雲路の果て［４］
フィブリゾは、明くる日の昼、隊士たちに紹介された。 「１６です」 そういうフィブリゾの顔は、年より遙かに幼く見えた。 「こいつは、可愛い見た目とは違って、そうとう賢いぞ。皆も、フィブリゾと意見を戦わせて、せいぜい知的レベルを上げてくれ。頼んだぞ、フィブリゾ」 「まかせててよ」 フィブリゾは、にっこりと微笑んだ。 「僕と話したい人は、いつでも僕の部屋に来て。僕は、政府派だけど……」 そして、ちらりと碧のひとみを隊士の上に走らせる。 「どんな意見を持った人も、相手になるよ」 その時だった。リナが、口を押さえて、講堂を走り出た。ゼロスと、ゼルガディスが、それを見ていた。 「がはあっ。はあっ。はあっ……」 リナの唇を血が染める。 「くっそー……ついに人前でやっちゃったか」 大きく咳き込んで、もう一度血を吐く。 「こんなこと、やってる場合じゃないのに……今が、一番、治安維持隊にとって大切な時なのに……」 地面に落ちた血を、靴で砂をかけて覆い隠す。ハンカチで、口元をごしごし拭う。ハンカチは、たちまち血塗れになった。リナは、裏手の林にそれを捨てた。 フィブリゾは、その爽やかな弁舌で、隊士たちを魅了していった。 「僕たちの国がこれからどうなるか、それを分かってる人間は少ないよ」 そして目を伏せる。 「政府派は、いずれは追いつめられるね。国王派には、全国から集めた軍の力がある。大砲も、八門持ってる。城を攻めるのにも、何の不自由もない」 「それじゃ、フィブリゾさん、俺たちに勝ち目はないのかよ」 「なにをいうんだ。君たちには、政府を最後まで守り抜くという魂があるだろう？それがある限り、簡単に君たちは破れやしないよ」 「お、さっそくやってるな」 「ガウリイさん」 「フィブリゾ。早速だが相談がある。俺たち治安維持隊にも、大砲が欲しい」 「僕の実家の財力を当てにしての頼み？」 「恥ずかしい話だが、そうなる。政府軍には、もう大砲を買える金は残っちゃいないんだ」 「ふうん…いいけど、条件があるよ」 「どんな条件だ」 「リナお姉さん」 「……！」 「彼女を、一晩好きにさせてくれたら、大砲を二門プレゼントするよ」 「馬鹿なことを……！いい、大砲なんかいらん。お前に頼んだ俺が馬鹿だったよ」 「いや、大砲はプレゼントさせてもらうよ」 不気味なほど澄んだ声で少年は言った。ガウリイが振り向くと、フィブリゾの姿はすでになかった。 「はっ、ぐっ、ああっ……」 詰所の裏で、リナは喀血していた。細い背中が、ぜいぜいと鳴る息に合わせて揺れた。ようやく呼吸が楽になる。リナが顔を上げると、そこにはフィブリゾがいた。 「あんた……！」 「リナお姉さん」 フィブリゾは、懐からハンカチを取り出す。 「唇が、血塗れだよ。口紅みたいで綺麗でもあるけど」 リナは、自分のハンカチを取り出して、唇を拭った。 「結構よ。あんたのハンカチなんて、使わないわ」 「おや、嫌われたものだね」 「あんた、何者なの」 「あなたたちの仲間だよ。治安維持隊総長」 「あんな、国王派めいたことを演説しといてよく言うわ」 「別に僕はどっちの味方でもない。この国の現状を話しているだけだよ」 「なら、一人でどこでも勝手に論陣張ってればいいじゃない。なぜこの隊に……」 リナの軍服の前が、剣の先でピッと破られた。白い胸が露わになる。 「なにすんのよ！」 「局長から話を聞いてないの？今夜一晩、あなたは僕のものになる。そのかわり、二門の大砲を僕はこの隊にプレゼントする」 「聞いてないわよ、そんなの！」 フィブリゾは、リナを壁に押しつけ、リナのサーベルを抜いて後ろの林に捨てる。 「剣ではかなわないからね……」 フィブリゾは長い指でリナの顎を掴んだ。 「僕のものになってもらうよ、一番隊隊長、リナ＝インバースさん」 もがこうとしても、力はフィブリゾの方が強い。リナは瞳を閉じた。 「女は素直が一番だよ」 破れた軍服の隙間から、小さな胸に手を滑らせたその時、フィブリゾの後頭部を衝撃が襲った。 「ぐっ……」 「ゼロス！」 「フィブリゾさん、あなたはたくさんの隊士をその弁舌で虜にしているようですが……」 ゼロスは剣を抜く。 「リナさんは僕のものです。