宮廷画家［６］


リナの宮殿は、舞踏会の真っ最中だった。リナは、こめかみを押さえたまま、ひらひらと舞う貴婦人たちのドレスを見ていた。それらのドレスよりも数倍豪華なドレスを、リナは着ている。最近、国王の愛妾たちに出される手当が少なくなったと聞いた。
（それが、これなのね）
リナは胸元の宝石の百合の花に触った。
「リナや、一曲、私と踊ってくれんかね」
「はい、喜んで……」
国王のダンスは、お世辞にも上手いとは言えなかった。リナは、何度も足を踏まれて顔をしかめた。
年のせいか、ぜえぜえと息を切らした国王は、自分の席に戻り、リナをその横に座らせた。
「陛下、お尋ねしたいことがあります」
「私の知っていることなら何でも答えよう」
「ゼロスは、今どうしているのですか」
国王は明らかに不機嫌になった。
「聞いてどうする」
「ゼロスは、あたしが市場で働いていたときの得意客だったのです。気になります」
「奴なら、今はゼルガディスとアメリアの肖像を描いている。のう、リナよ。私といるときは私のことを考えておくれ。たかだか宮廷画家のことなどどうでもよいではないか」
「すみません……」
それでも、リナの胸は躍った。ゼルガディスとアメリアの部屋になら、遊びに行ける。そこで、ゼロスに会えるかも知れない。国王との肖像画を完成させて以来、ゼロスとはしばらく言葉も交わしていなかった。その夜、国王が隣で眠っている間、リナは一睡もせずにゼロスのことを考えていた。あした、早速ゼルガディスとアメリアの部屋に行ってみよう。そこで、ゼロスの作業を眺めていよう。ゼロスのことだから、美しい二人を描くのは間違いなかった。考え込んでいるうちに、夜が白々と明けてきていた。


「陛下、リナ様、お目覚め下さい。外が大変な事態になっております」
明け方だった。リナは、すぐに起きあがって、ドレスを身につけた。国王は、なかなか目覚めなかった。リナは、肩を揺すって、国王を起こした。
「何の騒ぎじゃ」
「平民たちが、陛下とリナ様のお命を狙って、王宮の門まで押し寄せております」
「くだらん。兵士隊を出せ。反逆者は皆殺しにしろ」
「それが、兵士隊も押されている状況でして……」
その時、硝子窓の外を赤いものがよぎった。部屋の中が昼のように明るくなる。
「中庭の庭園に火がかけられました！ここは危険です。どうぞ、奥の城までおいで下さい」
兵士の先導に従って、三階から一階に駆け下りた。そこは、すでに生木の焼ける湿った煙で満ちていた。
「国王様、リナ様、ハンカチをお口元に」
煙の中を突っ切っていると、誰かがリナの手を握った。国王の手ではない。中庭に出ると、その手は生け垣の中を国王宮とは反対の方にリナを導いた。
「ガウリイ！」
「民衆の勢いは恐ろしい。まもなく、お前の宮殿、そして国王宮も火に包まれるだろう。陛下には逃げ場が無くなる」
「あたしは……」
「そこは、この俺にまかせてくれ。逃げる算段はちゃんとしてある」
ガウリイは、腰の剣を引き抜くと、生け垣に斬りつけ始めた。人がくぐれるほどの穴が開くと、
「こっちだ」
とリナを連れ出した。
王宮の周りは、高い塀になっている。ガウリイは、リナを肩車した。
「そのまま立ち上がって、塀に飛びつけ。向こう側に飛び降りろ。バルコニーからだって飛び降りたお前だ。大丈夫だろう？」
「大丈夫。だけど上、見ないでね」
「お前なあ、そんなこと言ってる場合かよ」
リナは、靴を脱ぎ落として、ガウリイの肩から塀に飛び移り、飛び降りた。足がじいんと痛んだが、それを気にしている暇はなかった。ガウリイも隣に飛び降りてきていた。
「走れ！」
王宮は炎をあげて燃えている。リナは、降りかかる火の粉を払いながら、ガウリイと一緒に走った。王宮の裏手の細い道に、小さな馬車が止まっていた。
「あれだ」
リナは馬車に飛びつく。乗り込むと、狭い車内でいきなり抱きしめられた。
「……ゼロス！」
「リナさん、無事だったんですね」
「ゼロスこそ。ずっと、ずっと、会いたかったわ」
「ほーらそこ、ラブシーンはあとあと」
ガウリイが微笑んでいた。
「この馬車で、セイルーンまで脱出しろ。それから、これを」
一通の封書を渡される。
「ゼルガディス様とアメリア姫に一筆かいてもらった。セイルーン内でのお前たちの身柄は、これで大丈夫なはずだ」
リナは、目に涙を浮かべていた。
「ガウリイ…どうしてそんなにあたしたちに良くしてくれるの？」
「何度も言っただろう。お前に惚れてるからだよ」
「ガウリイさん、ありがとうございます」
ゼロスも言った。
「いいってこった。ただし、何もかも上手くいったら、一発思いっきり殴らせろ」
「覚悟しておきます」
リナは、ガウリイの首に手を回して、頬にキスをした。ガウリイは、その頬をそっ と押さえて言った。
「もう行った方がいい。やがてここにも追っ手が来る」
「ガウリイ、ありがとう」
馬車は暁の光の中を出発した。
（初恋が失恋で、しかもお膳立てまでしてやるとはな。つまんねー役柄演じちまったぜ）
ガウリイが小さくなっていく馬車を見送っていると、突然背中に熱い衝撃が走った。
「がはっ……」
ガウリイは、倒れる前に見た。自分の胸から、血に濡れた、先の曲がった刃物が突き出しているのを。
「リ…ナ……」
口の中に血が溢れてきてしゃべれない中で、ガウリイはそれだけ言って、こときれた。
「ふん、国王の犬め」
農夫は、血にまみれた鎌を、ガウリイから引き抜いた。
「さっきの馬車を追え！国王か寵妃リナが乗っている可能性があるからな」
馬に乗った民衆たちがガウリイの死体を蹴飛ばしてていった。ガウリイは、肉の塊となって、道路ぎわに放置された。

