Love is forever［３］


二学期が始まったある日の放課後。ゼロスは、バスに乗って、ゼフィーリア第二小学校へ行った。グラウンドを見渡す。鉄棒のところに、ガウリイがいる。
「ガウリイさん」
「よお、意気地なし。こんなところまで、何をしに来たんだ」
「あなたと喧嘩をしに」
「ふうん。いい度胸じゃねえか。でも、俺と喧嘩をするってことは、その綺麗な手も無事にはすまないぜ」
「わかっています」
「なら……かかってこいよ」
ゼロスは、手袋を外した。そして、ガウリイに殴りかかった。ガウリイは僅かによろけ、体勢を立て直す。
「そんな甘っちょろいパンチじゃ俺には効かねえよ」
そして、思い切り頬を殴られる。肩から地面に落ちる。手を突いて、起きあがる。切れた口の端を拭う。ゼロスは、もう一度全身の力を込めて、ガウリイを殴りつけた。ガウリイの歯が手に当たって、指の皮が切れた。ガウリイは、砂場に顔から突っ込んだ。その時だった。
「何してるの、ゼロス！やめて！あなたの手は、ピアノを弾くためのものでしょう！」
リナが必死になってゼロスにしがみついた。
「何そいつをかばってんだよ、リナ。そいつはお前のことをうるさい、迷惑だって言ったんだぞ」
ガウリイが砂を払って起きあがる。リナは、一瞬固まる。そして、そっとゼロスから手を離した。
「違う！僕はそんなことは言ってない！」
ゼロスは、膝でガウリイの腹をどん、と蹴り上げた。ガウリイは腹を押さえると、空いた右手でゼロスの頬を殴りつけた。
「お前はおとなしくピアノだけ弾いてればいいんだよ、天才さんがよ！」
「リナさんを騙したな！」
「ああ、それがどうかしたかよ」
ゼロスは、もう一度右手に力を込めると、ガウリイの頬を殴った。倒れたガウリイの胸を何度も蹴り上げる。
「止めて、もう止めて！」
リナがゼロスの前に飛び出した。
「あんたは、こんな喧嘩をするひとじゃない！」
「貴女を取り戻すために、ガウリイさんを倒さなきゃならないんです」
「うるさい！それはこっちのセリフだ。リナを返せ！」
ガウリイがゼロスに殴りかかった。リナは、必死でその前に立ちはだかった。
「リ……リナ。どけ。そいつは、お前のことを邪魔だって……」
「嘘です、リナさん。僕はそんなことは言ってない！」
「ガウリイ……もう止めて。あたしはゼロスを信じるわ」
「リナ……」
「ガウリイ……あたし、あんたをもっといい奴だと思ってた。どうしてこんな嘘をついたの」
「くそっ！」
ガウリイは砂場に座り込んだ。
「お前が、急にそいつの家に行くようになるからじゃないか」
「そんなの、あたしの勝手でしょ」
「そうだけど、それが俺には我慢できなかったんだ！お前は、俺のものじゃなかったのか？」
「俺のものって……別にあんたのものじゃないわよ」
「俺は、勝手かも知れないけどそう思ってたんだ！」
ガウリイは砂を叩く。
「おいゼロス、どうやってリナをたぶらかしたんだ」
「やめて、ガウリイ。あたし、たぶらかされてなんかいない。ただ、ゼロスの演奏を聴きたかっただけ、それだけよ」
「それで、リナ。お前は、これからもそいつのピアノを聴き続けるのか？」
「ゼロスが迷惑じゃないって言うのなら、そうするわ。それがあたしの望みなの」
「俺のことはどうでもいいのかよ！」
「そんなこと言ってないじゃない。ゼロスのことであたしを騙したのは許せないけど、あんたはあたしの大事な友達よ。これからだって一緒に遊ぶわ」
「もうすぐお前は女学院に行っちまうじゃないか！」
「それでも。あんたがあたしの大事な友達なのは、変わらないわ」
「大事な、友達、か……」
ガウリイは立ち上がる。
「ゼロス、どうやら俺の負けみたいだな。リナに嘘を言ったのは悪かった。謝るよ」
「それじゃ、リナさんを返してくれるんですね」
「ちょっと。返すとか返さないとか、あたしモノじゃないんだけど」
「ああ。返すよ」
「だーかーらー！」
「リナは俺の大事な……大事な、友達だったんだ。だから、お前も大事にしてくれ」
「分かりました。心を込めて、大事にします」
ゼロスは、リナを抱きしめた。その白い手からは、血が流れている。
「ゼロス、手……」
「いいんです。貴女を取り戻すためなら。それより、明日から、また公園に来てくれますか」
「ゼロス、あたしのこと、迷惑だったんじゃないの？練習の邪魔だったんじゃないの？」
「それは、全部俺の作り事だ。安心して行って来い、リナ」
「貴女がいない一週間、僕の演奏はめちゃくちゃでしたよ」
「それじゃ、あたしが行ってあげなきゃ駄目ね」
「そうです。来て下さい。今日もこれから」
「行こう。バスに乗って」
「それじゃ。ガウリイさん」
「おう。仲良くやれよな」
ゼロスは、素手でリナの手を握ると、バス停へ向けて走り出した。もう、最初の星が出ていた。


