White days…［４］


放課後。僕は廊下にリナさんの姿を見つけ、駆け寄った。僕たちは、何のクラブ活動もしていなかった。あの離れで聴く古いジャズ。それだけが僕たちの秘密の楽しみだった。
「……考えたの。あれから、ずっと。今日一日の授業は頭に入らなかった。責任取りなさいよね、ゼロス」
「どうやって取ったらいいですか？」
「ハンバーガー６個で手を打つわ」
「おやすいご用です。行きましょう」
リナさんは、その頼りないほどに細いみかけのわりに、よく食べる。僕は、彼女のそんなところも好きだった。

クリスマスソングの鳴り響く、暖かいハンバーガー・ショップに着いた僕らは、さっそくハンバーガーにかぶりついていた。僕はフィレオフィッシュを一つ、彼女はビッグ・マックを６つ。
「同じのばかりで飽きませんか？」
「ビッグ・マックはいくつ食べても飽きないの。あ、そのナゲットもらっていい？」
「いいですよ、朝の返事をくれるなら」
リナさんは、黙った。そして、細い指でナゲットをつまむと、マスタードソースをつけて唇に放り込んだ。
「あのね……いいわよ」
「本当ですか」
「でも、絶対に触ったり、あたしの嫌がることしない、って誓える？」
「もちろんです」
「ふう。下着、買いに行かなきゃ。あたし、胸小さいわよ」
「知ってます」
「改めて見て、がっかりされると傷つくな」
「僕は小さい胸の方が好きですよ」
「本当かなあ……何か、リクエスト、ある？」
「リクエストですか」
「下着はレースがいいとか、なんとか」
リナさんは、ビッグマックにかぶりついたまま、もごもご言った。首筋まで紅くした彼女は可愛らしかった。
「そうですね。ガーターベルト」
「ガーターベルト！？」
「やっぱり古すぎますか」
「ううん……買ってくる」
「いいんですか」
「あんた、滅多に贅沢言わないから……ただ、付けたり外したりするのはあたしに任せてね」
「分かってます」
「見かけに寄らず、やらしいんだから」
リナさんはぶつぶつ言いながら、残りのビッグマックを片づけた。


クリスマス・イブ。僕は落ち着かなかった。部屋は片づけ、リナさんの持ってくる手作りケーキに合うお茶を準備し、暖炉の脇には乾いた薪を積み上げた。それでもリナさんのやってくる時間には遠く、僕は梯子を取り出して高い窓ガラスを拭いた。
「毎日リナちゃんが来てくれればいいのにね」
母様が笑った。
「しょっちゅう来てるじゃないですか」
「今日はイヴですものね。特別なのかしら？」
僕は、苦笑した。
「ええ、特別です」

やがて、母屋のベルが響き、リナさんが母様に挨拶をした。クッキーか何かを差し出しているようだ。リナさんは、よく食べるせいか、料理が上手い。リナさんに寄れば、
『あの姉ちゃんの元にいれば、「家事をしない」なんて選択肢は存在しないのよ〜』とのことだったが。

リナさんが、妖精のように、長い髪に粉雪をまといつかせて離れに入ってくる。
「いらっしゃい、リナさん。待ってましたよ」
「ケーキ、持ってきたから」
「それと……」
「とりあえず、ケーキ食べましょ。話はあとあと」
リナさんは、白いケーキの箱のふたを開け、ブッシュ・ド・ノエルを取り出した。
「去年はこれにローソク立てちゃったのよね。ふふっ」
思い出し笑いに、リナさんの顔がほころぶ。
「あれから、一年か……あたしたち、変わったかな」
投げかけられた言葉に、僕は少し考える。
「ずっと、貴女と親密になりました。貴女の友だちとも喋るようになった。だけど、僕が求めているのは貴女との会話だけです」
「ヒキコモリね、ゼロス」
「それだけ、貴女が好きなんです」
「あたしも……一年前に比べたら、信じられないくらいジャズに詳しくなったわ。これも全部、あんたの影響ね。感謝してるわ」
感謝。それは、僕が貴女に言いたい言葉。

