Love Destiny［３］

アメリアは、セイルーンの側の小さな湖のほとりに、一軒の家を見つけていた。
「家具や当面の生活に必要なものは、運び込んであります。買い物は、セイルーンですればいいですよね。静かなことと、空気が綺麗なことは、保証つきです。ベッドも、ふかふかで、二つとも大きいですよ。一つの部屋からは、湖が見渡せます」
「じゃあ、そこがリナの部屋だな。これからリナは、陽の光を浴びて、良い空気を吸って、旨いもん食って、掛け値無しの健康体になるんだ」
「あたし、心臓と肝臓と膵臓が悪いんじゃなかったっけ？」
リナの問いに、三人は苦笑した。リナは、きょとんとしていた。
引っ越しが一通り終わって、ガウリイがまずしたことは、家の側にある岬から薬の包みを投げ捨てることだった。包みは、迷うようにしばらく澄んだ湖に浮かび、やがてゆらゆらと沈んでいった。
「いいの？ガウリイ」
リナが見上げる。
「あんな、リナを苦しめる薬を俺が使うわけ無いだろ」
「ありがとう！ガウリイ！」
リナはぎゅっとガウリイの腕を抱きしめた。
「あたし、あの薬がこわくて、怖くて……これで、安心して暮らせるわ」
「ちょっと、旦那」
ゼルガディスがガウリイを家の裏へ引っ張っていった。
「あの薬は俺も使わない方がいいとは思っていたが、アレがないとなると、リナはまた『ゼロス』の妄想に取りつかれることになる。旦那は、辛くないのか？」
「リナが、俺のことを本当の保護者だと思って、信頼してくれたとき、『ゼロス』の存在は消える、と俺は信じてる。そうなるように頑張ってみるさ」
「ガウリイさん……私たちも一緒ですからね。リナさんが元のリナさんに戻ってくれるまで、頑張りましょう」
いつの間にか側にいたアメリアも、力強くそう言った。
リナは、アメリアに手伝われて、旅装束をほどいた。綿の、着心地のいい白いワンピースに着替える。四つのタリスマンは、また大事そうに枕元に置かれた。
「ガウリイと一緒に暮らしたりして、ゼロス、やきもち妬かないかな？」
「リナさんが元気になるためです。きっと『ゼロス』さんも許してくれますよ」
「誰かを思う時、苦しくなるなんてね。これまでの自分が、次々に崩れてく。ゼロスも、ひどい奴」
アメリアは、『ゼロス』の名前が出るたびに、リナから目をそらした。


リナとガウリイが一緒に暮らし始めてから二ヶ月。初めのうちは、リナはベッドがらほとんど起きあがれず、ガウリイが慣れない料理を作って過ごした。昔の食欲を見せることはないが、安心して料理を食べるリナを見るのは、ガウリイにとって幸せだった。リナの体調はみるみる良くなり、今ではリナが台所に立つことも珍しくなかった。
「リナ、お前、料理上手いなあ」
「まかせてよ。ねーちゃんにさんざん仕込まれたんだから」
二人は、朝昼晩、一緒に食事をとった。
「リナ、シチューおかわりいらないか」
「いいわ。そんなにお腹空いてないの」
「……まだまだ本調子じゃないな」
「うーん、あのころは、どうしてあんなに食べられたのか、分かんないのよね。今は、全然お腹空かないの」
「ま、焦らず、だな。そのうち、またテーブルに皿を積み上げるようになるさ」
「あまり期待しないで待ってて。そうね、魔法を使ってないからかも知れない。魔力を使うと、結構お腹空いてたから」
「なるほどなあ」
食事が終わり、二人で後かたづけをする。二人の空間である居間で、紅茶を飲む。静かな生活。やがて、夜もふけた。
「そろそろ寝よっか。おやすみ、ガウリイ」
リナが立ち上がる。ガウリイも手にしていた新聞を置いて、自分の部屋のドアに手をかけた。
「おやすみ、リナ」

