カテドラル［３］

マフィアのボスのビアスがリナを買い取った、という噂が店の中で拡がっていった。女たちは、口々に「可哀想にねえ」と言った。
「リナちゃん、恋人を捜してるんだろ？ビアスに買い取られたんじゃそれもできなくなるじゃないか。可愛くて綺麗だったばかりに、可哀想に」
ガウリイは、店長にくってかかった。
「リナは、そのビアス様とやらの仲間に麻薬を打たれていたんですよ！自分の店の店員も守れないんですか、この店は！」
「そうは言ってもな。この店は確かにカテドラル最大の店だが、マフィアの保護を受けているからこそ、こんなに儲けることができるんだ。ビアス様の言うことにゃ、逆らえないよ。麻薬のことは俺も知ってる。ビアス様は、麻薬で人形のようになった女を抱くのが好きなんだ」
「店長……！」
「ガウリイ、店長さん、何やってるの」
何も知らないリナが出勤してきた。
「ああ、リナちゃん。今日は仕事しなくていいから。ビアス様がお迎えに来るまで、カウンターの中で待ってなさい」
「ビアス…様？」
「昨日、リナちゃんが相手しただろう。あの人は、このカテドラルの元締めといってもいい、マフィアのボスなんだよ。リナちゃんは気に入られたんだ。これからは、この店の給料じゃ到底出来ないような贅沢な暮らしができるぞ。良かったな、リナちゃん」
リナは、真っ青になった。
「あたし……この店で働けなくなるの？」
「ああ、ビアス様の相手をしてりゃよくなるよ」
「困るわ。そんなこと急に言われたって。あたし、この店でまだ働きたい。見つけなきゃならない人がいるの。店長さんにも言ったでしょう？」
「なあリナちゃん、この店を助けると思って、言うことを聞いてくれよ。いまさらリナちゃんをやれないなんて言ったら、マフィアにどんなことをされるか。リナちゃんも、この店で働いている女の子や黒服たちに優しくしてもらっただろ？ここは一つ、恩返しのつもりで……」
「いや…嫌！店長さん、助けて…」
「ごめんな、リナちゃん。俺は守ってやれないよ」
リナはしばらく黙っていた。そして、紅い瞳をあげた。
「じゃ、今日一日だけ、下の店で働かせて。それで、あきらめるから。何もかも、諦めるから……」
「まあ、それでリナちゃんの気が済むなら。今日の深夜に、ビアス様のお迎えの車が来ることになってるから、それまで」
「ありがと、店長さん」
リナは、更衣室に飛び込むと、あっという間に化粧を終え、マイクロミニの赤いワンピースを身にまとって、店に飛び出していった。
「リナは、今日に賭けてんです」
「ああ、分かっているさ。ただ、無理だろうな。紫の瞳をした、たった一人の恋人を見つけだすなんて……」

「お客さん、こんにちは、初めまして！リナです」
ピンクの角の丸い名刺を差し出す。客の目を覗き込む。
「じゃ、ちょっと他のテーブルに呼ばれてるんで、行って来ますね」
リナは、その日入ってきた全ての客のテーブルをまわった。そして、瞳を覗き込んだ。紫の瞳の客は、一人もいなかった。テーブルとテーブルの間を走り回っているとき、ガウリイに腕をつかまれた。
「おい、深夜までに、俺の車で逃げよう。娼館はなにもここだけってわけじゃない。カテドラルを抜け出すんだ」
「ガウリイ……じゃ、１１時まで。その時までにあたしが探してる人が来なかったら、あたし、ガウリイと一緒に行くわ」
リナは、蝶のようにひらりと身を翻すと、新しいお客のテーブルへ飛んでいった。

