あなたとふたりで…［２］
「リナさん、僕とお昼食べて下さい！！」 「いや、今日こそ俺とお昼を！」 リナは、手真似で必死に申し出を断りながら、三階の化学室へ滑り込み、鍵をかける。手近なテーブルにつき、弁当箱を拡げる。ウィンナーを囓っていると、ゼロスが準備室から姿を現した。 「どうしてリナさんは、皆さんとお弁当を食べてあげないんですか？」 「一つには、一人の人とご一緒すると、他の人とも食べて上げないと不公平だし……」 「もう一つには？」 「この弁当箱。超特大でしょ？これを他人に見せるのは恥ずかしいの」 「別にいいじゃないですか。よく食べる女の子、僕は好きですよ」 リナはすこし頬を染める。 「それとも、完全無欠の美少女のイメージが崩れるのが怖い、とか？」 「かんぜんむけつ〜？何それ」 「男子生徒たちはそう言ってますよ。勉強は学年でトップ、見た目は華奢な美少女。欠点があるとすれば……っと、これは秘密です」 リナは憮然とする。 「そこまで言っといて、秘密もないもんだわ。あたしの欠点って、何」 ゼロスは苦笑して言う。 「胸がないこと、でしょうか」 「くっ……」 リナは机に突っ伏す。 「みんなして……人が一番気にしていることを……」 「いいじゃありませんか。僕は、小さな胸も好きですよ。リナさんらしいじゃないですか」 「くっそー……高校三年間の間に、胸、大きくなってみせるんだから」 ゼロスは、窓の外を眺めながら言った。 「みんなに追いかけられるのが嫌なら、一人、決まった恋人を作ってしまえばいいんですよ」 そして、目を細める。 「例えば、ガウリイ＝ガブリエフさんとか」 「見て……たんですか。入学式の帰り」 「この、窓から」 ゼロスは窓の桟に手をかける。 「彼は、頼りになりますよ。何たって、体育委員長ですし。顔だって、貴女のお好みでしょう？いえ、ほとんどの女性が彼には夢中になるでしょうね」 「確かに、あの日は助かりましたし、ガウリイはいい人だと思うんですけど……」 「けど？」 「あたし、ガウリイを利用するような真似はしたくないです。あたしが本気でガウリイを好きでない以上、ガウリイと交際するわけには行きません。もちろん、他の誰でも一緒です。自然に学園生活を送っていれば、いつか好きな人もできるでしょう。あたしは、そのときまで誰ともつきあいません」 「立派な志ですが」 ゼロスは再び苦笑する。 「運命の人が現れるまで、貴女は男連中に追い回されることになりますよ」 「覚悟の上です……でも、ほんとはちょっと困ってるんです。ああ、今日の帰りもいっぱいの人に誘われるんだろうなあ。うっとおしいな」 ゼロスは、リナに小さな物を放る。リナは、空中でそれを受け止めた。 「僕の車の鍵です。帰りに、裏の駐車場まで来て下さい。そして、ダークブルーのセダンに入って、隠れていて下さい。僕が、貴女をお家まで送ります」 「そんな……ご迷惑じゃ」 「僕だって、貴女のファンの一人ですよ」 ゼロスは、ふっと真剣な瞳をして言う。 「もちろん、教師と生徒、という立場は忘れないつもりですが。貴女の役に立てるなら、こんな嬉しいことはありません」 リナは、鍵をバッグのポケットに仕舞った。 「すみません、お世話になります」 「こちらこそ。学園のお姫様をエスコートできて光栄です」 放課後。リナは、下駄箱を開けた。どさどさどさ、と手紙が舞い落ちる。 （うっ……これに全部返事書くのか） リナは、拾いもらしがないように手紙をかき集め、学生鞄に入れた。 「リナさん、一緒に帰りませんか」 「リナちゃん、今日こそは俺と！」 「ごめんなさい、先約があるの」 リナは誘いを振り切るようにして、裏庭の駐車場に向かっていった。 「先約……誰だ」 「抜け駆けをする奴は許せんな」 男子生徒たちは、口々に不満を漏らした。 駐車場の奥の、ダークブルーのセダン。鍵を差し込むと、バン、とロックが外れる音がした。助手席に乗り込む。 （……） 教師であるゼロスがやってくるまでには、かなりの時間があるだろう。 「明日の予習でもしようかな」 鞄を開ける。山のようなラブレターが目に入った。 「返事、書かなきゃね」 リナは、レポート用紙を取り出して、上から順に返事を書いていった。 あなたの気持ちはとても嬉しく思います。ありがとう。 でも、今わたしは誰ともつきあう気はありません。 