あなたとふたりで…［３］


体育の時間。さすがに、サッカーやラグビーをするわけにも行かないので、リナは陸上を選んだ。もちろん、陸上選択者が昨年に比べて急増したのは言うまでもない。
「じゃあ、二人ずつ組んで、柔軟体操をやってくれ」
体育教師がピッと笛を吹いた。リナのもとに男子生徒が殺到する。
「リナさん、僕と組みましょう！」
「いや、ぜひ僕と！」
「お前らは引っ込んでろ。リナちゃん、俺と組むよな？」
リナが途方に暮れていると、急に後ろからぐいと身体を引かれた。
「おれが、体育委員長としてリナと組む。文句はないな？」
「ガウリイ……！あんた２年じゃ」
「体育は、１、２年合同だ」
「３年は？」
「受験のために、体育は、無い」
体育教師の笛が響く。
「そこ、いつまでもだべってないで、柔軟はじめ！」
「はいはいっと。リナ、背中合わせになるぞ」
リナが精一杯手を伸ばしても、ガウリイの手に届かない。ガウリイは、少しかがんで、リナの手を掴み、身体を持ち上げてリナの背を伸ばした。
「おまえ、身体柔らかいなあ」
「次はあたしの番ね」
リナは、ガウリイの腕を掴んで、背中越しにガウリイを必死で持ち上げる。ガウリイのつま先が地面から離れた……とたんに、リナはぺたりと地面に倒れ込んだ。
「お、おいおい、大丈夫かよ？」
ガウリイが心配そうに覗き込む。
「ガウリイ、重い……」
「あったりまえだろ。身長、いくつ違うと思ってんだ。この柔軟は止め。別の体操しようぜ」
リナが地面にぺたんと座り込み、足を伸ばすと、ガウリイが背中を押す。リナの身体は、地面にぴったりとつく。
「ほんとに柔らかいのな、お前」
「うん。体育にも、自信はあるんだ。次は、ガウリイの背中を押して上げる」
「お手柔らかに頼むぜ」
「体育委員長がそんなことでどうする！おりゃおりゃ〜」
「ひー、痛い、痛い！リナ、そんなに押すな！」
微笑み会う二人を、ゼロスは化学教室の窓から眺めていた。その瞳は、少し厳しかった。
「先生、４班、実験終わりました」
「あ、そうですか。それでは、手早く後かたづけに入って下さい」
ゼロスはにっこりと微笑んで、生徒に指示を出した。
今日の陸上はハードルだ。リナは、男子と同じ体操着に、短パンをはいている。白い太ももがまぶしい。もちろん、そう思っているのはゼロスだけではなかった。
「窓の外、見ろよ」
「お、リナ＝インバースが体操着姿！これは一見の価値があるぜ」
「脚、長くて綺麗だな」
「男子と比べると、ほっそいなー」
ぴしぴし。教師が黒板を叩く音がする。
「今、窓の外を見ていた者は、放課後追試をする。残っておくように」
「げー、先生、そりゃないぜ」
「まったく、女だてらにこんな学校に入るから、風紀が緩んで困る。おとなしく女学院に行っていればいいものを」
教師がすべてリナの味方というわけではなかった。
リナがハードルを跳び越える。華奢な身体が、しなって宙に舞う。タイムも、さすがにトップクラスの男子にはかなわないが、そこそこの成績を上げていた。
「やるな、リナ」
ガウリイが声をかける。
「まかせてよ」
リナは親指を立てた。そんな二人を、冷たい目で見守る一団があった。
「ガウリイ、今日の放課後、ドーナツ食べに行かない？」
「割り勘、なら」
「はいはい、こないだは悪かった。割り勘にするから、お腹いっぱい食べにいこ？」

