White days…[3]
「頼む、ゼロス=メタリオム、リナを返してくれ!」 放課後の校舎裏。金髪の天使───ガウリイ=ガブリエフは僕に頭を下げた。 「返せ、と言われても……」 「あいつは、ずっとずっと俺が守ってきたんだ。これから先も、つきあってくれることはなくても、俺のものだと思っていた。でも、あいつは、最近お前と帰ったり、一緒に図書館にいたり、……っ、休みの日にはお前の家に行って古ぼけた倉庫みたいな部屋で朝から夕方まで二人っきりでいたり……」 僕は呆れた。 「そんなことまでチェックしてたんですか……」 「寒かった」 「とにかく、僕に頼まれても困ります。リナさんの意志で決めることでしょう?」 「お前が一言『これ以上会いたくない』とでも言えば、あいつは帰ってくる。俺の元へ」 「いやですね。リナさんにだけはうそをつきたくない」 「お前もてるだろう。女なんてよりどりみどりじゃないか。何であいつに決めるんだ」 「同じ言葉をお返しします」 「リナは……特別な女なんだ。わかるだろ?」 「ええ、分かります。だからこそ、あなたに返すわけにはいかない。───もともとあなたのものでもなかったのだから」 「畜生!」 ガウリイ=ガブリエフは僕の襟首を掴み、……そして離した。 「リナを……泣かせるな。傷つけるな。苦しめるな。少しでもそんなことをしたら、その時に俺はお前を殴り飛ばす」 「わかりました」 ガウリイさんは地面に落ちた鞄を拾って、校舎裏から去っていった。 「ゼロス、高校決まった?」 「どうせリナさんと同じでしょう。ゼフィーリア第一高校です」 「推薦?」 「ええ」 「ゼロスも推薦とってたんだね」 リナさんは放課後用のメロンパンをもぐもぐ食べていた。しばらく見ていれば分かることだが、リナさんはものすごくよく食べる。それでいて、身体はとても華奢だ。でも、触れると、とても柔らかい。触れるといっても、クリスマスに同じソファで音楽を聴いただけだが。 「ゼロス、一人っ子だよね」 「ええ」 僕は、少し哀しい気分になった。一人っ子はわがままで甘えん坊だとか世間は言っているが、僕は、まさにその世間の偏見通りの子供だったから。 「一人っ子だから、大人なのかな」 「大人?」 「そう。古い曲を知ってたり……」 「リナさんは?」 「姉ちゃんが一人いるよ。すっごく怖いんだ。でも、たぶん……あたしのこと、好きでいてくれると思う」 「リナさんがそんなに人を集めてしまうのは、お姉さんのお陰かも知れませんね」 「どういうこと?」 「人に愛されている人には、それ相応の魅力が出る、ということです」 「ゼロスだって愛されてるでしょ? あの綺麗なお母さまに」 「そうですね。でも、リナさんとはやっぱり違うんです」 「ん……」 リナさんは曖昧な返事をして黙った。彼女は、既に僕の父母が離婚していることを知っていた。 「でも、リナさんから愛されたら、僕にも魅力が出るかもしれませんね」 「なっ……なに馬鹿なこと言ってんのよ」 リナさんは紅くなって、僕の後頭部を叩いた。 彼女が照れ屋であることを知っている。彼女は孤独が怖いことを知っている。リナさんのことを一つずつ知るたび、僕は彼女の虜になっていった。 中学校の卒業式の日、式が終わると彼女はまっすぐにうちの離れにやってきた。早い話が一緒に帰ったのだ。彼女は、ポケットから、無理やり押し付けられたのだという金のボタンを取りだして、眺めていた。 「あー、もらってあげれば良かったかな」 「何をですか?」 「ガウリイのクラゲ頭の。第二ボタン」 「欲しかったんですか?」 「まさか。あいつが押しつけてきたのよ。『お前にしか渡せない』って」 「じゃあ、もらってあげればよかったじゃないですか。親友のお願いなんだから」 「ふうん……妬かないんだ」 「妬いてもいいんですか?」 「だって、あたしたち恋人……同士じゃない」 そういう頬が紅い。僕は、その頬に口づけたい衝動を抑える。 (ダメだから。そういうの、絶対だめ。