White days…［２］



離れの中を掃除機で引っかき回し、乱雑にしていたテーブルを片づけ、山のようなレコードの中からクリスマスナンバーを選び出す。結構な数のそれらを、レコードプレイヤーの乗った棚に立てかける。裏庭の小屋に積んであった乾いた薪を、暖炉の仲にセットする。それから、デパートで買ってきた小さなクリスマスツリーをテーブルの上に飾る。
「乗り気ねえ」
母様はからかうように言う。
「あなたの初恋かしら？」
「ええ、初恋です」
「素敵な娘？」
「見れば分かりますよ」
「ぜひ、紹介してね」
「あ、でも……」
僕は焦った。
「彼女は、僕の恋人というわけではないんです。クラスメイトですよ」
「でも、一緒にイヴを過ごしてくれるんでしょう？　脈ありじゃない？」
「気まぐれですよ、きっと。それに、最近古いジャズに興味を持ってくれたみたいだから」
母様はびしっと僕を指さす。
「甘いわね、ゼロス！　今時の女の子が理由もなく外国の懐メロにはまるわけないでしょう！　その娘は音楽じゃなくて、あなたのことが好きなのよ」
「そうだったらいいんですけどね。あ、本箱を動かしますからほこりが出ますよ。母様アレルギー気味でしょう」
「イヴには絶対に会わせてね。約束よ」
僕は本棚の後ろに掃除機をかけ、年相応に一応持っているＨな雑誌を隠した。


僕たちは学校の正門で待ち合わせた。冬休みに入った学校は、運動場の方こそ部活をやっている連中でにぎわっているが、門の前は誰も通らない。４日前の終業式の時に、リナさんは僕に近寄ってきてささやいた。
「ほんとに、あたしとイヴを過ごしてくれるの？　他に、ガールフレンドとかいないの？」
「いませんよ」
「本当かなあ」
リナさんは、じっと僕の目をのぞき込んだ。その美しい深紅は、薔薇の花のようだ、と僕は思った。
「僕は、クラスでも浮いてますからね。つきあう女の子なんて……」
「それは違うわ、ゼロス」
リナさんは指を振った。
「あんた、クラスの女の子にすごーく人気あるのよ。頭いいし、顔もいいし、声だって素敵だし」
「人気があることは知ってます。でも、そのせいで男子からは良く思われてないみたいですね。それに、頭がいいなんて、ずっと僕よりいい成績を取り続けているリナさんに言われたくないですよ」
「もしかして……ゼロス、あたしのこと、嫌い？　あたし、図々しいところあるから。音楽も、無理矢理聴かれて、いやじゃなかった？」
僕はくすくすと笑った。
「僕は、絶対にあなたのことを迷惑だなんて思いませんよ」
「……何で」
「それは、秘密です」
「あのねえ……」
始業のベルが鳴った。リナさんは、釈然としない顔で席へ戻っていった。

「おいリナ、クリスマスイヴはどうすんだ。去年みたいに、どっかの店を借り切って盛り上がるか？」
金髪の天使がリナさんに話しかけている。
「ごめんね、イヴには先約があるの」
「お前に……先約？　どこ、行くんだ」
「秘密」
「家族と過ごすのか？」
「秘密だって言ってるじゃない」
「……まあいいや。俺は、クラスメイトとどっかのスナックでも借りて騒ぐから」
「補導されないでね。お酒飲んじゃダメよ」
「お前が来ないんじゃな。楽しさも半減だ」
ガウリイ＝ガブリエフはリナさんの前髪に指を入れてかき回した。


