宮廷画家［２］

リナが目を覚ましたとき、あたりは既に暗かった。何があったのかを、リナは順番に思い出す。いきなり部屋に入ってきた甲冑姿の男たち。そして、倒れている姉───
「姉ちゃん！」
体を起こす。あちこちが痛む。むせ返るような、香水の匂いが鼻をつく。
「お目覚めですね、リナ様」
深いブルーのドレスを纏い、髪を結い上げた女が、リナの枕元に控えていた。
「リナ様？なにそれ」
「では、お湯を使っていただきます」
「え？え？」
あっという間に、三人のメイドが、リナの粗末なギンガムチェックのワンピースを脱がせた。今までリナが寝ていたらしい豪華なベッドの脇に、足つきのバスタブがある。熱い、香りの良い湯で満たされている。下着も脱がされたリナは、抱え上げられるように湯につけられる。海綿で、身体を擦られ、湯から出され、厚いバスタオルで身体を拭われた。
「これを身につけていただきます」
宝石や、金糸の縫い取りのある豪華な下着。リナは言われるままにそれらを身につける。
「お召し替えはこちらになさいますか？それともこちら？」
淡い青のドレスと、深い赤のドレス。どちらも、リナが今まで見たこともないほど豪奢なものだった。
「ちょっと待ってよ」
ようやく意識がはっきりしてきたリナは言う。
「あんたたち、何なのよ。あたしは、なんでそんなぴらぴらしたもんを身につけなきゃいけないの？あたしを家に帰してよ。姉ちゃんはどうなったのよ」
「お加減が悪いようですね。では、こちらの赤のドレスに決めさせていただきます」
リナの声が聞こえないかのように、青いドレスの女は、メイドたちに手で指示を出した。メイドたちは、リナの身体を押さえ込むようにして、赤いドレスをリナに着せてゆく。
「ちょっと、あんたたち、聞こえてないの！あたしを家に帰らせてって言ってるのよ！」
「まもなく陛下の晩餐でございます。こちらのイヤリングと首飾りを着けていただきます」
こぼれんばかりの真珠でかたどられた百合の花のイヤリング。ダイアモンドを幾重にも散りばめた、同じく百合の花をかたどった首飾り。青いドレスの女は、リナの髪を結い上げ、それらのアクセサリーを身につけさせた。空気スプレー式になっている瓶をとり、リナのうなじに香水を吹き付ける。それも百合の香りだった。
「家に……帰らせて」
「晩餐が終わってから、そのことについてはお話ししましょう。時間です、リナ様」
青いドレスの女はリナの手を掴み、部屋から連れ出した。三人のメイドもそれに続いた。リナは、深い絨毯の敷き詰められた広い廊下を連れられていった。
「こちらです」
扉が開く。まばゆいばかりのシャンデリアの光。真っ白なクロスに覆われた、長いテーブル。その一番奥に、太った、しかし威厳のある男が座っている。そしてテーブルの両端を、色とりどりのドレスを着た貴婦人達が飾っている。貴婦人達は、いっせいにリナを見た。彼女たちは、その耳と胸元の百合の飾りを見て、驚いた様子だった。囁きが交わされる。
「まだほんの子供ではありませんか」
「しかもつい先ほどまで市場で働いていたところだとか」
「陛下のなさることはわからないですわね」
リナは、少し気を悪くする。何も、望んでここに来たわけではないのに。
国王がリナを呼んだ。
「リナや、よく来た。お前のための席は、ここじゃ」
そう言って、自分の席の隣を指す。再び貴婦人たちの間で囁きが交わされた。
「あ…あの」
リナは気圧されながら尋ねる。
「お…おじさん……誰？」
晩餐会場はどっと笑いに包まれた。自らも涙が出るほど笑っている国王が、息を切らせながら言う。
「これはこれは、レディに自己紹介もしておらなんだな。私はこの国の国王、ゼーラム８世じゃ」
「国王……」
リナは呆気にとられた表情のまま、手を取られて席に着いた。晩餐の客はリナが最後だったらしく、すぐにオードブルが運ばれてきた。リナは、ずらりと並べられたフォークやナイフの使い方も分からないまま、何とか国王の真似をして、それを食べた。
「どうじゃ、旨いか、リナ」
「はい……とても」
やがて、スープに続いて、魚料理が運ばれてきた。香草やスパイスがふんだんに使われた料理。リナは、ただ魚を塩焼きにしただけの自分の家の夕食を思い出して、少し涙ぐんだ。
「リナや、どうした。料理が口に合わないか？」
「いえ、そんなことはありません。ただ……家が恋しくなりました」
「ここに来た美姫はみな最初はそうなるものだ。気にすることはない」
肉料理は、リナの好きな仔牛肉だった。リナはあっという間にそれを平らげた。
「ほ、大した食欲よ。好みの料理だったか？」
「はい。出来たらおかわりが欲しいくらい……」
また会場はざわめいた。貴婦人たちは、明らかに卑しいものを見る目でリナを見た。
「おかわりですって」
「ほほほ、おもしろい娘だこと」
その時、国王をはさんで反対側に座っていた、銀髪の美しい青年がさっと手をあげた。
「おれも、おかわりを頼む」
すると、それに続くように、青年に並んで座っていた黒髪の少女が言った。
「私も、ぜひおかわりを」
「ほっほっほ」
国王は、愉快そうに身体を揺すった。
「給仕長。この三人に今の料理のおかわりを頼む」
「かしこまりました」
やがて、三人の前に湯気の立つおかわりが運ばれてきた。リナは、銀髪の青年を見て、顔を赤くして会釈した。青年はそれに応えなかったが、隣の黒髪の少女はリナに向けてにっこりと花のような微笑みを向けた。
晩餐が終わると、国王がまず席を立った。貴婦人達は三々五々、席を後にしていった。リナが不安そうに周りを見回していると、青いドレスの女がリナを連れに来た。
「あ、あの、家に帰らせてもらえるわよね」
「こちらへ」
女は、先ほどまでリナがいた部屋にリナを連れ戻した。髪を下ろされ、ブラシで梳かれる。
「あの……」
「私のことならばローラとお呼び下さい。陛下がいらっしゃるまでに、もう一度お湯をお使いになりますか？」
「ローラさん、私家へは……」
「今晩、貴女は家へお帰りになることはできません」
「陛下がいらっしゃるって……」
「それでは、私は下がらせていただきます」
ローラは、ドアを閉めて出ていった。
「ちょ、ちょっと……」
リナはドアに駆け寄る。開けようとしたが、重たい扉は、外から鍵がかかっているようだった。
「窓……」
窓は、高い位置にあった。ガラスではなく、雪花石膏の薄い板で出来ている。リナは部屋にあった小さなテーブルを持ってくると、その上に乗り、椅子の足をぶつけて窓を壊そうとした。しかし、石膏はびくともしなかった。リナは、テーブルを降りた。ベッドに腰掛け、自分の運命を悟った。そして、少し泣いた。
「ゼロス……ゼロス、助けて」
もちろん、助けは来なかった。泣いているうちに、ドアの鍵が開く音がして、国王が入ってきた。