「ゼル！また来てくれたのね、嬉しいわ」
「リナ、お前、紫の瞳をした奴を探してるんだったな？」
「ええ、そうよ」
「一人、連れてきてやった。そいつがお前の探してる奴かは分からないが」
「ありがと、ゼル！で、そのお客さん、どこ？」
「僕です」
黒い髪を肩で切りそろえた、神官服の男がそう言った。
「神官様がこんな店に来ていいわけ？」
「お前が紫色の瞳の男を捜していると聞いてな。無理矢理連れてきた」
「僕の名前は……」
「ああ、いいの、言わなくて。あたしが探してる人だったら、あたしは当てられるはずだから。あたしはリナよ」
二人は、しばし無言で見つめ合った。リナが言った。
「あたしのこと、抱いて下さい」
「ええっ、それはまずいですよ」
「どうして！？」
「僕はこの『カテドラル』という街の名前の由来となったカテドラルに勤めていました。僧侶です。このような店に来るだけでも、戒律を破っているのに、ましてや貴女を抱くなんて……」
「おねがい」
リナの深紅の瞳は真剣だった。
「今夜一夜だけでいい。戒律を破って、あたしを抱いて」
「できません」
「お願い！」
リナは床に泣き崩れた。
「あたし、ずっとあんたを待っていた気がするのよ。その綺麗な菫色の瞳……きっと、もう、こんな無理を人生でも二度と言わないから。綺麗な人、あたしを抱いて下さい」
「リナ……」
ゼルガディスがリナの肩に手を置く。
「おい、ゼ……っと、名前を言っちゃいけないんだったな。お前、リナを抱いてやれよ。こいつは、そうすることでしか、救われないんだ」
「分かりました」
リナは泣き腫らした瞳を上げた。
「今夜だけ。ぼくはただの青年になりましょう」
リナは、名前を知らない青年の手を引いて、二階へ上がった。
「おい！今夜、リナちゃんに他の男の相手をさせるのはまずいって！」
「店長も野暮ですね。今日が彼女の最後の出勤になるんじゃないですか。見守りましょう」
言いながら、ガウリイは、胸の痛みを感じていた。


──心に　心に　魔法があるの
　　嵐に翼広げ　飛ぶよ──



個室にはいると、いつものように、青年をバスローブに着替えさせ、バスタブに湯を張った。そして、一緒にバスタブに浸かった。風呂を上がると、リナは彼のまっすぐな髪をごしごしと拭いた。身体を拭き、その胸を指で辿る。懐かしい感触を確かめるかのように。
そして、二人はベッドへ入る。青年はぎこちなく、リナの肌に手を滑らせる。リナは、それに応じて甘い声をたてた。二人は一つになる。リナは、夢の中と同じように、相手にしがみつく。そして、はっきりと相手の名を呼んだ。
「───ゼロス」
「リナさん！？」
二人は、身体を離した。そして、互いを見つめ合った。
「あなた、ゼロスね！本当にゼロスなのね！」
「リナさん、僕は、全てを思い出しました。貴女と抱き合ったこと、貴女と戦ったこと、貴女の温かい血……」
「やっぱり、ゼロスはカテドラルにいたんだわ。それも、本当の『カテドラル』に。ゼロス、あたしも全てを思い出した。いままで思い出せなかったことが信じられないくらい」
そして、リナは涙を拭う。
「あたしたち、今度会ったら、恋人同士になろうって言ったよね」
「そうです。誰からも邪魔されない、とびっきりの恋人に」
「ゼロス……ゼロス」
リナはゼロスの首に抱きつき、そして、ふと不安な目をした。
「でもね、あたし、あんたを見つけるために、この店で何百人という人に身体を売ったわ。麻薬を打たれたこともあった。今のあんたは僧侶なんでしょう？そんなあたしを、汚らわしいと思わない？」
「思うものですか」
ゼロスは、抱き合った恋人の細い背中に手を滑らせる。
「僕に出会うためにしたことでしょう。神様が許さなくても、僕はあなたを汚れているなんて思いません」
二人は、もう一度一つになった。吐息までもが、愛おしかった。

コン、コン
丁寧なノックの音がした。リナは、身体にバスタオルを巻き付けて、そっと扉を開けた。ガウリイだった。いつもの黒服を脱いで、ラフな格好だ。
「よお、リナ。運命の恋人は見つかったか？」
「おかげさまで、見つかったわ」
「俺としては、見つかって欲しくなかったんだけどな」
「……ごめんね、ガウリイ」
「で、運命の恋人が見つかろうが見つかるまいが、ビアス様はお前を引き取りにやって来るぞ。どうする」
リナは、はっと目を見開く。
「そうだ……どうしよう」
ベッドの上のゼロスも起きあがって、服を身につける。
「ビアスとは、あの阿片窟の頭領のビアスですか」
「ああ、その通りだ。あいつは、今夜、リナを迎えに来るんだ」
「リナさん、逃げましょう。僕が貴女を護ります」
ガウリイが髪をかき上げながら言う。
「どうやって逃げる気だ」
「列車を使って……」
「リナが居ないことが分かれば、駅なんか奴らに一番にマークされるぞ」
「ならば徒歩ででも」
「おいおい、頼りねえなあ」
ガウリイは、ちゃりんと手の中で車のキーを回した。
「道路も、封鎖されるんじゃないですか」
「俺が何年カテドラルに暮らしてると思ってるんだ。奴らの手の回らない裏道くらい押さえてるぜ」
「ガウリイ……いいの？」
「はいはい、お姫様と王子様。この従者がカテドラルの外まであなた方を送り届けましょう」
「ガウリイ…さん、僕たちのためにそんな危険を……」
「勘違いすんなよ。これはリナのためだ。俺は、お前のことを、認めたわけじゃないからな」
「ガウリイ……」
「さあ、おしゃべりもこれくらいにして行くか。もう１１時半をまわっている」
ガウリイは、片手に提げていたリナの服をベッドに放った。リナは、ついたての陰で、慌てて普段着に着替えた。


