やさしい気持ち…後編

やさしい気持ち［後編］

ふと目をさますと、そこは暗い下り階段だった。天窓から差し込むわずかな光が足下を照らしている。
「……危ねえな」
階段は、一段ごとに高さも大きさもバラバラだ。そして、何かの液体に濡れている。一段ずつ、慎重に降りる。足下が滑る。天井から、雫が滴ってくる。
「塩っ辛い……涙？」
雫を受け止めて舐めていると、ガウリイは小さな段から脚を滑らした。十段ぐらいを、一気に滑り落ちる。
「いってー……」
この中で死んだら、二度と外に戻れなくなる。それなら、この中で骨折したりしたら、厄介なことになるだろう。立ち上がって、身体のどこにも異常がないことを確かめる。そして、もう一度、ゆっくりと階段を下りていった。
階段は、扉で行き止まりになっていた。ドアノブを握る。開けようとすると、何かベタベタしたものが張りついたような感触がした。
「かさぶた、剥がすみてえだな……」
力を入れてノブを引っ張ると、ぱらぱらと、何かの塊が落ちてくる。手に、ぬるっとした感触があった。掌を見ると、真っ赤だった。
「血……」
（この子の中のものを傷つけてはいけないよ）
巫女の忠告が蘇った。
「でも、このドアを開けないと先には行けないし……こらえてくれ、リナ」
ガウリイは、いっそう力を入れた。めりめり、と音がして、いっそう大量の血が流れてきた。身体をくぐらせる隙間が開いた。血塗れになりながら、ガウリイは扉を抜けた。
中は、広い空間になっていた。相変わらず薄暗い。部屋の中心部に天窓があり、そこから射す光の中に、二人の男女が座ったまま抱き合っていた。リナと、ゼロスだ。