ゼロスは、メイドや護衛の兵士、宮廷音楽家たちと一緒に、使用人の夕食を取っていた。彼らは明るく陽気な人々で、新しくその席に加わったゼロスを温かく迎えてくれた。酒が振る舞われ、皆は新しい宮廷画家のために乾杯した。ゼロスは、表面では笑顔を作りながらも、心の中は一人の娘のことでいっぱいだった。早く、早く自分に訪れた運命を知らせたい。そして出来ることなら、宮廷の自分の部屋に招きたい。

夕食が終わると、席の人々はそれぞれの仕事に戻っていった。ゼロスにはさしあたってやることも無かった。ゼロスは、王宮の門に向かった。二人の兵士が門番をしていた。ゼロスが自分の身分を告げると、門は開かれた。ゼロスは、乗り合い馬車を拾い、まっすぐ市場へ向かった。

「え、リナちゃんかい。朝にはいたんだけどねえ。インバース商会の方にいるんじゃないのかい」
ゼロスは勝手知ったる裏道を走り、インバース商会のもう閉まっているドアを叩いた。不思議なほど、誰も出てこなかった。必ずリナか、その姉のルナがいるはずなのに。何度か繰り返してドアを叩くうち、中から低い声で返事があった。
「……誰」
「ゼロスです。リナさんに会いに来ました」
ドアが開かれた。ルナは、その美しい顔の半分を、青黒い痣で染めていた。ゼロスの顔を見ると、すっとサーベルの先を向けた。
「あんたを殺してやろうかしら」
「ル…ルナさん？」
「リナに会いに来たって言ったわね」
「え…ええ」
「リナなら、いないわ。たぶん、もうずうっと、ここには帰ってこないわ」
そして、テーブルの上に、どさっと重たい絹の袋を置いた。袋には、百合の縫い取りがあった。袋の口から、金貨がどっとこぼれ出た。
「それがリナの『代金』よ」
「代金……？」
「リナは連れて行かれたわ。国王の使いと名乗るゴロツキどもにね。今頃、リナがどんな目にあっているか……考えるだけでも吐き気がするわ。あの子はまだ１４になったばかりなのよ。何でこんな事になったか、分かってるんでしょうね」
ルナは、サーベルの切っ先をゼロスの頬に滑らせた。わずかに血が滴った。
「あんたの絵よ。あんたがリナを描きさえしなければ、こんな事には……！」
ルナはサーベルを落とした。金属音。サーベルがくるくると床で回る。
「帰って。そして、もう二度とここに顔を出さないで」
ルナはテーブルにうつむいていた。さらりと流れる黒髪の隙間から、痛々しい痣が見えた。


