雲路の果て［５］



六弦を奏でる指は
私だけ守るには幼く
くちづけは花びらに埋もれ
砂を噛むようにベルが鳴る


「ゼロス……本当に、本当に無事で良かった」
「リナさん……僕は、一度はもう二度とこの腕にあなたを抱けなくなるかと思いました。でも……」
首筋に、跡が残るほどの強いキスをする。
「貴女が、助けてくれた」
「あたしも、あそこにたどり着くまで、気が気じゃなかったわ。あんたの死体を見つけたらどうしようって」
「僕の死体を見つけたら、どうなりますか？」
「嫌なこと言わないで。頭が変になるに決まってるじゃない」
リナは、そのしなやかな華奢な身体をゼロスに沿わせて、ゼロスの耳に囁く。
「隊士の人たち、全員あたしたちの関係を知ってたわ」
「まあ、そうでしょうね。こんな狭い人間関係ですから」
「なにそれ。あたしだけがやっきになって隠してたわけ？いやんなっちゃうなあ、もう……」
リナは口を押さえた。ベッドから飛び降りる。シーツを身体に巻き付けると、副長室の洗面所のほうへ走っていった。白い陶器の洗面台に、真っ赤な血が滴る。リナは、水を勢いよく出して、血をよく洗い流した。口の周りを洗い、口をゆすぐ。
「大丈夫ですか、リナさん」
いつの間にか、ゼロスが後ろに立っていた。
「ゼロス！いつからそこに……」
「リナさんが口をゆすいでいるときからです」
リナはほっとして、ずるずると座り込む。
「吐き気ですか？」
「そんなとこ」
「リナさん……！」
ゼロスは、リナの小さな身体をぐうんと抱き上げる。
「もしかして、僕とリナさんの子供が出来たんじゃありませんか？」
「ちょ、ちょっとゼロス、それはないわよ」
「だって、理由もないのに吐き気がするんでしょう？きっと、神様から僕たちへのプレゼントですよ。ああ、明日になったら、ちゃんとお医者さんに診てもらいましょうね。男の子かな、女の子かなあ……」
「ゼロス！！」
強い口調のリナに、ゼロスは思わず黙る。
「とにかく、子供が出来たってことはあり得ないの。あたしは……その……」
「その？」
「つ……月のものが、ちゃんとあるんだから」
「なるほど」
「まったくもー、恥ずかしいこと言わせないでよね」
「と、なると、なんの吐き気でしょうねえ」
「食べ過ぎじゃないの。どうも、男所帯にいると、合わせて食べちゃうから食べ過ぎるのよね」
「その割りに、成長しませんね、その胸……」
すぱーん。スリッパで殴られる。
「よけいなことは言わんでよろしい！」
「は……はい」

ある夜、リナは自室で鏡に向かっていた。薄く化粧をし、髪を梳いてアップにし、買ってきた香水をうなじにつける。
「剣の稽古ばかりしてないで、たまにはこういうのも着なさい」
と、母が買ってくれた深緑のドレスに手を通す。胸元には、いつもの銀のペンダント。それ以外のアクセサリーを、リナは持っていない。
「パーティって、こんなものでいいかしら？」
リナは、夜の闇に紛れて、詰所を抜け出した。
パーティ会場からは、熱気と音楽が溢れている。リナが入っていこうとすると、ボーイが名簿とペンを持ってやってきた。
「治安維持隊一番隊隊長　リナ＝インバース」
ボーイは息を呑んで、去っていった。
リナは、カクテルを片手に、ゆっくりと会場を歩いた。
（ゼロスだって武器を手に入れようと走り回ってるんだもんね。あたしだって……）
「そこの美しいお嬢さん。一緒にシャンパンなどいかがです？」
「ええ……」
リナは、にっこりと振り返った。