悪いとは思ってるんだけど……だめなの) 彼女の意志に背くことは、僕には出来なかった。 「ゼロスはくれないの? 第二ボタン」 「他の子にあげてしまいました」 「え……そんな」 リナさんはあわてて僕の制服を見る。第二ボタンが無くなっている。 「ひどい、ゼロス。恋人がいるのに、ボタン、他の子にあげるの?」 「恋人? 誰のことですか」 「ゼロス───」 リナさんは泣きそうな顔になる。 「冗談が過ぎましたね」 僕は、ポケットを探る。 「はい、第二ボタン」 離れの狭い窓から、桜の花びらが吹き込んでくる。僕の手から、リナさんの小さな手にくすんだ金の釦が渡った。 「本当の第二ボタン?」 「ええ、もちろん」 「ゼロスはもてるからなあ……本物かな」 「勘弁して下さいよ。本物ですよ」 「じゃあ、あと4つは? 袖のボタンは?」 「女の子たちに取られちゃいました」 「むー。」 リナさんは、そっぽを向く。 「リナさんだってもてるでしょう。リボンタイ、無くなってるじゃないですか」 「これは女の子! おんなじ図書委員の娘たちがはさみで切って少しずつ分けたの」 「女の子……ですか。さすが、リナさんもてますね」 「あたしは、これがあれば満足よ」 リナさんは、掌の中のボタンに口づけた。 「今日も、来ますか?」 「うん。姉ちゃんには、今日も遅くなるって言ってある」 「少ないですが、卒業の音楽を集めました。一緒に聴きましょう」 僕たちは、肩を並べて歩き出した。まだ蕾の桜の木が、薄紅色に染まって見えた。 一通り卒業をテーマにした歌を聴いてしまうと、リナさんは「『White days』をかけて」と言った。 「あれは、ホワイトデーの歌じゃないって……」 「分かってる。聴きたいの」 僕は、遠い国からオークションで僕の手元にやってきた、そのレコードをターンテーブルに乗せた。 凍てつくような 心の中に
いま祈りの 鐘が響くよ
神様 ひとを求めることは
こんなにまでも 寒いものですか
「寒いもの……そうかも知れない」 リナさんは、針が戻ってしまってから、つぶやいた。 「でも、今僕たちは暖かいでしょう?」 リナさんの深紅の瞳が、小さな窓から、春霞の空を見た。 「いまはね」 「リナさん……」 僕は、彼女の柔らかな髪を一房とって口づける。 「ずっと、ずっと、この暖かい時は続くんです。僕が、貴女といる限り……それとも、僕といるのは嫌ですか?」 「まさか」 リナさんは、花のように───まだ咲きはじめの桜のように、微笑んだ。 「生まれてからいままで、ずっと寂しかったわ。ゼロスを求めてた。ずっと探していたのはあんただったのね、きっと」 リナさんは、僕の首に手をかけた。僕は逆らえない。そのまま、唇が重なった。触れるだけのキスは儚くて、彼女はすぐに僕から離れた。 「今日、私たちは一つ大人になったでしょう? だから、お祝い」 「何より嬉しいお祝いですね」 ───神様、ひとを求めることは こんなにまでも 寒いものですか───
僕たちは、同じ高校に進んだ。僕たちの関係は、最初から皆に知れていた。 「学年一の美少女が、もう誰かの物なんてな」 「しかも、そいつは学年二位の秀才だ」 学年一位は、変わらずリナさんだった。 僕たちは、共に離れで勉強した。ときどき僕は、リナさんの髪を一房とって、それにキスした。あの卒業式の日以来、唯一許された、僕たちの接近。抱きしめられることも、キスをされることも、リナさんは嫌がった。 テストの結果がいつものように一位、二位を占めると、リナさんはその果物のような唇を僕の頬に、かすめるようにつけた。ふわりと甘い匂いがする。それが、高校生になってからの僕たちの進歩たっだ。 「待ってね」 リナさんはすまなそうに言った。 「あたし、そういうの、本気で怖いの。純情ぶってるとか思うかもしれないけど……」 「思いませんよ」 僕はリナさんの肩にそっと手を回した。リナさんが身体を固くするのが分かる。僕はその手をどけた。 