香港エトランゼ…６

香港エトランゼ［６］

ゼロスの携帯が鳴った。番号表示は「非通知」。
「はい、何ですか、フィブリゾさん？」
『今、どの辺にいるのかな？』
「あと５分もすれば着きますよ。ちょっと渋滞しているんです」
『黒のベンツ？』
「そうです」
『君が運転しているの？』
「いえ、運転手が……」
『僕たちは、君一人で来い、と言ったんだよ。運転手とはいえ、君以外の男を乗せているのは許せないなあ』
「勘弁して下さいよ。運転しながら電話したら、事故の元でしょう」
『マフィアのトップが何を一般人のようなことを言ってるんだよ。とにかく、運転手を降ろして。君が運転するんだ』
運転手は道路脇に降ろされた。ゼロスが運転席に座る。
『それでいい』
「見えてるんですか、僕が」
『どっちでもいいことだろう？』
車はセントラルホテルに着いた。ゼロスだけが車から降りる。ガウリイとゼルガディスは、息を潜め、身体を小さくかがめた。ロビーに入ると、高級なスーツを筋肉ではち切れそうにした男二人が、ゼロスを挟むようにして導いた。スイートルームに直通のエレベーター。
「私どもはここで待たせていただきます」
ゼロス一人がエレベーターに乗せられる。ドアが開くと、リビングに通じていた。うなだれて、後ろ手に縛られているリナ。数人の屈強な男たち。そして……フィブリゾとガーヴ。
「約束通り、ここへきました。リナさんを放して下さい」
「彼女とは、天国で再会するといいと思うよ」
フィブリゾは、小さな銃をリナの頭に押しつけた。
「止めて下さい。彼女は関係ない」
「関係ない女のためにこんなところまで来るほど、君は優しくも人道主義者でもないよね？」
「お前もすぐに後を追わせてやるよ」
ガーヴの声。無骨な手に似合う拳銃を、ぴたりとゼロスに向けている。
「さんざん地獄をみてきた俺たちのようなゴロツキには、もったいないほど幸せな死に方じゃねえか？」
（ここまで……ですか）
ゼロスは視線を降ろした。その時、弾かれたようにリナが立ち上がった。口に貼られたガムテープを一気に引き剥がすと、側にいたフィブリゾを裏拳で叩きのめし、銃を奪う。
「ゼロス！　銃くらい持ってきてるんでしょ！　戦って！！」
リナはもう一度フィブリゾを銃床で殴りつけ、意識を失わせた。
「こいつ、殺しちゃってもいいのかしら？」
「フィブリゾ様！」
「このアマ、縛られていたくせにどうやって……」
「あれだけ時間があれば、関節を外して抜け出せるわよ。ゼロス、このフィブリゾとかいうの、殺しても構わない？」
「くっ……！」
男たちはリナに拳銃を向ける。リナも、気を失ったフィブリゾを床に転がし、男たちに銃を向けた。
「止めときなって、お嬢ちゃん。あんたの力じゃ、反動で自分の足を撃ち抜くのがオチだ」
「そうだ。お嬢ちゃんが人殺しなんて出来るもんかよ」
リナは顔色一つ変えずに、銃を発射した。男の一人が、胸から血を吹き出して倒れる。
「お嬢ちゃん。ちょっと調子に乗りすぎじゃねえか」
ガーヴが、リナに銃口を向けた。その手の銃を、弾丸がはじき飛ばす。
「ゼロス……！」
「僕もあまり人殺しは好きではないのですが、あなたにはここで死んでもらった方が良さそうだ。さよならです」
ゼロスは、自分の銃で、ガーヴの額の真ん中を撃ち抜いた。
「ガーヴ様！」
「とにかく、こいつらを生かして帰すな。やっちまえ！」
エレベーターが開いた。ガウリイとゼルガディスが飛び込んでくる。ガウリイは剣を抜いた。
「馬鹿な……下には、俺たちの中でも最強の」
「ああ、あのヘタレ連中のことか。俺たちの敵じゃなかったな」
乱闘が始まる。ガウリイの剣がきらめく。
「俺の剣であの世へ行けることを誇りに思いな！」
エレベーターに乗り込んで逃げようとする男たちを、ゼルガディスの正確な銃撃が襲う。リナも、チャイナドレスのスリットから細い脚をのぞかせ、華麗に舞っている。そしてリナは、意識を取り戻したフィブリゾの側に立った。
「ゆ……許してよ、リナ、さん」
「あんたがマフィアのボス？　情けない話ね」
「悪気はなかったんだ」
「悪気が無くて、あんたは人の胸を触るの。おまけに……」
リナの鋭い蹴りが炸裂する。
「……小さくて、悪かったわね！」
口から泡を吹いて倒れたフィブリゾに、ゼロスが銃を向ける。
「殺すの？」
「ええ」
「まだ子供よ？」
「子供でも、彼は冥皇会のリーダーです。それに、リナさんをさらった罪は、万死に値する」
意識を失ったまま、フィブリゾの命は絶えた。
広く豪華な部屋の中は血の匂いで溢れ、ゼロスたち以外に生きているものの姿はなかった。懐から取り出した布で、ガウリイは刃の血を拭い、さやに収めた。
「とりあえず、やったな」
「ゼルガディスさん、今何時ですか？」
「……３時だ。時間なんて気にして、どうしたんだ？」
「僕のスケジュール管理を任せているあなたがその調子じゃどうしようもありませんね。今日の夜はリナさんと母様の会食だし、夕方５時には、衣装あわせのために、リナさんを九龍の事務所へ送り届けなくてはならないでしょう？」
「あ、ああ。そうだったな」
「こんな粉まみれのリナさんを連れていったら、母様は激怒しますね。一度半島ホテルへ戻って、シャワーを浴びた方がいい……もっとも、あのエグゼクティブ・スイートは当分使えませんが」
「ああ、戻ろう。疲れたな。一眠りしたい」
「まったく、とんだ一日だったよ」
ゼルガディスは、ため息をついた。