ケーキを食べ終えると、僕は薪を何束か暖炉に投げ込んだ。部屋の中は暑いほどになる。
「リナさん、約束を……」
「ええい、分かってるわよ。……どうしても？」
「どうしても」
「触ったりしない？」
「絶対に」
「じゃ……って、脱ぐところも見るの？」
「ええ。それも楽しみにしていましたから」
「あんたって、まじめな顔して変態なのよね……」
リナさんはひどい言葉をぼやいて、ワンピースの背中のファスナーを下ろした。なめらかな生地のそれをするりと脱ぎ落とす。白い、華奢な身体。小さな胸。
「リナさん、リクエスト通りのガーターベル……」
「あーもーうるさい。それ以上喋ったら、すぐに服を着るわよ」
キャミソールを脱ぐと、ショーツとお揃いの淡いピンクのブラジャーが現れた。
「ほんとに、これ以上、脱ぐの？」
「お願いします」
「ん……」
リナさんは、ガーターベルトに手をかけた。留め金を外し、ストッキングを脱ぎ落とす。そして、ブラジャーの後ろに手を回した。目の前に晒される、小さな、可憐な乳房。そしてショーツをゆっくりと下ろす。リナさんの着ていたものはひとまとめに小山になって、リナさんは全裸で僕の前に立っていた。暖炉の揺らめく炎が、その身体を照らした。
「……で？　感想とかはないわけ？」
「喋っちゃいけないんではなかったですか？」
「一言くらい、感想が欲しいわね。死ぬほど恥ずかしいんだから」
僕は微笑んだ。
「綺麗ですよ、リナさん」
「ほんとに？」
リナさんは小さな声で聞き返す。
「こんなに、胸もないのに？」
「華奢で、繊細で、折れてしまいそうです」
本当に、雪の妖精のような、天使のような、彼女の姿。
「だって、同い年のみんなはもっと胸なんか大きくて……」
「ぼくはリナさんしか興味ありませんよ」
「だって……って、こら、何すんのよ！」
僕は、そっとリナさんを抱きしめていた。細いのに、柔らかい。このまま強く抱きしめたら、本当に折れてしまうのだろう。髪の毛から、いい香りがした。
「放して……いや」
「すみませんでした。放します」
僕はリナさんから離れた。本当は、このままリナさんを抱いてしまいたかった。でも、僕は彼女を裏切るようなことはしたくなかった。
「寒い」
リナさんは、腕で自分の身体を抱いた。
「そうですね、そろそろ服を……」
その時、ドアをノックする音がした。
「ゼロス、リナちゃん。入るわよ」
「ちょ、ちょっと待って下さい！」
僕はとっさに叫んだ。
「リナさん、隠れて」
「隠れるってどこに」
「僕のベッドの中に入って下さい。服も一緒に」
僕が服を拾おうとすると、彼女がそれを制して自分の服を取った。ベッドに潜り込む。
「どうぞ、母様」
「どうしたっていうのよ……あら？　リナちゃんは？」
「トイレだそうで。母家へ行きました」
「おかしいわね、すれ違わなかったけど……」
「タイミングでしょう。何のご用ですか？」
「ご用って……ターキーが焼き上がったから、いらっしゃいって言うつもりだったんだけど」
「リナさんが帰ってきたら一緒に行きます。待っていて下さい」
「わかったわ」
母様はドアを閉めて出ていった。僕は、ベッドの中のリナさんに呼びかけた。
「もう出てきてもいいですよ」
「ぷはあ！　びっくりした」
リナさんは僕の方を向いて、
「もう見ないで」
と言った。
「なぜですか？　脱ぐところは見せてくれたのに」
「着るところを見られるのはずっと恥ずかしいの！　あっち向いてくれなきゃ、絶交する」
「分かりました。絶交されては大変ですからね」
「そうだ。レコードをかけて」
「何がいいですか」
「『White days』」
「はい。リナさん、この曲好きですね」
しばらく、衣擦れの音がしていたが、「あっ」というリナさんの小さな叫びに、僕は振り返った。
「どうかしましたか」
「ガーターベルトの留め金が二つ足りない。これじゃ、右脚のストッキングが留められない」
「えっ……探してみます」
「銀色のよ」
僕は、机の下や、暖炉のまわりを探してみたが、留め金らしきものは見つからなかった。
「しょーがない、ターキーは諦めるか」
１５分ほど探して、リナさんはそう言った。
「どうしてですか。食べていって下さい」
「あのね、片足にしかストッキング履いてない状態で、お母さまの前に顔出せないわよ」
「じゃあ、両足とも脱ぐというのは……」
「この寒さの中、素足で他人の家を訪れるなんて、馬鹿もいいとこだわ。あたし、帰る。ケーキは美味しかったし、あんたとの約束も果たせたしね」
「素足で帰って、風邪を引きませんか？」
「こう見えても、あたし結構身体は丈夫なのよ。暖かいバスで帰るから平気。あんたは、ほら、お母さまのところへ行ってあげなさい」
リナさんは、素足にブーツを履くと、離れを出ていこうとした。僕は、彼女の肩を捕まえて、キスしようとした。リナさんは、身軽にそれを交わした。
「そういうのは、駄目」
リナさんは、哀しげな目をしたように感じた。
「ベッドの中、あんたの匂いがして、とても暖かかった。じゃ、さよなら」
離れの扉が閉まった。僕は、火掻き棒で暖炉の火を消しながら、さっき見たばかりの、抱きしめたばかりの、柔らかな身体のことばかり考えていた。


キャンドルの火は吹き消されて
クリスマスにも　一人でいた


その夜、僕は寝る前にでもリナさんの声を聴こうと思って、電話をかけた。家にかけてみると、『お客様の都合でおつなぎできません』とアナウンスが流れた。携帯の方にかけると、留守番電話になっていた。僕は、言うことの出来なかった言葉……「メリークリスマス」を吹き込んで、ベッドに潜り込んだ。甘いリナさんの匂いがした。

