香港エトランゼ［２］




朝食の後のコーヒータイムを、ロビーで新聞を読みながら過ごす。それがゼロスの日課だった。ガウリイは、彼を守るように立ち、腰から一振りの剣を提げていた。
「あれほどの企業が潰れるなんて……冥皇会の勢いはすごいですね」
「感心してる場合かよ。冥皇会の長はまだ２０にもなってないガキだぞ」
「フィブリゾさんのことですね」
「お前なあ、敵にまでさんをつけて呼ぶなよ。それはともかく、冥皇会の勢いは侮れないぞ。いずれは、こちらの傘下の企業にまで手を伸ばしてくるだろう」
「そうですね。ガウリイさん、あなたはそうなる前に冥皇会に仕掛けたい……と？」
「あくまで俺の意見だが……そうだ」
「残念ながら、僕の意見はあなたとは違います」
「それじゃ、どういう……？」
「魔竜会のボスが、冥皇会を狙っている」
「本当か。いつもお前と一緒にいる俺でも、気づかなかったぜ」
「あなたは、読んだ新聞も右から左に抜けていきますからね」
「おい、ひでーな」
ゼロスが空になったコーヒーカップを置く。すぐに次のカップが運ばれてくる。
「魔竜会と冥皇会がこのまま争い会って、両方とも勢力を失ってくれればいいのですが……」
「俺たち獣皇会の力を信じていないのか？ゼロス」
「いえ。ただ、無駄な争いをして、無駄な血が流れるのを防ぎたいだけです」
「最初に流れるのは、お前の血かもな。ゼロス＝メタリオム」
背中合わせのソファに座っていた男が立ち上がった。その手には、黒光りする拳銃がある。
「ゼロス！」
ガウリイは腰の剣を抜き、男の腕を銃ごと切り落とす。しかし、周りのソファの男たちも、次々に立ち上がった。その数、７、８人。すべての男の腕に銃がある。
「ゼロス、伏せてろ！」
言われたとおり、ゼロスはソファの足下にかがみ込む。ガウリイは剣で近寄ってきた男の胸を突き、剣を引き抜くと後ろの二人に剣戟をたたき込む。それでも、まだ４人の敵が残っている。
（守りきれるか―――）
心に湧く不安を押さえつけるように、ガウリイは血で染まった剣を構えた。その瞬間、向かい合っていた男が、背中からの一撃に倒れた。
「なっ……？」
「何してんのよ、さっさととどめを刺して！後の三人はあたしに任せて」
あの少女だった。髪を下ろし、白いセーターに赤いタータンチェックのミニスカートで、より子供っぽく見えるが、その深紅の瞳は間違いようもない。
「はあっ」
少女は声を出して銃を持った男の懐に飛び込み、肘を打ち込む。心臓の真上を打たれたらしく、男はかきむしるように胸を押さえ、倒れた。
「なんだこの女……ゼロスの情婦（いろ）か？」
「しっつれいねー。ただの知り合いよ！」
少女に向けて銃が発射された。少女は、ソファの陰にしゃがんで、その弾丸をやりすごした。
「美少女に銃を向けるなんて、男の風上にも置けないわね！」
男が次に銃弾を撃ち出すその直前に、少女の足が男の喉に突き刺さっていた。男は咳き込んで倒れた。
「ひ、ひぃっ」
後ずさる男に少女は近づく。男は、床に座り込み、銃を少女へ向けた。その銃を、駆け寄ってきた少女のつま先が蹴飛ばす。銃は高く跳ね上がり、少女の手の中へ落ちた。少女は、銃の先を男に向ける。
「ねえ、殺しちゃっていいの？」
「いいでしょう。まだほかにも生きている方はいらっしゃいますし」
少女の弾丸に、男は倒れた。ガウリイは、少女の拳で肋骨を折られた男に剣を突きつける。
「どこのマフィアのものだ！言え！」
「くっ……殺せ！」
ガウリイは、男の腕に剣を突き立てた。
「があああっ」
「もう一度聞く。どこのマフィアのものだ。素直に言えば、命は助けてやる」
「め……冥皇会」
「そうか。ごくろうさん」
ガウリイは、剣で男の胸を貫き、息の根を止めた。
