宮廷画家［５］
中庭の一部が更地にされ、小さな宮殿が建てられようとしていた。 「リナや。あれはお前のために建てる宮殿じゃ。あの忌まわしい事件以来、お前はすっかり元気を無くしておるからな。憂いに満ちたお前も美しいのだが、私はやはりお前の笑顔が見たい。あの宮殿には、世界から集めた美術品を飾らせよう。お前の部屋は、今の部屋の二倍、いや三倍も豪華にしよう。リナ、お前は今やこの国で最高の貴婦人じゃ。それにふさわしい宮殿を造ろうぞ」 「もったいないお言葉でございます、陛下」 工事は、突貫で進められた。大理石で飾られた壁面には、華麗な彫刻が施された。玄関ホールは、雪花石膏で覆われ、白い光に満ちていた。リナの部屋は、三階の全てを占めていた。今までの三倍ものドレスがクローゼットを飾り、着替えのための鏡張りの部屋だけで、他の貴婦人の個室ほどあった。二階は、小規模ながら舞踏会が催せるようになっていた。バルコニーから陽の光が射し込み、豪華な調度を照らし出していた。 リナは知らなかった。その宮殿を建てるために、新たな税金が民衆に課せられていることを。 宮殿は、驚くほど早く完成した。落成記念の舞踏会には、国王の愛妾たちも招かれた。彼女たちは、リナの前で膝を折り、その手の甲に口づけをした。彼女たちは分かっていたのだ。もはや、リナが手にしている権力が、彼女たちの誰よりも強いことを。リナは、舞踏会場でゼロスの姿を探した。しかし、彼は招かれていないようだった。国王が、リナの手を取ってワルツを踊った。リナは、国王の顔を見なかった。その瞳は、宮殿が完成する前より、愁いに沈んでいた。 ゼロスの元に、国王からの使者が来たのは、リナのための宮殿が出来てからしばらくたっての事だった。 「リナ様の肖像画を描くことを命じる」 ゼロスの胸は、喜びに湧いた。絵が完成するまでの間、リナと二人でいられる。この国で一番の美姫。その肖像を、自分の持てる全ての力を出して描ききろうとゼロスは決意した。 しかし、リナのための宮殿に招かれたとき、ゼロスは思わぬ事に色を失った。リナの側に、国王がいた。国王は、リナの細い腰に手を回し、抱き寄せて言った。 「私と、リナの肖像を描いてくれ。お前のことだから、素晴らしいものができあがるだろう。完成したら、この宮殿のホールに、それを飾ることにしよう」 ゼロスは、黙ってイーゼルを拡げ、キャンバスを置いた。国王は、リナを強く引き寄せた。リナの巻き毛が、国王の胸にかかった。 「さあ、私たちの愛をそのキャンバスに描きとってくれ。見事な出来であったら、特別に賞金を遣わす」 ゼロスは、木炭で下書きをした。リナは、深い憂いの瞳で、じっとゼロスを見ていた。ゼロスの手は哀しみと悔しさで、時折震えた。国王は、そんなゼロスの様子を見て、満足そうだった。リナは、毒に倒れたとき、ゼロスの名を呼んだのだ。国王にしてみれば、これは当然の報いだった。日々、ゼロスはリナの宮殿に向かい、国王とリナの肖像画を仕上げていった。絵の中のリナの深紅の瞳は、現実のリナと同じように、憂いに満ちていた。国王は、半ばリナを膝の上に載せるように抱き寄せて、その頬を愛撫した。 「陛下、動かれると上手く絵が描けません」 「おお、これはすまなんだな。リナの愛らしさのあまり、つい手が動いてしまうのだ」 ゼロスは、唇を噛みしめて、絵筆を進めた。毎日の作業は、拷問のようなものだった。リナは、悲しげに、ゼロスを見た。ゼロスは、その瞳を見ないようにして、肖像画を仕上げていった。 やがて、国王とリナの肖像画は完成した。絵の中の国王は威厳に満ち、リナは愁い深い深紅の瞳を輝かせていた。 「ゼロスよ、まさにこの宮殿を飾るのにふさわしい見事な絵じゃ。後で、使者をやって、賞金を遣わそう。お前は、この国の宮廷画家にふさわしい。見事な手腕だ」 「畏れ多いお言葉でございます」 ゼロスは、頭を下げて、もう一度唇を噛みしめた。