やさしい気持ち［前編］

「リナさん、泣かないで下さい……」
それが、彼の最後の言葉だった。


なけない女のやさしい気持ちを
あなたがたくさん知るのよ
無邪気な心で私を笑顔へ導いてほしいの

ぎゅっと私を抱きしめて


それは、いつもの昼食の時間。ただ一つ違うのは、彼らのテーブルにゼロスが同席していること。
「リナさん、魔族になりませんか？」
「何言ってんのよ。そんなのまっぴら御免よ」
「そうでしょうね」
「なんだ、ゼロス。リナをスカウトか？」
リナと奪い合ってローストチキンをぱくつきながら、ガウリイが言う。
「無駄だと分かっているだろう」
冷たい水を飲みながら、ゼルガディスが言う。
「そーです。魔族とはすなわち悪の存在！リナさんがそんなのになるわけないじゃないですか」
アメリアは、びしっとゼロスを指さして言う。
「あのー……僕も一応『そんなの』の一人なんですけど……」
ゼロスは頭をかきながら言った。
「それで？あたしが応じなかったら殺してこいとでも言われた？」
「いやあ、そこまで分かって下さっていると話が早い」
「嫌よ。あたし、まだ死にたくないわ。まだ食べてない名物料理もたくさんあるし、魔導の研究だってもっとやってみたいし」
「僕だってリナさんを殺したくはありません。リナさんが好きですからね」
「は？」
リナはローストチキンから口を離さずに問い返す。
「僕はリナさんが好きなんです。だから、殺したくありません」
「好きって、いわゆる、そーゆー意味？」
「ええ。そーゆー意味です」
「あんたが、あたしを？冗談じゃないわ」
「ええ。冗談ではありませんよ」
そして、指を唇に当てる。
「殺す、ってほうもです」
「ゼロスさん！本当にリナさんが好きなんですか！？」
アメリアが焦って尋ねる。
「ええ。魔族に嘘はつけません」
「じゃあ、どうして殺したり出来るんですか？好きな相手は守るものでしょう？」
「魔族にとって、自分を創り出した主の命令は絶対なんです。僕は、リナさんを殺さなくてはならない。どんなに好きでも、です」
「あたし、おとなしく殺されたりはしないわよ」
「ええ。そうでしょうね。思いっきり抵抗して下さい」
「リ……リナ！」
ガウリイが言う。
「俺はお前の保護者だ。おいゼロス、リナを殺すってんなら、まず俺を倒せ」
「無駄な死人は出したくありません」
「大した自信だな」
「あなたでは僕に勝てませんよ、ガウリイさん」
「俺も、黙ってリナを殺させるわけにはいかんな」
「あなたでも同じです、ゼルガディスさん。はっきり言って、あなた方の中で僕の相手が出来るのはリナさんだけでしょう」
「…………」
四人は黙る。やがてリナが沈黙を破った。
「じゃあ、戦いましょうか。ここじゃなんだから、表に出て」
「僕はここでも構わないんですけどね」
「あ、このチキン食べ終わるまで待ってくれる？めちゃくちゃ美味しいの」
「ええ。いくらでも待ちますよ」
やがてチキンは骨だけになった。リナは、レジに立って勘定を払う。
「じゃあ、表に出ましょうか」
「ええ。あたし、そう簡単に殺されないわよ」
「分かってます」

「神滅斬（ラグナ・ブレード）！」
「やはりそれで来ましたね」
ゼロスは平然と立っている。錫杖も、持っているだけで、何の構えもしていない。
「はああっ！」
リナはゼロスに斬りかかった。ゼロスは避けなかった。肩から胸にかけて、黒い炎の刃が食い込む。
「やれやれ……分かっていても苦しいものですね、滅びる瞬間というものは」
「……何ですって？」
戦いを見守る三人も、息を飲む。
「あなたを愛している。でも、命令には逆らえない。だとしたら、僕に出来ることは一つしかないでしょう？」
「あんた、最初から滅びる気で……」
「ええ。……僕には、それしか選択肢がなかった」
「ゼロス」
ゼロスは地面に倒れた。肩から胸に走る大きな傷から、次第に彼の存在が薄れていく。
「あんた、馬鹿よ。あたしなんか殺したって、あんたの長い一生、いくらでも代わりが見つかるでしょう」
「リナさんに……代わる人なんて……いませんよ」
リナは、その深紅の瞳から、大粒の涙を流した。
「リナさん、泣かないで下さい……」
その言葉を最後に、魔族は彼らの前から消え去った。


夕食の時間が来た。旅の仲間は、機械的にテーブルについた。運ばれてくる食事に、誰も手を付けない。
「とんだ、一日だったな」
ガウリイは腕を組んだまま言った。
「ああ。かつては一緒に旅をした奴が、あんな最期を迎えるなんて……」
ゼルガディスも、料理には手を付けずにそう言った。
「あたし、疲れた。とても、眠いの。先に寝るわね」
「リナさん、晩ご飯食べていかないんですか？」
リナは振り返って言った。
「そんな気分に、なれると思う？」