「うそつきね。命を助けるって言ったくせに」
「信じたこいつが馬鹿なんだ。それに、ここに戦いに来た時点で、命の保証なんてないはずさ」
「それにしても、あんたもアナクロね。いまどき剣で戦うの？」
「必要なときには銃も使う。ただ、ここは一般人も使うホテルだから……銃はできるだけ使いたくなかったんだ」
「とんだ強がりね。あたしがいなきゃ、今頃あんたたちどうなってたと思ってるの」
「違いねえ」
ガウリイは微笑んだ。
「け……警察だ、誰か警察に電話を！」
パニックを起こした客に、ガウリイが血にまみれた刃を向けた。
「警察なら、とっくにフロントが呼んでるよ。落ち着け。そうだ、携帯から手を離して……」
まだ乾いていない血が、剣の切っ先から床の絨毯に滴る。
「ソファに座る。そう、いい子だ……」
ゼロスはフロント係に札束を渡していた。
「いつもすみませんねえ。ただ、このホテルが他のマフィアから経営的に守られていることを分かっていただきたい」
「かしこまりました。こちらのお金はお預かりしておきます」
「あなたはとても聡明ですね。そしてお美しい」
「お世辞は結構ですわ。ゼロス＝メタリオムさま」
フロント係の女性は、それでもわずかに頬を染めた。
「さあてっと！」
ゼロスの後ろから声が上がった。ゼロスは驚く。今までこんなに簡単に背後をとられたことはない。
「三度目の正直、よ。あんたの名前と正体、話してもらうわよ」
「あなたは……気配を消して」
「あたし、拳法道場の師範代だもの。それくらい簡単よ」
「ああ、だからあんなにお強いのですね」
「あたしの話はいいわ。名前を聞かせて」
「しょうがないですね。約束しましたから……ところで、『三度目の正直』ってどういう意味ですか」
「知らないの？日本のことわざよ。偶然も、三度も続くと運命としか思えないわ」
「僕の名前を知って、貴女が後悔することになっても？」
「仏の顔も三度まで、ってことわざもあるわよ」
「それは、どういう意味で？」
「こっちが優しく尋ねるのも、三度まで、ってことよ。跳び膝蹴り、喰らいたい？」
「分かりました。答えます。僕の名前は―――」
「おい、ゼロス！」
ガウリイが口を挟んだ。
「ほんとに、この娘にお前の名前を教える気かよ。こんな小娘、俺たちの世界に引っ張り込む気か」
「とっくに引っ張り込まれてるわよ、ガウリイさん。あ、あんたのフルネームの聞きたいわ」
「俺は、ガウリイ＝ガブリエフ」
「素敵！天使の名前をファミリー・ネームに持つなんて。さて、ゼロス。あなたの名前を」
「ゼロス＝メタリオムです」
「メタリオム……」
さすがに少女も顔色を失う。
「この香港で、絶大な権力を持つと言われている、メタリオム・グループ。そして、その影の部分を担うマフィア『獣皇会』を統率している、ゼロス＝メタリオム」
「『獣皇会』のボスは僕の母ですよ。僕は、母様の権力をかさに着て香港をうろついている、ただのゴロツキです」
「『獣皇会』の本当の権力を持っているのはあんただと、街の噂に聞いたけど」
「まあ、そうかもしれませんね。母様は、『獣皇会』に君臨する存在ですが、実際の仕事は僕がすることが多い」
「その『獣皇会』の実際の統率者で、会長の息子であるあんたが、こんなホテルでくつろいでていいの？そのせいで、今朝もたくさんの人が死んだわ」
「貴女は純真ですね」
「その逆のことなら、言われたことがあるけど」
「今朝、死んだのは『冥皇会』の連中だけです。ほかのお客様に迷惑はかけませんよ」
「一般人である、あたしを巻き込んでおいて？」
「貴女は、勝手に飛び込んできたんでしょう。自業自得です」
「……まあ、そうかな。そうだ、あたしの名前は―――」
