宮廷画家［３］
朝の光が射すと、国王は目覚め、隣にいたリナに口づけした。 「おお、可愛いリナよ。夕べのことは夢ではなかったのだな」 「はい、陛下……」 「お前は私だけのものだ。この花を手折ろうとするものは、どんなものでも許しはせぬぞ」 国王は、衣服を身につけると、部屋を出る前にもう一度リナの頬に口づけする。 「昨日はこんな狭い部屋に閉じこめたりして悪かった。今日は、お前にふさわしい、もっと広い部屋を用意させよう」 「この部屋は、狭くなんてないわ」 「何を言う。お前はこのゼーラム８世の一番の寵妃じゃ。何不自由のない生活を約束するぞ。この……」 リナの百合の首飾りに触れる。 「百合の紋章にかけてな」 リナは、朝食が済むと、部屋を移された。ドレスが数十着は入ったクローゼット、独立した化粧室、まばゆいばかりの宝石箱、天蓋付きの白く広いベッド。窓には分厚いガラスがはめられ、美しい中庭を見渡すことが出来た。ガウリイが言ったように、中庭は生け垣の迷宮だった。散歩している貴婦人たちの日傘の先がゆっくりとそこをよぎっていく。 「御髪をセットさせていただきます」 ローラが、焼きごてでリナの紅茶色の髪を巻き始めた。見る見るうちに、リナの髪に縦巻きのロールがついていく。 「この髪型は、社交界での最新流行ですのよ」 「ふうん……」 「午後からは、テーブルマナーの講習を受けていただきます。その後は、ダンスの練習を。リナ様には、この国で一番の貴婦人になって頂かなくてはいけません」 「あたしが、貴婦人？止めてよ。柄じゃないわ。あたしは、昨日まで市場の娘だったのよ」 「僭越ながら、そのことは、もうお忘れになってしまった方がよろしいかと。ほら、できあがりました。お美しいこと。その瞳に似合う、ルビーのアクセサリーを用意させましょう」 宝石箱が開けられ、こぼれる光の中から、ルビーの髪留めが選び出された。 「リナ様の瞳は本当にお美しい。この国で最高のルビーの輝きでさえ、ほら、霞んで見えるほどですわ」 「お世辞はいいの。そうだ、お昼までには時間があるわよね。あたし、散歩したいわ」 「中庭だけになりますが」 「それでいいの。こんな香水の匂いの満ちた部屋にいたら、頭が痛くなっちゃう」 「リナ様、日傘を。白い肌が日に灼けてしまいます」 「日灼け？あたしは、青空市場で売り子をしてたのよ。いまさら日傘なんていらないわ」 「それでは、護衛の兵士をつけさせます」 「あの、その兵士、指名できるかしら」 「リナ様のおっしゃる方なら誰なりと」 「ガウリイ＝ガブリエフという人がいいんだけど」 「兵士部隊長のガウリイですね。すぐに呼ばせます」 やがて、戸口にガウリイが現れた。 「リナ様、ガウリイです。参りましょう」 日射しが燦々と降り注ぐ中を、日傘を差さずに、リナが歩いてゆく。そのすぐ後ろを、ガウリイがついていく。やがて、ローラの姿が見えなくなると、リナはガウリイに話しかけた。 「ねえ、はっきり言って、あたしみたいな娘を飾り立ててそばに置くのが好きなの？国王陛下は」 「今までも、たしかに舞踏会なんかで見初めた貴族の娘を昨日の部屋に押し込めて自分のものにしたことは何度かあったな。そのたびに、あの百合のイヤリングと首飾りをプレゼントする。でも、お前みたいな……市井の娘を連れてきたのは、初めてだ。なぜ、お前を見初めたんだろうな。まあ、お前はたしかに可愛い顔立ちはしてるが……どんぐりまなこのペチャパイのチビガキなのにな」 すぱーん。 「いってー、ハイヒールで頭をぶつなよ。尖ってて痛いんだからな」 「叩かれるだけのことは言ったでしょ」 「陛下も、何処がいいんだか、このじゃじゃ馬……」 その時、向こうから近づいてくる二人の人影があった。