静剤のせいで上手く回らない舌で、彼女は切れ切れに答える。その痛々しさに、ガウリイは苛々し、ゼルガディスは苦々しく顔を背ける。
「ここの…食事には…くすりが入って…だから、嫌」
「リナさん……」
アメリアは、リナを見舞う度に涙をこぼしていた。泣きながらリナを説得する。
「その薬がないと、リナさんの病気は良くならないんです。……っ、もうすぐ、リナさんの誕生日じゃないですか。そんなにやつれちゃってどうするんですか」
「アメリア…あんたには、分からない」
リナは静かに言った。
「あの…くすりを飲むと、世界が全て…揺らぐような、すごい、不安に…襲われる。怖いの……とても怖いの」
ガウリイは、付き添ってきた精神科医に訴える。
「薬抜きの食事も出してやって下さい。このままじゃ、こいつ、本当に壊れちまう」
精神科医は困ったように答えた。
「いや、今では食事に薬を混ぜることも止めているんだ。ただ、すっかり我々はリナくんの信用を失ってしまってね。こっちで煮炊きした食事は一切とらないんだ。今のままの状態だと、栄養剤を点滴する事も考えなきゃいかん」
「あの何よりも食うのが好きだったリナが栄養点滴……」
ガウリイは、目頭がカッと熱くなるのを感じる。
「君たちの持ってきた果物や菓子は安心して食べるようだから。いつも差し入れをしてくれて感謝しとるよ」
「さ、リナさん、今日のおみやげはマンゴーです。南の方で取れる、珍しい果物なんですよ。いま、剥きますからね」
部屋の中に、甘い香りが漂う。リナは布団から身を起こして、アメリアの手元をじっと見つめた。そして、手を伸ばして、アメリアの右手から小さなナイフを奪った。全員が息を飲む。リナは、そのナイフを、自分の手首にあてがった。
「あたし…本気よ。退院……させないって…言うのなら、手首を……切るわ」
「リナ！」
「リナさん！」
「さあ…そこを通して。あたし……外に……行く」
ベッドから降りたリナは、鎮静剤が効いているせいか、大きくよろめく。ゼルガディスが、すかさずリナに当て身して、ナイフを奪った。リナは意識を失って、床に倒れる。ガウリイは、大きくため息をついて、リナの細く小さな身体を抱き上げ、ベッドに下ろした。左手に持ったマンゴーを握りしめ、果汁を滴らせたアメリアは、震えている。
「すみません、あたしがうっかりしてたから……ほんとうにすみません」
「気にするな、お前のせいじゃない」
ゼルガディスがアメリアの頭を軽く撫でる。
「こんなことまでするとなると…一層リナくんからは目が離せなくなるな」
精神科医のつぶやきに、皆は黙ってうなだれた。


入院して三ヶ月。リナの誕生日が来た。外出許可が下りた。アメリアは、リナのために薄桃色のふわっとしたドレスを用意させた。リナは今日は鎮静剤を打たれていない。しっかりした足取りで、パジャマからドレスに着替える。鏡に向かって、髪を梳く。
「ねえアメリア、あたし今日で１６になるのよ」
「リナさん、すごく綺麗ですよ。誰だって見とれちゃいます」
「ゼロスも見とれてくれるかな？」
「……はい、たぶん」
アメリアは何とか微笑む。アメリア達は、この日を心待ちにしていたのだ。今日、『ゼロス』が現れなければ、リナの心も新たな段階を迎えるだろう。
「王宮のテラスに特別席を造りました。星空を見ながら、食事が出来ますよ」
「ありがと、アメリア」
「いいえ、リナさんのためですから」
三ヶ月、ほとんどをベッドで過ごしたリナの脚はすっかり衰えていた。ガウリイが、抱え込むようにリナを病院から王宮までエスコートした。
「馬子にも衣装、だな、リナ。見違えたぜ」
ガウリイもため息混じりに言う。ほっそりと痩せたリナは、淡いピンクのドレスに包まれると、まるでガラス細工のような壊れやすい美しさを見せた。途中でゼルガディスも合流し、久しぶりに四人で街を歩いた。歩く人は皆、アメリアに敬礼し、ともにいる女性の美しさに目を見張っていた。
王宮のテラスに設えられたテーブルに皆がつくと、早速シャンパンとオードブルが運ばれてきた。リナは、久しぶりに温かい食事を口にして、
「美味しいわ」
と微笑んだ。
「そーですよ、リナさん。温かいお食事は美味しいんです。病院の食事もちゃんと食べなきゃダメですよ」
「そういう話は、今日はヤメ。せっかくのあたしの誕生日なんだから」
リナは、運ばれてくる食事を次々と口に運びながらも、どこか上の空だった。その深紅の瞳を空中に彷徨わせ、何かを待っていた。
「このステーキ、旨いなあ。なあリナ」
「え？そうね、ガウリイ」
頼りなく笑う。食事が進む内に日が暮れ、アメリアの言ったとおり、美しい星空がテラスを覆った。その日は、いくつもの星が流れた。アメリアは何かを祈りたかったが、何を祈っていいのか分からなかった。
やがてデザートが出て、甘い食後酒がでた。時計が夜の十一時半を打った。テーブルは、不思議な緊張感と静寂に包まれていた。あと三十分で、リナの誕生日は過ぎてゆく。蝋燭の炎が静かに揺れ、リナの瞳に睫毛が影を落とす。誰も何も言わなかった。時計が、真夜中の十二時を打った。
「ゼロスの奴……」
リナが喋りだした。三人は、黙って聞いていた。
「どうして来ないの！どうして来てくれないのよ！」
リナはテーブルをどん、と叩いた。蝋燭の炎が揺れた。リナの肩はがたがたと震えていたが、ふっと治まった。三人は、うってかわって不思議な笑みを浮かべたリナを見る。
「ゼロスの奴、仕事が忙しかったのね。いつも、獣王様の下で中間管理職は忙しいって愚痴ってたから、今日も来られなかったのね。せっかく、人がおめかしして待ってたのに、失礼な奴。でも、暇が出来たら、すぐにあたしに逢いに来てくれるはずよ。あたし、それが待てないほど子供じゃないわ。何たって今日１６になったんだし」
ゼルガディスは、こっそりと精神科医から預かっていた錠剤を食後酒に溶かし、リナの前に何も言わず差し出した。
「ありがと、ゼル。じゃ、意地悪なフィアンセに乾杯」
リナは星空にグラスを掲げ、一気に飲み干した。そして、ふわりと前に倒れた。ガウリイがリナを抱き上げ、三人は夜道を、病院まで辿った。

