彼女の海岸線[2]




朝、学校へ行く支度をしていたあたしの携帯電話が鳴った。ゼロスからだ。
「はいはい、何ですか?」
「今週、……と言っても出るのは再来週になるんですが、大御所先生が原稿を落としたんです。それで、代わりの原稿に貴女の作品を載せるようにプッシュしていたんですが……通りました」
「ええっ!……それじゃ、あたしって……」
「現役高校生作家、リリカルにデビュー!こんなところでいかがですか?」
「ほんとに、ほんとなの?夢じゃないの?」
「編集長も、貴女の原稿が気に入ったみたいでしたよ。あなたは、プロの作家になるんです」
電話が切れても、あたしは電話を握りしめたまま、固まっていた。プロの、作家。あたしの、あの原稿が、何百万部も、刷られて、売られる。
「どうしたの?リナ。固まっちゃって」
「姉ちゃん、あたし、あたし……デビューできるんだって」
「それはおめでとう。今日はケーキを焼くわ。だから、そろそろ学校に行った方がいいわよ」
「あ……」
腕時計は、すでに8時を回っている。あたしは、幸せな気分を抱きしめて、学校へ駆け出した。


「リナさん!凄いじゃないですか。高校生のうちにデビューできるなんて」
「アメリア、手伝ってくれたあんたのおかげよ。ほんとに感謝してるわ」
「だって、デビュー作になる作品は、リナさん一人で描き上げたじゃないですか。実力ですよ。あたし、リナさんがプロになってもお手伝いに行ってもいいですか?」
「もちろんよ。そうだ、アメリア、あんたの原稿も、ゼロスに見てもらうといいわ」
「ええっ?私の原稿なんて、そんな、プロの編集さんに見てもらうほどでは……」
でも、あたしは知ってる。アメリアの原稿は、そこそこのレベルにいってるはず。今まで、恥ずかしがってどこにも投稿したことないみたいだけど。

それから2週間は、あっという間に過ぎた。あたしのデビュー作が載った「少年コミック」がコンビニに並ぶ朝、あたしは自然に5時に目が覚めてしまった。服を着替えて、近所のコンビニに行く。「少年コミック」が山積みされている。震える手で、一冊を手に取る。表紙の隅っこに、「フレッシュ高校生パワー!リナ=インバース」と書かれている。ページを繰る。手が自然に汗ばむ。

載ってる。ちゃんと、載ってる。あたしの、あの原稿だ。

レジに持っていく。いつも挨拶してくれるおばさんが、にっこりと微笑みかけて、「少年コミック」のバーコードを読みとる。
「リナちゃん、今日はえらく早いね」
「お、おばさん!あたし、あたしの漫画、この雑誌に載ってるんです!」
おばさんは呆気にとられてあたしを見たが、すぐに満面の笑みを返してくれた。
「おめでとう、リナちゃん。プロの漫画家に、なったんだね」
帰り道も、袋から「少年コミック」を取り出して、何度も何度もあたしの作品を読む。ざらざらした紙に印刷された、あたしの原稿。こんな日が来るのを、どんなに待っていたことか。
「贅沢を言うなら、もっと前の方に載りたかったなあ」
あたしの原稿は、後ろから2番目だ。一番後ろは、ガウリイ=ガブリエフのギャグ漫画と決まっているから、実質的には一番後ろ、と言うことになる。
ふと、アンケートはがきに気づく。
「今週面白かった作品・つまらなかった作品を教えて下さい」
ぎくっ。
「この雑誌に合わないと重う作品を挙げて下さい」
ぎくぎくっ。
そうか、アンケートがあるんだ。あたしの作品が、このアンケートで最下位でも取ったりしたら……充分あり得る。だって、他の作品とは全然毛色が違うんだもん。
「おかえり、リナ。今日は早起きしたのね」
「姉ちゃん。あたしの漫画、雑誌に載ってる」
「分かってるわよ。ちょっと読ませて」
姉ちゃんがあたしの漫画を読む間、あたしは姉ちゃんがやっていた朝食の準備を続けていた。
「読んだわよ」
「どうだった?」
「うーん、ロマンチックで素敵なお話じゃない?とてもこの」
あたしの頭をくしゃくしゃする。
「ちびすけの頭からひねり出した話とは思えないわね」
「もお。姉ちゃんは」
「面白かったわよ」
「へ?」
「小さい頃から『少年コミック』を読んできたあたしが言うんだから間違いない!面白かったわ」
「ありがとう、姉ちゃん!」
「みんなの感想が楽しみね。じゃあ、お弁当箱出して」
「はーい……」