リナは、夜中にふと目を覚ました。月も出ていない、暗い夜。部屋の隅に、濃密な闇がある。その闇は、何か懐かしい感じがした。リナは闇を見つめた。闇も、リナを見つめ返している。そう感じた。リナは、闇を見つめたまま、そっとベッドから立ち上がった。闇は、変わらずそこにある。リナは、闇に向かって一歩踏み出した。闇も、リナに向かって一歩近づいた。胸が高鳴る。瞳から、気付かないうちに涙が伝う。そして呼びかける。
「ゼ…ロ…」
その時、リナの部屋の扉が、バンと開いた。蝋燭の光が射し込む。
「……ガウリイ？」
「リナ！すまん、こんな夜更けに。今、すごく嫌な予感がしたんだ。リナが誰かに連れ去られるような……いや、俺は何を言ってるんだ。混乱してるな。ところでリナ、なんで起きてるんだ？そして、なんで泣いてるんだ？」
リナは、さっきまで闇が煮こごっていた部屋の隅を見る。蝋燭の光の粒子がそこに漂っている。何もなかった。誰もいなかった。
「なんでもない……なんでもないの。夢を見て、目を覚ましただけ。本当になんでもないの」
「悲しい夢だったのか？」
「……うん、そう。ちょっとだけ、悲しい夢……」
「また、眠れるか？ホットミルクでも作ってきてやろうか？」
「大丈夫、眠れる。ありがとう、気を遣ってくれて」
「気を遣うとか、そう言う問題じゃないさ。こっちこそ、いきなり部屋に入ったりして悪かったな。じゃあ、おやすみ。今度は、いい夢を見られるといいな」
「うん、おやすみ。そうだ、その蝋燭の火、こっちの蝋燭に移していって」
ガウリイはリナの蝋燭に火を灯した。そして、そっとドアを閉めて出ていった。
リナは、明るく照らし出された部屋の隅を見つめる。さっきまで、確かにそこに何かがあったのだ。誰かがいたのだ。
「気のせい……気のせいね」
リナは布団を頭からかぶって、眠ろうとした。だが、心臓はまだ治まってくれなかった。リナは、再び涙を流した。やがて、蝋燭の炎が、大きく揺らいで、消えた。リナは、もう一度部屋の隅を見た。しかし、そこにあるのはただの暗がりだった。あの親密な闇は、もう帰っては来なかった。

ひとみ　そらさず　ふたりになれた
あの夜の鼓動　忘れない
It's my last destiny


「リナさん、ゼロスさんの絵を描いてくれませんか？」
「はあ？なんであたしがあんな奴の絵を描かなきゃいけないのよ」
「私も、好きな人の絵を描きますから。遊びですよ。リナさん最近退屈してたでしょう？」
「ふふん、あんたが誰の絵を描くのか気になるわね」
「あー、のぞき込みはお互いナシです〜」
リナは、釈然としない表情を浮かべていたが、しばらくすると、渡された大きなスケッチブックに、木炭を走らせ始めた。

「『ゼロス』って奴が、リナと結婚しない、ってはっきり言ったらいいんじゃないのか？」
ゼルガディスの提案にガウリイが首を傾げる。
「だって、『ゼロス』は実在はしないんだろ？」
「だから、リナに絵を描かせるんだよ。そして、その扮装をした奴を用意する。そして、『結婚はしない』って言わせるんだ。リナに近寄らせなければ、ばれないんじゃないか」
「やってみる価値はありますね」
「アメリア。おまえがリナに絵を描かせるように勧めてくれ」
「えーっ、難しい役だなあ」