「それじゃ、あなたは子爵様なのですね」
「いや、君の正体には驚いたよ。あの『ゼフィーリアの狼』……っと失礼、治安維持隊の小隊長さんであられるとは。こんな美しいお嬢さんが」
「まあ、お世辞なんて」
「いや、お世辞じゃありませんよ。貴女はこの会場にいるどんな貴婦人より美しい。それにしても、その胸元を飾るアクセサリーが銀のペンダントだけとは、少し寂しいですね」
「いえ、あたしはこれが気に入っているんです」
「こんどはぜひ私とプライベートでお食事を。その時、貴女にふさわしい宝石を用意させましょう」
「宝石もとっても魅力的なんだけど、あたしが欲しいものは別にあります」
「別……」
「治安維持隊に、大砲を」
「……！」
「いま、政府のお金は、底をつきかけておりますの。治安維持隊も、このままでは無駄死にですわ。大砲が２門あれば、ずいぶんと戦力の増強になると思いますわ」
「お嬢さん。私は、どちらかと言えば穏健派で知られています。治安維持隊に金をそそぎ込んだことを知られたら、わずかながら私の身の上にも危険が及ぶことになる」
「……」
リナは目を伏せる。長い睫毛が、深紅の瞳に影を落とす。子爵はリナの肩に手を回した。
「美しいご婦人にそんな顔をさせてはいけませんな。分かりました。大砲は３門、ご用意します」
「子爵様……！」
「その代わり、私の屋敷へこれから来ていただけますね？」
「ええ」
（ああ、こんなことになるんなら、フィブリゾとしちゃっても同じだったかな。でも、あんな奴に身を任すくらいなら、このかっこいい子爵様と……）
夜道を馬車が駆けた。子爵はリナの長い髪を下ろさせ、柔らかな流れを指先で愛でた。
「リナ……」
子爵はリナの小さな顎を掴み、自分の方へ向けさせた。リナは瞳を閉じた。
（大砲３門、大砲３門……）
いきなり黒い馬が現れて、馬車の行く手をふさいだ。馬車は急停車する。リナと子爵はもつれ合って倒れた。
「な……何者だ！」
「治安維持隊副長、ゼロス＝メタリオムです」
「何だと？」
「今日はうちのリナさんが酔ってご迷惑をかけたようで。迎えに来ました。さあ、帰りますよリナさん」
「ゼロス……どうしてここが」
「リナさん、早くこっちへ」
リナは首を振った。
「あたしは、子爵様と行く約束をしているの。だから……」
「ききわけのないお嬢さんですね」
ゼロスは、鞍から飛び降りると、リナの細いからだを強引に抱き上げた。自分の前に乗せる。
「子爵様、誠に失礼いたしました。この埋め合わせは近い内に……」
呆気にとられている子爵と従者を残し、ゼロスはリナを連れて夜道を詰所へと向かっていった。

「呆れましたよ、今回ばかりは」
「なんであのままあたしを行かせてくれなかったのよ。子爵様は、あたしたちに大砲を３門も用意して下さるっておっしゃったのよ」
「一夜の契りと引き替えに、ですか」
リナは月明かりの下、赤くなる。
「僕が、自分の恋人に、そんな売笑婦まがいのことをさせると思いましたか？」
「売笑婦って……あたしは、ただ、みんなのために自分に出来ることはないかと思って……」
「とにかく、二度と今夜のような真似はしないで下さい。貴女の美しさは僕だけのものだ。売り物じゃありません」
リナはうつむいた。そして、背中のゼロスのぬくもりに身を任せた。