香炉から立ち上る、馥郁たる香り。
「リナちゃん、良く来てくれたわ。今日は退屈じゃなかった？」
ゼルガディスはうつむき、ガウリイは苦笑した。ついさっきまで、敵対するマフィアのボスたちに捕まっていたと知ったら、ゼラスはどんなに激怒することだろう。
「見ての通り、リナちゃんのサイズに合う服ばかり用意したの。着てみてくれる？　気に入ったら、すべてプレゼントするわ」
「本当に、いいんですか？」
「美少女に着せ替え！　女の夢ですもの。ああ、ガウリイさん、ゼルガディスさん、あなたたちはゼロスについて。この事務所には、専属のボディーガードがいるから」
「はい、失礼します」
男たちが部屋を出ていくと、ゼラスはさっそく一枚のドレスを手に取った。
「これは、リナちゃんみたいな細い女の子でないと着こなせない服よ」

あっという間に一時間半が過ぎた。
「うーん、リナちゃん、モデルさんみたいね。どんな服も、可愛く着こなすわ。……その、手首の痣はどうしたの？」
リナの手首には、青黒い拘束の後があった。
「これは、道場でちょっと」
「駄目よ、女の子が身体にそんな痣をつくっちゃ。そう言えば、顔色も悪いわね。着替えに疲れたの？」
「───少し、疲れました」
鍛えているとはいえ、半日ほど拘束された直後だ。身体が悲鳴を上げている。
ゼラスは、机の上の電話を取った。程なく、冷たい茉莉花茶が運ばれてきた。
「ごめんなさいね、リナちゃん。あたくし、娘が出来たようで、ほんとに嬉しくて。このお茶で、少しは疲れがとれるといいんだけど」
「お気遣いありがとうございます。いただきます」
「ドレスは、全部あなたにあげる。どれをとっても似合っていたもの」
「こんなに……受け取れません」
「いいの。あたくしの気持ちなんだから。そろそろ、晩ご飯の時間よ。広州酒家に移動しましょう。さ、どれを着ていく？」

淡いピンクのドレスに身を包んだリナと、豊満な身体にぴったりしたチャイナドレスのゼラスが、広州酒家の前に降り立った。すでに、ゼロスが来て二人を待っていた。
「ま、ゼロス、本当に来たのね。あたくし、リナちゃんとだけ、お食事したかったのに」
「母様、前にも行ったとおり、リナさんは僕の恋人であって、母様のおもちゃでは……」
ゼラスは扇を広げる。
「リナちゃん、ここの酒家の料理は満漢精選といってね、本来なら２～３日かけて食べる満漢全席の、特に美味しいところをより抜いた……」
「聞いてない……」
ゼロスはがっくりと肩を落とす。
「母様、いいですから、レストランに行きましょう」
「レストラン、と言えなくもないけど、もっとすごいわよ」
入り口で大勢の従業員にかしずかれ、店の奥に案内される。裏庭に抜けると、そこには『満漢宮』と墨書された小さな宮殿状の建物があった。
「ここよ」
「あの、母様。僕は一度もここに連れてきてもらった記憶が無いのですが……」
「愛の差よ」
「そんな……」
三人は、テーブルにつき、料理を待った。

