香港エトランゼ［５］



「おはよう、ガウリイ」
「おう、リナ。おはよう」
「おはようございます、ガウリイさん」
ガウリイは、ぐっとゼロスを引き寄せた。
「お楽しみだったな、夕べは」
「ばれていましたか」
「だてに何年もお前のボディガードをやってるわけじゃないぜ」
チャイムが鳴る。ゼルガディスが入ってくる。
「おはよ、ゼル」
「お前にゼルと呼ばれるとはな」
ゼルガディスは苦笑する。
「おはよう、リナ。今日のそのチャイナドレスも、よく似合っている」
「ゼルガディスさん！」
「なんだ、ゼロス」
「そういう、きざなセリフは僕のものです」
「なら先にお前が褒めておけば良かっただろう」
「いえ、このドレスは僕が着付け……」
すぱぁぁぁぁん！　ホテルの柔らかいスリッパが、鋭くゼロスの頭を直撃する。
「ふん。自業自得だ」
「痛いですよ〜、リナさん。ゼルガディスさんも冷たい……」
そして朝食のワゴン。ガウリイは、どの皿も一口ずつ毒味した。数人の男が次々に部屋に入ってくる。そして、全員でダイニングテーブルにつき、朝食を取った。
「今日は予定時間より少し遅れている。下のロビーでコーヒーが飲みたければ、急いで食べてくれ」
「ロビーでお茶か。あたしも行っていい？」
「リナはだめだ。もし敵が待ち伏せしていたら、格好のターゲットだ」
ゼロスが微笑む。
「今日は、新聞はここで読むことにします。少しでも長くリナさんといたいですからね」
「いいだろう。それとゼロス、今日の予定表に目を通してくれ」
食べ終わった朝食の皿を片づけ、ゼルガディスは薄いノートパソコンを広げた。
「やれやれ、今日も予定でいっぱいですね。リナさんに会えるのは、夜になりそうです」
「昼食の時間を長めに取ってある。会いたければ、その時に会え」
リナが立ち上がる。
「ゼロスのお仕事の予定？　見てみたいわ」
「こっちに来て下さい、リナさん」
リナはゼロスの後ろからパソコンをのぞき込む。
「１０時から徳栄商事の会長さんと会談。昼食が終わったら、日本の芦刈銀行の頭取と打ち合わせ。そして、香港商務省のトップと……ねえゼロス、あんた、あたしより１０年上だって言ってたわよね」
「ええ。２６です」
「あたしは子供だから、詳しいことは分からないけど……２６で、こんな偉いさんたちと、対等に話し合えるの？」
「獣皇会は、表向きはメタリオム・グループという商業組織ですから。責任者代理である僕が行くのは、当たり前のことです」
「ふうん……ちょっと見直した、かも」
「そうですか？」
「ちょっと、だからね」
「ところで、あまりいい知らせではない知らせがある」
「何ですか、ゼルガディスさん」
「冥皇会と魔竜会が、手を組む動きを見せている」
「それは……」
「間違いなく、リナの存在だろうな。最大派閥・獣皇会のトップの、たった一つの弱点。狙われない方がおかしい」
「あたしが……」
「リナさんは気にすること無いんですよ。僕たちが、貴女を守ります」
剣の手入れをしていたガウリイが言う。
「今日は、ハードスケジュールだな。俺はゼロスにつく。ゼル、リナに付いてやってくれ。それから、他の皆も」
「任せてくれ。これだけの人数がいれば、敵も迂闊には手はだせまい」
「それにお前の銃の腕があれば、無敵だ」
リナが怪訝な顔をする。
「あたしは今日、何をしていればいいの？」
「リナさんは、このホテルでゆっくりしていて下さればいいんですよ」
「なにそれ。あたし、やることが無いのには耐えられないんだけどなあ」
「仕方がありませんね。ゼルガディスさん、彼女にゲーム機を買ってあげてください。それと、うんと時間のかかりそうなロールプレイングゲームか何かを……」
「あたしのこと、馬鹿にしてるの！？」
「リナ」
ガウリイがなだめるような口調で言う。
「今は、本当にデリケートな時期なんだ。お前が狙われるとやりにくくなるし、お前にもしもの事があれば、ゼロスは……」
リナは自分の前髪をくしゃくしゃとかき回す。
「あー、分かった分かった。今日のところは、ゲームで勘弁してあげる」
「リナさん、ありがとうございます」
「いっつも、香港に来たらショッピングにお茶にお食事に、思いっきり遊び回ってたのになあ」
「僕が香港の覇権を握れば、いつでも好きなだけ遊んでいただけますよ」
「いつになるの」
「近いうちです」
「時間だ。行け、ゼロス、ガウリイ」
二人は立ち上がってドアに向かった。
「あの……ね、ゼロス」
リナは頬を染めて言う。
「お仕事、頑張ってね」
ゼロスは本当に嬉しそうに微笑んだ。
「はい、頑張ってきます」
ガウリイが振り向く。
「リナ、俺にも言ってくれ」
「ええ。ガウリイ、お仕事頑張ってね」
「ガウリイさん！？　リナさんの『頑張って』は僕だけのものです」
「なんだ、今から返せって言うのか？」
ゼルガディスが、銀髪をかき回す。
「お前ら、子供か」