「リーナーさんっ!読みましたよ」
「ア、アメリア……どうだった?」
「あたしが手伝ってるときより、全然良かったです!全面的に描き直したんですね」
「ゼロスがそうしろって言ったから」
「とにかく、この結果はリナさんの実力ですよ!おめでとうございます」
気がつくと、クラスの男子があたしの周りに集まってきていた。
「おいリナ、この漫画、お前のだろ」
「すげえな、『少年コミック』に載るなんて」
「そういえば、お前はずっと『漫画家になりたい』っていってたもんな」
「おもしろかったぜ」
あたしは、自然に涙が溢れてくるのを止められなかった。
「ありがと……みんな、ありがと……」
「なになに?リナ。あたしたちにも教えてよ」
「ああ。リナの漫画がこの雑誌に載ってるんだ」
「うわ。プロ、ってやつ?」
「おめでとう、リナ!」
あたしは涙でぐしゃぐしゃの顔でほほえんだ。
「ありがとう、みんな」

放課後。みんなにさんざん祝福の言葉を言われたあたしは、幸せな気持ちで教科書を鞄に詰めていた。校内放送があった。
「2年10組、リナ=インバースさん、至急、校長室まで来て下さい……」
うっ。そうだった。うちの学校はバイト禁止。当然、漫画を描くのも禁止だろう。
あたしは、おそるおそる校長室の扉を開けた。
「呼び出してすまなかったね、リナ=インバースくん」
「いえ……」
「呼び出された理由は分かっておるね」
来た!
「はい……分かっているつもりです」
「知ってのとおり、我が校では生徒のアルバイトは禁止されている。君も、漫画雑誌に原稿が載ったということは、当然収入があるだろう。まあ、載ってしまったものは仕方ないが、今回限りにして欲しいね」
「はあ……」
その時、校長室の扉が開いた。
「な……なんだね君は」
「失礼しました。僕は、こういうものです」
名刺を、校長先生に差し出す。
「ゼロス……」
あたしは、呆気にとられていた。
「おたくの生徒さんに原稿を描いていただきましたが、それは一切無報酬です」
「はっ?」
あたしと校長先生は同時に声をあげた。
「漫画の勉強の一環としてこうして雑誌に載せているだけで、こちらからお金は一切お支払いしません」
「はあ……」
また声を合わせる校長先生とあたし。
「というわけで、そういうことなら、このさきリナ=インバースさんの作品を当社の雑誌に載せさせていただいても構いませんね?」
「まあ……構わないが……学業に支障が出ない程度なら」
「もちろん、リナ=インバースさんの学業は最優先です。ただ、卒業後の彼女の進路を決めるためにも、多少の作品を我が社の雑誌に載せるだけです」
「わかった。リナくん、くれぐれも学業優先で、頼んだよ」
「はい。校長先生」
「では、行きたまえ」
「はい。失礼します」
「僕も、失礼します」
あたしとゼロスは、校長室を出た。
「どうして来てくれたの?」
「今頃、こんな問題が持ち上がってる頃だと思いましてね」
「タイミング良すぎよ」
「間に合って良かったです」
「ところで、あたしに原稿料支払わないってのは、ほんとなの?」
「学校の規則ですからね。本当ですよ」
「ひっどい!あたしをタダ働きさせる気なんだ」
「貴女が高校を卒業したら、一括で払います」
「……なーんだ。ほっとした」
「ほっとしたついでに何か食べて帰りますか?奢りますよ」
「また、経費?」
「ええ。だから、好きなだけ食べて下さい」
スーツ姿のゼロスと並んで歩くあたしを、生徒たちが珍しそうに見ていく。あたしは、自分の教室に帰ると、鞄を持った。
「さあ、行きましょう」
ゼロスは、すっとあたしの肩に手を回した。またこいつわ〜……と思ったけど、あたしは、なんとなくその手の心地よさに甘えてしまった。
「何を食べますか?」
「うーん……中華!」
「じゃあ、とっときの店にご案内しましょう」
門のところに止まっていたダークブルーのセダンに乗って、あたしたちは街に出た。

「ふー、食った食った……」
「そうだ、服でも買いに行きませんか」
「それは、経費で落ちるもんなの?」
「まさか。僕からのプレゼントですよ」
「どうして?」
「貴女の作品が雑誌に載ったお祝い……じゃ、いけませんか?」
「いいの?」
「その代わり、センスは僕の意見で選ばせてもらいますよ。じゃあ、デパートに行きましょう」