アメリアは、自分もスケッチブックに木炭を走らせながら、リナの方をちらちら眺める。リナは、何の疑いもなく、絵を描くのに没頭しているようだった。と、不意にリナが腰掛けていたベッドから立ち上がり、アメリアのスケッチブックを奪う。
「あ、やっぱりゼルを描いてるのね」
「ひ、卑怯ですリナさん、そんなことは悪です！」
アメリアは真っ赤になってスケッチブックを奪い返した。本当はデタラメな絵を描いても良かったのだが、リナが本当に好きな相手を描くのだから、自分も正直に描かないと、リナに悪い気がしたのだ。
「でーきたっと。アメリア、あんたの方は仕上がった？」
「はい。リナさん、見せて下さい」
「いいけど、あんたも見せんのよ」
アメリアは、『ゼロス』の絵を見る。前にリナが言ったとおり、おかっぱ頭でニコニコ顔で、黒い神官服を着ている。手には、不思議な形の錫杖を持っている。
「『ゼロス』さんの身長ってどれくらいでしたっけ」
アメリアは、出来るだけさりげなく、大事なことを尋ねる。
「へ？あんた覚えてないの？ゼルより高くて、ガウリイよりは低かったわよ」
「そ、そうでしたね、あはは」
それから、アメリア達は『ゼロス』の準備を始めた。城の兵の中から、適正な身長の者を選び出し、絵に描かれていたのと同じ錫杖を職人に作らせた。黒い神官服も用意した。黒いおかっぱ頭のかつらは、顔がよく見えないように、前髪を長めに作らせた。
そして、『ゼロス』は完成した。少なくとも、リナの絵に描かれている要素はすべて盛り込んだ。『ゼロス』を演じる兵士には、前金で１万を渡した。
「台詞は二つだけ。『リナ』『結婚は出来ない』だ。うまくやりとげたら、あと９万を渡す」
それでも、『ゼロス』を演じる兵士は不安そうだった。
「リナ、ゼロスが来たぞ」
昼食後、居間でくつろいでいたリナは、怪訝そうに玄関に向かう。玄関からすこし離れたところに、『ゼロス』役の兵士が立っていた。
「なんであの人、ゼロスのカッコしてるの？」
三人に、さっと緊張が走る。
「何言ってんだ、本物のゼロスだぞ」
「何言ってるの、はこっちの台詞よ。アレが本物の訳ないでしょ。あんたたち、騙されてんの？」
「リナ……」
『ゼロス』が呼びかける。
「語るに落ちる、だわね。本物のゼロスは、あたしを呼び捨てになんかしないわよ」
「あのう……」
『ゼロス』役の兵士は、おろおろと三人を見回した。
「上手くいってないようですし、俺、もう帰っていいですか？もちろん、９万はいりません」
そういって、おかっぱのかつらを脱ぐ。黒いローブも脱ぎ捨て、逃げるように兵士は帰っていった。
「リ、リナ、これには深い訳が……」
ガウリイが冷や汗を流しながら言う。リナは、予想に反してにっこり微笑んだ。
「あんたたちも、あたしのために色々してくれるのね。今のも、あたしを少しでも元気づけようとして、やってくれたんでしょ？ありがとね」
そして、彷徨う瞳をする。
「でも、あたしを本当に元気づけられるのは本物のゼロスだけ。第一、ゼロスはあたしを『リナさん』って呼ぶし、声も、もっと高くて、それでいて落ち着いていて、すごく綺麗なの」
「声、か……」
ゼルガディスがつぶやく。そこまでは、三人とも考えていなかった。
「でも、あんたたちの心遣いには本当に感謝してる」
「感謝されるようなことは、何にもしてないさ」
そう、ほんとうに何も。