──ここから何処へいっても
　　世界は夜を乗り越えていく
　　そしてあいのうたが　心に響き始める──



ガウリイの車は、小さなオープンエアのスポーツカーだった。助手席にゼロスが座り、リナは後ろの座席で横になった。ガウリイは、ボタンを押して、幌を下ろした。
「ちょっとでも時間を稼ぎたいからな。超特急で行くぜ」
スポーツカーはタイヤを軋ませて急発進した。違法駐車の並ぶ「フール・フォー・カテドラル」前の道を通り過ぎると、すぐに細い道に入る。道路の両脇に寝ている浮浪者を轢かないように注意しながら、路地を駆け抜ける。
「ガウリイさん」
「何だ、ゼロスさんとやら」
「あなたは、リナさんを……」
「ああ、好きさ。好きだった、と過去形にしちまった方がいいか？お前たちは、本当に運命の恋人同士なのか？」
「僕も、リナさんに名前を呼ばれるまで、忘れていたことなんですが……」
「お前を探すために、リナは本当に無茶をやったんだ。それを忘れるな」
「分かりました。僕の一生をかけても、リナさんを大事にします」
「それと、当分は二人っきりの甘い暮らしって訳にはいかないぞ。俺が仕事を見つけて、出て行くまでは三人暮らしだ。さてと、またどっかの街で黒服の仕事でも探すかな」
「また夜の仕事をするの？」
「夜の仕事は実入りがいいんだよ。女ほどじゃないがな。そう言えば、リナ、お前キャッシュカードは持ってきたか？」
「財布の中に入ってるわ」
「なら安心だ。お前の稼いだ金、かなりの額になってるだろ。それでお前たちの当座の生活費は安心だな」
その時、銃声がした。車のバンパーに穴が開いた。
「ちっ、もう来やがったか……」
ガウリイは、車を蛇行させ、続く銃声をかわした。
「ガウリイ！」
「リナ、起きあがるな、頭引っ込めてろ！ゼロス！お前の座席の下に銃が一丁入ってる。応戦しろ！」
銃声は続く。ゼロスも撃つが、蛇行する車の上からでは狙いが定まらない。
「ちくしょう、タイヤを狙われてる！」
ガウリイは猛烈な勢いでハンドルを切り、一層狭い道に入った。
「ここは国境の検問への近道だ。俺たちは抜けられるが、奴らは近づけないはずだ」
その時、前から車が現れた。窓から出た腕は銃を持っている。
「くっ……はさまれたか」
ガウリイは車を捨て、ゼロスとリナを引っぱり出した。
「俺たちで、リナを護るぞ！」
「分かってます！」
ガウリイとゼロスが拳銃を握りしめたとき、リナが突然何かをつぶやき始めた。
「黄昏よりも昏きもの……」
「お、おいリナ、大丈夫か？」
「血の流れより紅きもの……」
「リナ！」
「ガウリイさん、黙っていて下さい。もし、これが上手くいけば……！」
「竜破斬（ドラグ・スレイブ）！！」
リナたちの周りが、音を立てて崩壊した。家が何軒もなぎ倒され、電線が切れて火花を散らした。もちろん、リナを追ってきた男たちの車は遠くに吹き飛ばされていた。
「久しぶりにしては上出来ですね」
「ふふ、関係ない人の家まで巻き込んじゃった」
「おいおい、なんだこれは？リナ、お前魔法使いか何かなのか？」
「遠い昔には、そう呼ばれたこともあったみたい。そしてガウリイ、そのころにはあなたもただのウェイターじゃなかったのよ」
「意味が分かんねえや。まあ、敵は倒れた。行こうじゃないか」
ガウリイは、自分の車に戻った。が、さっきの魔法の威力で、それは紙屑を丸めたように壊れていた。
「さっきのあれ…魔法か。凄いな」
三人は、歩いて国境を越えた。明け方の光が、カテドラルの上に、彼らの上に、降りてきていた。カテドラルのネオンは少しずつ消え、やがて、街全体が薄暗い闇の中へ閉ざされた。これが昼のカテドラル。
「見納めだな。この街も。もう、ここへ戻ってくることは無いだろう。俺も、お前たちも」
「そうですね」
「あたし、何だかお腹空いてきちゃったなあ」
「リナ、お前、この状況でよくそんな……」
そういうガウリイのお腹が鳴った。ガウリイは髪をかき上げる。
「何か、食べに行きましょう。ご馳走しますよ」
「えっ？ほんと？ゼロスって太っ腹！」
「俺に奢るってか？あとで後悔しても遅いからな」
「ううっ…」
口ごもるゼロスを連れて、リナたちは２４時間営業のレストランへと向かっていった。