「それを聞くわけにはいきません。僕と貴女はこれ以上関わるべきではないんです」
「リナ＝インバースよ」
「……呆れますよ、貴女には」
「さっきも言ったとおり、あたしは拳法道場の師範代。多少のチンピラ相手なら、多対一でも楽勝よ」
「貴女は……いくつなんですか」
「１６よ」
「僕とは、１０歳の差があるんですね……」
「それがどうかした？」
「まだ幼い貴女を、マフィア同士の争いに巻き込みたくない。今後、僕たちを見かけても、声をかけないでください」
「あたしがあんたたちのために何人やっつけてきたと思うのよ。幼くて悪かったわね」
「貴女は、１６にすら見えない。いいとこ、１４、５です」
「それとこれとが何の関係があるのよ」
「貴女のような子供が足を踏み入れていい世界じゃないんです。もう二度と僕たちに関わらないでください」
「嫌よ。とりあえず、あんたたちを助けたこの勇敢な少女に、お礼もなしなの？」
「お礼……？」
「あ、お礼で思い出した」
リナは小さな鞄を探ると、ダイヤモンドのついたネクタイピンを差し出した。
「あたし、お金なんかであんたを助けたことを償われたくないから」
「強気ですね。それでは、どのようなお礼をお望みですか？」
「そうね……とびっきりおいしい昼食なんて、どうかしら？」
「おやすいご用です。昼食までは、僕の部屋にきてくつろいで頂けますか？」
「えっ……と」
「俺も一緒だぜ」
ガウリイが微笑んで言った。
「じゃ、おじゃまするわ。あんたの部屋ってどこにあるの」
「このホテルの最上階です」
「ふうん……贅沢してるのね」
「このホテルは格式も料理も最高ですから」
「じゃ、行こっか」
リナは、一般のエレベーターホールに向かった。
「リナさん、最上階へはあっちの特別エレベーターでないと行けないんですよ」
「わ、分かったわよ。早く連れて行って」
「はいはい、お姫様」
特別エレベーターは、ロビーの奥まったところに設置されていた。ゼロスたち三人は、その広く、音のしないエレベーターに乗って、最上階を目指した。ボタンは、一つしかない。「エグゼクティブ・スイート」と書かれた大きなボタン。やがて、エレベーターは音もなく止まった。リナが、軽いあくびを何度かした。
「眠いんですか？」
「違うわよ。急に高いところに上がったから、耳がぽーっとしてるだけ」
エレベーターは、直接部屋に通じていた。香港市街を一望できる広い窓。１０人が席に着ける会議室。豪奢な花の生けてある、応接室。そして、キングサイズのベッドが２つ並んだ寝室。
「いかがです？リナさん」
「呆れたわ」
リナは分厚い窓ガラスに手をつく。
「ここに、あんたたち二人が暮らしているわけ？」
「まあ、そうです」
「贅沢ね」
「ここは、獣皇会のとりあえずの本拠地でもありますから。会議をしたり、人が報告に入って来たりと忙しいですよ」
「とりあえずの……本拠地？」
「ええ。僕の母のゼラス＝メタリオムが居を構えているのは、九龍のほうのビルです」
「おい」
ガウリイが慌てたように、会話に入る。
「ゼロス、そこまで教えちまっていいのかよ。リナに迷惑がかかるとか考えないのか？」
「そうですね、本来なら」
「本来……？」
「僕は、リナさんにはすべてを知ってもらいたいんです。母様のことも、我々獣皇会のことも」
「おまえのわがままのせいで、リナに危険が及んだらどうする」
「僕が守ります」
「なあに言ってんのよ。今まであたしに守られたことしかないくせに」
「そうでしたね……」
「まあ、ガウリイ。どんな敵が来ても、あたし、この……」
細い腕についたしなやかな筋肉を見せる。
「腕と、脚とでやっつける自信があるわ」
「分かってねーな。マフィアってのは、どんな手段を使ってくるか分からないんだぞ」