夏が来た。セイルーンの夏は暑かった。リナは、暑気あたりでいっそう食欲を無くしていた。退院以来、少しは戻っていた体重は、また減り始めたようだった。
「あー、あっついー！」
ある夜、リナはバスルームから出てきて叫んだ。
「シャワー、汗を洗い流すために入ってんのか、かくために入ってんのか、分かんないわよ。暑いなあ、もう」
下着の上に絹のスリップ一枚の姿で、居間の冷たい木の床のうえに座り込む。フリーズ・アローを応用して作った氷水を満たしたバケツで冷やした果実酒の瓶をとりだし、そのまま口を付けてぐいっとあおる。華奢な身体が、スリップから透けて見える。
「リナ」
ガウリイは呆れ声でいう。
「俺だって、一応男なんだぞ。共有スペースの居間で、そのカッコはないだろう」
「そんなこと言ったって、暑いんだもの」
そう言って、もう一度果実酒を口にする。
「あー、冷たい。生き返るー」
「おい、リナ」
ガウリイは、珍しくまじめな顔をして、リナに近づく。そして、果実酒をリナの手から奪い、バケツに戻す。
「何？ガウリイ、側に寄られると暑いんだけど」
「リナ……」
ガウリイは、リナの腰に手を回して、肩を押した。リナはそっと床に横たえられる。紅茶色の濡れた髪が床に拡がる。そのまま、ガウリイはリナに覆い被さり、顔を顔に近づける。リナは手をあげて、ガウリイの頬に触れた。
「ガウリイ……いいよ、あたし」
「リナ」
「ガウリイは、あたしのために色々してくれるのに、あたしはガウリイに何もしてあげることができない。あたしの身体ですこしでも満足してくれるのなら、いいよ……あげる。心は、ゼロスの物だから、身体は、ガウリイにあげてもいい」
ガウリイは、リナの首筋に顔を埋める。そして、耳に向かってやさしくささやく。
「どんぐりまなこの、ペチャパイの、チビ」
「なんですってぇ！」
リナは、目を見開き、ガウリイの身体を力任せに押しのける。
「人を床に押し倒しておいて、言いたいことはそれだけかあ！」
ガウリイは、苦笑しながら、身体を起こす。そして、リナの手を引っ張り、床の上に座らせる。
「冗談だよ。俺は、お前のことが好きだし、愛してる。そうでなきゃ、こんなに長く一緒には暮らせないよ。はっきり言って、そういうカッコされると、欲情もする」
リナは、かあっと頬を染める。
「でもな、他の奴を想ってるリナに手を出すほど、俺はプライドのない男じゃない。わかるだろ？」
ガウリイは、静かに言った。
「もし、お前が、心も俺の物だって言ってくれたら、その時、俺はお前を抱く。でも、それまでは、俺はお前の保護者に徹するよ」
「ガウリイ……ありがと、ガウリイ」
リナは、ひざで立って、ガウリイの頬に優しくキスをした。
「今は、俺はこれで充分だ。じゃ、パジャマでも着てくれ。いつまでもそんなカッコされると、目の毒だからな」
「うん…着替えてくる」
（心も俺の物だって言ってくれたら……）
リナは、自分の部屋で着替えながらつぶやく。
「そんな時は、絶対訪れないよ、ガウリイ」
ガウリイは、居間でつぶやいた。
「そんな時は、絶対に訪れないのかな、リナ」