手をつなごう手をずっとこうしていたいの

「……！」
ガウリイは、二人に歩み寄った。ゼロスは反応しない。ただ、リナを抱きしめている。リナは、ゆっくり動いて、瞳を上げた。
「……ガウリイ」
「リナ、ここは……」
「どうやってここに来たのか知らないけど、ここはあたしの夢の中よ」
そして、より身体を小さくしてゼロスの懐に入る。ゼロスは、そんなリナを包み込むように強く抱きしめた。
「リナ、お前はもう六日も目を覚まさないんだ。このままではお前が死んじまう」
「いいのよ」
ゼロスに身体を預けたまま、リナはつぶやいた。
「あたしの身体なんて、はやく滅んでしまえばいいんだわ」
「リナ……！お前はここで、そうやって現実逃避しているのか」
「現実逃避……？」
「ゼロスは滅んだんだ。今お前を抱きしめているそいつは、お前が作りだした偽物の何かだ。ここでそいつとずっといることが、現実逃避以外の何だと言うんだ」
「何が、いけないの？」
リナは、微笑んだ。
「ここには、ゼロスがいる。あたしの望む全てがある。あたしは、ここから動かないわ。もう二度と、ゼロスを失いたくないの」
「リナ！立ち上がれ」
ガウリイは、リナの細い腕を引っ張った。リナは、ふらりと立ち上がる。
「何、するのよ」
「俺は、俺たちは、お前に死んで欲しくない。目を覚ましてくれ。今まで、どんな辛いことがあっても立ち向かってきたお前だろう？こんなことくらいで夢の中に閉じこもったりしないでくれ」
天井から、しとしとと液体が落ちてきていた。血だった。
「嫌よ。目を覚ましたら、そこにはゼロスはいないんでしょう？」
「あ、ああ。あいつは滅んだからな。でも、俺たちがいる。ゼルも、アメリアも、お前を待ってるんだ」
「ゼロスがいないところになんて、行かないわ」
「……お前、ゼロスを……」
「ええ。愛していたわ」
そして、床に座ったままのゼロスの頭を、愛おしげに抱きしめる。
「ゼロス。あたしを、愛してる？」
「ええ。愛していますよ、リナさん」
「止めてくれ！」
ガウリイは叫んだ。
「リナ、そんな芝居をして何になるんだ。ゼロスは、もうこの世のどこにもいないんだ。そのことを受け止めて、俺たちのもとに戻ってきてくれ！」
リナは、黙ってガウリイに近づいた。その手に、ショートソードが握られていることに、ガウリイは気づいた。リナが、ショートソードを振るう。ガウリイはとっさに後ろに飛んで避けた。上着の胸の部分が、横に裂けている。
「リナ……！」
「出ていって」
リナは剣を振りかぶり、ガウリイに振り下ろした。ガウリイは、とっさに剣の根本でそれを受け止める。
（剣……？）
「ふふっ」
リナは笑った。
「あたしを助けるなんて言っておいて、自分が危なくなったら、そうやって剣を振るうのね。いいわよ。その剣で、あたしを殺しなさい」
「そんなこと出来るわけないだろ、リナ！この、この剣だって、お前が斬りかかってくるから……！」
「そうよ。あたし本気よ。出ていかないって言うんなら、あんたを殺すわ」
そういって、リナは真っ直ぐに斬りかかってきた。ガウリイは、自分の剣でそれを受け止め、なんとかリナの手の剣をはじき飛ばそうとした。しかし、リナの力は強かった。ガウリイは、壁に追いつめられる。
「ばかな……お前が、こんなに剣が強いはずは」
「ここはあたしの夢の中よ？あたしの強さなんて、あたしの思うがままよ」
ガウリイは、全力を込めてリナの剣を薙ぎ払った。そして、部屋の中心に走る。座ったまま、動かないゼロスに斬りつけた。ゼロスは、靄のようなものになって消える。
「無駄よ」
靄は次第に固まり、再びゼロスの形を取った。
「そのゼロスは、消えないわ。いつまでも、あたしが望むままに、そこにいてくれる」
後ろから近づいてきたリナは、再び剣を振るった。ガウリイは、必死で振り返って、その剣を受ける。
「そうやって、いつまで逃げ続けていられると思う？」
剣のふれあう鋭い音が、天井の高い部屋に響く。リナの深紅の瞳は、どこまでも冷酷だった。濡れた床に足を取られて、ガウリイは転ぶ。リナの剣が、ガウリイの右胸を深々と射し貫いた。
「うあ……っ」
自分の身体から血が噴き出すのを、ガウリイは見た。
「帰りなさい、ガウリイ」
リナは冷たく微笑んでいた。
「本当は、あんたの心臓を貫いてもよかったのよ？あたしの邪魔をしないと誓うなら、一度だけ、ここから逃がしてあげる。さあ、」
剣の先でドアを指さす。
「帰りなさい。ぐずぐずしてると、血が流れすぎて、結局死ぬことになるわよ」
ガウリイは、剣を床に落とした。剣は乾いた音を立て、そしてふっと消えた。そのまま、ドアへ向かう。濡れた階段を、這い上がる。
「くそっ……くそっ！」
何度か、階段を滑り落ちる。階段を濡らした涙と、自分の血で、足下はぬらぬらと滑る。なんとか最上段にたどり着き、壁に触れる。そのまま、ガウリイの意識は暗闇に落ちた。

なれないあたしとあなたの間に

こんなにわがままいいですか？

言葉でいわなきゃ今すぐいわなきゃ

そんなのしらないわ

もうあたしをとめないで

「……リイさん！」
「おい、旦那！」
ガウリイは目を開ける。もとの部屋だった。横を見ると、リナは安らかに寝息を立てている。
「ガウリイさん！」
アメリアが抱きついてきた。
「大丈夫でしたか？夢の中で怪我を？」
「あ、ああ。確かに、右胸を刺されたが……」
「やっぱり」
ガウリイは、自分の服が、夢の中と同じように破れていることに気づいた。そして、右胸には血の痕のような痣がある。
「旦那が苦しそうな顔をして……服が破れて、その痣が出来たんだ。旦那、リナの夢の中で一体何があったんだ？」
「あいつは……血に塗れた部屋の中で、ゼロスに抱きしめられていた。そして、俺がそこから引き離そうとすると、剣で襲ってきたんだ」
「剣で……」
体を起こす。リナに刺された右胸が、僅かに痛んだ。
「あいつは言った。目を覚ましたくない……と」
「そんな……！」
アメリアは震える。
「このままじゃ、リナさんは本当に死んでしまいます。そんなことになったら、私たちは……」
「ああ」
ガウリイは、荒い息をついて立ち上がった。
「俺は、諦めない。ただ、今は……少し、休ませてくれ」
「宿に帰りましょう」
眠り続けるリナを巫女のもとに残し、三人は街に帰って休んだ。
「夢の中で、リナさんはゼロスさんと……」
「ああ。あいつははっきりと俺に言った。ゼロスを、愛していると」
「愛する人を手にかけた……それが、リナさんが夢の中に閉じこもってしまった原因なんですね」
「でも、俺はもう一度あの中へ行くよ」
「旦那……今度は帰ってこられなくなるかも知れないぞ」
「リナは、あんなところで甘えている女じゃない。引きずってでも、こっちの世界に連れ戻してみせるさ」
「それは、リナにとって幸せなことなのか？」
「じゃあゼル、今のまま弱って、死んじまうことがリナにとっての幸せだというのか？」
「いや、俺はただ……」
「リナは生きていけるさ。俺は信じてる」