リナさんを抱くというのなら、僕を倒してからにして下さい」 「慢心しきった政府派の犬が何を言うんだ！」 「おっと、本音が出ましたね。で、どうしますか？僕と戦いますか？」 「ふん、そんなつまらない女、くれてやるよ。ただ、大砲の話はなしだよ」 「結構です。大砲なんて、あなたに頼らなくても手に入れて見せますよ」 フィブリゾは、枯れ葉を踏みならして、去っていった。 「リナさん、大丈夫でしたか？」 「怪我は、してない。大丈夫」 そして、ゼロスにしがみつく。 「怖かった。一番隊隊長が何を言うかと思われるかも知れないけど、すっごく怖かったわ。ゼロス、助けに来てくれてありがとう」 「僕も、リナさんを護れて嬉しいですよ」 そして、唇の前で指を振る。 「あんな貴族にすがらなくても、大砲の一つや二つ、僕が用意して見せますよ」 「出来るの？そんなこと」 「僕はだてに副長をやっているわけではありません。信じて下さい」 ゼロスが、街中の貴族の家に出入りしていることは、次第に皆の知るところになっていった。 「ご馳走でも頂いてるのかねえ？」 「メシは、ここのまかないでも充分旨いだろう」 「いや、新式兵器を譲り受ける算段をしているらしいぜ」 「とにかく、俺たちに何も言っちゃくれないんだ」 「気になるな」 その夜も、ゼロスは貴族のパーティーに招かれ、顔を出していた。何人もの貴族と顔をあわせ、治安維持隊の重要性を語った。資金を出してくれるように頼み込んだ。 「しかし、君ねえ。治安維持隊の急進派は恐ろしいよ。『ゼフィーリアの狼』と呼ばれているそうじゃないか。我々も、正直国王派につくべきか政府派につくべきか迷っている。一旦君たちに資金を提供して、いざという時に裏切ったりしたら、大変なことになるんじゃないのかね？」 「僕たちは、見境無しの殺人集団ではありませんよ」 「しかし、君たちは『ホテル・リッツ』で……」 「確かに。でも、僕たちに協力なさってくれれば、僕たちはあなたを護ります」 唇に指をあてる。 「命に代えてもね」 「しばらく考えさせてくれ」 「ええ。ゆっくり考えて下さい」 そしてゼロスは、別の貴族のテーブルに去っていった。 パーティーは終わった。ゼロスは、付き添いの少年を一人従えて、帰り道を急いでいた。その時、ゼロスは不意に立ち止まった。６人……いや、８人。囲まれている。ゼロスは付き添いの少年に言った。 「今すぐ、そこの川に飛び込んで、反対側に泳ぎ着いて下さい。そして、本隊から応援を……急いで」 少年を突き放すと、ゼロスは剣を抜いた。 「治安維持隊副長、ゼロス＝メタリオムだな」 「そうですが、それが何か？」 「死んでもらう」 その言葉を合図に、ばらばらっと男たちが斬りかかってきた。ゼロスは、崖を背にして、自分の前の敵に意識を集中した。２人……３人。ゼロスの剣に倒れてゆく。しかし、剣には血糊と脂肪がべったりと付いている。この剣で、後どれだけ闘えるか……。 びしょぬれの少年兵が、隊員たちの詰所に駆け込んできた。 「大変です！ゼロスさんが……たくさんの人に襲われています」 「何ですって！」 リナは、カードゲームの札をテーブルの上に投げ出すようにして立ち上がった。 「隊長、行きましょう！」 ふと周りを見渡すと、様々なテーブルに付いていた一番隊の隊員が、申し合わせたように立ち上がっていた。 「あんたたち……」 「ゼロスさんのピンチなら、リナさんが行かなきゃしょうがないでしょう？さあ、行きましょう、ゼロスさんを助けに！」 「よっしゃー！一番隊、行くわよ！」 「おう！」 一番隊は、少年に導かれて、夜道を走っていった。 「それにしても……あんたたち、いつから知ってたの」 「いつからって」 一番隊の青年が微笑む。 「治安維持隊にいるものなら、誰でも知ってることですよ」 ５人目を、ようやく片づけた。もう剣は役に立たない。ゼロスは、ずっしりと重くなった剣を捨てた。 「降伏するか、ゼロス＝メタリオム」 「正直言って、手詰まりです。なんとか、見逃してくれませんかね」 「それは出来ないな。お前を殺せ、というのが上からの命令でね」 「冥土のみやげに、その『上』ってひとの名前を明かしてくれませんか」 「それはできんな。死ね、ゼロス＝メタリオム！」 ぎいん。