カテドラル［２］

二人は、明け方の道を歩く。カラスの群が、ゴミをあさっている。暁の光に洗われて、廃墟カテドラルは不思議に神秘的に見える。
「どうして、この街がカテドラルって名前か知ってるか」
「カテドラルって、大聖堂って意味でしょ？どうしてこの街がカテドラルなの？」
「前の戦争は激しかった。前線に出た兵士は、何人もの敵兵を殺した。そんな奴らが良心に耐えかねてこの街の大聖堂に駆け込んだ。懺悔をし、自らの心を救うためにな」
「でも、この街には大聖堂なんて無いわ」
「爆撃されたんだよ。今は跡形も残ってない。敵さんも、こっちにとって何がダメージになるか、分かってたみたいだ」
「ふうん……」
「今では、カテドラルは退廃の街だ。今でこそ、前線から引き上げてきた兵士たちで賑わっているが、やがてそいつらも自分の国に帰るだろう。そしたら、この街も終わりだ」
「ガウリイは、戦争には行かなかったの？」
「行ったさ。俺は傭兵だったんだ。左脇腹を弾丸が貫通した。入院してる間に、直接戦争とは関係ない俺の祖国に核が落とされて、戦争は終わった」
「ガウリイ……」
「俺は、家族も祖国も失った。今ではキャバレーのウェイターだ。この街が滅ぶとき、俺もまた行き場所を失って迷うだろう」
「あたしも、前の戦争で家族を亡くした。もう、あたしの夢に出てくるあの人を見つけるまで、あたしの生きる道はないの」
「夢に出てくる人、か……。そいつは、本当に存在するのか？」
「存在する。あたしにはそれだけは分かるの」
「そいつ、他に恋人が出来てるとか、家族を持ってるとか、そんな可能性はないのか？」
「たぶん……たぶんそんなことはないと思う。それも、あたしには分かる」
「早く見つかるといいな、その人」
「うん。あたしがおばあさんになる前に見つかるといいんだけど」
朝の光の中、リナは美しい微笑みを見せた。


若い男なら、半額で相手をするリナ。その評判は、カテドラル中に広まっていった。夜毎に、リナは若い男に抱かれ、全てが終わると男の頬にキスをした。
「ありがとう。とっても素敵だったわ」
それは、彼がリナの探し人では無いというしるしだった。
ある夜、仲間の兵士に連れられて、鋭い目つきの男が店に訪れた。リナは、彼を見てにっこり微笑んだ。
「いらっしゃい、ゼル」
仲間はざわめいた。
「おい、ゼルガディス、おまえお堅い顔してリナの知り合いなのかよ」
「知らん。この店に来たのは今日が初めてだ」
「楽しんでいってね」
リナは、すっかり慣れた手つきで水割りを作り、ソファを囲んだ客に差し出した。
「おい、リナとか言ったな。なんで俺の名前を知っていた」
「さあ……何となくよ。あなたはゼル、そういう気がしたの」
「なあゼル、おまえ、リナちゃんに相手してもらえよ」
「そうそう、リナちゃんは、若い男は半額なんだろ？チャンスじゃないか」
リナはそっと首を振った。
「残念ね。ゼルは、あたしが探してる人じゃないわ」
「何でだよ、リナちゃん。リナちゃんの探し人は、寝てみないと分かんないんだろ？」
「とにかくゼルは違うの。それに、ゼルには恋人がいるでしょ」
「おー、アメリアちゃんのことか。なんでリナちゃんにはそんなことが分かっちゃうわけ？」
「さあ。占い師の才能でもあるのかも」
「ねえねえリナちゃん、その探し人、俺である可能性もあるわけ？」
「ええ」
「じゃ、決まりだな。俺はリナちゃんと二階へ行く。お前らは他の女の子と楽しんでな」
ゼルガディスは、とまどっていた。「リナ」と言う名前に覚えがあるのだ。今ではなく、遙かな昔に。
キャバレーの店内を光線が走り、ミラーボールが回り始めた。ショータイムだ。短いスカートからすらりとした脚を見せた女たちが、天井から下がった棒にからみついて、淫らな踊りを踊る。ゼルガディスは、リナのことを忘れようとして、見るともなくそのショーを見ていた。今、二階で、自分の仲間の兵士に抱かれているリナ。ゼルガディスのグラスを持つ手がかたかたと震えた。誰もそれに気づく者はいなかった。スイカのような匂いの香水をつけた女が、空になったゼルガディスのグラスにウイスキーを注ぐまで、ゼルガディスはリナのことばかりを考えていた。