手をつなごう手をずっとこうしていたいの

おねがいぎゅっとあたしを抱きしめて

もうあたしを離さないで

「ねえ……ゼロス、あたしを愛してる？」
「愛してます」
「もう、あたしの前から消えたりしない？」
「二度と」
「じゃあ、あたしずっとここにいるわ。あなたの側から離れないわ」

「もう一度、この子の中に行くというのかね」
「はい」
巫女は、リナの額にそっと手を乗せた。
「この間のことで、この子の内側は、相当傷ついた。多くの血が流れたはずだ」
「……はい」
「これ以上、この子を傷つけると、二度と目覚めなくなってしまうぞ。なにか、策はお有りか」
「ありません」
「あんたも、戻ってこられなくなるかも知れない。それでもいいかね？」
「お願いします」
「本当に無茶な……」
ガウリイは、リナの隣に横になった。巫女は、ガウリイの額に手を置いた。あの時と同じ、闇に包まれる感触。ガウリイの意識は遠のいていった。

涙に濡れた階段を、壁を伝うように降りる。そして、扉の前に立つ。
「なんだ、こりゃあ……」
分厚い乾いた血の塊……「かさぶた」が、ドアの周りをびっちりと隙間なく覆っている。ドアノブを掴んで引っ張るが、びくともしない。
「リナの奴……守りを固めた、ということか」
爪を立てて、ドアノブの周りの「かさぶた」を引き剥がす。じわりと、血がにじむ。
「これだけでも、お前を傷つけていることになるのか？」
もちろん、それだけ剥がしただけでは、ドアはびくともしない。
ガウリイは、手の中に小さなナイフをイメージした。果たして、それは現れた。
「便利な世界だな」
ナイフを使って、ドアの周りにこびりついた血の塊をこそぎ落としていく。皮膚を剥いだように、生々しい血の壁が現れる。その雫は、ガウリイの手を温かく濡らしていく。足下に「かさぶた」が溜まる。ガウリイはナイフをドアと壁の隙間に突き立て、ぐっとそれを下に引いた。噴水のように血が溢れ出す。
「リナ……保ってくれ」
ドアを引いた。粘る血液が糸を引き、ゆっくりと開いた。濃い血の匂いがするなま暖かい空間の中に、ガウリイはようやく身体を滑り込ませた。