アイタイ……のに
アエナイ……今夜は

勝手にあふれてく激情を止められない

だから……アイタイ
だけど……アエナイ


もう戻れはしない　これが最後の真実


ある日、三人が病院を訪れると、リナは左腕を包帯でベッドにがっちりとくくりつけられていた。右腕には、栄養剤の点滴の針が刺さっている。リナは眠っているようだった。疲れているようで、目の下には隈がある。
「これはどういうことだ！」
ゼルガディスが精神科医に詰め寄った。精神科医は白い髭をしごき、首を振った。
「何度栄養剤の点滴を射しても、無理矢理抜いてしまうのでね。仕方なくこうさせてもらった。正直、これ以上栄養を摂らないと、彼女は弱り切ってしまうからね」
「だからって……ひどい」
アメリアは、涙ぐんでいる。
ガウリイは、リナの右腕を見ていた。透けるような白い肌に、青く静脈が浮き上がり、そこに痣のように注射の痕が点々と青黒く残っている。
（見ちゃいられない）
ガウリイは目をそらし、そして、一つの決意をした。
「リナを退院させます」
「え？」
「旦那、正気か？」
アメリアとゼルガディスは、心配そうにガウリイを見つめる。だが、ガウリイの決意は固かった。
「俺が、一緒に暮らします。俺はこいつの保護者です。大丈夫です」
「しかしね、君、リナくんは……」
「俺が、食事も薬も面倒見ます。こいつの相手は、慣れてますから」
ガウリイは微笑んで言った。そして、アメリアを見た。
「お姫様、頼みがある」
「なんでしょう」
「俺とリナが暮らせる家を探してくれないか？できるだけ、静かで落ち着ける場所で」
「まかせてください！」
「あとは、リナの姉さんに一言言って置いた方がいいかもしれないな」
ゼルガディスの指摘に、ガウリイはぽんと手を叩く。
「確かに。まあどういう形にせよ、同棲するわけだからな」
リナの左腕の包帯はほどかれた。青く付いた拘束の痕に、三人は目を伏せた。精神科医は、とりあえず三ヶ月分の薬を包んだ。
「これを毎食後、飲ませるように。それから、こちらの薬は鎮静剤だ。暴れたときなどに使う」
「分かりました」
ガウリイは、その軽い包みを受け取って、懐にしまった。
馬車が、用意されていた。リナは、すっかりだぶだぶになってしまった旅装束を久しぶりに身につけた。そして、四つのタリスマンを大事そうに首と両腕と腰に着ける。
「ガウリイ、ありがと」
リナは儚く微笑んでそう言った。
「俺はお前の保護者だ。当たり前だろ」
ガウリイは、リナの髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
ゼフィーリアまでの道のりは短かった。馬車の揺れに身を任せる、痩せてしまったリナを、ガウリイとゼルガディスは護るように旅した。
リナの姉は、すっかり変わったリナの姿に驚いたようだったが、事情を話すと、ガウリイの申し出に快く応じてくれた。
「ガウリイさん、リナをよろしくね。どうしても世話をするのが無理だと思ったら遠慮なくここに送り返して」
「そういうことにならないように、頑張りますよ」
「ねーちゃん……」
「リナ、今日はあたしの作る食事を食べて行きなさい。ガウリイさんもゼルガディスさんも一緒に」
「ねーちゃん、怒らないのね」
「今のあんたを叱れるわけないでしょ。ガウリイさんと一緒に、うんと元気になりなさい。叱るのは、それからよ」
「えへへ……それ、すっごく怖い」
ルナは、優しくリナのおでこを弾いた。




リナちゃんをいろいろと苦しい目に会わせてしまってすみません。次回は、「リナちゃん同棲編」＋ラストエピソードです。できれば、最後までおつきあい頂けると嬉しいです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんを精神病院に……お叱りものですね。そして、ゼロスがいないとガウリイが意外な活躍を見せます。


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