馬車の中で、リナはゼロスにしっかりと抱きしめられていた。
「もうこれは必要ありませんね」
ゼロスは、リナの耳から、百合の形のイヤリングを外した。
「そうね」
リナは自分で手を回して、首飾りを外した。そして、走る馬車の窓からそれらを投げ捨てた。セイルーンはすぐそこまで来ていた。
「止まれ！その馬車、止まれ！」
数頭の馬が、馬車を取り囲んだ。ゼロスは、とっさにリナを座席の下に押し込めた。
「何だ、お前たちは？」
御者が居丈高に問う。
「我々は、国王と寵妃リナを探している。馬車の中、あらためさせてもらうぞ」
「何の権利があってそんな……」
「権利だと！はっ、お笑いぐさだな。さんざん我々に権利を行使してきたのはお前たち王宮の住人だったではないか。おい、そこの男、名を言え」
「僕は、ゼロス＝メタリオム、ただの画学生です」
「ただの画学生が、なぜこんな時間にセイルーンに向かう？とっくに調べはついているのだぞ、宮廷画家、ゼロス＝メタリオム」
「おやおや、ばれていましたか。たしかに僕は宮廷画家です。あの王宮はもうだめだと見切りをつけましてね。セイルーンに雇ってもらおうと、この明け方を強行軍しているわけなんです」
「たかが宮廷画家一人が逃げるために、馬車を用立てる必要はあるまい？馬車の中を見せてもらおう」
ゼロスは、馬車から引きずり出された。やがて、座席の下に隠れていたリナが、数人の屈強な男たちの手で、馬車から降ろされた。
「国王の寵妃、傾国の美姫、リナ＝インバースだな」
「そんなに誉められると照れちゃうわね。そうよ、あたしがリナよ。そっちの宮廷画家は関係ないわ。セイルーンへ逃がしてやって」
「リナさん……！」
「はっはっは、こりゃいい」
農夫の一人が腹を抱えて笑った。
「国王の愛妾が、実はしがない宮廷画家と出来ていたとはな。安心しろ、これからは、天国で二人仲良く暮らせるぜ。まあ、天国では国王に見つからないように気をつけるんだな」
「僕はどうなっても構いません。リナさんを、殺さないで下さい！！」
ゼロスは叫んだ。
「リナさんは、あなた方と同じ、平民でした。僕がリナさんを絵の題材に選んだばかりに、国王はリナさんを見初め、自分の愛妾に取り立てたのです」
「そして、重税を取り立て、王宮の中に自分のためだけの宮殿を建てさせた。毎夜のように舞踏会を開いた。国中から宝石を集め、自分を飾り立てた。何百着というドレス、何百足という靴……国民が貧困にあえいでいる中、この女は贅の限りを尽くしたのだ。到底許せることではないな」
「そうよ、あたしを、殺しなさい。ゼロスは、逃がしてやって」
リナは、ゼロスの腕を掴むと、無我夢中で馬車に押し込んだ。
「貴女も一緒に来て下さい、リナさん……！」
「こいつらの目的はあたしの命よ。ゼロスには関係ないわ」
「関係なくありません！貴女を亡くして、僕にどうやって生きていけと言うんですか！」
腰からサーベルを抜きはなった男が言った。
「心配するこたねーよ。二人とも、仲良くあの世に送ってやる」
リナは、馬車の中のゼロスの顔を引き寄せ、素早く口づけた。
「生きて」
そして、馬車の前に回り込むと、思い切り馬の腹を殴った。馬は高くいなないて、暴走とも言える速度で走り出した。
「リナさん、リナさん！」
遠くなっていくリナの影に、サーベルが突き立った。リナは、ドレスの裾を揺らして、暁の光の中でふわりと倒れた。
「御者さん、お願いです、戻って下さい！」
懇願するゼロスの顔を、御者は気の毒そうに見た。
「リナ様の最期のお願いを無視するわけには参りません。あなたには、セイルーン王国へ行っていただきます。それが、リナ様の最後のご意志です」