「じゃあリナ。欲しいゲーム機とソフトを、このメモに書いてくれ」
「はいはいっと。あたしはゲームにはうるさいわよ。プレステ２に、ゲームは……あれがいいかなあ」
長い名前のゲームを書き入れると、リナはメモをゼルガディスに手渡した。
「おい、頼む」
「はい」
部下の男の一人が進み出る。
「あれ、ゼルが行くわけじゃないんだ」
「俺は今日のお前のお目付役だからな。側を離れるわけには行かない」
部下の男はメモを持って出ていった。そして、程なく大きなゲームショップの袋を提げて帰ってきた。
「ふふ、楽しみ」
リナは紙袋から段ボール箱を出し、ゲーム機本体を引っぱり出す。
「あれ？　香港のプレステ２は少し形が違うんだ」
「俺はゲームのことはまるきり知らないが、そうなのか？」
「ええ。この出っ張りは何だろ。さてと、配線、配線……」
リナは、据え付けられた大型のテレビの裏に潜り込む。
「部下にやらせようか」
「いいの。あたし、機械得意だから。さてと、メモリーカードを初期化して、後は電話線からネットに繋げるようにして……。ゼル、テレビつけて」
ゼルガディスがリモコンでテレビのスイッチを入れると、ざあざあとした雑音。砂嵐の中に、ぼんやりと人影が浮かんでいた。
「おいリナ、何か人が映っているんだが。これはこういうものなのか？」
「人？　そんなもの映らないはずだけど」
画面の砂嵐は次第に納まり、まだ幼さを残した少年の、残酷な微笑みが浮かび上がった。
「フィブリゾ！」
「へ？　誰よ、これ」
画面の中の少年が言う。
『僕たちのお城にご招待するよ、勇敢なお姫様』
ゲーム機の全面に不自然に突きだした出っ張りが外れ、中から白い粉が勢い良く吹きだした。粉はあっという間にリビングルーム全体を覆った。
「くそっ！　粉塵爆発を起こされるかもしれん。ドアと窓を開けろ！　リナを見失うな！」
粉は２、３分吹き出し続け、ようやく止まった。視界が晴れるまでには、さらに数分を必要とした。ゼルガディスは辺りを見回す。ゲーム機を買ってきた部下と、リナがいなくなっていた。
「やられた！　くそっ、いつの間にジェラードの奴、向こう側の人間に……追うぞ！」
しかし、エグゼクティブ・スイートにつながる唯一のエレベーターは、一階まで降りてしまっていた。ゼルガディスはいらいらしながらエレベーターがゆっくり上がってくるのを待った。
フロントに詰め寄る。
「粉まみれの男と、たぶん意識を失っている女。通らなかったか」
「あの、お客様も、粉が……」
「俺のことはどうでもいい。そういう客は来なかったか」
「はい。消火器が壊れたとのことで、医務室にお通ししましたが……」
ゼルガディスはフロント係の先導で一階の医務室に飛び込んだ。常駐の医師が、叩きのめされて気を失っている。窓が開き、裏手の駐車場に通じている。窓から出てみたが、人の気配はなかった。ゼルガディスは携帯を開いた。生まれてから、こんなに情けない電話をかけたことはなかった。
『何ですか、ゼルガディスさん。今僕は、徳栄商事の会長さんと……』
「リナがさらわれた」
『な……っ。分かりました。僕も』
声をぐっと下げる。
『このくだらない会談を切り上げて、そちらに戻ります。午後の予定を全てキャンセルして下さい』