Baby your stars shinin' in my life
たとえ　地図があっても
時に道に迷うけど（Baby I...need your love）

でもきっと　Everythin' is right
導いて　どの夜も
輝いていて
Baby You are my Lucky star ☆


「あら、リナちゃん、久しぶりね。よく来てくれたわ。……ゼロス！顔が痣だらけじゃない！それに、その手の絆創膏……あれほど手に怪我をするなと言ってあったのに！」
「すみません、先生。リナさんを取り戻すために、必要だったんです」
「あらあら、何があったのかしら。まあいいわ。演奏を聴かせて」
ゼロスは、久しぶりに自分の感情がピアノに流れ込んでいくのを感じた。手の痛みも、全く感じなかった。
「うん。見違えるようだわ。リナちゃんがいるだけで、こんなに変わるのね。でも、本当は、リナちゃんがいなくても、これくらいの演奏が出来なくちゃ駄目なのよ」
「ええ。分かってます」
「本当に分かっているのかしら」
ゼラスは苦笑した。
「それじゃ、リナちゃんを送っていきなさい。感謝の気持ちを忘れないで、ね」
バス停までの道を、二人は歩いた。
「喧嘩したの、あたしのせいよね。本当にごめんなさい」
「リナさんが謝ることじゃないですよ」
「でも、手に傷が……」
「すぐ治ります」
「でも、今日ピアノ弾くの、痛くなかった？」
「ちっとも。リナさんが聴いていてくれるのが最高の麻酔になったみたいですね」
「あたしがいない時、演奏、めちゃくちゃだったって、どういうこと」
「文字通りです。母様に、何度も厳しく叱られました。感情が全くこもってないって。テクニックだけに頼った無味乾燥な演奏だって」
「大変だったのね」
「今日、弾いていたところを、１００遍くらい繰り返して弾きましたよ。つっかえることも、間違えることもなかった。でも、母様に言わせると、そこには『心』がないんだそうです」
「こころ……」
「『心』が入っていなかったら、どんな上手い演奏でも人の心を打つことはない。母はそう言いました。リナさん、貴女がいない間、僕の演奏には『心』がなかった」
「今日の演奏は素晴らしかったわ」
「それは貴女が隣にいてくれたからです、リナさん」
ゼロスは、リナの手を握る力を強くする。
「僕はピアニストになりたいんです」
「そりゃ……そうでしょうね。あんなに上手いんだもの。きっとすごいピアニストになるわ」
「でも、今は貴女がいないと駄目なんです」
ゼロスは夜空にため息を吐き出した。
「貴女が聴いていてくれると思うと、自然と僕の演奏は良くなる。でも、これから先、コンサートのたびに、コンクールのたびに、貴女を呼びつけるわけにはいかないでしょう」
「あたしはいいわよ、ゼロス」
リナはにっこりと微笑んだ。
「あたしの出来る限り、あんたの演奏を聴いてあげる。それがあんたのためになるのなら」
「ありがとうございます。でも……本当は」
ゼロスは顔を上げる。
「貴女がいないところでもいい演奏ができなきゃ駄目なんですけどね」
ゼロスはバスを見送った。リナは、窓から手を出して小さく振っていた。


ゼロスが小学生最後になるコンクールが近くにまで迫っていた。ゼロスは、課題曲に熱中した。リナは、相変わらず膝をそろえて座ると、その演奏を聴いていた。課題曲はどちらかといえばテクニックを問うものだったが、ゼロスが弾くと、それにえもいわれぬ感情がこもった。ゼラスは、その出来にため息をついた。
「ゼロス、素晴らしいわ。あなたがその調子で行けば、間違いなく上位入賞出来るでしょうね」
そしてリナの方を振り向く。
「全部リナちゃんのおかげかしら？」
「あたしなんて……ただ聴いてるだけです」
「リナちゃんが聴いてなかったらゼロスはここまでの演奏は出来なかったわよ。本当は、リナちゃんに頼らずにこれだけの演奏が出来ればいいんだけどね。でも、あたくしからもお礼を言うわ。リナちゃん、ありがとう」
リナは嬉しそうに頬を染めた。
「コンクールには来てくれますか？」
ゼロスが意気込んで聞く。
「もちろん、いくつもりよ。花束持って」
「嬉しいなあ」
ゼロスは、もう一度課題曲の演奏を始めた。その演奏はゼラスとリナを魅了した。その日は遅くまで、小さな練習室の明かりが灯っていた。

「すみません、遅くなってしまって。お家の人に怒られませんか？」
「大丈夫。友達の家にピアノを聴きに行ってるってちゃんと知らせてあるから」
ゼロスとリナは夜道を急いでいた。
「僕のコンクール、聴きに来てくれるって本当ですか？」
「本当よ。だって舞台の上のあんたを見てみたいんだもの。きっと素敵だわ」
「リナさんが来てくれるなら、精いっぱい弾きます」
「うん。頑張ってね」
夜道を去っていくバスに、ゼロスは右手を挙げた。


