香港エトランゼ［４］



「ゼロス。リナちゃんはあなたの恋人だから、もう自由に拳法を学ぶこともできないと言うの？」
ゼラスの問いに、ゼロスは微笑んで答えた。
「ええ、いつ敵対する組織に狙われないとも限ら……」
すぱぁぁぁぁん！
「か、母様、ハイヒールで……痛」
ゼロスはうずくまる。
「何を馬鹿なことを言ってるの。こんな、語学の勉強にも拳法の修行にも熱心なリナちゃんを、あなたは飼い殺しにする気なの？　そんな情けない男に育てた覚えはないわよ！」
「で、でもリナさんを危険にさらすわけには……」
「リナちゃん」
ゼラスはゼロスを無視して、リナの方を向いた。
「修行の仕上げ、と言ってたわね」
「母国では、姉が免許皆伝で師範を、あたしが師範代をしていました。今度の香港訪問で、免許皆伝になる予定でした」
「予定？」
「いいんです、ゼラスさん。ゼロスの恋人になることを選んだのはあたし自身です」
「これはあたくしのお節介だけど、ね」
ゼラスは金髪をかき上げた。
「免許皆伝は受けておいた方がいいとおもうわ。長い年月をかけて修行してきたんでしょう？　こんな馬鹿息子とつきあうために、それを諦めることはないと思うわ」
「でも……」
「ゼロス！」
頭を押さえてうずくまっていたゼロスが、ようやく立ち上がる。
「はい……」
「あなたのボディーガードの中で最強なのは誰？」
「それは、ガウリイさんですが」
「じゃあ決まりね。ガウリイさんがリナちゃんのボディーガードにつく」
ガウリイは微笑んだ。
「俺は最初からそのつもりでした。第一、ゼロス自身からもリナを守れ、って命令が出ていましたから」
「リナちゃん、最初のお稽古はいつ？」
「今夜の予定でしたが」
「ガウリイさん、リナちゃんをよろしくね」
「ゼラス様の命令とあれば」
まだ頭をさすっていたゼロスが言う。
「ガウリイさん、あなたは一応僕の直属のボディーガードなんですよ」
「もちろんそれはそうだが、ゼラス様の方が怖い」
「ほほほ」
ゼラスは、楽しげに笑った。
「あの、ガウリイがあたしについたら、ゼロスのことは誰が守るんですか」
「リナちゃん。獣皇会は数人でやってる小さい組織ではないのよ。あたくしか、ゼロスが一声かければ、ボディーガードなんてすぐに集まるわ。それに、ゼロスの恋人という危うい立場のあなたを、獣皇会最強の男であるガウリイさんが守るのは当然のこと。気にしないで行っていらっしゃい」
「ありがとうございます」
「ところでリナちゃん、あなたご飯はよく食べる方？」
「はい。故郷でも姉ちゃ……姉によく笑われていました」
「満漢全席、って興味ある？」
「あ……あります！　すごくあります」
「素直な反応で嬉しいわ」
ゼラスは嬉しそうに続ける。
「さっき、あなた用のドレスをたっぷり注文したから。明日、一番似合うドレスを着て、広州酒家で晩ご飯と行きましょう」
ゼラスは、再び受話器を取った。
「ええ。満漢精選を。間に合わなかったら、どうなるか分かっていらっしゃってね？」
電話を切る。
「……さて、リナちゃん。そろそろ行く時間じゃなくて？」
「あ、そう……です」
「ガウリイさん、くれぐれもリナちゃんをよろしくね」
ゼロスが口を挟む。
「あの、母様。リナさんはあくまで僕の恋人であって、母様のお人形にするためにここにいるのではないのですが」
「あら、何かいけないかしら？」
「開き直られると辛いですね……」
リナとガウリイは、メインオフィスを出ていった。ゼロスは、ゼルガディスと共に半島ホテルに戻った。あたりは暗くなり始めていた。