ガウリイは、慌てて姿勢を正し、リナの後ろにつく。リナは二人に見覚えがあった。晩餐会で、リナがおかわりをした時、一緒におかわりしてくれた二人だ。銀髪の美しい青年と、黒髪のあどけない少女。 「リナ様」 少女の方から、駆け寄るように話しかけてきた。 「髪型を、変えられたのですね。とてもお美しいわ」 「あの、あたし、まだあなた方の名前を存じ上げないのですが……」 リナは必死で失礼にならないように言葉を紡ぐ。 「俺は、ゼルガディス。国王、ゼーラム８世の第一王子だ」 「私は、アメリア＝ウィル＝テスラ＝セイルーン。隣国のセイルーン王家から参りました。ゼルガディス様の婚約者です」 リナは、唖然とした。夕べは、まさか、そんな位の高い人たちと思っていなかったのだ。 ゼルガディスが聞く。 「リナ、お前歳はいくつになる」 「１４、になったばかりでございます」 ゼルガディスは苦々しく顔を背けた。 「我が父ながら恥ずかしい。自分の息子より幼い娘に手を出すとはな」 「ゼルガディス様は、おいくつなのですか？」 「１７だ」 「私は、１３です」 アメリアは聞かれる前に答える。 「リナ様、私たち、お友達になれそうじゃありませんこと？ここは、年上過ぎる方たちばかりで、話が合わなかったんですの。私たちなら、歳も近いし……」 「冗談じゃないわ！」 リナは不意に怒鳴った。 「この王宮で、皆に尊敬されて、先行きは王妃と決まっているあなたと、生まれてこの方市場で育って、テーブルマナーの一つも分からないあたしとが、どうやって友達になれるって言うのよ。あのとき、一緒におかわりをしてくれたのは有り難かったけど、所詮あなたたちに、昨日いきなり家から連れられてきた、あたしの気持ちは分からないわ。あたしの値段は、月に１０万デナリ。それで、陛下の言うことを何でも聞かなくちゃいけないのよ。そう、何でも……っ」 「リナ様、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」 「リナ…様」 ガウリイも、心配そうに後ろから声をかける。 「リナ」 ゼルガディスが呼びかける。 「父のことを許してやってくれ……とは言わん。お前の立場も分かる。俺たちは、できるだけお前がこの王宮で暮らすのに辛い思いをしないように計らいたいんだ。歳の近いものとして。出来れば、お前が王宮を出て、元の暮らしに戻れるようにもしたいと思っている。───今はまだ無理だが。アメリアの申し出に腹を立てるのも無理はないが、こいつに悪気はない。怒らないでやってほしい」 「アメリア……様」 「アメリアでいいです。こんな風に、誰も周りにいないときには。ね、いいでしょう、ガウリイさん？」 「承知しました、アメリア姫」 「じゃあアメリア。あたしたちは、本当に仲良くなれると思う？」 「ええ、リナ様、あなたが心を開いてさえくれれば」 「あたしがアメリア、でアメリアがリナ様、じゃさすがにおかしいわね。あたしもリナでいいわよ」 「えっ、でも、リナ様は年上ですし……リナさん、なんてどうでしょう？」 「それでいいわ。アメリア、さっきは怒鳴ったりしてごめんなさい。あたし、まだ宮廷に慣れてないから、昨日のおかわりみたいにトンチンカンなことばっかりすると思うけど、助けてね」 「もちろんです、リナさん！あたしとゼルガディス様は、いつまでもリナさんの味方ですからね！」 「身分は違いすぎるが、俺も混ぜては貰えないでしょうか、アメリア姫？」 ガウリイが、悠然と微笑んでいた。 「昨日、このリナ嬢はバルコニーから飛び降りて逃げようとしたんだ。