今の自分は、リナと他の男が抱きあっている絵しか描けないのだ。なんという無力。 「もう行ってよいぞ。本当にご苦労であった」 「はい……」 ゼロスは、小さな宮殿を出る前に、ホールで振り向いた。その中央に、あの絵が飾られるのだろう。けれど、ゼロスには一つだけ誇れることがあった。「市場の娘」四部作。あの生き生きとしたリナを描けたのは、自分だけなのだ。今の悲しげなリナとは違う。国王は、あの生気に溢れたリナを見ることはないのだ。ゼロスは、もう一度豪奢な宮殿を振り向いて、そこを後にした。 「宮殿も完成したというのに、お前はちっとも元気にならなんだな、リナよ。私はお前の心からの笑顔が見たい。何か私に出来ることはないか」 「陛下。あたしは…サンノール市場に帰りたいのです。ほんの一日でいいから…」 「そんなことか。たやすいことだ。明日にでも行って来るがよい。馬車を用立てよう」 次の日、二頭立ての馬車が王宮の門の前に用意された。リナは、出来るだけ地味なドレスを着てそれに乗り込んだ。馬は土煙を蹴立てて、下町に向かっていった。 懐かしい風景が窓の外を流れてゆく。リナは、窓から顔を出して、狭い道にぎっしりと並んだ商店を眺めた。やがて、サンノール市場の入り口についた。リナは胸を躍らせて、馬車から降りた。 「何だい、何の騒ぎだい。ここは、あんたみたいなお嬢さんが来る場所じゃないよ」 「魚屋さんのおじさん…」 「……！あんた、リナ坊か！すっかり綺麗になっちまって」 「みんな！リナが帰ってきたよ！出ておいでな！」 市場の売り子たちが、どっと集まる。リナは、懐かしさに泣いた。 「ほら、泣くんじゃないよ。綺麗なお化粧が台無しだ」 「国王様の下にいるって聞いたけど、ちゃんと食べてんのかい。少し痩せたんじゃないか」 皆が温かい声をかけてくれる。その時、冷たい視線がリナを射た。 「こないだの特別税、あれはリナのための宮殿を造るためだったと言うじゃねえか。国王様の下で、ぬくぬくと暮らしてる女が、いまさら何をしにこの市場へ戻ってきたんだ？」 「ちょいと。何もリナちゃんが望んでやったことじゃないじゃないか。せっかくリナちゃんが帰ってきたのに、そんなこと言うもんじゃないよ」 「俺たちは、明日もあさっても、ここで手にあかぎれ作って精出して働いて、雀の涙ほどの金を稼がなきゃならねえ。国王様にねだれば何でも買ってもらえる『リナ様』と俺たちとじゃ、根っこから違うのさ。それとも、お前らはこないだの特別税を喜んで払ったとでも言うのか？」 「……」 「リナ坊、気にすることないぞ。ほんとのリナ坊は何も変わっちゃいないんだ。な、そうだろ？」 「税金……あたしのあの宮殿を建てるために……」 リナは呆然としていた。そして、気づいた。自分の衣装も、アクセサリーも、住むところも、皆国民の税金で賄われていたことに。 「あたし……あたし」 「リナちゃん」 「ごめんなさい……」 リナは馬車に乗り込んだ。御者が鞭をふるうと、馬車は狭い道を走りだした。リナは、もう窓の外を見なかった。 「もう一か所、寄って欲しいところがあるの」 「リナ様のご命令なら」 馬車は、石畳の小道を走っていった。 インバース商会の雨戸は閉まっていた。リナは、馬車を降りて、薄い木のドアを叩いた。しばらく間があって、 「誰？」 と低い声がした。 「姉ちゃん、あたし！リナよ！ここを開けて！」 「リナ……」 ドアは開かれた。むっと強い酒の匂いがした。ルナは、目の下に隈をつくり、すっかり痩せていた。 「店は開かないの？どうしてお酒なんか……」 「店なんか開かなくても、毎月のあんたの代金で充分食べていけるわ」 「姉ちゃん……」 「リナ、うわさは聞いてるわ。今、あんたは王妃と言ってもおかしくない地位にいるって」 「姉ちゃん、お酒なんか飲んじゃ駄目だよ」 「リナ……ごめんね、守ってやれなくて」 ルナは濁った瞳でリナを見た。 「あたしたちは、もうあの頃には戻れないのよ。