「百人」
明け方の道を、マンションまで歩きながら、リナはガウリイにそう言った。
「お前の相手をした男の数か？」
「そう」
「そりゃ、おめでとう……というのも何か違うな。まだ、その夢の中の男は見つからないのか」
「たった百人よ。見つかるとは思ってないわ。あたしはまだ１４だし、時間はたっぷりある。これからも、ばんばん男と寝て、たった一人の人を探すわ」
「そいつがカテドラルにいるって保証もないのに？」
「ここには、世界中の若い兵士が集まってきている。可能性は、ここが一番高いと思う」
「まあ、お前がそう思うんならそうなんだろうな。しかし、寝なきゃ分からない運命の恋人なんて……残酷な話だ」
「あたしは平気」
「なあ…今日の昼、開いてるか？」
「…そりゃ、昼に起きてから店に出るまでは開いてるけど」
「ちょっと俺につきあってくれ」
「かまわないわよ」
「じゃ、午後二時に店の前で」
「おべんとう、作っていこうか？」
「えっ、お前って料理できんのか？」
「しっつれいねー、それくらい出来るわよ」


昼の明かりに色あせた店の前で、二人は落ち合った。リナは、手にバスケットを提げていた。
「どこに行くの？」
「ついてくりゃわかるさ」
二人は、眩しい光の中を歩いていった。やがて、ガウリイが足を止め、破れた金網から広い敷地内に入った。
「服や髪、引っかけんなよ」
リナも、用心しながらその金網を抜けた。そこは、兵器廠の跡地だった。造りかけの戦車や高射砲が錆びたまま放置されていた。かつては兵器を運んでいたと思われる線路には、夏草が生い茂っていた。
ガウリイが、もはや何だったのかも分からないがらくたの上に座っている。リナもその側に腰を下ろした。
「空が綺麗……」
「そりゃ、この街ではもう工業は成り立たないからな。空もきれいになるってもんだ」


──この空の　青の青さに　心細くなる──



「お前の弁当あてにして、なにも食ってきてないんだ。メシにしようぜ」
「うん」
リナは、大きなバスケットを拡げた。色とりどりの料理が並んでいる」
「おお、旨そうだな」
「見てないで食べてよ。ほんとに美味しいんだから」
リナの料理は本当に美味しかった。
「俺、外食ばっかりだったからなあ。こういう手作りの料理を食べるのって久しぶりだ」
「まだあるからどんどん食べてよ。あたしも食べるから」
二人は、料理の満載されたバスケットを空にして、一息ついた。
「ふー、食べた食べた」
リナがお腹をさする。