その度胸に、俺はすっかり参ってしまってね。今まで何人もの貴婦人をエスコートしてきたけど、こんなお嬢様は初めてだ。俺も、リナ様が宮廷で暮らす限り、その生活をしっかりサポートする」 「小同盟、結成ですね」 アメリアは、また花のように微笑んだ。リナはちくりと胸が痛くなる。この、何の憂いもない微笑みを、昨日、自分は永遠に失ってしまったのだ。 「ありがとう、みんな」 リナは、憂いを帯びた瞳で微笑んだ。 「あたし、すごく心強いわ」 午後は、ローラによるテーブルマナーの講習だった。上等の料理が、惜しげもなく使われた。リナは、悪戦苦闘しながら、なんとか初級のマナーを身につけた。その後は、ダンスの練習だった。運動神経の悪くないリナは、マナーほど苦労せずに、いくつかのステップを身につけた。それが終わると、いつの間にか晩餐の時間だった。リナは湯を使わされ、香水を振りかけられ、昨日とは違うドレスに身を包んだ。縦巻きにした髪のせいで、夕べより幾分大人っぽく見える。百合のイヤリングと首飾り。最後に、ローラはリナの唇に花びらのような紅を差した。 晩餐の席は、夕べと同じ、国王の左隣だった。リナは、その時初めて、国王の右隣に、他の貴婦人とは一段身なりも気品も違う、美しい女性がいることに気づいた。リナがドレスを持ち上げて会釈すると、彼女は汚いものでも見るような目で、リナをじろりと見て、顔を逸らした。リナは、ひるまなかった。 「陛下、そちらの綺麗な方は？」 「おお、紹介してもおらなんだな。私の正室のエリザベートだ。エリザベート、こちらはリナ嬢だ。まだ宮廷のことも何も分かっておらんでな、リナのことをよろしく頼む」 「エリザベート様、リナでございます」 「まあ、覚えておきましょう」 エリザベートが悔しさで唇をかみしめるのをリナは見た。勝ち誇った気持ちになったが、その気分はすぐに沈んだ。一人、敵を増やしてしまったのだ。その時、 「リナ様」 可愛い声がかかった。アメリアだった。 「アメリア様。午後はあたし、ダンスの特訓で、お腹ぺこぺこですわ」 「リナ様なら、すぐに誰よりもお上手にダンス出来るようになられるでしょう。なんたって……」 そして、扇を拡げて口元を隠す。 「バルコニーから飛び降りても平気なんですから」 二人は、声を立てて笑った。その様子を、他の貴婦人たちは冷たく見ていた。 「さっそくアメリア様に取り入ったのね。市井の育ちにしては宮廷でのつきあいに聡いこと」 「まあ、ゼルガディス様まで。いつの間に仲良くおなりあそばしたことかしら」 国王の隣で食べる晩餐は、昨日ほど美味しくはなかった。リナは、どの皿も、少し残した。 「どうしたのじゃ、リナ。体の具合でも悪いか？」 「いいえ、陛下の心配なさることではありません」 「何を言う。お前の悩みは私の悩みだ。さあ、何なりと言うが良い」 「いえ、何も……」 周りの貴婦人たちの目が恐ろしいのだ。国王がリナに話しかける度、ひそひそとささやき合う声がする。冷たく睨む瞳がある。食欲が出ようはずもなかった。その時、アメリアが立ち上がっていった。 「リナ様、後はデザートですわね。ぜひ私たちの部屋で話しながら召し上がりませんこと」 「アメリア様。もったいないお言葉でございます」 リナとアメリアとゼルガディスは、デザートを部屋まで運ばせるように給仕長に申しつけると、部屋を出ていった。国王は、 「なんじゃ、若い者同士は打ち解けるのが早いのう」 といって黒い髭をしごいた。 「リナさん、はっきり言うべきです、陛下に。他の側室の皆さんの態度が悪いって」 「側室……って、あそこにいるご婦人連中、みんな国王の妾なの？」 