アイタイ……のに
アエナイ……今夜は
窓を打つ雨より激しい嵐に揺れてる

アエナイ……から
もっと愛……つのるよ

燃え尽きてもいい　これが最後の真実


リナの１７歳の誕生日が訪れた。パーティーは、リナとガウリイの家で行われることになった。
「今日は私が腕をふるいます！ケーキも手作りですからね！期待しててください」
「期待はするが……なにか焦げてる匂いがするぞ、アメリア」
「あー、いっけない、ローストチキン、オーブンに入れっぱなしだった！」
「期待できるのかなあ」
「俺が手伝ってくる」
ゼルガディスが台所に向かった。
「あの二人もあたしのために色々してくれるよね。感謝しなくちゃ」
「ああ、そうだな」
ガウリイも、台所で忙しそうに立ち働く二人をみて言う。
「今日は、ゼロス来てくれるかな」
不安そうに言うリナは、一年ぶりのドレス姿だ。
「ん？お前らしくないぞ。信じて待とう」
ガウリイは軽く返した。
やがてケーキの焼き上がる甘い匂いが家中に立ちこめる。ゼルガディスは、力任せにクリームの入ったボウルをかき混ぜている。やがて泡だったクリームをアメリアが受け取り、ケーキの周りにそれを塗った。夕食が完成する時間だった。
「リナさんの１７歳の誕生日に乾杯！」
アメリアが音頭をとる。
「乾杯！」
男達が声を合わせる。リナも照れくさそうにグラスを掲げた。
少し焦げたローストチキン、少し色の薄いフライドポテト、少し固いバースデーケーキ。アメリアの戦果を、皆で味わった。温かい、幸せの味。
「リナ、今日は『ゼロス』は来るのか」
ゼルガディスの問いに、リナは曖昧な微笑みを浮かべる。
「ぜろす？誰、それ」
「リ……リナ！？」
「リナさん！」
「リナ」
三人は、思わず立ち上がる。
「『ゼロス』、本当に知らないのか」
「知らないわ。誰なのよ、ほんと」
アメリアがリナに抱きつく。
「リナさん、元に戻ったんですね！良かった、ほんとに……」
「リナ、今まで待った甲斐があったぜ」
リナの表情が硬くなった。静かな間があった。リナは、ふっと酷薄な笑みを浮かべる。
「あんたたち……やっぱり、ゼロスの存在を無いものと考えていたのね」
三人は凍り付く。
「あたしの心臓と、肝臓と、膵臓が悪いなんて嘘よね。あの病院は精神病院だったんでしょう？」
誰も何も答えられない。
「確かに、ゼロスはいたわ。そして、あたしにプロポーズしたの。あたしはすごく嬉しかった。でも、あんたたちは、それを全部あたしが作り出した妄想だと思ってんのね」
「リナさん、私たち……」
「ごめん、せっかく食事を作ってくれたのはありがたいけど、しばらくあんたたちの顔を見たくないわ」
リナはさっさと立ち上がると、自分の部屋のドアをばたんと荒々しく閉めた。アメリアは、がたがた震えている。ガウリイはうつむいている。ゼルガディスは、目を閉じて、じっとしていた。テーブルの上で、温かな料理が次第に冷めていった。誰も、それに手を付ける者はなかった。
やがて、夜中といえる時間になった。外は激しい雨が降り出したようだ。つめたい湿気が部屋の中まで入り込んでくる。ゼルガディスはゴミ袋を持ってきて、冷め切ったその日のディナーを中に捨てた。アメリアは、リナの部屋をそっとノックした。
「誰？」
「アメリアです。入っていいですか」
「いいわよ」
アメリアは、語るべき言葉を持たずに、リナの部屋に入った。暗い部屋。強い雨が窓を打っている。風も強い。窓枠がかたかたと音を立てている。今夜は嵐になりそうだった。
リナはドレスを着たまま、ベッドに腰掛けて泣いていた。振り返った顔は、流し続けた涙で汚れていた。
「ねえ、不思議。彼を想って泣ける夜があるって……まるでラブソング」
「リナさん……確かに、私たちは、ゼロスさんを知りません。でも、リナさんのゼロスさんは、本当にいるって、私思います。リナさんをいつか迎えに来てくれると、思います」
「アメリア、正直ね。あんたのそういうところ、大好きよ。ガウリイの優しさも、ゼルの厳しさも、あたしは大好き。みんな、大好きよ。今日はごめんね、せっかくアメリアが料理してくれたのに、食べられなくて」
「いいんです、リナさん、いいんです…」
「さってと、夜も更けたし、寝ようか。今日は泊まっていくんでしょ？」
「はい、パジャマも持ってきました」
「このベッドは大きいから、二人で寝ても充分余裕があるわ。さ、着替えましょ」
パジャマ姿のリナとアメリアは、居間にちょこんと顔を出した。
「おやすみなさい」
「おう、おやすみ。なあゼル、俺達も寝るか。俺と一緒のベッドでもいいぞ」
「よしてくれよ。旦那と添い寝なんてぞっとしないぜ」
「冗談だよ。客用の簡易ベッドがあるから、それを持ってくる。しばらく待ってな」
リナとアメリアは、同じ布団の中で向かい合っていた。窓の外は、暗い嵐が吹き荒れている。
「結局、ことしのバースデーにも、ゼロスは来てくれなかったか」
「バースデーの度に、リナさんは綺麗になっていきますね。きっと、ゼロスさんも驚いちゃいますよ。それに、迎えに来るのが必ず誕生日ってわけでもないんでしょう？」
「そうよ、獣王様のお仕事が終わったら、すぐに来てくれるはず……」
リナは、闇の中でも分かる、儚げな瞳をした。アメリアは、リナの手を握った。今にも消えてしまいそうな、リナの実在を確かめるかのように。