〜エピローグ〜


「あ、ガウリイおじちゃんだ！ママ、ガウリイおじちゃんが来たよ！」
「こらディナ、俺はおじちゃんじゃ無いぞ。ガウリイお兄ちゃん、だ」
「はーい。ガウリイおにいちゃん」
「素直な子は好きだぞ。将来、俺の嫁さんにしてやろうか」
「せっかくだけどぉ、あたし、かれしがいるの。ごめんね」
「おい、リナ！ゼロス！お前ら子供にどういう教育してんだ」
白く拡がる洗濯物の海の中から、お腹が少し目立ち始めたリナが姿を現す。
「いらっしゃい、ガウリイ」
「ガウリイさん、お久しぶりです」
いつの間にかゼロスもリナの側に立っている。
「やれやれ、まったくもってどこから見てもいい夫婦だよ、お前たちは」
「ありがと、ガウリイ。上がっていって。お茶出すわ。ディナもおいで。おやつにしましょう」
ディナは、紅い瞳を上げた。
「ディナね、もうすぐおねえさんになるの」
「妹と弟、どっちが欲しいんだ？」
「うーん、どっちでもいい。おもいっきりかわいがるんだ」
四人は小さな、しかし住み心地の良い家に上がる。「フール・フォー・カテドラル」でリナが稼いだ金で建てた家だ。
「ガウリイ、喫茶店始めるんだって？」
「ああ。夜の仕事でためた金がそれなりに貯まったからな。上手く行くかは分からないが、まあ常連客になってくれ」
「ディナも、じょうれん…きゃくになっていい？」
「ああ、もちろん。」
「ディナの、おとうとか、いもうとも？」
「大歓迎だ」
「ガウリイおにいちゃん、だいすき！」
ディナはガウリイに抱きついた。ガウリイは、少し遠い目をする。
「俺はな、おまえのママからもそうされたかったよ」
「ディナじゃだめ？」
「おまえには、彼氏がいるんだろ」
「うん……」
「恋人ってのは、命を賭けてでも、大事にするもんだ。今の彼氏、もしかしておまえの運命の恋人かも知れないんだぞ」
「うんめい……」
「お前のパパとママがそうだったようにな」
ガウリイは、ディナの栗色の癖っ毛のうえに、ぽんと手を置いた。


──あたしは　あいのうたで　あなたを探しはじめる──







というわけでハッピーエンドです。本文中に引用した歌は、「YEN TOWN BAND」の「スワロウテイル バタフライ〜あいのうた」です。カテドラルのイメージも「円都」なんですが、うまく表現できませんでした。まだまだ修行が必要です。それでは、ここまでおつきあいいただき、ありがとうございました。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。上の後書きではかなり説明不足でしたね。「円都（イェンタウン）」というのは、岩井俊二監督の映画「スワロウテイル」で舞台になっている都市です。私の好きなCHARAさんが娼婦を演じていて、とても素敵です。「円都」のごった煮的な雰囲気を出せれば……と思ったのですが。「リナちゃんに振られるガウリイの会」（当時会員一名）の暗躍は、この頃からでしょうか。それと、「甘い涙」（短編）に続いての「ディナ」ちゃんの登場ですね。


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