あなたは　雲の上で　明日の夢を追いかけてた
あたしは　うわのそらで　別れを思った


ガウリイは、食後のほうじ茶を飲みながら、切り出した。
「なあ、リナ。俺と一緒に暮らさないか？」
「へ？何言ってるの。熱でもあるの？」
「これは冗談じゃない」
ガウリイは、リナの紅い瞳を正面から見つめた。
「正直、お前の恋人は見つからない、と俺は思う」
「……」
「お前が、無駄な努力をして、心と身体をすり減らしていくのを見るのは耐えられないんだ。いるかいないか分からない幻の恋人よりも、俺の方がずっとお前を幸せにしてやれるよ。なあ、まじめに考えてくれ」
そして、顔を顔に近づける。しかし、リナは瞳を閉じなかった。
「だめよ、ガウリイ」
リナはガウリイの肩を押す。
「何度もいうけど、あたしは夢の中のあの人がいないと幸せになんてなれないの。ガウリイの気持ちは嬉しいけど、あたしはあたしのやり方でこれからもやっていくわ」
「リナ……！」
ガウリイは、懐から財布を出した。何枚かの札を引き抜き、リナに投げつける。
「じゃあ、ここで抱かせろ。お前はプロの娼婦だろ。俺は今日一人目の客だ。嫌とは言わないよな」
「ガウリイ、やめて！」
リナは、ガウリイの身体をよけようとして、鉄屑の穴の中に落ちた。ガン、と大きな音がした。リナの額から血が流れた。
「お、おいリナ、大丈夫か」
「触らないで！」
「ばか、血が出てんぞ、お前。もう変なことはしないから上がってこい。手当してやる」
「あ……」
「どうした、傷が痛むのか」
「一つだけ、思い出したの」
「……恋人のことか」
「あの人……紫色の瞳をしてた」

──汚れた世界に悲しさは響いてない
どこかに通りすぎてく　ただそれを待つだけ──


「リナちゃん、初めての若い客なら半額っていうの、止めちゃったんだって？」
「うん、悪いわね。今は、紫色の瞳をした人を探しているの」
「紫かあ……そうはいないよな、そんな瞳をした奴は」
「でも、全額払えば、相手はしてくれんだろ？」
「まあね」
「じゃ、俺と二階に行こうぜ」
「わかったわ」
リナは、酔って足下がふらついている客を抱きかかえるように、二階へ昇っていった。部屋にはいると、客はスーツのポケットから煙草のようなものを取り出した。
「なあリナちゃん、これ吸ってくれよ」
「煙草？あたし煙草はやんないの」
「ちょっとだけ。二、三口吸うだけでいいからさあ」
リナは怪訝な顔をして、火のついたそれを口にくわえ、煙を吸い込んだ。たちまち、世界がぐるぐる回り始めた。リナはめまいを押さえるように、ベッドに倒れ込んだ。客は、好色な笑みを浮かべ、リナの上に覆い被さった。リナは抵抗しようとしたが、指先一つ自由にはならなかった。
「何を……したの」
「別に、何でもないさ。ちょっとした薬だよ。すげえいい気分になれるぜ」
「嫌……」
その後は、声にならなかった。

次の日、やはりリナに全額を払って二階へ行くことを求める客が来た。リナはそれを受けた。客は、部屋にはいるといきなりリナにさるぐつわを噛ませ、暴れるリナを押さえつけた。
「あんまり動くと、体の中で注射針が折れるぜ」
びくっとして静かになったリナの腕に、注射針が刺さった。昨日と同じような、より強烈な幻覚がリナを襲った。
「あんた……昨日の客の……」
「ああ、仲間さ。それがどうかしたか？」
リナは、もう抵抗できない。深紅の瞳から、涙を流す以外には。

全てが終わった後、リナはまだふらつく身体を引きずるようにしてマンションに帰った。とにかく眠りたかった。
目を覚ますと、既に夕方だった。玄関のベルが鳴っていた。
「お届け物です」
リナは扉を開けた。とたんに、土足のまま数人の男に踏み込まれた。彼らは作業でもするかのように、手際よくリナを押さえつけ、リナの足首の静脈に注射を打った。リナは、最悪のことを覚悟したが、男たちはそれ以上何もしなかった。幻覚に襲われているリナを残して、靴音を鳴らして帰っていった。その日、リナは店に出なかった。