「おいっしい！」
「熊の手は気に入った？　リナちゃん」
「はい、すごく美味しいです」
「良かったら、ゼロスのも食べなさい。ゼロス、残りをリナちゃんにあげて」
「はあ……リナさん、どうぞ」
「ありがと、ゼロス」
「あら、このフカヒレの美味しいこと。リナちゃん、フカヒレは好きかしら？」
「ええ。大好きです。それに……」
リナとゼロスは、互いに目を向け、見つめ合った。二度目に出会ったあの日。あの時とは比べものにならない、とびきりのフカヒレを二人は味わう。
「何か、わけありげね」
ゼロスは、人差し指を立てる。
「それは、秘密です」
「ま、生意気」
やがて料理は出尽くし、甘い点心と茶が出た。
「リナちゃん、よく食べたわね。その細い身体のどこに入っていくのか不思議だわ」
「ごちそうさまでした」
「あ、ゼロス。自分で食べた分は、自分で払いなさいよ。あたくし、リナちゃんにしか奢る気は無いから」
「分かりましたよ。それより、母様、リナさん。聞いて欲しい話があるんです」
「何かしら」
「リナさんが拳法の免許皆伝になったら、僕は、イングランドへ行こうと思うんです」
「へ、何のために？　お仕事？」
「いえ、リナさんのご家族に会うために。僕は、リナさんを花嫁にしたいんです。そのためには、ご家族の許可がいりますからね。……リナさん？　泣いているんですか？　嫌ですか？」
「違う……違うの」
リナは、指で涙を拭った。
「ゼロスは、マフィアのボスで……香港経済にも君臨する存在で。あたしのことなんて、ひまつぶしの遊びなんだろうな、って思ってた。それでもいい、と覚悟してた。なのに、ゼロスはそんなに真剣でいてくれた。嬉しいの、すごく、嬉しいの」
「いいんだけどね、リナちゃん」
ゼラスは、扇を閉じ、口元を押さえた。
「マフィアのボスで、香港経済のトップに立つのはこのあたくし。ゼロスは単なる補佐よ」
「あ……すみません」
「もっとも、その地位をそろそろゼロスに譲ってやらなくもないかしら、とは思っているのよ。例えば、ゼロスが大事な女の子と結婚したら」
ゼロスは立ち上がる。
「母様、それって……」
「ゼロス、組織を。そしてリナちゃんを守りなさい。あなたの持てる全ての力で」
「はい」
「それが、あなたの人生そのものになるのよ」

満漢宮を出ると、ゼラスのボディーガードたちと、ガウリイ、ゼルガディスが控えていた。
「やったな、ゼロス。うらやましいぜ、美少女の嫁さんもらえて」
「聞いていたんですか」
「まあな。でも正直、俺もリナには惚れてた。ゼルもそうだろう？」
「ああ。今までに見たことのないほど、いい女だ」
リナが、曖昧に微笑んで言った。
「こういうとき、どう言っていいのか分からないけど……二人ともありがとう。あたしたちのこと、祝福してくれるわよね？」
「もちろん。今日、冥皇会と魔竜会も壊滅的な状態になったし。お前らは香港一のカップルになるんだ」

「それでは、組み手を始めよう。リナ、お前の修行の成果、見せてもらうぞ。来なさい」
「はああっ！！」
身も軽く、リナが跳び蹴りを仕掛ける。師匠は、僅かな動きでそれをかわすと、リナの身体に拳を当てた。
「うっ……」
「こんな拳を避けられんようでは、免許はやれない」
「もう一度、お願いします。───はっ！」
勝負を見守るガウリイは、二人の動きの無駄のなさに魅せられる。
「はああっ！」
高くあげたリナの脚を、師匠は軽い力で捕まえる。リナはバランスを失ってよろめく。
「ここまでかな」
「まだ、まだ行けます。やああっ！」
師匠が、リナに拳を向けた。リナは素早くその拳をとらえ、師匠の背中に回る。
「はっ！」
リナの鮮やかな回し蹴りが決まった。