手をつなごう

愛でも何でもキスでもいいから色々してたいわ

もうあたしをとめないでもうあたしをとめないで

見たのは、前と同じ光景。天から射す光の中で、身体を小さく折り畳んでゼロスの胸に納まっているリナ。その表情は、あどけなく、安らかで、まるで生まれたばかりの赤ん坊のようだ。ただ、前と何か違うことがある。ゼロスが、目を上げて、ガウリイを見ている。紫の瞳で、無表情に。
リナがガウリイの気配に気づいた。睨み付ける。
「今度は、本当に殺すわよ。さっさと出ていって」
「そうはいかない。リナ、今度こそお前を目覚めさせてみせる」
「どうやって？」
リナは冷笑する。
「あたしを引きずって、あの涙の階段を上がる？その前に、あたしがあんたを殺すわ。さあ、帰って」
長い髪をかき上げて言う。
「それから、そこのドア、かなり無理矢理開けたわね。すっごく痛かったわよ」
「リナ……！」
ガウリイは叫んだ。
「このままでは、お前は本当に死んじまうんだ。ゼロスはお前を生かすために滅んだんじゃねーか。ゼロスの気持ちを無にする気か？」
「あたしの気持ちはどうなるのよ！」
リナは涙を飛び散らせた。
「好きな人の身体を切り裂いた気持ち……あんたに分かるっての？あたしはここにいる。このゼロスがあたしの生み出した幻でもいい。あたしはゼロスに包み込まれていたい。出ていって……出ていってよ！」
ガウリイは目を上げた。
「ゼロス……お前はどう思う？」
リナははっと振り返った。
「馬鹿ね……このゼロスは幻。何も答えないわ」
「そうですねえ……」
ゼロスはにっこり笑って話し出した。リナは呆然としてゼロスを見ている。
「ここで、ひたすらリナさんを抱きしめているのは、僕としても幸せだったんですが……そろそろ行かなきゃ、だめですかね？」
「ゼ……ゼロス、何言ってるの。あたしたちは、いつまでも、ここで一緒に……」
「貴女が死んでしまうときいては、そうも言っていられなくなりました」
「ゼロス！あんた、何者なの。本物のゼロスはあのとき滅んだ。今喋っているあんたは何なの？」
「残留思念……とでもいいましょうか。あの時飛び散った僕の存在の欠片です」
「ゼロス……本物のあんたの、欠片でもここにいてくれたの？」
「ええ。貴女が必要としていてくれたから」
ガウリイが言う。
「なあゼロス。リナを放すよな。リナを死なせたりしないよな」
「嫌、ゼロス。あたし、あんたと一緒に行く」
「リナさん」
「……ゼロス」
ゼロスは身をかがめ、リナに口づけた。リナは、されるがままにじっとしていた。ゼロスが唇を離す。
「リナさん、もう一度、お別れです」
「嫌、ゼロス」
「僕たちは、また会えますよ。混沌の海の中で」
「嫌よ。今まで通り、あたしを抱きしめていて。一人にしないで」
「貴女が混沌の海に還るまで……ほんの一瞬の間です」
リナをそっと抱きしめる。
「生きて下さい」
「あんたがいない世界を？」
「大丈夫です。僕は、欠片になっても……貴女を見守っています。だから、今は」
紫の瞳を、ガウリイに向ける。
「ガウリイさんと、行って下さい」
リナは、ゼロスの身体を放した。そして、ショートソードを取り出す。ガウリイは身構えたが、リナは自分の髪をくるりと前に回すと、首筋のところでざくっと切った。
「あたしが海に還るまで」
ゼロスの手に髪の束を渡す。
「これをあたしだと思って」
「大事にします」
リナは、深紅の瞳から止めどなく涙を流した。

「リナさん、泣かないで下さい……」
それが、彼の最後の言葉だった。

「ガウリイ、行こう」
少年のような髪型になったリナがガウリイに近づいてきた。ガウリイは扉を開けた。そこに、もう血の気配は無かった。涙の階段も、もう滑ることはなかった。
「ガウリイ」
夢と現実をつなぐ暗闇の中で、リナは言った。
「怪我させて、ごめんね」
「いいんだ、お前が目覚めてくれるなら……」

アメリアとゼルガディスはいきなり髪が短くなったリナを呆然と見ていた。そのリナの睫毛が、ゆっくりと動き、紅い瞳が姿を見せた。
「リナさん！」
「リナ！」
ガウリイも、目を開け、体を起こす。
「旦那も、無事か」
「ああ。ゼロスの奴に助けられたぜ」
リナが、起きあがろうとしてふらりと崩れる。
「リナさん、あなたは七日間も寝ていたんですよ。いきなり起きるのは無茶です。……髪の毛、どうしちゃったんですか」
「ゼロスに、あげたの。大丈夫、またすぐに伸びるわ」
リナは少年のように微笑んだ。
「ガウリイ、怪我させちゃったところ、どうなった？」
「ああ。消えてる」
ガウリイの胸の痣は消えていた。
「世話になったな」
ゼルガディスが、年老いた巫女に一礼した。
「何？このおばーちゃん」
「お前の恩人だよ」
「へ？」
三人は、顔を押さえてくすくす笑った。

宿の夜。リナは、窓を開ける。冷たい風が入り込む。
「ねえ、ゼロス。欠片でも、そこにいる？」
（ええ、リナさん。僕たちはいつも一緒ですよ）
リナは、ふっと笑って、窓を閉めた。

リナちゃんの心の中の描写には、気合いを入れました。ゼロリナの話なんですけど、ガウリイが主役のようなものですね。すみません。ゼロスの胸に小さくなって抱かれているリナちゃん、というのは私の理想のシチュエーションの一つです。それでは、読んで頂いてありがとうございました。

ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。少年のような髪になったリナちゃんも、一度見てみたいですね。でも、やっぱりリナちゃんはあの腰までのロングヘアが似合ってますけど。

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