tiny tiny tiny［４］
一人の魔法剣士が、丘のふもとから頂上の一軒家を眺めた。煙突から、薄く煙が上がっている。彼は、ゆっくりと丘を登り始めた。 ほんの少し前。魔法剣士はセイルーン城をおとずれていた。 「畏れながら、アメリア姫にお目通りかなわないでしょうか」 「名前を」 「ゼルガディス＝グレイワーズです」 「お待ちを」 やがて、従者は、慌てた顔をして戻ってきた。 「アメリア姫の親しい方とは知らず、無礼をいたしました。姫は、部屋でお会いになるそうです。ご案内します。こちらへ」 光射す中庭を抜けて、さらに奥へ。アメリアの部屋の窓は開かれ、風が吹き込んでいる。ドレスの裾を軽く持ち上げ、少女が振り返った。銀のティアラが陽光にきらめいた。 「ゼルガディスさん」 アメリアは駆け寄ってきた。大きな黒い瞳に、涙が溢れた。 「あなたは、まだ知らないんですね」 「……？ 何をだ」 「ガウリイさんは……そしてリナさんは」 腕の中に飛び込んでくる小さな身体を支えて、ゼルガディスは問うた。 「いったい、あいつらに何があったんだ？」 素朴な木造りのドアを前に、ゼルガディスはためらった。そして、ノックする。内側からドアが開いた。 「ゼロス、か……」 「これはお久しぶりです、ゼルガディスさん。さあ、中へ」 手編みらしいセーターを着たゼロスは、ゼルガディスに熱い紅茶をすすめた。 「なんだ、その格好は。今は神官衣は着ていないのか」 「このセーターはリナさんの手編みですよ」 「……ふん」 「編み上がるまでに『ガウリイさんが帰ってくれば』これはガウリイさんのものになる予定だったんです。でも、彼は『帰ってこなかった』。それで、少しサイズを編み直して、僕にプレゼントしてくれたんです」 「リナは、ガウリイのサイズなんて分かったのか」 「『覚えてる』って言ってました。『何度も何度も抱きしめた肩だもの。覚えてる』って」 「リナに会わせてくれ」 「今は眠っていますから。起こさないなら」 「顔を見るだけでいい」 二人は、そっとリナの部屋のドアを開けた。 「ゼルガディスさん、しばらく彼女を見ていてください」 「……お前は」 「一雨来そうなので、その前に街で夕食の材料を買ってきます。ここで、食べて行かれますね？」 「ああ、馳走になる」 「では……」 ゼロスの身体が空間に溶けた。 「リナ」 子供のような安らかな寝顔のリナに、そっと話しかける。 「誰よりも強く、明るかったお前が……」 しばらく、リナの顔を見つめ続ける。空は暗く、遠くから薄く雷光が見えた。リナのベッドのサイドテーブルに、布で作られた人形があった。ゼルガディスは何となくそれを手に取る。丸っこい人形の髪は、まばゆい金の糸で出来ていた。薄青色の服。瞳には、蒼いガラスのビーズ玉。 ……リナの瞳が、ふっと開いた。 「ガウリイ……？」 その目が、ゼルガディスを見る。 「ゼル」 軽く頭を振って、天井に視線を戻す。 「今度こそ、ガウリイが来てくれたと思ったんだけどな。旅人の、土埃の匂いがしたもの。でも、ゼル。来てくれて、嬉しいわ」 「俺もお前に会えて嬉しい」 「あ、その人形……」 「これは……旦那か？」 「当たり。産まれてくる子供のおもちゃにしようと思って作ったの。金の糸をゼロスに探してもらったんだけど、大変だったわ。ただの黄色い糸で作るのは嫌だったの。ガウリイのあのお日様のような髪の毛……。ゼフィール王城御用達の問屋でやっとその糸を見つけてもらったの。綺麗でしょ？」 「ああ、綺麗だ」 しばらく沈黙が続いた。リナが、ベッドに横たわったまま、深紅の瞳をゼルガディスに向けた。 「ゼルは、言わないのね、何も。元に戻れ、だの、ガウリイはいない、だの」 「…………」 「ゼロスは？」 「買い物だそうだ」 「どれくらい前に出ていった？」 「１５分、ってとこか」 「ん……」 リナは、歌うようにつぶやいた。 「ガウリイは、もう帰っては来ない」 「リナ……？」 「あたしの中に、ガウリイとあたしの赤ちゃんはもういない」 「リナ！ お前、正気……」 リナは哀しげに微笑んだ。 「たぶん、あんたたちが言ってる『正気』とは違うと思うわ。あたしは、ガウリイが死んだなんて信じてない。でも、それを言うとあたしの家族も、アメリアも、辛そうな顔をする。受けとめてくれるのはゼロスだけ。あたしは、きっと狂気の中にいるんだわ。ガウリイが帰ってくる日を待ち望んで、日々を生きる」 「リナ……旦那がいなくなっても、お前は生きていけるはずだ」 ふっ、とリナの唇が笑みを作る。 「それは、無理。ガウリイは、あたしの全てだった。あたしは、生きるために狂気する。……それとも、今、あんたが助けてくれる？」 「俺は何をすればいい」 「殺して」 「なっ……」 「いつ果てるともない狂気の中で、ただくるおしく一人の人を待ち続ける、この閉じた人生。