「……ゼロス。この少女趣味の服は……」
「思った通りですね。リナさんによく似合います」
あたしは、淡いベージュのロングのワンピースを着て、ゼロスの前に立っていた。リボンたっぷり。レースがひらひら。
「こういう服は、着る人を選ぶものですが、リナさんにはぴったりですね」
「着る人を選ぶ……?」
「胸の大きな人が着ると、くどくなりがちなんですよ、この手の服は」
すぱこーん。あたしは靴を握りしめ、思い切りゼロスの頭をはたいた。
「それは、あたしが胸がないって言いたいのかなあ?」
「僕は、胸のないリナさんが好きですよ。もう一度鏡を見て。ほら、こんなに似合う」
あたしは鏡を見た。たしかに、この服は、あたしにとてもよく似合っていた。
「このまま着ていきますね。じゃあ会計を……」
ゼロスが店員を呼んでいる間に、あたしは何気なくタグを見た。
「ろ、六万八千!?」
あたしは焦った。
「ちょ、ちょっとゼロス。こんな高い服もらえないわ」
「いいんですよ。僕は、こう見えても結構高給取りなんですよ。それに、ずっと夢だった」
ゼロスは遠い目をした。
「この服が似合う女の子に出会えることが」
「ゼロスって、タチのいいヘンタイ?」
「ヘ……それはないでしょう、リナさん」
ゼロスがお金を払って、あたしたちは街に出た。六万八千は服だけの値段。ついているリボンや、花飾りは、別会計だった。
「あの……ほんとにありがと。あたし、何にもお礼することが出来ないわ」
「作品で返して下さい」
ゼロスは、真剣な目をした。
「正直、佳作やAランクの作品を押しのけてまで貴女をデビューさせたんです。これから先も、結果をだしてくれなくては僕が困ります」
「うう……プレッシャーだなあ」
「貴女らしい作品を書けば、それがいい作品になりますよ」
あたしはゼロスを見た。
「貴女は、もうただの女子高生じゃない。自覚して下さいね、リナ=インバース先生」


ある日、うちに帰ると、ゼロスが来ていた。姉ちゃんのお手製のケーキと、ハーブティーを味わっていた。
「リナさん、今日は二つ用事があってきました」
どさ、と20通ばかりの手紙の束を差し出す。
「これは……?」
「ファンレターです」
「嘘……!」
「どこから見ても、正真正銘、貴女宛のファンレターですね」
「夢みたい。あたしがファンレターもらえるなんて。全部に返事書こう」
「無理はしないで下さいね。それから、もう一つは仕事の依頼です」
「……!」
「32ページの、読み切りをお願いします」
「わかりました。がんばります」
「貴女なら描けます。心配しないで。まずはネームを書いて、僕のところへ持ってきて下さい」
「はい……」
「今度の作品が上がったら、また海に連れていってあげます」
「ええ。楽しみにしてます」


ゼロスを見送って、あたしは自分の部屋で、ファンレターを一つ一つ開いていた。甘い甘い、誉め言葉の数々。
「先生、最高です」
「涙が出ました」
「凄い感性だとおもいます」
あたしは自然に頬が緩んでくるのを押さえられない。
「いやー、照れちゃうな、そんなに誉められると」
一通の、宛名が全て赤のペンで書かれた手紙を開ける。目に飛び込んできたのは、
「お前はもう描くな」
の赤い文字。
びくっ。身体が縮こまる。おそるおそる、先を読んでいく。
「最低のセンス」
「独りよがりのストーリー」
「お前は『少年コミック』にふさわしくない」
最後は、こんな風に締められていた。
「これ以上漫画を描くなら、実力行使に出る」
手が、がたがた震えた。いつの間にか、あたしは携帯電話を取り出し、ゼロスの番号を押していた。
「はい、リナさん。どうしました」
「あ……あの……怖いファンレターが」
これでもファンレターっていうのかしら。
全てを話すと、ゼロスは笑い出した。
「あのう……笑い事じゃないんですけど」
「漫画家なら誰でも、そういう手紙をもらうものですよ。早めに洗礼を受けられて、良かったじゃないですか」
「でも、『実力行使』って……」
「どうせ実生活では何にも出来ない勇気のない奴が書いたことです。怖がるようなことは何もないんですよ。それより、ネームの方は進んでますか?」
「あ、手紙に気を取られて、全然……」
「だめですよ、そんなことじゃ。プロ失格です」
「はあい。リナ=インバース、ネームに全力を注ぎます!」
「よろしい」
電話は切れた。あたしは、全てが赤いペンで書かれた不気味な手紙をゴミ箱に捨てた。そして、白いノートを取りだして、ネームを書き始めた。