ゼロスがベンツの助手席で靴をこつこつ鳴らしていると、リナとガウリイが道場から出てきた。ゼロスは車の外に出てリナを迎える。甘い汗の匂いをまとって、リナはゼロスに抱きついた。
「免許皆伝よ！　あたし、自分の道場が出せるわ！」
「おめでとうございます、リナさん」
ガウリイと、盲目の師匠が二人の弾む声を聞いている。と、師匠がゼロスに歩み寄った。
「失礼ですが、あなたがリナの恋人ですかな」
「ええ、そうです。あなたはリナさんのお師匠様ですね。今日までリナさんがお世話になりました」
「あなたのために、リナは故郷で家族と共に暮らすことを諦めた。リナは、私にとっても娘のようなものです。小さな、ほんの子供の時から私が拳法を学ばせた」
「ええ。リナさんは、本当に強い」
「リナを、守ってやって下さい」
「はい。でも、リナさんは、僕が守るまでもなく強くて……」
師匠は声を低めた。
「心です」
「こころ……」
「家族から離れ、あなたの側にいようとする、一途な想い。それを、あなたは守れますかな」
「守ります」
師匠はリナに向き直った。
「リナ、心に迷いが生まれたとき、行くべき路を見失ったとき、いつでも来なさい。私は全てが分かるわけではないが、できるだけ力になろう」
「師匠、ありがとうございます」
ガウリイも、師匠の手を取って、握手した。
「ガウリイさん。体術を学びたくなったら、いつでも来て下さい。あんたは、前にも言ったが、筋がいい」
「いつか、お世話になるかも知れません」
車の窓からリナが声をかけた。
「ガウリイ、運転して」
「おう」
黒のベンツは、静かに去っていった。
「どうぞ、あの若者たちに加護を……」
老人は、天に盲いた瞳を向け、祈った。

香港国際空港。出国ロビーには、長い行列が出来ている。
「リナさんよりお強いと聞く、お姉さまに会うのが怖いですね」
「ふふっ、大丈夫よ。イングランドへは？」
「これが３回目です。でも、前の２回は仕事でしたから、ロンドンだけで」
「イングランドの田舎料理と、美味しい黒ビール、ごちそうするわ」
リナは、小さな赤い革のトランクの上に腰掛ける。黒のベルベットの、可愛らしいワンピースはゼラスの見立てだ。
「ふう、まだ待たされそうね。あたし、喉かわいてきちゃった」
「僕もです。何か飲み物を買ってきますね」
ゼロスは自動販売機の方へ走っていった。リナは、ぼんやりとゼロスを眺めていた。ゼロスは二つの紙コップを持って、引き返してくる。その時、リナの目の端にきらりと光るものが映った。
「ゼロス！　走って！　立ち止まらないで！！」
ゼロスは、よく聞こえないその声にとまどい、一瞬止まる。
「ゼロス！」
音もなく弾丸が発射され、ゼロスは倒れた。リナは無我夢中でゼロスの元へ駆け寄る。床にまき散らされたビールとオレンジジュース。その液体の中に、じわじわと血が拡がっていく。
「だれか！　お医者様と警察を呼んで！　ゼロス、しっかり……」
もう一度、金属が光った。二階の通路。サイレンサー付きの銃が弾丸を発射する。リナは、ゼロスに覆い被さって、それを受けた。
「ゼロスだけは……ゼロスだけは、生きて」
さらに４発の弾丸が二人を貫いた。ようやくまわりの客が騒ぎ出す。銃を持った、蒼碧の髪に金色の瞳の青年が、警備員に取り押さえられながら叫んでいる。
「許せなかったんだ！　ガーヴ様をやりやがってよう！　死刑にでも何でも、勝手にしやがれ！」
医師が、倒れた二人に近づいた。だが、二人はすでに地上の住人ではなかった。淡く笑みが浮かんだリナの唇から、細く血が流れていた。

「あ、飛行機雲」
「何だ？　ガウリイ」
「いや、あれに乗ってんのかな、と思って」
空港の駐車場で、ゼルガディスとガウリイは空を見上げた。
「あいつらにとって、いいフライトになるといいな」
「ああ」
二人は、ぼんやりと、蒼穹をくっきりと区切ってゆく飛行機雲を見上げていた。

また（×１０）、リナちゃんとゼロスを死なせてしまってすみません。ただ、このまま幸せになるには、この小説の二人はあまりに多くの人を死なせてしまったような気がして……（殺させたのも私なんですが）　最後、二人を襲った青年は誰でしょう。それでは、次こそ明るい物語でお会いしましょう。

ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。バッドエンドにしてしまいましたが、この二人はとても愛し合っていた……と勝手に陶酔しています。明るい物語……羽久に書けるものならいいんですけど。では、ここまで読んで下さって、ありがとうございました！

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