お城に帰りなさい。あんたのための宮殿に……」 「あたし、姉ちゃんの手料理が食べたい。そのために、ここに寄ってもらったのよ」 「ふふ……相変わらずわがままね、リナ」 ルナは立ち上がろうとして、よろけて椅子に倒れ込んだ。身体を支える手は、ぶるぶる震えている。 「今のあたしに料理は無理よ。あきらめなさい。あんたは、あんたの幸せを掴みなさい」 「姉ちゃん！！」 リナは叫んだ。 「あたし、あの王宮じゃ幸せになれない。姉ちゃんと一緒に暮らしているころが、一番幸せだった。あたし、帰りたくない。姉ちゃんとここにいたい」 「リナ」 ルナは静かに言った。 「あきらめなさい」 ドアの外で、従者が待っていた。リナは、馬車に乗り込んで、 「王宮へ」 と指示を出した。そして泣いた。深紅の瞳から、涙はとどまるところを知らずに流れ落ちた。 （来るんじゃなかった。市場にも、家にも……） 目を赤くして帰ったリナを、国王が出迎えた。 「市場はどうじゃった、リナ」 「はい、とても懐かしくて……」 後は声にならなかった。国王は、リナを抱き寄せ、リナのための宮殿に入っていった。 「陛下、リナ様の宮殿で毎日のように舞踏会を開かれていらっしゃいますね」 「そうじゃ。リナはいつも気分の優れない顔をしておるからな」 「このようなことは申し上げたくないのですが、予算の方が尽きかけております」 「くだらんことを。他の側室たちの衣装代や宝石代を回せば良かろう」 大臣は、黙って引き下がった。 （リナ様が今まで以上に他の側室の方々から妬まれることになりますが……） その台詞が口に出されることはなかった。 リナは、市場に行って以来、より一層憂いの表情を浮かべることが多くなっていた。毎夜に近く開かれる舞踏会も、豪華な料理も、彼女の気分を引き立たせる役には立たなかった。 ある夜、国王はリナに二つの箱を手渡した。 「何でしょう」 「開けてごらん」 それは、ダイアモンドをふんだんに散りばめた百合のイヤリングだった。花びらの先から、朝露がこぼれ出るように揺れるダイアモンド。もう一つの箱は、同じデザインの首飾りだった。 「今までお前が着けていたのは沢山の女の手を渡ってきたものだからな。これらは、正真正銘リナのためだけにデザインされたものじゃ。これからはこれを着けるがよい」 「ありがとうございます」 リナは、それらを手にしながら、このアクセサリーのために費やされた税金のことを思った。 『国王様にねだれば何でも買ってもらえる』 市場の男の声が蘇る。 （違う！あたしは何も望んではいない！アクセサリーも、舞踏会も……） 『あきらめなさい』 姉の声が頭の中に響く。 （帰りたい……） でも、リナに帰る場所はもうどこにも無かった。 「さあ、イヤリングと首飾りを着けておくれ」 「はい……」 リナは、イヤリングを耳に付けた。揺れるダイアモンドがシャンデリアの光を受けて、きらきらと光った。 「首飾りは、私が着けてやろうかの」 リナの細い首筋に、国王の手が触れた。 「リナは本当に華奢じゃのう。身体のどの部分も硝子でできているかのようじゃ」 新しいアクセサリーを身につけたリナを、国王は満足そうに見つめた。 「美しい！お前はこの国の宝じゃ。その宝を独り占めに出来る私は、まさに果報者じゃのう。ほっほっほ」 腰に手を回し、国王はリナをベッドにいざなった。リナは、憂いに満ちた瞳で、それに従った。 「お前はいつも何かを憂えておるな。まあ、そんなお前も儚げで美しいのだが……」 「あたしは、何も憂えてはいません。陛下の寵愛を頂けるだけで幸せでございます」 リナの口が機械的にしゃべった。国王は、それに満足して、リナをそっとベッドに横たえた。リナは、無感覚の海に身体を沈めた。いま、国王に抱かれているのは、本当のあたしじゃない。だから平気。あたし自身はちっとも傷つかない。国王の下手な愛撫に、リナはため息をついた。