「いいですね、リナさん。今回は少し大人っぽいお話ですね」
「あの……おかしくないですか?」
「全然。良くできてますよ。主人公の女の子の失恋した気持ち、良く描けてます」
「よかった。あたし、失恋したことないから……」
「それは凄いですね。両想いだけですか?」
「いえ、正確に言うなら、恋をしたことがないんです」
ゼロスは、笑い転げた。あたしは、憮然としてゼロスを見ていた。
「恋をしたことがないことが、そんなにおかしいですか」
「……い、いえ。前回の原稿といい、このネームといい、ロマンチックな恋物語じゃないですか。まさかこれを、全部想像で描いてるなんて……」
「悪いですか」
「いえ、これはこれでいいんです。リナさんの想像力がなせる業でしょ?素晴らしいと思いますよ」
「あたしだって、好きで一人でいる訳じゃないんです。恋人だって、欲しいです。でも、漫画を描いてると、全然時間も気力も無くなっちゃって……」
「僕なんか、どうですか?」
「は?」
「ハンサムで、エリートで、大人ですよ。僕と恋をして見ませんか?」
「ゼロス、からかってるでしょ?」
「わかりますか」
「わからいでかー!」
あたしは、机の上の灰皿で、ゼロスの頭を殴った。
「いつつ……とにかく、ネームはこれでいいでしょう。原稿を、進めて下さい。また、その内に調子を見に行きます」


あたしの第二作は、結構前の方に載った。相変わらず、「現役女子高生作家の描くリリカルな世界!」と銘打ってあった。クラスのみんなも、誉めてくれた。アメリアは、誰よりも祝福してくれた。
「二作目が載るなんて、もう、リナさんはいっぱしの有名人ですね」
「世の中の人は、あたしの漫画なんてすっ飛ばしてるわよ」
「そんなことありませんってば……あ、これにサインお願いします」
「少年コミック」を取り出す。
「サ、サイン〜!?あたし、そんなの書いたことないんだけど」
「これからリナさんは、色んな人にサインしなくちゃいけないんですよ。うちの父がぜひ欲しいって言ってたんです。よろしくお願いします」
「……『リナ=インバース』っと。これでいいの?」
「ありがとうございました」
その時、放課後の教室にスーツ姿のゼロスが入ってきた。クラスがざわめく。
「リナさん、約束通り、海へ行きましょう」
あたしは鞄を持って、ゼロスに近づいた。
「なんだなんだ、リナの彼氏か〜?」
「リナ。すっごくかっこいいひと!紹介して」
「あーもー。この人はあたしの担当さん!彼氏なんかじゃないの!そうだ、ゼロス、漫研に寄っていってくれない?」
「漫研ですか。面白そうですね」
「見所のある作品があったら編集部にかけあってよ。今、案内するわね。アメリア!」
「はい、リナさん……」
「あんたの作品も、ゼロスに見てもらいましょう。いい機会だわ」
「あ、あたしの作品なんて……」
「謙遜は聞き飽きたわ。ゼロス、この子があたしのアシスタントをしてくれているアメリア。自分でも漫画を描いていて、結構いい作品もあるのよ」
「リナさんってば!」
「初めまして、アメリアさん。いつもリナさんがお世話になっています」
「あ、いえ、こちらこそ……」
アメリアは真っ赤になっている。まあゼロスって、客観的に見たらかっこいい方だから、当たり前かな。あたしたちは、ゼロスを連れて、漫研の部室に顔を出した。
「『少年コミック』の編集さん!?」
「お、俺の作品も見て下さい!」
ゼロスは、ぱらぱらと部員の作品を見て、あれこれとアドバイスしていた。
「あ、これはなかなかいい作品ですね」
「それがアメリアのよ!」
「これなら、ちょっと手直しすれば、うちに載せられますよ」
「え……ほんとですか?」
「アメリア。だから言ったでしょ。あんたの作品はレベル高いって」
「リナさんと作風が似ていますね」
「ずっと、リナさんのお手伝いをしていましたから」
アメリアは、真っ赤になったまま言った。





ゼロスがリナちゃんに買ってあげた服は、「ストリートオルガン」というブランドの服をイメージしました。もっとも、このブランドはもう無くなってしまったんですが……リナちゃんはいつもの魔導士ルックもいいけど、乙女チックな服が似合う女の子だと思います。それでは、次回が最終章です。よろしくお願いします。

ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。リナちゃんにストリートオルガンの服……着せたい!(だからもうないんだって)アニメ無印の15話や、NEXTの最終回アイキャッチで着ていたウェディングドレスも似合ってましたからねー。


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