「まあ、そういうことだ」 ゼルガディスが顔を背けながら言う。 「あそこにいる側室に産ませた子供だけで十何人になる。皆、貴族の家へ里子に出されているがな」 「ゼルガディス様は？」 「今日、お前が挨拶したエリザベートと言うのが、俺の母親だ。国王の正室」 「えええっ！エリザベート様、めちゃくちゃ若かったわよ！とても１７の子供がいるとは思えないわ」 「母上が俺を産んだのは１６の時だ」 「それでも３３歳…か……」 「母上は、一日の４分の３を眠って過ごされる」 「へ？何のために」 「肌のためだ。眠っている間は歳を取らない、と母上は信じている。そして、永久に衰えぬ美しさで、父上の愛を勝ち取るつもりなんだ」 「それじゃ、ゼルガディス様は……」 「ああ、俺のことも、プライベートな場所ではゼルガディス、でいい。俺は、乳母に育てられた。俺の成長があの人にとっては自分の老いの象徴のように思えるんだろうな。言葉をかけてもらったこともほとんどない」 「ゼルガディス……」 「つまらん同情ならいらんぞ。俺は、今の自分の立場に満足しているわけでもないが、悪くはないと思っている。アメリアもいるしな」 アメリアは嬉しそうに頬を染める。 「アメリアが、この王宮の風に染まらないまともな女だったことが、俺にとっては何よりの救いだった。さて、リナ……」 ゼルガディスはその鋭い視線でリナを射る。 「お前は、今、その百合のイヤリングとペンダントをしている。それらは、かつて今いる多くの愛妾たちの耳と胸を飾ってきたものだ。つまり、今の父上のお気に入りを現す印のようなものだ、それは」 リナは、思わず胸の飾りに手をやる。 「それを着けている限り、お前はあの馬鹿みたいに多い寵妃たちの羨望の的になるだろう。ましてや母上をやだ。晩餐の席も、お前にとって居心地のいい場所になるはずがない」 「冗談じゃないわ。あたし、望んで国王の……えーっと、陛下の愛人やってるわけじゃないのに。帰れるものなら、今すぐにでも家に帰りたいわ」 「帰れないんですか」 「ガウリイから聞いたんだけど、何度家に帰ろうが、すぐに連れ戻されるだろうって。それに、あたしの代金は、昼に言ったように月に１０万デナリ。それを支払ってる限り、あたしの身柄は陛下のもの、なんでしょうね。認めたくはないけど」 コンコン。丁寧なノックの音が響いた。 「どちら様？」 アメリアが声をかける。 「リナ様づきのローラでございます。まもなく、国王陛下がリナ様の部屋にお見えになります。ご準備を」 リナの表情が硬くなった。ゼルガディスとアメリアも思わず口をつぐむ。 「リナ、お前が嫌なら……」 「分かりました、行きます。部屋までの道のりが分からないので連れていって下さい」 リナは立ち上がって、ゼルガディスとアメリアに気丈に微笑んだ。リナが部屋から出ていくと、アメリアは涙を流した。 「リナさんは、私と一つしか違わないのに……それなのに……」 「アメリア、父上が出来るだけ早く新しい恋人を見つけることを祈ろう。そうなれば、たぶんリナは生家に帰れるだろう」 ゼロスが出てこないんですけど……ほんとにゼロリナか、この小説。 ガウリイとゼルガディスとアメリアは登場するのですが。王宮の生活は想像上のデタラメです。おかしいところがあっても無視して下さいね（汗）。では、続きもよろしくお願いします。 ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。焼きごてで髪を縦巻きロールにしたリナちゃんが見たい。王子なゼルと、婚約者アメリアは気に入ってるキャラです。   |