次の日の昼、再び玄関のベルが鳴った。リナはチェーンロックをかけたまま、そっと扉を開いた。ガウリイだった。
「リナ、おまえ、何て顔色してんだ。あがっていいか」
「いいわよ」
リナは扉を開くと、そのままガウリイにもたれかかった。そして、泣き出した。ガウリイは、そんなリナをあやすように、部屋の中へ連れ込んだ。
「どうした。元気がとりえのお前がそんなにやつれて。嫌な客にでも当たったのか？」
「ガウリイ……」
リナは、全てを話した。煙草のような麻薬のことも、個室で打たれた注射のことも、昨日踏み込んできた男たちのことも。
ガウリイは、激昂した。
「こんど、そいつらが店に来たら教えろ。俺が殴り倒してやるからな。お前、中毒にはなってないのか」
「たぶん、まだなってないと思う……あの薬を欲しいとも思わないもの。でもありがとう、ガウリイがいてくれて良かった……」
リナは再び涙をこぼした。ガウリイは、再び言った。
「なあ、俺と一緒に暮らそうぜ。こんな綺麗なマンションには住めないが、俺がちゃんと二人分の生活費は稼ぐよ。お前の『保護者』として、お前が変な奴らにつけまわされている以上、これ以上『フール・フォー・カテドラル』にお前を置いておきたくないんだ」
「ありがとう。でも……」
「でも、か。そうだろうな。まあ、気が向いたらいつでも俺と暮らすって言ってくれ。お前が誰を好きでも、俺はお前が好きだよ」
「馬鹿ね」
ガウリイは立ち上がった。
「そろそろ店に行く時間だ。お前も行くか」
「うん。一緒に行こう」

リナが店に顔を出すと、店長が言った。
「リナちゃん、昨日はどうしたの。無断欠勤はマイナス一万の罰則があるからね」
「ええ、ごめんなさい。給料から引いておいてください」
「それから、今日は下の店には出なくていい。二階のお客様が二人、予約されてるからな」
「えっ……」
リナはとまどうような瞳をガウリイに向けた。ガウリイが言った。
「店長、リナの奴、体調が良くないんです。今日は下の店だけで勘弁してやってくれませんか」
「おい、黒服。偉そうな口を聞くな。どっちのお客様も、カテドラルのマフィアのメンバーだ。今更断ったら、店が潰れちまうぜ」
「マフィア……」
リナは泣きそうな瞳をした。ガウリイは更に言い募った。
「店長、リナはうちのナンバーワンでしょう。もっと大事に扱ってやったらどうです」
「お前がクビになりたいか？」
ガウリイは黙った。

リナは、客が注射器を取り出したとき、もはや抵抗しなかった。
「そうそう、素直ないい子だ。ボスが目を付けるだけのことはあるな」
手の甲から静かに注入される麻薬。やがて、熱い陶酔が訪れる。
「……！」
夢の中で、リナはたった一人の恋人の名前を呼んでいる。でも、自分の声なのに、それは自分には聞き取れない。もどかしい。哀しい。
リナがまだ薬の影響から抜け出せないでいる間に、二人目の客が入ってきた。二人目の客も、懐からケースに入った注射器を出してきた。リナは、その注射を受けた。二人目の客は、注射をすると、何もしないまま帰っていった。そして、威厳のある男が部屋に入ってきた。
「私の名はビアスだ。覚えておけ」
そして、全く動けない人形のようなリナを抱いた。リナは、動けないままに夢の中の恋人のことを考えていた。

──私はうわの空で　あなたのことを想い出したの
そして　あいのうたが響きだして……





「カテドラル」の由来は、本文中に出てきますが、ほんとのモトネタはミヒャエル・エンデの「鏡のなかの鏡」に出てくる「駅カテドラル」です。リナちゃんに麻薬を打ってしまったー！おまけに、ゼロスがでてこないー！すみませんすみません。この小説もあと一回で終わりなので、悪い夢を見たと思って見逃して下さい。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「鏡のなかの鏡」は、別の小説でもイメージをお借りしています。すごく好きな短編集なのです。ファンタジー好きの方はぜひ！　今なら文庫本も出ているのでお求めやすいですよ。


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