本当のあたしは、傷つきなんかしない─── リナは、中庭で、昼の散歩をしていた。豪華なドレスの胸元に、ゆらゆら揺れる、百合の首飾り。真昼の太陽を浴びて、リナの胸に透明な影を落としている。リナが自分の宮殿に戻ろうと足を向けたとき、急に腕を掴まれた。 「ガウリイ……！」 「よお、リナ」 ガウリイは苦笑しながら言う。 「『リナ様』を呼び捨てにするなんて、俺も度胸があるな。それで、リナ、またちょっとまずいことになった」 「まずいこと？今度は何なの？」 「陛下のことだ」 ガウリイは、リナと一緒に歩きながらしゃべった。 「平民の間に、国王が税金を注ぎ込んで、リナという寵妃に贅沢をさせている、と噂がひろがっている」 「なにそれ。あたし、自分からは何も贅沢を望んでなんかいないわ」 「それは俺も分かってる。ただ、陛下のリナ贔屓は度を超しているからな。お前が住んでるあの宮殿、あれを作るために、陛下は平民から重税を搾り取った」 「それは、あたしも知ってる」 「平たく言うと、陛下は傾城の美女に心も体もとろかされ、国民の負担などなんとも思っちゃいない、と平民は考えてるって事だ」 「あ、あたしが傾城の美女？」 ガウリイは下ろしているリナの髪を撫でた。 「陛下は、お前に狂っている。お前は確かに魅力的だし、陛下の気持ちも分からなくはない。まあ、俺がお前を好きだからだけど」 リナは頬を染めた。 「最近では、政治も国の行事もすっぽかして、お前に溺れている。そのことを街のタブロイド紙が厳しく書き立てる。平民の間で、クーデターの計画が進められている」 「クーデター……？」 あまりのことに、リナは言葉を失う。 「今の国王を失脚させ、第一王子のゼルガディス様を王にしようと言う動きだ。国王が平民に玉座を追い立てられることになると、贅沢をしている……と皆が信じ込んでいるお前も、危険にさらされる事になる。まあ、俺はお前のことを最後まで守るつもりだがな」 「ガウリイ……どうしてそんなにあたしに良くしてくれるの？」 「前にも言っただろう？惚れてるからだ」 リナは一層赤くなった。 「もしも、もしもだが、クーデターが起こった暁にはお前をセイルーン王国へ脱出させたい、と思っている」 「もうこの国にいられなくなるのね」 「決まった訳じゃない。それで、脱出の時には、お前の好きな奴を一緒に呼んでやるよ」 「ゼロスを…？」 「そうだ。クーデターなんか起きれば、その騒ぎの間を縫って、連れ出せるはずだ」 「ガウリイ、ありがとう。それにしても、クーデター、起こった方があたしのためみたいね」 「まったくだな」 リナの宮殿の前についた。 「その新しいイヤリングと首飾り、似合ってるぜ」 「ありがと」 リナは宮殿にはいると、ドレスが数百着近くあるクローゼットに入る。どれも宝石が縫い込まれ、金銀の糸で仕立てられている。その奥には巨大な宝石箱。硝子のふたを持ち上げると、何十種類もの指輪、イヤリング、ペンダントの輝きが瞳を灼く。 「あたしは、こんなものでは喜ばないのに……陛下には、それが分からないのね」 リナは、宝石箱を両手で持ち上げ、床に投げ出した。がしゃんとガラスの砕ける音がして、色とりどりの宝石が床に転がる。 「リナ様！どうかなされましたか」 ローラがクローゼットに入ってくる。リナは返事をしない。床できらめく宝石とガラスを後にして、リナはクローゼットを出た。 リナちゃんとゼロスの過酷な運命も、残すところあと１話となりました。暗い話にうんざりされていた方、もう一息です。もっとも、羽久自身が暗い話好きなので、どういう結末を迎えるかはもう考えただけでもちょっと……なのですが。では、最後までよろしくお願いしますm(_ _)m ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ルナさんは、こんなことで酒浸りになったりするような女性ではないことは、重々分かっております。……すみません。   |