残りの三人は、何とか食事を口に運んだ。味がしなかった。ただ、噛んで、飲み込む。その動作を繰り返しているうちに、満腹になった。
「俺たちも、もう寝るか」
「ああ。疲れたな」
「お休みなさい……」
三人は、食堂の上の宿屋に上がっていった。


次の朝。九時を過ぎても、リナは食堂に姿を現さなかった。
「あのー……そろそろ朝御飯の注文は締め切らせてもらうよ」
「後ちょっとだけ待っててください。まだ起きてこない人がいるんです」
「早めに頼むよ」
アメリアは、階段を上がり、リナの部屋をノックした。
「リナさーん、朝御飯、食べられなくなっちゃいますよ」
返事はない。ノブを回すと、扉は内に開いた。鍵をかけていなかったらしい。
「よっぽど疲れてたんですね……」
リナは、マントとショルダーガードを外しただけの、旅装束のままで眠っていた。
「リナさん！リーナーさん！朝ですよ、起きて下さい！」
リナは動かない。アメリアは、厚いカーテンを開けて、日光を部屋に入れた。リナは、眩しそうな顔ひとつせず眠っている。アメリアは、諦めて階段を下りた。
「よ、どうだった、リナの奴」
「それが、いくら起こしても起きないんです。昨日のことで、よっぽど疲れてるんだと思うんです。肉体的にも、精神的にも」
「それはそうだろうな。今日一日くらい、ゆっくり寝かせてやるか」
食後のコーヒーを飲みながらゼルガディスが言う。
「そうだな。あんなことがあった後じゃ、疲れもするだろう」
「じゃあ、私たちは今日は自由行動と言うことで」


（ねえ、どうしてあたしの気持ちは聞いてくれなかったの？）
深く眠るまぶたから、涙が流れる。
（あたしだって、あんたが……）


そう、いいかげんな男が あなたの理想だとしても
この愛が自由をこわすって？
でも勝手だってしからないで


「アメリア、どうだった」
「起きませんでした。肩を揺すぶったり、耳元で大声で呼んだりしたんですけど」
「もう三日目だぞ。さすがにおかしいとは思わないか」
ガウリイとゼルガディスもリナの部屋に入った。
「おい、おいリナ。起きろよ。ほら、お前の好きなステーキ、持ってきてやったぞ」
皿を鼻の下に近づける。反応はない。
「うーん、食い物の匂いで絶対に起きると思ったんだがなあ」
「リナさん、リナさんってば！そんなに寝てると体に悪いですよ」
アメリアが肩を揺すぶる。リナの身体は力が抜けたようにぐにゃぐにゃと動く。
「ちょっと俺に貸せ」
ゼルガディスは、リナの襟を掴むと、思い切り頬を叩いた。
「ゼル、何するんだ」
返す掌でもう一発。リナの白い頬が、赤く染まる。
「ゼルガディスさん、乱暴は止めて下さい」
「お前らだって分かってるだろう？これは普通の眠りじゃない」
「普通じゃないって……」
「医者に診せるべきじゃないのか」
「お医者さんって……リナさんは疲れているだけです。もうすぐ、目を覚まします」
「なら、あと一日だけ待とう。それで起きなかったら医者だ」
一日はあっという間に過ぎた。リナは目覚めなかった。

「じゃあ、どこもおかしくないって言うんですか？」
「ああ。呼吸も、脈拍も正常。血液検査の結果も、何らおかしいところはなかった」
「それじゃ、どうして起きないんですか……」
「それは、分からん。少なくとも、私の専門分野ではないな」
「どんなお医者さんに診せたら……」
「心を診る医者が適当だろう」
「だって、リナさんは起きないんですよ？しゃべれないんですよ？」
「代わりに君たちが語ってくれ。いい医者を紹介するよ」
住所が書かれたメモを残して、内科医は帰っていった。
「どうする？眠ったままのリナを連れていくのか？」
「それしかないだろうな。幸い旅装束のままだし」
三人は馬車を呼んだ。ガウリイが、リナを抱き上げて馬車に乗せた。狭い車内に詰め込むように四人は座った。馬車の揺れにも、リナは目を覚まさなかった。