「すまん、俺の……責任だ」
「ええ、あなたの責任ですね、ゼルガディスさん！」
ゼロスはゼルガディスの頬を殴りつけた。ゼルガディスは床に倒れ込む。白い粉がもうもうと彼らを包む。
「リナさんを連れ去った勢力からの連絡は」
「いや、この部屋で待ち続けているが、まだない」
その時、机の上の電話が鳴り始めた。ナンバーディスプレイには「非通知」。
「僕が出ましょう」
ゼロスは受話器を取った。
『やあ、ゼロス＝メタリオム。久しぶりだね』
「フィブリゾさんですか」
『粉まみれの君を見るのは楽しいことだね』
「なっ……」
『そう。僕たちは、君を見ている。君には僕たちは見えない。不公平だと思わない？』
「そうですね、確かに不公平です」
『そこのゲーム機のスイッチを、もう一度入れてごらんよ。大丈夫、今度は粉を吹き出したりしないから』
「ゼルガディスさん、そこの機械のスイッチを入れて下さい」
ゼルガディスは、慎重に本体の裏側のスイッチを入れた。
「……！」
テレビに映し出されているのは、ホテルのスイートルームらしき映像。リナが、椅子に座らされ、後ろ手に縛られたまま意識を失っている。口にはガムテープ。紅茶色の髪に白い粉が降り積もっている。その横にたつフィブリゾ。可愛らしい、整った顔には、酷薄な笑みが浮かんでいる。
「リナさんは……リナさんは大丈夫なんですか？」
『へえ、リナっていうんだ、この子。可愛い名前だね。可愛い娘は名前まで可愛いんだ』
「ふざけないで下さい！　リナさんは……」
『安心していいよ。命に別状はない。まあ、思いっきりクロロホルム吸い込んじゃったみたいだから、当分は目覚めないと思うけど』
「リナさんをどうする気ですか！」
『殺したりはしないよ。無抵抗の女の子を殺すのは趣味じゃないんだ。ただ……僕も男だからね。こんなに可愛い女の子が側にいれば、ちょっかいは出したくなるかもね』
フィブリゾの手が、リナの胸を触る。
『ふふ、小さい胸。手に入れたくなるね』
「……やめてください、そういうことは」
『君にそう言える権利があると思ってるの？　ねえ、ガーヴ』
「ガーヴさん！？」
『確かにこの娘は美しい。俺も手に入れたいものだな』
紅い長い髪の、たくましい男がフレームに入ってきた。
「あなたたち……手を組んで」
『この香港の覇権を手に入れるのに、君たち獣皇会は避けては通れない邪魔者だからね。今回に限り、手を組むことにしたのさ』
『さて、』
ガーヴは眠るリナの背に手を乗せた。
『このお姫様を無事に返して欲しければ、ゼロス＝メタリオム。お前がここへ来るんだ』
「そこは、セントラルホテルの１５階ですね。冥皇会の本拠地」
『そう。インペリアル・スイートさ。早く来てくれないと、本当に僕たちはこの娘を……』
「分かりました。すぐに行きます」
『言うまでもないことだけど、君一人で来るんだよ？下に見張りを立たせる。こっそり腕っ節の強いのを連れてきても駄目だからね』
画像がとぎれる直前に、ゼロスたちは見た。うなだれたリナが微かに首をあげ、カメラにウィンクするのを。
「リナさん、意識はあるみたいですね」
「でも、部屋の中には相当数の男たちがいた。リナも、一人で戦うほど無謀じゃないだろう……俺も行くぞ、ゼロス」
「ガウリイさん、しかし相手は一人で来いと……」
「ばれなきゃいいんだよ。せめてホテルの前までは行かせてくれ」
ガウリイは、長剣を手に取った。
「俺の責任だ。俺にも行かせてくれ」
ゼルガディスが歩み出た。
「そうですね。ゼルガディスさんにも来ていただきましょう」
三人は、ホテルの前から運転手つきの車に乗り込んだ。ガウリイとゼルガディスは後部座席の下に何とか隠れる。車は、中環（セントラル）へ向けて走り出した。




少し新條まゆさんの「覇王ｖ愛人」と似たシーンがありますね。できるだけ影響を受けないように書こうとはしているんですけど。ていうか、いい年して少女漫画読むな、という声が聞こえてきそうではあります。では、次が最終話です。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「覇王ｖ愛人」は無事に大団円を迎えたようです。（04.04.14）コミックス派の私は待ち遠しい。フィヴとガーヴ様は天地がひっくり返っても手を組むことはないと思われますが、まあパラレルだと思って見逃して下さい。


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