アメリアが深い眠りから目を覚ましたのは、顔に強い雨粒が当たったからだった。
「何、この水しぶき……」
真夜中だ。窓を見る。大きく開かれている。そして、リナの姿は無かった。
「リナさん！！」
窓から顔を突き出す。激しい雨と風がアメリアを襲う。必死に目を凝らしてみると、ぬかるんだ地面に、点々と裸足の足跡があった。
「リナさん……リナさん！！」
アメリアは窓から飛び降り、足跡を追った。男たちもアメリアの悲痛な叫びを聞き、すぐに目を覚ます。玄関から、アメリアの後を追った。
足跡は岬まで続いていた。岬の突端にリナがいた。足下は高い崖。ガウリイがいつか薬の包みを放ったところだ。リナは、いつの間にかまた淡いピンクのドレスに身を包んでいた。そして、首と両腕、腰に、魔血石のタリスマンを付けていた。ドレスの裾は、濡れてぴったりとリナの身体に巻き付いている。アメリアは、息を切らして呼びかける。
「リナさん……」
「アメリア」
雷光が走った。アメリアははっきりと見た。それは、彼女が久しく見せなかった、力強い、深紅の、正気の瞳だった。
「ゼロスの奴が、やっと迎えに来てくれたの。あたし、行くね。ガウリイとゼルガディスにもよろしく言っておいて」
「リナさん、そこから離れて下さい」
「いままでありがとう。さよなら」
リナは、それだけ言うと、崖から身を踊らせた。アメリアは、崖の際まで寄り、手をついて、落ちていくリナを見た。
「リナさぁぁん！！」
ガウリイとゼルガディスも追いついてきていた。
「リナはどうした！飛び込んだのか！」
上手く声が出ない。涙ぐみながら、ただうなずく。ガウリイが、崖に駆け寄った。
「おい！何をする気だ」
「決まってんだろ！リナを助けるんだ」
ゼルガディスは、飛び込もうとするガウリイを必死で押さえた。そして頬を殴り飛ばす。
「ゼ…ゼルガディスさん！」
「この高さだ。この嵐で、湖も荒れている。死人を二人にして、どうするんだ」
「馬鹿を言うな！リナは、リナは死んでなんかいない！」
「おちつけ、旦那！」
ガウリイは、地面に座り込んだまま、肩を落とした。
「リナ……リナ」
ガウリイは暗い嵐の中、涙を流しているように見えた。
「とうとう俺は、『ゼロス』に勝てなかったな」
ゼルガディスが、そっとガウリイの肩に手を置いた。

夜が明けると、不思議と嵐はぱたりと止み、暁の光が雲一つない空を飾った。三人は、眠っていなかった。濡れた地面を踏み、もう一度あの岬へ行ってみる。湖の表面は、鏡のように静かだった。朝になると、船が何艘もでて、澄んだ湖の底をさらった。その作業は三日続けられたが、リナの遺体は上がらなかった。
結局、リナの遺品だけを持った彼らは、ゼフィーリアに向かった。ガウリイは、黙ってルナに頭を下げた。涙がぽたぽたと地面に落ちた。
「ガウリイさん、長い間リナの面倒を見てくれてありがとう。これもあの子の運命だったんだと思うわ」
ルナは優しく言って、ガウリイの髪を撫でた。リナの墓は、ゼフィーリアに建てられることに決まった。三人は、墓ができあがるまでリナの実家に泊めてもらった。墓が完成すると、そこに花束を供えた。
「で、これからどうする、旦那」
「俺はもともと旅の傭兵さ。ぶらぶら歩き回って、次の仕事を探すよ。アメリアは、セイルーンで今まで通りお姫様稼業だな。ゼルはどうするんだ」
「俺は、元の身体に戻れる方法を探して旅をする。昔通りに」
「じゃ、セイルーンまではみんな一緒に行こう。そしてお別れだ」
「皆、ばらばらになっちゃうんですね」
そして、三人は、全く縁の無かった彼らを結びつけていた不思議な少女に思いを馳せた。記憶の中の彼女は、強く明るく微笑んでいた。そして、彼らは旅の街道をたどる。
でも、アメリアには、一つだけ黙っていることがあった。あの嵐の夜、崖を飛び降りていったリナを、黒い影の円錐のような物が包み込んで、そしてリナは円錐と一緒に消えたのだ。あの時、リナの身体は湖に「落ちなかった」のだ。リナは生きているのかも知れない、とアメリアは思う。どこか遙かな遠い場所で、『ゼロス』と一緒に。
「アメリア、ぼけっとしてると置いて行くぞ」
「あ、すみません、今行きます」
アメリアは、嵐の中で見せたリナの力強い瞳を思い出していた。

もう戻れはしない



――これが最後の真実――




黒い円錐といえば、言わずと知れた……ということで、私の中ではこの小説はハッピーエンドです。ガウリイたちにとってはバッドエンドになってしまいましたが…。個人的にはガウリイくんに主演男優賞をあげたい（ほんとにゼロリナか？この小説）暗い小説にここまでおつきあいいただいて、ありがとうございました。今度は、もっと明るい小説で、お目にかかりたいものです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。初挑戦の長編は、見事に暗い話になりました。この後、私の小説はさらにさらに暗い方へと進んでいくのですが……そういうのが好き、という奇特な方がいらっしゃるのを信じて、書き続けています。


戻る