「もう五日も目を覚まさないんです。呼んでも、揺すぶっても、叩いても、起きないんです」
アメリアは訴えかける瞳で言った。精神科医は、診察台に横たわったリナのまぶたをめくったり、聴診器で鼓動を聞いたりしていたが、やがて椅子に座ってため息をついた。
「この子が眠りはじめるときの様子はどんなだったね」
「ええ、たしか、疲れた、とても眠い、とだけ言って……」
「その前に、彼女にとって辛いことはなかったかね？」
「……ありました。旅の仲間を失ったんです。しかも自分の手で」
「穏やかじゃないな」
「……ひとを、殺したわけじゃありません。相手は魔族でした」
「でも、人間のように接していた？」
「はい……それはそうです」
「ふむ」
精神科医は、もう一度眠っているリナに目をやって、言った。
「そのことが、彼女を眠らせているのかも知れない」
「えっ？」
「彼女は、この現実を拒否しているのかも知れない、ということだ」
「そんな……！」
「眠っていれば、彼女は自分の手で仲間を滅ぼした現実を見ないですむ。他に理由が見つからないなら、そう言うことになるだろう」
「馬鹿な……リナは、そんな弱い奴じゃない！」
ガウリイが立ち上がって叫んだ。
「じゃあ、君は、彼女が受けた精神的ダメージが分かるのかね？」
「そりゃあ、ゼロスはしばらく一緒に旅をした仲間だった。でも、今までリナはどんな辛い現実にも戦って、勝ってきた。今回のことで、眠りっぱなしになるような、そんなヤワな奴じゃないと思うんです」
「その人個人の受けるつらさは、誰にも分からないものだよ。彼女が滅ぼした魔族のことだって、彼女がどう受け取っていたのか分からない。もしかしたら、彼は彼女にとって大事な存在ではなかったのかね？」
「そんなことは……ないと思います」
「これは私の専門外の話になるが」
精神科医は深く椅子に座り直した。
「ここから少し離れた町に、特別な力を持った巫女がいる。人の心を切り離して……他人の心に潜り込ませることが出来るんだ。他人の心の中に入り込むのはとても難しいことだし……いっそう彼女を傷つけ、現実から切り離す結果に終わるかも知れない。それでも、やってみる価値はあると思うよ。彼女がこんな風に……眠ったまま、話も出来ない状態では特にね。どうする？」
「やってみます」
ガウリイは決然と言った。
「いつまでも、夢の中に閉じこもってるなんてこいつらしくない。こいつを助けるためなら、何でもします」
「その前に、栄養点滴をした方が良さそうだね」
リナの顔は青ざめ、頬は幾分こけていた。五日も何も食べていないのだから、当然と言えば当然だが……。
点滴を受け、少し頬に赤みの差したリナを連れて、三人は宿へ戻った。ガウリイがリナを元通りベッドに寝かせる。その時、彼女の頬に涙が流れた。
「……哀しい夢でも見てるんでしょうか」
「明日にでも、その巫女の所に行ってみよう」
その日、アメリアはリナと同じベッドで寝た。リナは、寝返りさえ打たなかった。


巫女は、老婆だった。事情を聞くと、痩せた手を寝台に横たわるリナの額に置いた。
「この子は、今、誰にも入り込まれたくないと言っておるよ」
「分かるんですか？」
「ああ。私には分かる。この子は夢の中で、一人の大事な時間を過ごしておるよ。この子に入り込むとなると、ちょっと骨が折れることになる」
「それでも、お願いします」
ガウリイは、頭を下げた。
「あんたは、この子の恋人かね」
「……違います。でも、保護者です」
「よほどこの子が心を開かない限り、入り込むだけ無駄な結果に終わるじゃろう。それどころか、あんたがこの子の心を壊してしまうことにもなりかねない。あんたは、この子の心の中で、この子を決して傷つけない自信があるかね？」
「……あります」
「旦那、大丈夫か」
「俺は、だてにリナと長旅をしてきたわけじゃない。こいつの心の中に入れるのは、俺だけだ」
「あんたの心が帰ってこられなくなる可能性もないわけじゃないよ」
「大丈夫です。俺がリナを目覚めさせてみせます」
「それじゃあ、寝台をもう一つ運んできてくれんかね。この子の横に寝るんだ」
「わかりました」
ガウリイとゼルガディスが寝台を運んできた。ガウリイがその上に横になる。
「決して、この子の中のものを傷つけてはいけないよ。それと、夢の中のこの子を傷つけてもいけない。もし殺したりしたら、この子は永遠に目覚めなくなる」
「はい」
「それと、あんたも夢の中で死んではいけない。そうしたら、この子の精神の中から二度と出てこられなくなるからね」
「わかりました」
「それでは、身体の力を抜いて。額に、意識を集中して」
ガウリイは目を閉じた。老婆の手を、額に感じた。そして、彼の意識は闇の中に吸い込まれていった。




リナちゃんを殺すように命じられたゼロス、というテーマは何度か書いているのですが、今回は「目覚めないリナちゃん」を書いてみました。「やさしい気持ち」は、（また）ＣＨＡＲＡさんの曲です。それでは、後編もよろしくお願いします。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。個人的には寝ているリナちゃんにビンタするゼルがお気に入り（？）　でもそういう厳しいこと出来るのって彼しかいませんから。


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