宮廷画家［１］


木漏れ日の射す、午後の市場。景気のいい呼び込み声が響いている。
「いらっしゃい、ゼロス！今日は何を買うの？静物画用の果物？それとも木炭画の消しに使うパン？」
「今日は、リナさんにお願いがあって来ました」
「なあに？」
リナは木箱に座り、エプロンでごしごしと林檎を磨いている。
「僕の絵のモデルになって下さいませんか？」
そのとたん、周りの声がわっと弾けた。
「よーゼロス、とうとうリナちゃん描く気になったか」
「ゼロス、よく決意したね。あたしゃ嬉しいよ」
リナは、周りの騒ぎに顔を赤くしたが、
「いいわよ」
とうなずいた。
「ありがとうございます。今度の、宮廷画家募集コンクールに出品する絵を描きたいので」
「ほんとにあたしなんかがモデルでいいの？」
「貴女以上のモデルなんていませんよ」
「それから、あたし、仕事があるからじっとしてないわよ」
「構いません。この市場に、イーゼルを立てて描かせてもらいます。それで良いですか？」
「お客さんの邪魔にならないようにね」
「はい」
隣の魚屋がゼロスに呼びかける。
「よお。美人に描いてやんなよ。リナ坊は、うちの市場の花なんだからな」


「よ、描いてるね」
「さすが宮廷画家目指してるだけあるねえ。なんつーか、絵に品があるわ」
「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたにゼロスの絵の品が分かるもんかね」
「おーおー、絵からリナちゃんへの想いが溢れてるぞ」
「ちょ、ちょっと」
リナが焦って声をかける。
「ゼロスとあたしは、全然そんなんじゃないんだから。ね、ゼロス」
「モデルに恋をしなくては、良い絵は描けません」
「ゼロスまでー。冗談じゃないわよ」
周りの売り子達がどっと笑う。
「なあゼロス。ゼロスが宮廷画家になった暁には、リナちゃんを迎えに来るんだろう？」
「僕としてはそのつもりなんですが、リナさんがなかなか首を縦に振ってくれなくて」
「あったり前でしょ！あたし、まだ１４よ。市場の仕事だって忙しいし」
「宮廷画家様の奥様になれば、仕事なんてしなくていいんだよ」
「そんなのつまんない。あたしは、この市場が一番向いてるのよ」
「甘い甘いリナちゃん。幸せは、つかめるときに掴むもんだよ。あたしなんか、この甲斐性無しつかんじまったせいで、苦労のし通しだよ」
「なにお、このかかあ」
「あーもー、酒屋さん、夫婦喧嘩しないで」
「いつものことだろ、リナちゃん」
市場の喧騒の中で、ゼロスは静かにキャンバスに筆を運んでいた。


「おや、リナちゃんの絵、一枚じゃないのかい」
「ええ。四枚で連作にしようと思って」
「そりゃ、大変だねえ。間に合うのかい、締め切りには」
「ちゃんと予定を組んで描いてますよ、ご安心を」
キャンバスには、頭の上に果物でいっぱいの籠を乗せて歩くリナ。軽快な足取りまで伝わってきそうな、生き生きとした絵だ。隣には、木箱に座って、林檎を囓っているリナの絵もある。
「いっぺんに仕上げんのかい」
「リナさんがじっとしていませんからね。追いかけるこっちも一気に行かないと」
ゼロスは、更にもう一つのイーゼルを拡げ、客の呼び込みをしているリナの絵をそこに置いた。絵筆は休み無く働き、三枚の絵は次第に仕上がっていった。


「リナさん」
「何？」
「三枚が完成しました。見て下さい」
「どれどれ」
リナは、働いている自分が描かれた絵をしげしげと見る。
「うん、なかなか可愛く描けてる。いいわね。あたし、絵のことはよく分からないけど、こんな風に描いてもらえると、モデルをやった甲斐があったってもんだわ」
「それで、もう一つお願いがあるんです」
「ん、なあに？」
「明日、僕の部屋に来て欲しいんです。これらの絵は四枚で連作にしようと思っているのですが、最後の一枚を描くためには、どうしてもリナさんに来ていただかないといけないんです」
「まあ、明日は市場も休みだしね。いいわよ。で、一日でいいの？」
「下書きだけなら、一日で仕上げます。リナさんにご迷惑はかけませんよ」