イヴの待ち合わせは、正門前に朝の十時。僕は、家にいても落ち着かないので、３０分前に学校に着いた。寒いのに、やけに手のひらに汗をかく。僕は、火照った手のひらを冷たい空気にさらすために手袋を脱いだ。
約束の時間まであと１０分、というところで後ろから肩を叩かれた。
「ゼロス、お待たせ。……うーん、待たせないように早めに来たのになあ」
「リナさんを待たせるわけにはいきませんよ」
紅い手袋をはめた手に、白い直方体の紙箱を提げている。僕たちは歩き出す。
「それは、ケーキですか？」
「うん、自信作よ。……ていうか、失敗作を何度も作っちゃったから」
「リナさんでも失敗するんですか？」
「あたしは完璧な人間じゃないんだもん。失敗くらいするわ。でも、そこそこいい出来のが作れて良かった」
「楽しみですね」
僕たちはバスに乗った。イヴのバスは混雑している。僕は、リナさんとケーキがつぶれないように守った。バスを降りると、リナさんは少し顔を赤らめて言った。
「ゼロス、やっぱり男の子だね。強いんだ」
「男なら誰だって、リナさんを守りたくなりますよ。それに、その手作りのケーキもね」
数分歩くと僕の家に着く。リナさんは目を見張った。
「おっきな門！　綺麗な庭！　大きな家……」
「リナさん、こっちこっち」
門の脇の通用口から敷地内に入る。母様に言われたとおり、まずは母屋に顔を出す。
「リナさん、これが母です。母様、この人が今日僕と過ごしてくれるリナ＝インバースさんです」
「リナ＝インバースさん、ですって！？」
母様が目を見開く。
「中学三年間通して、成績であなたが勝てなかった娘じゃないの。よくまあ、ついてきてくれたものね。リナちゃん、せっかくのイヴをゼロスなんかと過ごしていいの？」
「ゼロスくんはすごく優しいし、かっこいいです。あたしの方が気後れしそうなくらい。それに、お母さまもとても綺麗で」
「こうも可愛い女の子に褒められると、嬉しさもひとしおね。さて、これからあなたたちは離れに行くの？」
「ええ。リナさんはレコードを聴きに来たんですから」
「リナちゃんに変なことしちゃ、駄目よ」
「母様！」
母様はくすくす笑って母屋の奥へ引っ込んでいった。
「ゼロスの離れはどこにあるの？」
「あれです」
「素敵ね。煉瓦造り。あ、煙突がある」
「暖炉があるんです」
「ねえ、それ、使える？」
「今日のためにちゃんと薪も運んでおきましたよ」
「素敵。ありがとう───おじゃまします」
黒のベルベットのくしゃくしゃしたブーツを脱いで、リナさんは僕の離れに入ってきた。ここに入る、初めての家族以外の人。それがリナさんで良かった、と僕は思う。新聞紙をひねって、ライターで火をつけ、暖炉の薪の下に入れる。パチパチと木のはぜる音がして、部屋の中が暖かくなった。僕たちはコートを脱ぐ。リナさんは紅茶色の髪によく似合うピンクのぴったりしたセーターに、チェックのミニスカート、という姿だった。小ぶりな胸。華奢な身体。いつも窓辺の席からちらちら眺めていたあの存在が、ここにある。
「とりあえず、お茶でも淹れましょう。ケーキを食べたいし」
「あ、あたしが───」
「ここは僕の部屋です。僕の方が慣れています」
リナさんをソファに座らせ、僕は熱い紅茶を淹れた。リナさんは、白い箱から、木の幹をかたどったケーキを取り出す。
「これ、なんとか、っていいますよね」
「ブッシュ・ド・ノエル。見ての通り、樹の形をしているの」
リナさんは、小箱の底から金色の細い蝋燭を取り出して、ケーキに立てる。
「ライターかマッチ、あるわよね」
「さっき暖炉に火を入れましたからね。古いマッチですが、しっかり火はつきますよ」
リナさんがケーキの上の蝋燭に火をともすと、僕は離れの電灯のスイッチを切った。部屋の中は、暖炉の温かな光と、蝋燭の儚い光に満たされた。
「それで？蝋燭をどうするんですか」
「あ」
リナさんは、暖炉の光でも分かるほど紅くなった。
「そういえば、クリスマスケーキには蝋燭立てないわよね。ケーキ用品売場に並んでたから買っちゃったけど、あれはバースデーケーキ用だったんだ。やだ、恥ずかしい……」
「いいじゃないですか、今日も誕生日ですよ」
「え？」
「聖なる人の」
リナさんは、照れたように微笑んだ。
「それもそうか。じゃ、吹き消しましょうか。ケーキに蝋が付いちゃう……どっちが吹き消すの？」
「二人で、同時に」
僕たちは肩を寄せ合って、ブッシュ・ド・ノエルの上の金の蝋燭を吹き消した。