「ガウリイ。ずいぶんリナと親しそうじゃねえか」
「ん？ああ。俺は本当の彼氏が出来るまでは、あいつの『保護者』だからな。親しくもするさ」
「それが気に入らねえんだよ。何が『保護者』だ。おまえも所詮あいつを狙ってる一人だろうが」
「ああ。そうだ。そのことはちゃんとリナにも言ってある」
「図々しいんだよ！ちょっとばかし腕っ節が強くて、ツラがよくて、体育委員長やってるからって、堂々とリナにちょっかい出しやがって！」
「人数に頼らないとものが言えない奴らに言われたくないな」
「何だと！」
男たちの一人がナイフを出した。ガウリイは平然としていたが、内心ではどうやってこの場を切り抜けるか、必死で考えていた。
「その綺麗なツラに傷、つけてやろうか。凄みが出て、いい男になるぜ」
「くっ……」
その時、小さな影がガウリイの前に立ちはだかった。
「これ以上は、やめて！」
「リ……リナ＝インバース！」
「ガウリイを、傷つけないで」
「なあ、リナちゃん。俺たちとも仲良くしてくれよ。そうすりゃ、こんな奴、ほっとくからさ」
「そうはいかないわ」
リナは、紅い瞳を上げていった。
「あたし、ガウリイが好きだから。ガウリイ以外の人とは、友達以上にはつきあえない」
男たちは、気圧されて黙った。
「本気か」
ガウリイが聞いた。
「本気よ。あたしはガウリイが好き。あなたたちとは、つきあえないわ」
「分かったよ」
ナイフを出した男が、その刃をしまう。
「せいぜい仲良くやるんだな。ガウリイは学校中の男を敵に回すわけだが」
「そんなことさせない」
深紅の、強い瞳。
「あたしが、ガウリイを守ってみせるわ」

男たちは、毒気の抜けた顔で去っていった。ガウリイは呆然としている。
「大丈夫？どこも怪我してない？」
「あ、ああ。大丈夫だ」
「よかった。それにしても、この学校、超進学校の割には、あんなチンピラまがいの奴もいるのね」
「だいたい、２年から３年にかけて、どうしても授業についていけずに落ちこぼれる奴らが出る。あいつらはその典型さ。今回は無事追い払えたけど、リナも気をつけろよ。ところで……」
「ところで？」
「さっき、言ったこと、本当か」
「さっき？あたし何か言ったっけ」
「俺のことが好きだって言ったじゃないか。だから他の奴とはつきあえないって」
「ああ、あれね。当然、嘘よ。ああでも言わなきゃ、あの人たち、納得しそうに無かったから」
ガウリイは、呆然と目を見開く。
「嘘か」
「ええ。それより、ドーナツショップに行きましょ。閉まっちゃうわ」
ガウリイは、壁に背をつけて座り込んだ。
「悪い。今日はつきあえない。一人で行ってくれ」
「え？だって今日は割り勘で思いっきり食べようって……」
「俺にも傷つく時間を与えてくれよ！」
ガウリイは怒鳴った。リナは、小さな声で
「ごめんね」
というと、走り去っていった。
「残酷な奴」
ガウリイはひとりごちる。
「なにが『ごめんね』なのかわかってもいないんだろうな、あの様子じゃ」