ごめんなさい。 手紙は全部で１５通あった。全てに返事を書くと、目が痛み、肩が凝った。リナが肩をぐるぐる回していると、ゼロスが車に近づいてきた。 「ゼロス先生……」 「どうです、誰にも見つからなかったでしょう？」 「ええ……窓にはフィルムが張ってあるし」 「じゃあ、送ります。道案内をして下さい」 「ええ。よろしくおねがいします」 車は、心地よいエンジン音を響かせながら、街を走り抜けていく。 「僕が来るまで、退屈だったでしょう」 「いえ……ラブレターの返事、書いてましたから」 「何通くらい？」 「１５通です」 「そりゃすごい。で、何と返事を？」 「今は誰ともつきあう気はないって」 「そんな返事じゃ、相手に期待を持たせるだけですよ。もっときっぱり断らなくちゃ。例えば、好きな人がいる、とか……」 「嘘は書けません」 「リナさんは潔癖ですね」 ゼロスはゆったりとハンドルを切る。 「そんなところも好きですが」 「え、え、ええっ！」 「もちろん、生徒としてね」 「あ、そ、そうですよね。やだ、あたしったら取り乱しちゃって……あれ、これ」 助手席の足下に、小さな固い物が落ちていた。拾い上げると、それはシャネルのイヤリングだった。 「誰かの忘れ物でしょうか？」 「ああ、たぶんフィリアさんのですね。僕の婚約者」 「先生、婚約者がいるんですか」 「ええ。もっとも、家同士の決めごとのような物で、小さな頃からフィアンセだって言われてましたから、あんまり実感はないんですけどね。フィリアさんだって、聞き分けのない妹のようなものですし」 「先生は、恋をしたことは無いんですか」 「そうですねえ……改めてそう聞かれると……誰かを好きだ、と感じたことはないですね」 「そのくせ、あたしにはさっさとボーイフレンドを作ればいい、なんて忠告するんですか」 「はっはっは、そうですねえ」 「恋って、もっと大事なものだと思いますよ」 リナは、深紅の瞳を伏せがちに、そう言った。 リナの家は、剣術の教室だった。一階が稽古場に、二階が自宅になっている。 「リナさんは剣術を？」 「あたしは、小さい頃からどっちかって言うと勉強が好きだったから。剣術は、姉ちゃんが一人で教えてるの」 「ご両親は？」 「交通事故で、死んだわ。でも、この教室を残してくれたおかげで、あたしと姉ちゃんは食べていける」 「リナさんは、将来の夢はないんですか？」 「もちろんあるわよ。弁護士になるの」 「この国で初めての、女弁護士ですか……」 「そして、しっかり稼いで、姉ちゃんに楽させてあげたいんだ。あたしを女手一本で育ててくれた恩義。その上で、お金持ちと結婚できれば言うことないけど」 リナは言葉を切った。 「結婚は、恋愛のゴールにしたいから。お金持ちに限ったりしない」 入学式から一週間。各部活動のオリエンテーションが行われた。リナは、既に入りたいクラブを決めていた。化学部だ。 （なんたって、あたしの得意科目だもんね。中学の時も化学部だったし……） それに。 （ゼロス先生が……顧問だからなあ） リナは、化学部の入部届けにサインをした。そして、振り向いて驚いた。リナの後ろに長蛇の列が出来ていたのだ。皆血走った目をして、入部届けにサインした。化学室には人が溢れ、オリエンテーションには立ち見が出た。 「少々我が部の活動に支障が出る人数なので、簡単な入部テストをする」 男たちは、ざわめいた。教壇に立った銀髪の男子生徒が、いくつかの化学式を黒板に書いた。 「それぞれ、何の物質か書いて、提出してくれ。すぐに採点する。満点じゃない奴は、入部を諦めてもらう」 リナは、何のためらいもなく、素早く問題を解いた。銀髪の男子生徒に提出する。 「リナ＝インバース。入部を認める」 机の下で、こっそり化学の教科書を拡げようとしている生徒を退室処分にして、銀髪の男子生徒は次々と答案を採点していった。 「不合格」 「不合格」 「不合格」 生徒のほとんどは、肩を下げて去っていった。残ったのは、数人の男子生徒と、リナだけだった。 「ふん、こんな簡単な化学式もわからん奴が化学部なんて、お笑いぐさだな」 銀髪の生徒は、改めて教壇に立った。 「俺はゼルガディス＝グレイワーズ。ここの部長だ。まあ、今のテストをくぐり抜けた奴なら、化学にも見識があると思うが……」 こほん、と咳をする。 