「何もかも、僕たちのペースでやればいい。時間はたっぷりあるんだから」 「そうね」 リナさんは、どこか上の空で言った。 僕は、せっせと古いレコードをダビングし、リナさんに渡した。リナさんは、それをウォークマンに入れ、くり返しくり返し聴いた。庭の離れで、二人で音楽を聴く時間は、僕たちにとって至福のものだった。僕は、かつて一人でそうしていたことをだんだん忘れていった。 「用事があるの」 ある日曜日、リナさんはそう言って僕の誘いを断った。僕は、もちろん寂しかったが、僕たちに時間は無限にあった。僕は、一人でレコードショップに行こうと思って街に出た。僕はふんだんに小遣いを与えられていたし、そのほとんどはリナさんと聴くレコードに費やされた。 「……だから……って」 聞き覚えのある声が、耳をかすめた。 「この、クラゲ頭!」 少しヒールのあるエナメルの靴で殴られる、綺麗な金髪。 「リナさん……そしてガウリイさん」 僕は、そのオープンカフェに近づこうとして、止めた。僕は、僕がリナさんを独占していることは、自分の身には過ぎたことだと感じていた。だから、何も聞かない。胸からぶら下げていたイヤホンを、耳に突っ込む。聞きたくないことがあるとき、いつもそうしてきたように。 「おはよう、ゼロス」 リナさんは、いつものように話しかけてきた。 「おはようございます、リナさん」 「昨日はごめんね、ゼロス。どうしても外せない用事があって」 (知ってますよ) 言ってしまいそうな言葉を、口に出さずに、僕は答える。 「街に行きましたか?」 「うん、行った。え、まさか、ゼロスも街にいたの!?」 リナさんは少しうろたえる。その態度が、痛いほどに僕を傷つける。 「いえ、ずっと家でレコードを聴いていました」 嘘をつく。 「なんだ、良かった」 「リナさん」 僕は、朝の通学路でリナさんを抱きしめた。その紅い唇に、そっと唇を重ねる。そして離す。 「な、なんなの? ゼロス」 うろたえるリナさんも、可愛いと思う。でも、彼女は怒ってしまったようだった。 「ゼロス、あんた、何のつもりよ! そんなことしない奴だと思ってたのに! 恥ずかしいじゃない、まったくもう」 耳まで真っ赤にしてぶつぶつ言う。 「すみません。リナさん、貴女は……」 「何。言うなら最後まで言ってよ」 (僕のものですよね?) 言えない言葉。だからごまかす。 「本当に可愛いですね」 「ええい、恥ずかしい!!」 昨日ガウリイさんにしたのと同じように、リナさんはエナメルの靴で僕の後頭部を叩いた。 「今年のクリスマスはどうしますか?」 「……立ち直りの早い奴。そうね、一緒にいましょう。でも、さっきみたいなことしたら許さないから」 「リナさん」 僕は立ち止まる。ゆっくり歩いていた僕らを、ほとんどの生徒が追い越していった。まわりには誰もいない。 「ゼロス、遅刻しちゃう。詳しい話なら、後でゆっくり聞くから」 「僕は、貴女のペースに合わせようとずっと気を遣ってきた」 「だったら、今も、気を遣ってよ。遅刻……」 「もう、僕は我慢の限界なんです、リナさん」 「……何の」 「抱かせてくれ、とは言いません。クリスマスプレゼントに、貴女の何も着ていない姿が見たいんです」 「……それは」 「さあ、急ぎましょう。遅刻しそうです」 「ゼロス、その事だけど……」 「ゆっくり考えて、返事をして下さい。さあ、走りましょう」 到底無理な願いを口に出したのは、ガウリイさんのせいだった。僕は、彼女を手に入れたかったのだ。決定的に。他の誰にも負けないくらいに。 実はジャズに全然詳しくない私は、この小説を書くのに村上春樹さんの小説を一生懸命読んで、ジャズのサイトをせっせと回って、にわか知識で書いています。でも、憧れるんです。ジャズに詳しいお姉さんってのに。(そういう歳か!?) 『国境の南、太陽の西』というジャズ・アルバムも作られました。せっせと聴きこんだけど、ジャズに詳しいお姉さん(という歳か)にはまだなれていません。 |