裏の駐車場で、リナは植え込みの影に潜んで、ゼロスを待っていた。今日はガウリイと帰ると言ってあったので、鍵を貸してもらっていないのだ。春の長い日が暮れる頃、ゼロスが姿を現した。リナは、植え込みから立ち上がって、服に付いた葉を払った。
「ガウリイさんと帰るんじゃなかったんですか」
「あたし、人の心の分からない奴なのかも知れない」
「どうしたんですか。珍しいですね、リナさんが愚痴をこぼすなんて」
「迷惑？」
「いいえ、相談に乗れることなら乗りますよ。僕はあなたの教師ですからね」
リナは、今日あったことを簡潔に話した。
「……それで、『全部嘘よ』って言ったら、ガウリイ、何だか怒ったみたいで……」
「何て言ってました」
「確か……『俺にも傷つく時間を与えてくれ』とか、そう言うこと……」
「それは、リナさんが悪いですね」
「やっぱり、そうなんだ……」
「いくら彼をかばうためとは言え、貴女に好意を寄せている男性に、『好き』と言って置いて『嘘』はないでしょう。彼の心は、天国から地獄へ揺り動かされたようなものです。次に会ったら、きちんと謝るべきでしょう。もっとも、許してくれるかどうかは彼次第ですが……」
「あ、やばい」
「どうしました？」
「落ち込んできた。すごーく、落ち込んできた。あたしって、ガウリイの優しさに甘えてた。なんて嫌な奴なんだろう、あたしって」
「ちゃんと謝ればすむことですよ」
「でも、あたしはガウリイを傷つけた。この事実は消えない」
「相変わらず潔癖ですね」
ゼロスは、いつもの交差点を、右に曲がった。
「あの、あたしのうちは今のところ左なんだけど」
「海を見に行きましょう」
「はあ？」
「落ち込んだときは、それが一番です。今から行けば、ちょうど日の入りが見られるでしょう」
ゼロスは迷い無くハンドルを切った。やがて、窓を開けた。潮の匂いがしてきた。大きなカーブを通り越すと、そこに水平線が拡がっていた。
「うわあ……」
「綺麗でしょう？」
ゼロスは、適当なところで車を路肩に止め、エンジンを切った。リナを車から降ろし、ドアをロックした。堤防から、砂浜へ降り、リナの手を引いてエスコートする。
「夕日が……まるで一本の道みたいに海の上に光の帯を作ってる……」
「魚の目をした男の話を知っていますか？」
「うおのめ？」
「『さかな』の目、です」
砂浜に散らばった岩の一つにリナを腰掛けさせ、自分はその脇に立つ。
「魚の目をした男は、どこにいても、アット・ホームな気分になることが出来なかった。家庭にいても、仕事をしていても……そんなある日、彼はいつもの帰りの電車がいつもと違う軌道を描いていることに気づく」
リナはゼロスを見上げる。
「そして……？」
「男は、いつの間にかその電車のたった一人の乗客になっている。非常レバーを引いても、列車は止まらない。そして、男は水平線の光を見る。その電車が、たった一つ、彼がアット・ホームになれる場所……海へ、続いていることを知るんです」
「……」
「僕は、『魚の目をした男』なのかも知れない。家庭にいても落ち着かない。仕事も面白いけれど、没頭するほどにはなれない。そして、やがて妹のような婚約者と結婚して、二人の財産を守るためにあくせく働く日々が来るでしょう。もちろん、そこにも僕のアット・ホームはない」
「ゼロス先生……」
「でも、貴女を家まで送る、ほんの短い間、僕は安らいだ気分になれるんです。この海を見ているときと同じように。この風景を一緒に眺めるのは、リナさん、貴女が最初です」
「ほんとうに素敵。日没がこんなに綺麗なものだったなんて……太陽が、まるでオレンジみたい」
「もうしばらく、ここで、僕と一緒にいて頂けませんか？星が、空を飾るまで」
「先生……」
「リナさんは、どうですか？心の痛み、消えましたか？」
「……消えた、わけじゃない。残ってる。でも、さっきよりずっと楽になった。ガウリイに謝る勇気が湧いてきた。ありがとう、ゼロス先生」
「お役に立てて何よりです」
やがて、夕日は水平線に隠れ、最初の星が空に光り始めた。やがて、それが二つ、三つと増えていき、眩しいほどの星が空を飾った。ゼロスは、リナの細い顎を持ち上げると、そっとキスをした。触れるだけの、軽いキス。でも、時間はとても長く。ゼロスがリナの唇を解放すると、リナは言った。
「ファーストキス、だったんだけどなあ」
「それはごちそうさまでした。約束の時間ですね。家まで送りますよ」
「先生。今度、婚約者さんと一緒に海を眺めるといいよ」
「考えておきます」
リナは、階段を上り、二階の自宅へ入っていった。ゼロスは、不思議な心の空虚さをおぼえた。そして、自分の家へ向けて、ハンドルを切った。


中間テストの時期が来た。ゼロスは、さんざん人を迷わせる引っかけ問題ばかり作ったが、リナは楽々と満点を取った。帰りの車の中で、リナは、ゼロスに勝ち誇った顔をした。
「あれくらいの問題、楽勝よ」
「うーん、工夫して作ったんですがねえ」
化学の平均点が、他の科学系の教科と比べて異様に低くなり、ゼロスは学年主任から呼び出されてお小言をうけた。