「たとえば？」
「薬をかがせる、とか……」
「あたし、そんなに間抜けじゃないわ。気配で察知できるわよ」
「いくらお前さんが強くても、十何人もの男がかりじゃ勝てないだろう。お前が獣皇会のことを知れば知るほど、お前さんの立場は危うくなっていくんだ。なあ、分からない訳じゃないだろ、ゼロス！」
「言ったでしょう、僕が守るって」
「お前は銃の腕は立つけど、戦いに関してはど素人も同然じゃねえか。どうやって守るんだよ」
「僕は、何も僕の手で彼女を守るとは言っていませんよ。僕の権力で、リナさんを守る」
「……そりゃ、具体的にどういうことだ」
「あなたがリナさんを守るんです、ガウリイさん」
「くっ……あっははは」
ガウリイは笑った。
「そーかそーか。俺がこのお嬢ちゃんを守るわけか。で？何でそこまでして、このお嬢ちゃんにお前の正体を明かすんだ？」
「一つには、約束だったからです。三度目にあえたら、お互いの名前を言うって」
「もう一つには？」
「僕が、リナさんに惹かれているからです」
「えっ、えっ、あたし！？」
リナは焦った声を出した。
「欲しいものは何でも手に入れてきた僕です。手に入らないものといえば、この香港の覇権だけ、と言っておきましょうか。リナさんは、僕が手に入れます」
「ちょ、ちょっと」
リナはゼロスをその深紅の瞳で睨みつけた。
「あたしを手に入れるとか、自分のものにするとか、どういうことよ。あたしは誰の持ち物でもないわ。あんたがその権力で欲しいものを手に入れてきたとしても、あたしは手に入らないわよ。大体ねえ、助けてもらっておいてその態度はないんじゃない？」
ピンポーン。部屋のチャイムが鳴る。ドアチェーンをかけて、ガウリイがでた。
「昼食の準備が整いました。こちらへお運びしてもよろしいですか？」
「ああ、頼む」
「まあ、リナさん、ご飯でも食べて、落ち着いてください。そうすれば、僕のものになる気も少しは……」
「出ない！」
ホテルのメイドがワゴンを押して入ってくる。
「でも、昼食は食べていきますよね？」
「え……ええ。美味しいものに罪はないものね」
応接室のテーブルの上に料理が並んだ。
「美味しそう！じゃあ、いっただき……」
「ちょっと待った」
ガウリイはフォークを手にとると、すべての料理を一口ずつ食べた。
「ん……大丈夫のようだな」
「じゃあ、いただきましょう」
「今のは……毒味？」
「ああ。ほかのマフィアの連中は、どんな手を使ってくるか分からないからな」
「毒でも盛ってあったら、ガウリイはどうすんのよ」
「どうって……毒薬の種類にもよるだろうが、苦しむことになるだろうな」
「ガウリイはそれで平気なの？」
「それが、俺の仕事だからな」
「ゼロス！ガウリイにそんな仕事させて辛くないの？」
「僕を守るのがガウリイさんの仕事ですから」
「あんたたちの話を聞いてると、おかしくなりそう」
「慣れていただかなくては困ります。これから、貴女は僕の一番愛しい人になるのですから」




このタイトルは、気づかれる方は気づかれると思うんですけど、高河ゆんさんの漫画「アーシアン」の章のタイトル「香港チャイニーズ」から取っています。エトランゼは異邦人、つまりリナちゃんのことです。ゼロスがリナちゃんに想いを告げましたが、これから二人がどうなるか……お待ち下さい。それでは、続きもよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。セーターにミニスカートで戦う、女子高生リナちゃんがお気に入りです。


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