次の日、改めて電話をかけてみたが、『お客様の都合で…』という冷たい声は変わらなかった。携帯電話は、完全につながらなくなっていた。僕は、ふとリナさんの家に一度も行ったことがないことを思い出した。クラスの名簿を見て、クリスマスの街を通り過ぎ、リナさんの所番地に向かう。バスを乗り継ぐ。住所と、詳しい地図を見ながら、ゆっくり歩く。
───リナさんの住所にあったのは、空き地だった。綺麗に整備され、冬だから雑草の一本も生えていない、完全な空き地だった。僕は、何度も地図と住所を見比べた。近所の家に聞きに入った。
「ああ、インバースさんのとこ？　もう何日か前に、取り壊されてたよ。引っ越し先……までは知らないねえ」
皆、口をそろえてそう言った。

あたりが暗くなるまでうろうろする。と、いきなり背の高い相手に襟首を掴まれた。夕闇に溶ける金髪───ガウリイ＝ガブリエフだった。
「お前……リナがどこに行ったか知ってるだろう」
震える声。
「知りません」
「嘘をつけ！　クラスのクリスマスパーティにも、お前のところへ行くからって断ったあいつだ。お前があいつの行き先を知らなくて、誰が知ってると言うんだ」
薄闇の中、その蒼い瞳は真剣だった。
「放して下さい。僕は本当に知らないんです。知ってたら、わざわざこんな空き地に来るわけないでしょう」
ガウリイ＝ガブリエフは腕をゆるめた。
「それもそうだな」
乱暴に、襟を突き放す。
「本当に、リナはお前にも言って行かなかったのか」
「ええ。夕べから、突然電話が通じなくなって……」
「家の方の電話は、一週間くらい前から通じなかったぜ。気づいてなかったのか」
「一週間……僕は、主にリナさんの携帯にかけてましたから」
「その携帯も、昨日から通じなくなった。リナは、どこへ行ってしまったんだ。昨夜、イヴを、お前はあいつと一緒に過ごしたのか」
「ちょっとした事があって、夕方には彼女は帰ってしまいましたが」
「今日は一日あいつを探し回ったんだ。お前、携帯切ってただろう」
「あ……そういえば」
「リナからの連絡があったかもしれないのに……使えねえヤツ」
ぼやくガウリイさんは、僕に言った。
「とにかく、空き地をうろうろしていても始まらない。明日、学校に問い合わせてみよう。学校になら、転校先くらい報せてるだろうから」

「え？　知らせてない？」
「ああ。突然『転校します。今までお世話になりました』で電話が切れて、こっちからかけ直しても誰も出ないんだ。で、君たちは彼女の行き先を知って、どうするつもりかね」
「彼女は、僕たちの友だちでしたから」
「確かに。彼女は人気者で友だちも多かったな。その中の誰にも知らせずに行ったのかね」
ガウリイさんが、自信たっぷりに言う。
「俺に知らせてないのなら、他の誰にも知らせてないと思います」
先生は、興味なさげに書類に目を落とした。
「まあ、うちの事情で、ひっそりと引っ越しをする必要があったんだろう。落ちついたら、また学校か、君たちに連絡があるかも知れない。焦らずに、待ちなさい」
僕とガウリイさんは、休みに入った人気のない学校を後にした。

「お前、リナに何かしなかったか」
僕は、ぎくりとした。確かに僕は、リナさんの意志に沿わないことを、強要はしていないまでも、させていたのだから。
「何もしてませんよ」
「ま、そうだろうな。お前がリナに何か出来るとは思えない」
ガウリイさんは、落ちかかってくる金髪をばさっとかき上げた。冬の薄暗い空に舞う金髪。リナさんの相手にふさわしい、もう一人の天使。
「連絡を待つか。でも……」
「でも、何ですか」
「リナは、二度と俺たちに連絡してこない気がするんだ」
「なぜ……」
「俺の勘だけどな。俺の勘はよく当たるんだ」
「きっと、新学期が始まるまでには……」
「家まで木っ端みじんの更地にして、電話も通じなくなって、これは誰が見たって普通の『お引っ越し』じゃないよな」
「まあ、そうですね」
「……くそっ」
ガウリイさんは、冬の風に逆らう髪を何度も後ろへやった。
「俺は、この住所に来てみたこともなかった。お前は」
「僕もです」
そう。いつも訪ねてくるのはリナさんの方。僕は、彼女の家に行ったことはなかった。
「もう、逢えないのか……」
僕たちは、彼女について色々語り合った。お菓子づくりが上手いこと、怖いお姉さんがいること……
「それも全部、幻だったのかも知れないな」


凍てつくような心の中に
今　祈りの鐘が響くよ

神様　ひとを　求めることは
こんなにまでも　寒いものですか





ガーターベルトというのは憧れるのですが、買ったことは一度もないです。この辺のエピソードは、『国境の南、太陽の西』から借りたり繋げたり勝手に要素追加したりと好きにやっています。
『国境の南、太陽の西』の「島本さん（ヒロイン）」と「イズミ」のエピソードを混ぜて話を作っています。ほんと、楽しいやら後ろめたいやら。


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