次の日、リナが稽古場で隊士に稽古を付けていると、ゼルガディスに呼び出された。
「今夜、練習が終わった後、稽古場で待ってる」
それだけ言うと、無愛想に去っていった。
「何、あいつ。まさか、アメリアがいるっていうのに、あたしとつきあいたいわけじゃないだろうし」
稽古が終わり、隊士が床にモップをかけた。
「リナ隊長、電気どうしますか」
「つけといて。ちょっと、人と会うのよ」
「ゼロスさんですか？」
「減らず口たたくと、斬ってすてるわよ」
おーこわ、と手真似で示しながら、最後の隊士は去っていった。椅子に座って待っていると、ゼルガディスが姿を現した。
「待ってたわ。あたしに何の用？」
「俺と、試合をしてくれ」
「あんた、アメリアが……」
「ああ、勘違いするな。別にお前とつきあいたいと思ってるわけじゃない。お前の腕を試したいだけだ」
「腕を……試す？」
「俺とお前のことだ。防具はいらんだろう。準備はいいか。行くぞ」
リナはサーベルを持った手を真っ直ぐに伸ばした。斬りかかってくるゼルガディスの剣をぎりぎりのところで跳ね上げる。そのまま勢いに乗って、ゼルガディスの懐に切り込む。ゼルガディスも、何とか剣を引いて、リナの攻撃を押さえる。
「くっ……」
「ぐうっ……！」
リナの剣がゼルガディスの剣をはねとばした。からん……と乾いた音が稽古場に響く。リナは、切っ先をゼルガディスの頬に押しつけた。
「まだやる？」
「いや、もう充分だ。病に冒されていても、腕は確かだな、リナ」
リナは蒼白になる。
「なぜ……そのことを」
「お前が裏庭で血を吐いているのを見てしまった。まったく、この隊の男どもは馬鹿揃いだ。ガウリイの旦那も、隊士も……そして、お前の恋人のゼロスの奴も」
「お願い、このことは黙っておいて」
「いや、そういうわけにはいかん。切り込みの途中に、隊長が突然血を吐いて倒れたらどうなる？隊はばらばらだ。お前は病気を治すのに専念しろ。一番隊の面倒は、三番隊隊長のこの俺が見る」
「ゼル……」
「俺は、アメリアを愛している。だが、それとは別に、お前のことも気になっていた。お前が自分をすり減らしていくのを、見ていられないんだ」
「……分かった。あと一戦。それだけ指揮を取らせてくれたら、ゼルの言うとおりにする」
「後一戦……国王城への斬り込みか。何か、思い入れがあるのか」
「あたしの、姉ちゃんが、敵として現れる」
「おだやかじゃないな」
「あたしを、剣士として育ててくれた人よ。決着は、あたしの手でつけたい」
「返り討ちに合う可能性もあるんだろう？」
「うん。でも、戦いたいんだ。いままで、ガウリイに、ゼロスに、ゼルについてきたあたしが間違っていなかったと証明するために」
そういって、リナは二、三度嫌な咳をした。


「明日は、国王城への斬り込みだ。ゼロスが骨を折ってくれたおかげで、大砲も二門用意できた。が、正直言って、この晩メシが最後の晩メシになる奴もいるかもな」
隊士たちは、朗らかに笑う。
「今日はしっかり喰って、早く休め。明日は、厳しい戦いになる」
それでも、隊士たちの顔から笑みは消えなかった。ガウリイは、いつしかこの隊の局長として、絶大な信頼を取り付けていた。隣には副長のゼロス。
「今日はおひとりにワイン一本つけますよ。僕の奢りです」
若者たちは、華やかな歓声をたてた。


この目さえ　光を知らなければ
見なくていいものがあったよ

からだが　あなたを知らなければ
引きずる思い出もなかった


夜が明けた。隊士たちは三々五々起きてしまっていた。興奮で、とても寝付いてはいられない。共同の洗面所で若者たちが顔を洗っていると、ゼロスの部屋から、襟元の乱れた軍服姿の、リナが姿を現した。
「リナ隊長、はっきりいって、俺たちの心を乱してどうするんですか」
「あ……？あ、これ。ごめんごめん。つい寝ぼけちゃって」
金のボタンを止めなおす。
「ボタンのこともそうですけど、半ば公認だからと言って、堂々と副長室から出てこないで下さいよ」
「あ、あはは、夕べゼロスの奴が帰してくれなくって」
「ああっもう！リナさん、それ、わざとですか？天然ですか？」
若い隊士たちは、顔を赤く染めて、頭から冷たい水をかぶった。




この話を書くときに最初に思いついたシーンは、二人きりで戦うゼルガディスとリナちゃんでした。そのシーンを書けて嬉しいです。さて、この話も残り一話となりました。「新選組」を題材に選んだ以上、明るい話にはなりそうもないのですが。それでは、最後まで、よろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ゼロスの部屋から無防備に出てくるリナちゃんがお気に入りです。二人の間には、本当に赤ちゃんを作らせてみたかったですね。（と、言いつつ……）


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