僕が刺しだしたナイフで、リナさんは端の方からケーキを切り分けた。
「甘いものとか、チョコレートとか、苦手だったりしない？」
「全然。大好きですよ」
「よかった……」
皿にケーキをとりわけ、僕たちは古びたテーブルの前に座った。
「じゃあ、リナさん、いただきます」
「どうぞ。まずくはないと思うんだけど……」
僕は、フォークを口に入れた。甘すぎず、苦すぎず、上品なチョコレートの風味が口に広がった。
「おいしい……です」
「ほんとに？　お世辞じゃなくて？」
「自分でも味見したんでしょう？」
「したけど……ゼロスの口に合うか分からなかった。美味しいのね？」
「今まで買って食べたどんなケーキよりも美味しいですよ」
リナさんは安心したように自分のケーキを口に運んだ。
「ねえ、クリスマスの音楽をかけて」
「今日のためにレコード棚をひっくり返しましたよ」
僕は立ち上がると、レコードを一枚取りだし、ターンテーブルをまわしながら天鵞絨のブラシで埃を取った。ジャケットとにらみ合わせて、エラ・フィッツジェラルドの「ホワット・アー・ユー・ドゥーイング・ニュー・イヤーズ・イヴ」をかけた。リナさんはケーキをもぐもぐ食べながらそれを聴き、食べ終わると自分でもう一切れケーキを切った。
「うん、我ながら美味しいわ……綺麗な声。これはなんて曲なの？」
「ああ、これは……」
僕たちは、曲が変わるたびに会話を交わし、そして音楽に耳を澄ませた。リナさんのブッシュ・ド・ノエルは少しずつ減っていった。
「すごく、いいな、ゼロスのその姿」
「何ですか？　リナさん」
「レコードをしまうときの仕草。一周ブラシをかけて、スプレーをかけて、ビニールに入れて、ジャケットにしまう。ひとつひとつの仕草がとても丁寧で───見ていて気持ちいいの」
「そう言ってもらえるだけで嬉しいですよ」
リナさんは、暖炉に照らされた橙色の頬をして言った。
「ゼロスは、たいていいつも仕草は綺麗なんだけど」
「え……っ。いつ、僕の仕草なんて見てるんですか？」
「何言ってるの、同じクラスじゃない。仕草くらい見るわよ」
僕は呆然として言った。
「リナさんは、いつも友だちに囲まれていて、僕の方なんか見ないじゃないですか」
「ゼロスは、時々あたしの方を見るよね、その紫の瞳で」
僕は、頬が熱くなるのを感じた。
「でも、あたしが気づいてゼロスの方を見る頃には、もう目を閉じて音楽に集中してる。だから、あたしはそっとゼロスの仕草を見てたの。ウォークマンを扱う丁寧な指とか、すぐに窓を開けてその綺麗な黒い髪を風に揺らせてたり……あたしは、あんたを見てた。悪いかな、とも思ったけど、いいよね。お互い様だもの」
「気づかれてたんですね……」
「別にいいじゃない。あたし、ゼロスから見られて悪い気はしなかったわ」
「どうして」
「それは、秘密です」
リナさんはくすくすと笑った。その笑顔は本当にあどけなくて───僕は、立ち上がって彼女の肩を抱き寄せた。
「ゼロス……」
見開く深紅の瞳に惑わされて、僕は彼女の唇に唇を近づける。と、肩を強く押された。
「だめ」
「す、すみません。急に貴女が愛おしくなって」
「ごめんなさい。中３にもなって、キスが出来ないなんて変よね。でも、出来ないの」
「僕のことを好きじゃないから、ですか？」
「えっ、違う。違うわ、ゼロス」
僕はふっと笑った。
「それは、遠回しな告白と受け取っていいんでしょうか？」
自分の言ったことに気づいて、リナさんは真っ赤になる。
「そーよ。あたしはあんたが好き。とは言っても、まだ何にもあんたのこと、知らないんだけど」
「僕もリナさんが好きですよ」
「え、え……っと、そういう意味で？　友だちとして、じゃなく？」
「はい」
「まったくもう、今日言うつもりなんて無かったのにな。ずっと黙ってた今までが馬鹿みたい」
「ずっと？」
「……最初は、中学校の入学式で。なんて綺麗な男の子なんだろう、って。それから、修学旅行で思い切って、一緒に写真に入ってくれるように頼んだら、優しくＯＫしてくれて」
そのことは、僕も覚えている。リナさんは、クラスメイト皆に声をかけていた。僕も、僕だけ一緒に写らないのはおかしいから誘われたんだ、としか思っていなかった。あの時の写真を、僕は大事に机の引き出しにしまっている。
「あの時の写真、あたしの机の引き出しにしまってるの。お気に入りのポプリと一緒に」
リナさんは、長い、ゆるやかにウェーブした紅茶色の髪をかき上げる。
「あたしたち、両思いだった、ってことでいいのかな」
「そのようですね」
僕は、彼女の髪を一房とって、それに口づけた。それだけでも彼女は耳まで紅くした。
「ごめんね、キスしてあげられなくて」
「いいんです、こう言うことは個人のペースですから」
僕は、次のレコードをかけた。
「この曲は？」
「『White days』です」
「ホワイトデーの歌？」
「まさか。ずいぶん昔の曲ですよ」
「知らない言葉。どういう意味なんだろう───白い日々」
「ここに訳詞がありますよ」
リナさんは、僕の手元をのぞき込んだ。
「『神様ひとを求めることは……こんなにまでも、寒いものですか』……寂しい詩ね。これも、クリスマスソングなの？」
「ええ。遠い国の」
やがて、『White days』が終わる。その時僕たちは気づいた。窓の外に、雪が舞っていた。時刻は、夕方になっていた。
「ホワイト・クリスマスになるのね。積もるかしら」
「こんなに寒ければ、積もるでしょう」
「ねえ、あの曲をかけて。あたしが、お願いして最初に聴かせてもらった曲を」
「『スタークロスト・ラヴァーズ』ですね。でもあれは、クリスマスとも雪とも関係ありませんよ」
「いいから」
僕は黙って彼女に従った。そして、肩を寄せ合って聴いた。悲しい恋の歌を。
「リナちゃん、ゼロス、ターキーが焼けたわよ。母屋へどうぞ」
母様が顔を出した。僕たちは、手をつないで、母屋への渡り廊下を渡った。雪はまだ降り続いて、渡り廊下に吹き込んだ。




『White days』は渡辺美里さんの曲です。『flowerbed』というアルバムに入っています。全然ジャズではありませんが、とても綺麗な曲です。作曲は、今をときめく伊秩弘将さんです。
伊秩弘将さん、と言えば「speed」の曲を作られていた方ですね。アレンジもとても綺麗で、冬景色を感じさせます。


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