夕暮れの街を、黒いリムジンが駆け抜ける。
「あんた無しでも、ゼロス、本当に大丈夫かしら」
「ああ。ゼルもいるしな」
「ゼロスって、本当に獣皇会のボス……代理なのかしら」
「お前、あいつの情けないところしか見てないもんな」
ガウリイは苦笑した。
「あいつは、大した器だよ。俺やゼルが忠誠を誓ってる、っていうのは、証明にならないか？」
「ガウリイは、どうしてゼロスのボディガードを？」
「どうして、ってなあ。小さい時、一緒に遊んでいた頃から、いつか俺はこいつのボディガードになるもんだって思ってた。そのために、剣を学び、銃を覚え、体術を身につけた。あいつの一声で、何百人という屈強な男たちが立ち上がる。そして、その後ろに何万人という市井の人間が守られている」
「あたしなんかが、そんな人の……恋人なんて、やっていけるのかしら」
「お前、ゼロスが好きなんだろう？」
「……ええ。でなきゃ、あんなに傲慢で強引な告白にＯＫしたりしないわ」
「恋人っていうのは、それでいいんだ」
「ガウリイは恋をしないの？」
「あー、俺もそういう暇ないからな。でも、興味を持ってる女はいる」
「どんな人？」
「秘密だ」
ガウリイは、人差し指を唇に当てて微笑んだ。
「ところであたし、ゼルガディスさんに嫌われてるような気がするんだけど」
「お前本人を嫌ってるわけじゃないさ。あいつは用心深いからな。ゼロスに関わる危険要素が増えたことが気に入らないだけだろう。話してみるといい奴だぜ。俺が保証する」
リムジンは、中環へ入っていった。

「ここが、お前のお師匠さんの道場か。なんか、ぼろっちいけど、風格を感じるぜ」
「それ、ほめてるの？　まあいいわ。中に入りましょう」
飴色に磨き上げられた廊下を踏んで、リナとガウリイは稽古場に入った。
「……リナか」
「師匠、ご無沙汰しております」
「上等な白檀の香りがするな」
「先ほどまで、貴人と会っていましたので」
「どちらの方かな」
「ゼラス＝メタリオムさんです」
「それはそれは……それにリナ、化粧をしているな……？　もうそんな歳になったか」
「いえ、今日は特別で……」
「ところで、そちらの男性は？　入門希望者かね」
「あたしのボディーガードとして、ついてきてくれました」
「ほ、お前にボディーガードとはな。確かに、背も高く、体格もいいようだが……」
ガウリイがリナに耳打ちする。
「おい、お前のお師匠さん、目が……」
「聞こえておるよ、ボディーガードさん。確かに私は眼は見えん。だが、それはこの拳法術を極める上で何の支障もないこと。───お名前を聞かせていただけるかな」
「ガウリイ＝ガブリエフです」
「ガウリイさん。リナの稽古を見ていくといい。ではリナ、着替えてきなさい」
稽古場の脇にある更衣室で、リナはチャイナドレスを拳法着に着替え、髪を一つのシニヨンにまとめた。
「準備、整いました」
「では、型から」
「はい。───はあっ」
リナは小さな拳を鋭く突き出し、空気を切り裂いた。
「はっ……はああっ！」
脚が高く上がる。リナはしなやかな身体で回転し、交互に足で宙を蹴り上げた。ガウリイは、その鮮やかさに見とれる。
「よし、もうよかろう。それでは、私と組み手を……」
「ちょっと待って下さい」
ガウリイが言った。
「なにかね、ガウリイさん」
「俺もかつては体術を学びました。それなりに自負を持っています。俺は、俺とリナのどちらが強いか、知りたくなりました」
「リナと戦いたい、と」
「はい」
「リナはどうかね」
「構いません」
「良かろう。男物の拳法着は、更衣室の奥の棚にある。着替えてきなさい」
ガウリイは、少しサイズの小さい拳法着に袖を通した。
「準備できました」
「では、二人とも向かい合って」
リナの瞳は真剣だ。その深い赤に、ガウリイは吸い込まれそうになる。
「始め！」
（一気に決めてやる！）
ガウリイは、大きな拳をリナに向ける。その拳の力を、リナの細い腕が吸収する。蹴りを横ざまに繰り出したが、肘と膝で受けとめられ、かわされる。
「くっ……これなら、どうだ！」
ガウリイは、長い脚を伸ばしてリナの頭上からかかと落としを狙った。リナの姿がふっと消えた。
「何っ！」
リナの膝蹴りが、ガウリイの脇腹に決まった。思わぬ痛みと呼吸の乱れで、ガウリイは膝をつく。
「そこまで」
師匠の声が響いた。
「ガウリイ！　大丈夫？　痛くなかった？」
「痛えよ。むちゃくちゃにな。これが、お前の『力』なんだな」
「……『力』？」
「ゼロスの側にいる者にふさわしい、歴然とした力、ということだ。お前はただ可愛いだけのお人形さんじゃないんだな」
師匠が口を開いた。
「ガウリイさん、あんたもいい筋をしていなさる」
「今日は、無理に試合をお願いした上に、恥ずかしいところを……」
「リナに負けたことなら、何も恥じることはない。あんたも感じたように、リナは強い女だ。母国のイングランドで道場を開こうという者だからな。それに、ガウリイさん、あんたの真の強さは剣の道にあると見た」
「何もかも、お見通し、というわけですね」
リナが表情を暗くした。
「師匠……」
「どうしたリナ、声に張りがない」
「あたし、もうイングランドへは……」
「そうか。何があったかは聞かぬ。だが、姉君とここで学んだことは、いつまでも忘れないようにしなさい。さあ、今日は上がっていい。次にここに来たときには、私と組み手をしよう」
ガウリイが、恐縮そうに言う。
「今日は、お邪魔しました」
「いやいや、若者同士の試合というのはいいものだよ。ガウリイさんもリナのボディーガードと名乗るからには、またいらっしゃるのだろう。楽しみに待たせてもらいますぞ」
リナはチャイナドレスに、ガウリイはスーツに着替えた。盲目の拳法家は道場の前まで、杖をついて二人を送った。
「ガウリイさん。化粧をしたリナは、美しいのかね」
「ええ。これ以上ないほどに、美少女です」
「こういうときは、盲いていることが残念だよ」
はっはっは、と師匠は笑った。
道場の前に待たせていた、黒いリムジンに、二人は乗り込む。
「半島ホテルへ」
車は夜の街へ滑り出した。