ゼロスの部屋はアパートの屋根裏で、描きかけの絵が壁に幾重にも立てかけられ、油絵の具の匂いに満ちていた。ゼロスは、白い布で覆われたソファを指し示す。
「そこに座って下さい」
そして、驚くほど側に、イーゼルを立てる。小さな絵布を置く。ゼロスはいつもの絵の具で汚れたローブを着て、椅子を引き寄せる。
「……何か、顔が近くて落ち着かないんだけど」
「そうですか？」
ゼロスはにっこりと微笑んで、木炭を動かし始めた。
「今日は、リナさんのアップを描きます」
リナは、しばらく黙ってゼロスの手の動きを見ていたが、ふと聞いた。
「ねえ、ゼロスは宮廷画家になりたいの？」
「それはそうですね。画家としての最高の栄誉ですから、なりたいですよ」
「もし宮廷画家になったら、もううちの市場になんか来てくれなくなるわよね」
「おや、寂しいんですか？」
「そりゃ、ね。うちのお得意さんが来てくれなくなるのはさびしいわ」
「リナさん」
ゼロスは、木炭を置き、ボロ布で手を拭く。
「もし、もしもですよ。今回のコンクールで僕が一等を取れたら……つまり、宮廷画家になれたら」
ゼロスは真剣な紫の瞳を覗かせる。
「僕のところへ来て下さいませんか？決して貴女を不幸せにはしません。僕は、あの市場に絵の題材を求めだした頃から、貴女を見てきました。貴女を描く決心がついたから、今回のコンクールにも応募してみようという気になったんです」
そして、リナに顔を寄せる。
「もっと側で、貴女を見たい───」
リナは黙って目を閉じた。そして、二人の唇は重なった。天窓からはいる淡い白い光の中、二人はいつまでも口づけを続けていた。


「おい、おいゼロスいるか、起きろ！王宮から使いが来たぞ」
ゼロスは、薄いドアが割れんばかりに叩かれる音で目を覚ました。服を整え、廊下に降りる。
「ゼロス＝メタリオムだな？」
国王宮の百合の縫い取りのある高級な布地の服に身を包んだ男が、ゼロスの前に歩み出た。
「お前の絵は、今回のコンクールで一等に選ばれた。祝いを言う。お前が、新しいこの国の宮廷画家だ」
「僕が───僕の絵が」
「表に馬車が止めてある。今すぐ、王宮まで足労願いたい」
「あの、このことを知らせたい人がいるのです。しばらくお待ちいただけませんか」
「猶予はならん。すぐに王宮まで、と王の勅令なのだ」
ゼロスは、揺れる馬車の窓から、市場の方を見た。あの人は、もうとっくに商売を始めていることだろう。伝えたい、このことを。誰よりも早く───。


ゼロスは、国王の前で頭を下げていた。謁見の間の壁には、ゼロスの四連作の絵『市場の娘』が架けられている。国王は、豪奢な椅子に太った身体を埋め、鷹揚にゼロスに声をかけた。
「頭を上げて良いぞ。そして、自らの傑作がこの謁見の間を飾っている様子を眺めるが良い、ゼロス＝メタリオム」
「畏れ多いことでございます」
ゼロスは、そっと顔を上げて、自分の絵を見た。きらびやかな光の中で、それらはまるで自分の絵では無いように見えた。ふと、アップで描いた絵の中のリナの紅い瞳と目が合う。ゼロスは、王宮に来て初めて、嬉しさに微笑んだ。
「実に見事な絵だ。市場で働く娘の生き生きとした仕事ぶり、伝わってくるようじゃ」
「もったいないお言葉でございます」
「この絵の中の娘に、モデルはいるのか？」
「私は空想でこれらの絵を描けるほどの技量はございません」
「つまり、実在するのだな、この紅い瞳の娘は」
「はあ、たしかに実在いたしますが……」
ゼロスは、話の方向にとまどっていた。
「この娘の名は何という」
「畏れながら、陛下にいちいちお伝えするほどの娘ではないかと……」
「これ」
横から、ここまでゼロスを連れてきた使者が強い口調で叱咤する。
「陛下がお尋ねになっておられるのだぞ。疾く答えよ」
「リナと申します」
「何処の市場で働いておる」
「サンノール市場で……」
「サンノール市場のリナか」
国王は満足げに髭をしごいた。
「ゼロスよ。お前には、宮廷画家として私や妃、息子や娘、私の愛妾たちを描いてもらわなくてはならん。王宮の中に、お前の住まう場所は既に用意されておる。今日の所は、ゆっくり休むがよい」
「あの、一度街の方に戻りたく……」
使者が言った。
「お前の元いた部屋の事ならば、すでに王宮の使者が必要な荷物を運び出し、部屋代も精算を済ませておる。陛下のおっしゃるとおり、王宮内のお前の部屋に下がって休むがよい」
「それでは、失礼いたします」
部屋を出ると、使者が先に立ち、ゼロスを新しい部屋まで案内した。今まですんでいた屋根裏部屋とは比べものにならない。広く、光の燦々と差し込むガラス張りの部屋で、寝室と絵を描くための画室が分けられていた。画室には、屋根裏部屋から運び込まれてきたゼロスの描きかけの絵が積み上げてあった。絵を描くための道具も既に用意されている。今まで使っていた数倍の色の絵の具がある。筆の数・種類も素晴らしい。ゼロスは、自分が画家として文句のない地位についたことを改めて思い知らされた。それはまた、自由の剥奪でもあった。もう、彼は、描きたいものを求めて河原や、公園や、市場をぶらつく必要は無いのだ。そして、何より愛しいあの娘を描くことももうできないのだ。