「リナ＝インバース目当てだと分かったら、その場で退部してもらう。うちは硬派な部だ。部内で恋愛沙汰は御法度だ」 更に二人の生徒が去っていった。男子が４人。それとリナ。それだけが、化学部の新入部員だった。 「あの……ご迷惑かけました」 リナがゼルガディスに謝る。 「気にすることはない。お前が悪いんじゃない。それにしても、女生徒が一人入るだけでこの始末だ。うちも名門校などと言えたものではないな」 「部員がこんなに減って……」 「毎年、化学部にはいるのは４〜５人だ。気にするな」 「ゼルは余裕だな」 他の二年生がゼルガディスに話しかけている。 「リナちゃんみたいな美少女に話しかけられても赤面一つしないのは、アメリアちゃんがいるからか？」 「馬鹿なことを言うな」 ぶっきらぼうに返すが、その頬はわずかに赤くなっている。 「誰ですか？アメリアさんって」 「ゼルの彼女。ゼフィーリア女学院に通ってるよ。リナちゃんと同い年、新入生だな」 「おい、この部の中で、彼女を『リナちゃん』って呼ぶのは止めてくれ」 「ゼル、お前も固いよなあ。リナちゃんはリナちゃんでいいじゃないか」 「好きにしろ」 「おーコワ」 二年生は、軽く肩をすくめた。 準備室の扉が開いて、ゼロスが出てきた。 「おーおー、今年も少数精鋭ですね。化学部顧問のゼロス＝メタリオムです。皆さん頑張って、青春を化学にぶつけて下さい」 放課後。下駄箱を開ける。どさどさと落ちてくるラブレター。それを拾って、ゼロスの車の中に隠れる。鞄の裏を机代わりに、ラブレターの返事を書く。中には、３回もラブレターを送ってくる者もいる。 リナ＝インバース様 どうしても、貴女をあきらめきれません。その甘い声、可愛らしい顔…… その全てを僕のものにするまでは、僕は決して諦めません。 リナは、丁寧に返事を書いた。 三度も手紙をくれてありがとう。でも、前にも書いたように、今私は誰とも…… そこまで書いたところで、車のドアががちゃりと開いた。 「またラブレターの返事ですか、リナさん」 「ええ」 ゼロスは、ひょい、とラブレターとリナのレポート用紙を取り上げる。 「あ……」 「駄目ですね、こんなんじゃ。この人も諦めるに諦め切れませんよ。もっとはっきり書いてやらなきゃ」 そして、ゼロスは自分の鞄を机代わりに、さらさらとレポート用紙の上に綺麗な筆跡を走らせる。 はっきり言って、あなた、怖いです。もうこれ以上、手紙を出さないで下さい。 この先あなたから手紙が届いたら、先生に報告します。 「これでいかがです？」 「ゼロス先生、これじゃ、あんまり……」 「男ってのは、振られて振られて強くなるものです」 「先生は恋をしたことがないくせに」 「はっはっは。そうでしたね」 （呑気そうに。恨まれるのはあたしなのに） それでも、リナは、ゼロスの書いた返事を、３度目に手紙を書いてきた男に出した。二度と彼から手紙は来なかった。ある日の放課後、リナはゼロスの車の中で、経過報告をした。 「あれから、二度と例の人から手紙は来てません」 「それは良かった。無駄な努力をする人が少しでも減れば、資源エネルギーの節約になりますからね」 「しげん……エネルギー？」 「若者は、その溢れる力をそそぎ込む対象をたくさん持っている。勉強、部活動、もちろん恋愛も。報われない恋にしがみつくのは、馬鹿のすることですよ」 「先生、結構キツイですね」 「僕の持論です。もっとも、僕自身は、恋をしたことのないまま結婚することになりそうですが」 「先生、それって、結構寂しい言葉じゃないんですか」 「僕には似合いの人生ですよ」 そしてゼロスは黙った。その整った横顔を、夕日が照らしている。リナは思った。 （この人、なんだか空っぽな気がする……） 最後のリナちゃんの台詞は、この物語のテーマのようなものです。それにしても、男子ばかりの中に女子が放り込まれて、こんなパニックはまず起きないとは思いますが……それだけリナちゃんが超美少女ってことで。化学部部長・ゼルガディスは結構お気に入りのキャラです。それでは、今後ともよろしくお願いします。 ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。「ラブレターの返事を書くリナちゃんが良い」と感想をいただきました。（この作品の）リナちゃんは生真面目なのです。   |