ドアチャイム。エグゼクティブ・スイートの中の雰囲気に緊張が走った。ドアの側にゼルガディスが立つ。
「誰だ」
「ガウリイだ。両手がふさがってる。そっちでドアを開けてくれ」
「周りに異常はないな」
「ああ」
チェーンが外され、鍵が開けられる。リナの小さな身体を両手に抱いたガウリイが入ってきた。
「リナさん！？」
「安心しろ、寝てるだけだ。道場で、疲れたみたいだな」
「奥のベッドルームで寝かせましょう。ガウリイさん、お願いします」
灯りの絞られたベッドルーム。キングサイズのベッドの上に、ガウリイはリナをそっと降ろした。とても軽い、華奢な身体。柔らかな髪。あどけない寝顔。
「ゼロス、うらやましいぜ」
ガウリイはベッドルームを後にした。


「……あ」
「目を覚まされましたね」
「ゼロス。あたしはどうしてここに……そっか、帰りのリムジンの中で眠っちゃったんだ。今、何時くらい？」
「真夜中ですよ」
「そういえば、ゼロス、パジャマね。ああ、髪がぐしゃぐしゃ」
「リナさんも着替えた方がいい。ホテルの備え付けのパジャマがクローゼットに入っています」
「分かったわ。リビングで着替えてくる」
「リビングのソファではガウリイさんが寝ていますよ。彼は、長年のボディガードの体験から、僅かな音で目を覚ましますから」
「そ。じゃあ、あっち向いてて」
「嫌です」
「な……」
「僕は貴女の恋人なのに、まだ貴女の素肌を見ていない。見せて下さい、貴女の身体を……」
「恥ずかしい」
「大丈夫です」
「あたし、胸、小さいわよ。まあ、服の上から触ってたから分かってるとは思うけど」
「僕が脱がせます」
「聞いてないの？」
「リナさんの、小さい胸、好きですよ」
ゼロスの器用な手が、チャイナドレスの胸ボタンを外していく。リナは、クローゼットの鏡の前に立たされる。
「恥ずかしい……早くパジャマを着せて」
「このまま着せてしまうのはもったいないですね」
ゼロスは、リナの肌の甘い匂いをかぐ。
「貴女が、欲しい。構いませんね？」
「……初めて、だから。気を使ってよね」
「声を出しては駄目ですよ。ガウリイさんに気づかれる」
ゼロスはリナに口づけた。そして、その柔らかく華奢な身体を抱きしめた。




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すみません！　パソコンのＨＤＤがクラッシュしたために、長らく連載を中断させてしまいました。結局新たに書き直しました。もしも、続きを待って下さった方がいらっしゃったら、お待たせしました。（いるかなー、そんな奇特な人）ガウリイとリナちゃんの組み手のシーンは、楽しく書きました。リナちゃんの盲目のお師匠さんは、お気に入りのオリキャラです。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。いやほんとに参りました、ＨＤＤクラッシュ……書きかけの小説２本と、完成した小説１本が吹っ飛んでしまいました。ＨＤＤ内のデータの吸い出しですが、これがいっこうに進んでいません……。あの吹っ飛んだ小説、結構気に入ってたのになあ。皆さんも気をつけて下さいね。（気をつけたからどうなるってものでもないけど）


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