コンクール当日。ゼロスは、そわそわしながらロビーと控え室を行ったり来たりしていた。リナはまだ姿を見せない。そろそろ、第一ブザーが近づいてきていた。ロビーでくるくる周りを見回していると、声をかけられた。
「ゼロス＝メタリオムくん？」
「は……はい」
「良かった。肩までの黒髪の子でハンサム、って言うことしか聞いてなかったから」
そう言ってにっこり微笑む女性は、すらりと背が高く、黒髪が大人っぽい。
「あの……失礼ですがあなたは」
「リナ＝インバースの姉よ。ルナっていうの」
「リナさんは？」
「それがね、風邪で熱を出して寝込んじゃったのよ。どうしても行くって言ってたけど、お医者さんに止められて。それで、せめて花束を渡して欲しいって……」
ルナは、赤い薔薇の花束をゼロスの手に渡した。
「いい演奏をして、って、リナからの伝言よ。それから、私じゃ代わりにはならないだろうけど、最後まで聴いていくから。それじゃ、頑張って」
「ありがとうございます……」
リナさんが、来ない。リナさんが……。
控え室で、嫌な汗がどっと出るのをゼロスは感じていた。リナ無しで自分はどこまで弾けるだろうか？リナのお姉さんが見ている以上、無様なところは見せられない。でも、でも……。
「ゼロス＝メタリオムさん、舞台袖に入って下さい」
「はい……」
ゼロスは、ふらふらしながら舞台袖に出た。
「次の演奏は、ゼフィーリア第一小学校、ゼロス＝メタリオムくんです」
館内放送が無感情に告げる。ゼロスは、重い足を引きずるようにして舞台に出た。ピアノまでが遠く感じる。会場の方を見たが、真っ暗で何も見えなかった。椅子の高さを調節して、座る。指を、鍵盤の上に置く。
（リナさん……）
まぶたの裏に面影を思い浮かべて、演奏を始めた。しばらくは何事もなく弾けた。しかし分かる。今の自分の演奏には何の感情もこもっていないことが。やがて、ゼロスは指をもつれさせた。演奏が止まる。会場は、水を打ったようにシンとしている。ゼロスは、引っかかった場所の少し前から演奏を再開した。同じ場所でまたつっかえる。楽譜をたたみ、椅子を降りた。演奏を途中にしたまま、ゼロスは舞台を後にした。

ぱあん。高い音が控え室に響いた。
「どういうつもりなの、ゼロス」
ゼラスの声は、怒りに震えている。
「すみませんでした。どうしても、弾けなくなって……」
「皆、弾けなくなりそうなプレッシャーと戦って、弾いてるのよ。あなたが、コンクールの本番で逃げ出すような意気地なしだとは思わなかったわ。いえ、意気地なしだったのかもね。リナちゃんが来てくれなかったあの一週間、あなたの演奏は本当にひどかったものね」
「母様……」
「リナちゃんはあなたに花束を託してくれたんでしょう。リナちゃんのお姉さんが代わりにあなたを見ていてくれたんでしょう。あなたは、リナちゃんを裏切ったのよ。リナちゃんは、今でもきっと苦しい風邪の下で、あなたのことを応援しているわ。恥ずかしいとは思わないの……！」
「…………」
「あなたにとって、ピアノはその程度のものだったってことね。いいわ、ゼロス。ピアノなんておやめなさい。もう、その手袋をする必要もないわ。よかったわね、好きなだけ遊べるわよ。球技でも、鉄棒でも。もう、指を痛めることを心配する必要はないわ。ただし……」
ゼラスは冷たい瞳で言った。
「リナちゃんと会うことは、もう許さないわよ。あなたにはその資格がないわ」

リナは、渇いた喉を枕元の氷水で潤した。
「ゼロス、今頃ピアノ弾いてる頃かなあ……」
冷却シートを張ったおでこを押さえる。
「コンクール、ゼロスがいい成績を取れますように……」


リナの熱が下がったのは、日曜日だった。リナは、さっそくバスに乗って海の見える公園に行った。時刻は正午。おなかはぺこぺこ。リナは公園に飛び込んだ。
「ゼロスー！」
誰もいない。
「ゼロス？」
公園中探し回ったが、ゼロスはいなかった。直接家に行こうかとも思ったが、今まで待ち合わせをせずに行ったことがなかったので気が引けた。

「リナ、いくら何でもひどすぎるぜ。俺は、一度負けた相手に同じ手で復讐はしねえよ」
「ふうん、ガウリイでもないか……」
リナは、冬の風に流れる髪を押さえた。
「ゼロス、どうしちゃったんだろう」




「リナちゃんに振られるガウリイの会」（会員２名）の活動は今日も活発です。そして、コンクールをボイコットするゼロス……きな臭くなってきましたが、これからの彼らの運命はいかに？それでは、今後ともよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ゼロスの弱さ、もろさのようなものを書きたくて、このエピソードとなりました。ピアノ発表会は何度か経験がありますが、あれは疲れるものですね。


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