国王が、隣で豪快ないびきをかいている。リナは、そっと身体を起こすと、暗い中で服を探した。本当は、ここへ着てきたワンピースが着たかったが、あれは何処へ持って行かれたか分からない。仕方なく、リナは再び深い赤のドレスを着た。血で汚れてしまうのが気になったが、豪華な下着も身につけた。ドアをそっと押した。開いている。リナは、廊下に滑り出た。衣擦れの音もさせないように、素早く歩いていく。廊下を突き当たりまで行って曲がると、大きな窓があった。リナは鍵を外し、窓を開く。窓はバルコニーへと続いていた。バルコニーから下を見る。中二階くらいの高さだろうか。リナにとっては、飛び降りられない高さではなかった。ドレスの裾を強引にまとめ、バルコニーの柵を越え、ひらりと宙に舞った。
「っつー……」
着地は出来たが、足の裏と、身体の奥に痛みが走る。走りだそうとしたときに、後ろから声がかかった。
「おい、おまえ」
庭を見回っている兵士なのだろう。腰に剣を提げた、長い金髪の男だ。
「あの……っ！」
リナは焦った。そして、イヤリングを二つとも外す。
「これをあげるわ。だから、見逃して……！」
そして、振り向かずに走った。しかし、目の前はすぐに高い生け垣にふさがれてしまう。振り向くと、さっきの男が追ってきていた。
「いやあああ！」
「落ちつけって」
男は、リナの細い腕をそっと掴んだ。
「さっきのイヤリングだけでは足りない……？じゃあ、この首飾りもあげる」
リナは片手で首飾りの留め金を外すと、男の手にそれを押し込んだ。
「あのなあ、おまえ」
男は呆れ声で言う。
「こんな、どこの宝石店に持ち込んでも一発で出所がわかっちまうようなもの、いくらもらったってしょうがないだろ。それと、この庭園は迷宮構造になってるし、門までたどり着けたところで門番がいるぞ。第一、そこまでたどり着けたとして、おまえ、いったい何処へ行くつもりだ」
「決まってるじゃない、家へ帰るのよ」
「おまえが何度家に帰ろうが、連れ戻されると思うぜ。そのたびに、お前の綺麗な姉さんが酷い目にあうことになる」
「あ……」
リナは、金髪の男をきっと睨む。
「あんた、あの時あたしを連れに来た連中の一人ね！よくも姉ちゃんを！許せないわ」
「お前の姉さんを俺の部下が殴ったりしたことについては、すまなかったと思っている。この国の正規の兵士がやることじゃないよな。あと、お前を月に１０万デナリで買い上げるってのもひどい話だ」
男は、優しく掴んだリナの腕を放した。リナは、逃げる気も失せて、ただ男の顔を見ている。
「どうしても、今日の晩餐までにお前を王宮へつれてこい、という命令だった。仕方がなかった、とはいえ、無理矢理おまえを引っ張ってきたことも、悪かったと思っている」
背の高いその男は、リナの頭にぽんと手を置いた。
「悪いことは言わん。今日のところは部屋に戻れ。ついていってやるから。それから、これ」
百合をかたどったイヤリングと首飾りを、リナに返す。
「これは、この王宮でお前の地位を保証するものになる。大事にしろ。軽々しく人に渡すもんじゃない」
リナと男は、裏口から城の中へ戻った。
「それにしても、お前すげえな。王宮から逃げ出そうとする女は何人かいたけど、あのバルコニーから飛び降りて、ケガ一つしてないってのはお前が初めてだ。いずれ知ることになるだろうけど、名前、聞いていいか」
「リナよ。あなたは？」
「ガウリイ＝ガブリエフだ。ここの兵士部隊長をしている。まあ、たいした部隊じゃないがな。何か困ったことがあったら、相談してくれ。出来る限り、力になる」
「あたし、もう困ってるわ」
「ちがいない」
二人は、静かに忍び笑いをした。
「好きな奴が、いたのか？」
ガウリイが静かに聞く。
「いたわ。でももう、会えない。いいえ、会いたくない」
「そっか。可哀想にな」
やがて、リナが抜け出した部屋へ戻ってきた。国王の高いびきは続いている。
「どうやら、ばれないように戻れそうだな。じゃ、上手くやれよ、リナ」
「ありがとう、ガウリイ。いつかまたあなたを頼るかもしれない」
「その時には、今日より役に立つように頑張るよ」
リナはそっと部屋に入り、ガウリイは足音を立てずに去っていった。リナはドレスを脱ぎ、ベッドの国王の横にそっと滑り込む。そのまま、夜明けまで、リナは眠れなかった。




どうやら私は、リナちゃんを不幸な目に合わせてしまうのが癖のようです。ご不快になられた方がいたらすみません。そして、相変わらずゼロス×リナ←ガウリイが好きなようです。今後のリナちゃんの運命は？あまりお楽しみにせずにお待ち下さい。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。あいかわらず「いいひと」ガウリイ。それにしても、リナちゃんの年齢「１４」は悲惨すぎますね。


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