夏。水泳の授業は、体育教師の頭を悩ませるのに充分だった。リナの華奢な身体が水に舞うたび、プールの外のものも、中のものも、そちらへ視線を送った。疲れたリナがプールから上がる瞬間が色っぽいと、梯子の前に男子生徒が押し寄せた。中には、カメラを持ち込んで没収される者もいた。
「インバース、お前も大変だろうが、自覚してくれ。プールの外にいる時は、上着でも羽織れ。隙を見せるな」
「はい、先生……」
ある日、くたくたになったリナがプールから上がると、大きなバスタオルでふわっとくるまれた。
「あ……ガウリイ」
「あんまり色っぽい顔みんなに見せんな。それから、その身体も」
ガウリイはリナの身体を見ないようにして言う。
「ペチャパイでも、お前の身体は目の毒だ」
すぱーん。リナのビーチサンダルが炸裂した。
「ええ、ええ。目の保養にならなくて悪うござんしたねえ」
ガウリイは、「いってー」と後頭部をさすりながら、くすくすと笑った。
「ガウリイ、許してくれるの？」
「あたりまえだろ。あの時は、俺も悪かった。大人げなかったな」
「あたしたち、まだ大人じゃないよ」
「それでも、俺はお前より一つ大人だ。自分の感情をぶつけちまって、すまなかった」
「あたしも、謝る。ごめんね、ガウリイの気持ちを考えない言葉を言って……」
「いいってこった」
ガウリイは、リナの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「早く、決まった相手を見つけろ。さもないと、俺が強引にモノにしてやるからな」
「出来るの？ガウリイに」
「馬鹿」
「あ、このバスタオル……」
「貸しといてやるよ。洗って返せよ。もっとも、洗わない方が高値がつきそうだがな」
「馬鹿ね」
リナは、ガウリイと仲直りできたことが嬉しかった。彼女を窓から見つめる瞳には気づかなかった。

廊下を走って。化学室に滑り込んで。鍵を閉めて。
「さーて、今日は何がはいってるかなー」
リナのお昼のお楽しみ。弁当タイム。
「やったね、鶏の唐揚げ！」
リナが夢中で弁当をパクついていると、準備室の方からコーヒーの匂いが漂ってくる。
「ゼロス先生、あたしにも一杯ちょうだいね」
呼びかけると、ゼロスが姿を現す。
「はいはい、ちゃんと二人分湧かしてありますよ」
熱くなったフラスコを鍋つかみで握って、カップにコーヒーを注ぐ。優雅な手つき。
「先生って、やっぱり育ちがいいって感じがする」
「からかうのは止めて下さいよ」
「嘘なんかじゃないわ。やっぱり、下町の道場なんかで育ったあたしとは格が違うって感じ」
「リナさんちの道場だって、立派に『格』があると思いますが？」
「確かにね。姉ちゃんがお弟子さんに稽古を付けてる姿には格を感じる」
「それに、リナさんにだってちゃんと『格』があります。期末テストでもトップ。化学も満点。こんどこそはって問題を出したんですがねえ」
「学校の成績がいいだけじゃ『格』にはならないわ」
リナはぼんやりと言った。
「もっともっと、頑張らなきゃ。大人になって、ちゃんとした職業に就くまで、頑張らなくちゃ」
「リナさんは、今のままで充分ですよ」
「へ？どういうこと」
「今のままでも、格があって、可愛くて、素敵な女性だってことです」
リナは耳まで赤くなる。
「そう言うことは、婚約者さんに言ってあげたら？あたしに言ってもなにも出ないわよ」
「僕は思ったことを言ってるだけですから……鍵です」
ゼロスは鍵を放った。リナはそれを受け止める。
「今日はちょっと遅くなるかも知れません。シートを倒して、お昼寝でもしていて下さい」
「いつもありがとうございます、ゼロス先生」




『魚の目をした男』は、ミヒャエル・エンデの「鏡のなかの鏡」から引用しました。短編小説集で、この短編は私はとても気に入っています。ゼロスの心を満たしてあげられるのはこの世でたった一人なのです。それでは、今後ともよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。ガウリイとリナちゃんが楽しそうにしてるのを書くのは私も楽しいです。（私、ほんとにゼロリナ者？）


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