やがて、馬車は山道を抜け、セイルーン王国領へ入った。ゼロスは、馬車の揺れに身を任せながら、瞼の裏に灼きついた、花のように倒れていくリナを見ていた。
フィリオネル王は、アメリアにはあまり似ていなかったが、癖のある黒髪は同じだった。ゼルガディスとアメリアから送られた親書を見た王は、ゼロスに言った。
「この国でも、宮廷画家を志すか、ゼロス＝メタリオムよ」
「いえ、僕には描きたいものがあります。一介の画家として、自由を頂ければ、ほかに望むものはありません」

ゼロスが抜け出したあの国は、第一王子のゼルガディスが継ぎ、アメリアが王妃となった。二人ともあまりに若い即位だったが、周りの大臣たちの手伝いもあって、上手く国政をこなしているという。

ゼロスは、フィリオネル王から与えられた部屋で、ひたすらにリナを描いていた。ドレス姿のリナ、夜会服に身を包んだリナ、そして、ギンガムチェックのワンピースを着た市場のリナ。リナの瞳を塗るとき、ゼロスは胸の痛みをおぼえた。あの果実のような、深紅の瞳。それは、もうこの世の何処にも存在しないのだ。

ゼルガディスとアメリアがセイルーンを訪れたとき、彼らはゼロスの部屋に立ち寄った。部屋は、リナの絵で埋め尽くされていた。
「ゼロスさん」
ゼロスはわずかに瞳を動かしたが、再びリナの絵に没頭し始めた。
「ゼロスさん！」
「アメリア、行こう」
ゼルガディスは部屋を出るとき、ゼロスに向かって言った。
「父に代わって詫びを言う。すまなかった」
ゼロスは、その声にも反応せずに、絵筆を動かし続けた。


やがて、ゼルガディスとアメリアの下に、ゼロスが自殺したとの報せが入った。完成した一枚の美しいリナの絵の前で、パレットナイフを首に突き立てて自害していたという。そのリナの絵は、セイルーンから彼らがもといた国に輸送され、王宮の入り口を飾った。伝説の美姫、リナの肖像は、多くの人の目を楽しませた。その絵にまつわる悲しい物語を知っているのは、ゼルガディスとアメリアだけだった。
「リナさんとゼロスさん、天国で会えたでしょうか」
「当たり前だ。今度こそ、何も彼らを引き裂くものはないんだ」
ゼルガディスは、愛しいものの肩を抱いて、そう言った。



暗いお話につきあっていただいてありがとうございました。ガウリイまで殺すことはないだろう、と言う気もしますが、とにかく今回は徹底的に悲劇を書いてみたかったので、こういう結末になりました。気を悪くされる方（絶対いる！）、申し訳ありません。次はもっと明るい話でお会いしましょう。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。皆殺しの羽久と呼んでください。ガウリイなんて、ホントに何のために死んだのやら……。個人的にはセイルーン王国でひたすらリナの絵を描きながら心を病んでいくゼロスがお気に入りです（気に入るなそんなもの）。別の明るい小説を読んで口直ししていって下さい。


戻る