Fam Fatal［９］




「おい、えーっと、たしか……詩絵羅」
「はい？　あなた様は？」
「ああ、俺か。警邏隊の、雅瓜ってもんだ。お前のその簪、どこで手に入れた」
「どこでもいいでしょう。じゃあ、失礼します」
　雅瓜は、大きな手で詩絵羅の肩を掴む。詩絵羅は不機嫌そうに振り向く。
「離していただけませんこと」
「そりゃ、璃奈のだろう。璃奈はどうしてそれをお前にやったんだ」
　詩絵羅はため息をついた。
「警邏隊の方とおっしゃいましたね。瑠奈さんの部下の方」
「ああ、そうだ」
「璃奈さんを救っていただけませんか」
「俺が……璃奈を……救う？」
「ええ。大門を出られない私たちには出来ないことを」
「わかった。話を聞かせてもらおう」


　暑い夜、蒸し暑さに人々の気分も苛々とする季節。蚊をぴしゃぴしゃと叩きながら、瑠奈は警邏に廻っていた。人混みの中で、騒ぎが持ち上がる。
「あいつぁ俺の女だぜ！　横から手出しやがって」
「なにを！　あいつの間夫（まぶ）は俺だ！　横から来たのはどっちだよ！」
一方の男が、懐から小刀を取り出す。周りの見物客が、どっと引く。
「な、なんだ、吉原に刀持って入るたあ、どういう了見だ」
「うるせえ。鼻っ柱ちょんぎられたくなかったら、とっとと失せやがれ」
「畜生！」
　刀を持たない男が、相手の懐に飛び込む。刀の男は、相手の背中に得物を突き刺そうと暴れ回る。
「そこまでにしてもらおう。双方、離れてくれ。女がらみの喧嘩をこんな大通りで……みっともないとは思わんのか」
　瑠奈が、仲介に入った。刀を持った男の腕をねじり上げる。
「いてえ、いてえ……分かったよ旦那、手を放してくれ」
「なら、刀を捨てることだな」
　男は刀を捨てる……と見せかけて、身体を反転させて瑠奈の手から逃れ、瑠奈に斬りつけた。瑠奈は素早くその場を飛び退いたが、その上着がはらりと切れた。
「女……！」
「警邏隊長は女だ！」
人垣にも囁きが拡がる。瑠奈は、あらわになった胸を隠そうともせず、男の手首を叩いて刀を落とした。
「恥を知れ！狼藉者が」
「へへ……なんだ、女かよ」
男は、途端に態度を変え、瑠奈の豊かな胸を掴んだ。
「何をする！」
「あんたも、女らしいカッコして、客でも取りなよ。繁盛するぜ」
「離せ」
　瑠奈は両腕で男を突き飛ばした。男はよろけて、勢い良く道ばたの石垣に頭をぶつけた。人々が退く。男の首は変な方向に曲がっていた。
「医者だ！　医者を呼べ」
人垣の中で白い乳房をさらしたまま立ちつくす瑠奈に、後ろから雅瓜が自分の着物を掛けた。

「大事な息子を奪われたのだ。金で済むと思うか」
　呉服問屋の主は、そう言って煙草の煙をふうっと瑠奈に吹きかけた。
「第一謝る気があるのか。女だてらに、そんな格好で押し掛けて……！」
「息子さんを死なせてしまったのは、確かに私の過失です。しかし息子さんは……」
「ええい、聞きたくない。……分かっている。あいつは女に金ばかりかける厄介者だった。しかし、大事な跡継ぎでもあったのだ。この始末、どうつけてくれる」
「私の全財産をはたいてでも」
「金なら腐るほど持っておる。いまさら警邏隊の稼ぎの日銭などいらんわ」
「では、命を……！」
「そう、命を賭けてもらおう。あんたにはな」
　呉服問屋の主は瑠奈の顎をくいっと持ち上げる。
「跡継ぎを産んでもらおう」
「な……！」
「わしの妾となり、男を産んでもらう。それが、お前に出来る唯一の償いだ。さあ、吉原に戻って、髪を結い、化粧をしてここにこい。さぞや見違えることだろうて」
　一人息子を失ったばかりの主は、そう言ってにやりと笑った。目には、涙の跡すらなかった。

「姉ちゃん……どうしたの？　女の格好なんてして。警邏隊、やめるの？」
「そう、止めるの。璃奈、私の今までのたくわえ、征留屋に預けてあるから。身請けするには足りなくてごめんなさい」
「な……なんなの、姉ちゃん、どうして？　この間、喧嘩で人が死んだと聞くけど……そのことで、姉ちゃんが何か責任をとらされるの？」
「そうよ」
「姉ちゃんは悪くないんでしょ！？　姉ちゃんが悪いことするわけない！」
「私はこの手でひとを殺めた。その責任を取りに行くの。……もう、会えないわ。わかってね、璃奈」
「いやあ、姉ちゃん、いやよ！」
璃奈は必死に瑠奈の袂にすがりついた。瑠奈は、璃奈の肩を優しく撫でる。
「奇麗な身体のままで、ここを出ていってね」
「姉ちゃん……いや、行かないで。姉ちゃんがいたから、あたし頑張ってこられた。姉ちゃんがいなくなったら……あたし……あたし」
「璃奈。瑠奈さんが困ってるでしょ。見送りなさい」
「那河姐さん……」
　瑠奈が頭を下げる。
「那河さん。璃奈をよろしくお願いします」
「任せておいてください」
　瑠奈は、履き慣れない女物の草履に戸惑うように歩きながら、大門の外へ姿を消した。
　瑠璃の姉妹はこうして別れた。

「璃奈さん」
　璃亜が声をかける。
「お客さんから、おはぎの差し入れがあったんです。食べて下さい」
「嘘はいいの」
　璃奈は振り返らない。白い首筋は、少し痩せていた。
「それ、あんたのお小遣いで買ったんでしょ。禿の皆で分けて食べなさい」
「私は璃奈さんに食べて欲しくて買ったんです！」
「やっぱり買ったんじゃない」
「……あ」
「あたし、お腹空いてないから」
「何言ってるんですか。晩ご飯もろくに食べないで。病気になっちゃいますよ」
「じゃあ、一つだけ、もらうわ」
　璃奈は黒文字（つまようじ）で、いつまでもそのおはぎを突つきまわしていた。璃亜は、その様子を見て心を痛めた。

ちょっと瑠奈（るな）さんをひどい目にあわせすぎてしまったな、と反省している羽久です。救いがない。でも、そういうところが私の小説の特徴（特長、ではない）なので、突っ走らせてもらいました。



戻る 　　　　　 次へ