「リナちゃんの家かい。それなら、裏通りのインバース商会って店さね。……って、こんなに貰えないよ！ちょっと！そこの馬車、待っておくれ！……行っちまったよ」
「なんだ、かかあ」
「リナちゃんの家を、えらく身なりの良い男が聞くもんだから、答えてやったら、これさ」
乾物屋のおかみは、袋に詰まった金貨を出してみせる。
「答えちまってよかったもんかね。何だか嫌な予感がするねえ……」
「あそこには、騎士より強いルナちゃんがいるから、大丈夫だろう」
「まあ、確かにルナちゃんは強いけどねえ……」


ルナは、壁に掛けてあったサーベルを取った。
「何者だか知らないけど、リナは渡さないわ」

狭い裏通りに無理矢理入ってきた豪華な馬車。そこから降りてきた数人の甲冑を纏った男たち。彼らは、ルナの存在を無視したように、まっすぐ店に入り込んできた。リナがいないとみると、
「リナ、という娘は何処だ」
とルナにつかみかからんばかりの勢いで聞いてきたのだ。男の一人が、二階へ上がる狭い階段を見つけ、上がろうとした。

「何者とはご挨拶だな。我々は、王に仕えるものだ」
「国王だろうが神様だろうが、このルナ＝インバースの前を黙って通らせはしないわ」
ルナが剣を構えると、男たちも剣を抜いた。ルナはすかさず近い男の手首を叩く。男は手首を押さえて、剣を取り落とす。
「甲冑越しに……なんて力だ」
「ひるむな！相手は女一人だぞ」
ルナは、もう一人の甲冑男の身体にサーベルを打ち込み、返す刀で別の男の胴を薙ぎ払った。しかし、一人の男がルナの後ろに回り込んで、羽交い締めにした。
「こんな美しい女が……とんだじゃじゃ馬だな」
「姉ちゃん、何？何の騒ぎ？」
「リナ、だめぇっ！！降りて来ちゃ駄目よ。二階の窓から逃げなさい！！」
別の男が、甲冑のままで、ルナの頬を思い切り殴りつけた。ルナは意識を失い、倒れる。
「馬鹿！女を殴る奴があるか」
男たちを指揮している、甲冑から金髪をこぼれさせた男が怒鳴った。
「隊長、しかし、この女は……」
「隊長、リナという娘を捕らえました。今から下へ降ろします」
リナは手首を後ろ手にひねりあげられ、暴れながら一階へ降ろされた。
「あまり手荒く扱うな。陛下の勅命であることを忘れるな」
「リナとやら」
甲冑を着ていない、国王の使者が、リナに告げた。
「お前は、陛下の花として、王宮に招かれる。お前をここから連れてゆく代わりに、月に十万デナリが王宮から支払われる。これはその一回目だ」
どさり、と重い音がして、青い絹の袋が粗末な店先の机に置かれる。
「姉ちゃん！しっかりして、姉ちゃん！あんたたち、何なのよ！」
金髪の隊長が、とん、とリナの首筋に手刀を入れた。リナは
「姉ちゃ───」
言いかけて、ゆっくりと倒れた。
馬車は狭い道の両端を擦るようにして王宮へ向かっていった。



これは何というジャンルなんでしょう？中世もの？ともかく、この世界の中ではリナちゃんも他の誰も魔法は使えません。ルナさんはばりばりに強いですが。これから先のお話も暗雲が立ちこめておりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。私はわりに悲劇を好む方ですが（読むのも書くのも）これは、今から言っておくのも何ですが、べったべたの悲劇です。


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