ゼロスに振り降ろされた剣を、細いサーベルが受け止めた。 「さあ、これで冥土へ行くのはあんたたちになったわね」 「なんだと」 「形勢逆転、よ。あんたたちは３人。こっちは８人いるわ」 「く…っ！引け、この場は逃げるんだ！」 林の中に飛び込もうとする刺客を、リナの部下たちが襲う。 「一人は生かしておいて！後は殺すのよ」 闇の中によく響くリナの声。リナと戦っていた男は、既に死体となって、足下に転がっている。 「リナ隊長、敵の一人を捕まえました」 「ゼロス副長、ご無事ですか？」 「ええ、何とか。あなたたちが来てくれなければ危なかった。ありがとうございます、リナさん」 「礼なら、こいつらに言ってやって。あんたを助けようって、一発で集まってくれたんだから」 「うう……」 捕らえられた男が、意識を取り戻す。 「誰に頼まれてやったの」 「言えない」 「答えなさい！」 リナは男を平手打ちにする。 「……冥王（ヘルマスター）さま」 「へる…ますたー？それじゃ、何のことかさっぱりよ。もっとはっきり答えなさい！」 「リナさん、今ので充分です」 リナの部下が、男を斬り捨てる。 「ヘルマスターって、何者」 「冥王……フィブリゾの二つ名ですよ」 「すると、僕の部下がゼロスさんを襲ったって？何の恨みがあってそんなことしなくちゃならないんだよ」 「しらばっくれるのもいい加減にするのね。たしかに、ゼロスを襲った男の一人があんたの二つ名を言ったんだから」 「僕を陥れようとする勢力のものかもしれないだろ？」 「襲われたのがゼロスじゃなければね。でも、あんたは、……その、あたしを襲おうとして、ゼロスに邪魔されている」 「あれくらいのことで、僕は人を殺そうなんて思ったりはしないよ。でも、最近のゼロスさんの動きがうっとおしかったのは事実だな」 「なんですって」 「僕が大砲を用意してやるって言ってるのに、他の貴族に取り入っておべっか使ってさ。治安維持隊に貴族は一人でいい。その僕を疑うって言うのなら、いいよ。ぼくは治安維持隊を出ていくよ。それで気が晴れるでしょ？」 フィブリゾは幼い顔をゆがめてリナを睨み付けた。 「リナお姉さん」 「こっちとしても、それは大歓迎だわ。最近、隊内に国王派が増えて、困ってたのよね。出て行くならさっさと出ていって」 「私はフィブリゾ様とお供します」 「僕も」 詰所内から、バラバラと十数名が立ち上がった。 「あんたたち……！」 「政府派はもうお終いです。僕たちはフィブリゾ様についていきます」 「斬るわよ」 「まて、リナ」 ガウリイが、詰所に出てきていた。 「行かせてやれ」 「そんな……十何人も隊士が減っちゃうのよ」 「国王派の考えを抱いたまま、この隊にいられても迷惑だ。行きたい奴は、好きにすればいい」 「わかったわ」 リナは、かちゃりと剣を鞘に納めた。 その夜だった。 「俺はもうたくさんだ。国王派だろうが政府派だろうが構うものか。こんな血なまぐさい隊にはもういられない。田舎に帰らせてもらう。フィブリゾ派の離脱だって許したんだ。俺だって抜けられないってことはねえよな？」 「ええ、そうですね。こちらとしても臆病者に在籍されても困りますし。ゼルガディスさん、彼をゼフィーリアの端まで送っていって上げて下さい」 ゼルガディスは、その鋭い瞳でゼロスを見た。 「ああ、わかった」 国境にきたとき、男は振り返った。 「ここまででいい。ほんとうに世話をかけてすまな……」 ゼルガディスは袈裟懸けに、男を斬り捨てた。 「第二条──隊を脱することを許さず」 隊則は、まだ、生きている。 今回はほぼフィブリゾ編となりました。そして、明らかになるリナちゃんの病気……まあ、史実を知っている方にとっては当たり前のことですが。折り返し点まできて、話はいっそう暗さを増していきます（またかい）。最後までおつきあいいただけると嬉しいです。 ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。フィブリゾのモデルは伊東甲子太郎です。って、こんなひどい人じゃないんですが。天国の甲子太郎さん、お許し下さい。この話でフィブリゾに着いていった隊員たちの行く末はいわずもがな、ということで。   |