あたしは、疲れたの。眠りたいのよ」 すがる瞳の中に自分の姿を見いだして、ゼルガディスは顔を背けた。 「なぜ、自殺しなかった」 「死んで、混沌の海に溶けて、そこでガウリイに巡り会えなかったら……と思うと怖かった。それに、ゼロスを傷つけたくなかった」 「ゼロスを？」 「あいつ……あたしを甘やかすの。あたしの『本気の嘘』にもつきあってくれる。あたしが自殺したら、あいつはきっと、自分の間違いを責めるでしょう。あたしは、あいつにそんな責を負わせたくなかった」 「俺がお前を殺しても、ゼロスは傷つくと思う」 「あたしが自殺するよりマシよ。こんなあたしは間違ってるから斬った、って伝えて」 「俺がゼロスに恨まれる」 「……きっとゼロスはあんたのことを恨んだりはしないわ。あたしの最後のわがまま、聞いてもらえない？ こんなこと、ゼルにしか頼めない。偽りの人生に終止符を打って」 リナは、細い指でゼルガディスの腰の剣に触れる。 「お願いよ」 「───っ」 ゼルガディスは剣を抜いた。リナは、枕に頭を埋め、少し毛布を下げて、左胸を指さした。 「ここを貫いて」 「リナ」 「早く」 「本当に、本当にこうするしかないのか？ お前が生きていける道はないのか！？」 「あたしは、もうとうの昔に死んでしまった卵を温め続けているだけ。幽霊なのよ。さあ、この終わってしまった世界から、あたしを切り離して」 ゼルガディスは、剣を構えた。そして、切っ先をリナの胸に向け、目を閉じて刃を突きだした。……はずだった。強い力が、ゼルガディスの腕を掴んでいる。ゼロスだった。 「……放せ、ゼロス」 「放しません。剣を納めて下さい」 「これはリナが望んだことなんだ！」 ゼロスは素手で刃を掴み、ゼルガディスから剣をもぎ取った。黒い炎。剣が消滅する。 「ゼロス、おかえり」 「ええ、リナさん、ただいま。今、晩ご飯を作りますからね。リナさんはもうしばらく休んでいて下さい。ゼルガディスさん、こちらへ」 ゼルガディスは、リナの目を見た。もうそこには、さっきまであった光は消え失せていた。 「リナ、言ってくれ」 リナの瞳は動かない。 「もう一度、俺に殺してくれって言ってくれ！」 リナはくるりと壁の方を向き、肩まで毛布に入った。 あなたと雲の上国へ……
歩けば、どこまでも上へ……
食堂に隣接したキッチンに、ゼロスは入っていった。肉や野菜を手際よく片づけていく。その姿を、ゼルガディスは苦々しく見つめていた。 「お前は、リナを愛しているのか」 「分かりません」 「抜けがらになったリナを手に入れて満足か！！」 「何とでも言ってください」 ゼロスは、豆の莢から筋を取りながら、つぶやくように言った。 「これが、僕の愛し方です。あなたがたには虚飾にまみれ、不快を感じさせるものかも知れませんが。リナさんのハッピーエンドのはずだった物語の最終章は、いつまでもお預けです。───もちろん、リナさんはある日正気に戻るかも知れません。そうなったら、僕は消えます。僕は、……リナさんと幻想を共有する」 鍋を火にかけながら語り続けるゼロス。ゼルガディスは言葉の切れ目を待って、ゼロスに言った。 「リナはお前なんて見ていない。ずっとガウリイの旦那しか見ていない。リナは……リナはお前を哀れんでいるんだ。お前がリナに執着するから、リナは狂気から抜け出せないんだ！！」 「知ってますよ」 「下衆が……！」 優しい食べ物の匂いが厨房に立ちこめる。 「僕の愛し方が下衆というのなら、あなたの愛し方は殺人鬼だ。リナさんをあやめて、それでリナさんが救われる、というのがあなたの考えた最良の道ですか？」 「……最良とは思わない。ただ、リナが願ったから」 ゼロスは、鍋を火から降ろした。 「リナさんが正気に返る可能性すら捨てて？」 「リナを狂気に閉じ込めているのはお前だ！」 「僕には、そうすることしかできない」 ゼロスは、闇紫の瞳をゼルガディスに向けた。 「狂っているのは僕なのかも知れませんね」 ゼルガディスは、腰に手をやった。そして、自分の剣がすでにゼロスによって燃やし尽くされたことを思い出す。それでも。 「リナを連れていく」 「どうやって」 「お前を倒して、リナを連れていく！」 「あなたの力では僕には勝てませんよ。くだらないことを言っていないで、晩ご飯を食べましょう。リナさんはお腹をすかせているはずです」 口の中で詠唱を終えたゼルガディスが叫ぶ。 「ラ・ティルト！」 こおおおっ。蒼白い光がゼロスを包む。ゼロスは光の中で、薄く微笑んだ。 「僕に効くとでも？」 光が消えると、ドアが開いた。リナが厨房の中をのぞき込んだ。 「喧嘩してたの？ ゼル、ゼロス」 「何でもありませんよ。さあ、夕食にしましょう」 「ええ」 ゼルガディスは、身体の力が抜けていくのを感じた。 「ゼルガディスさんも来て下さい。冷めますよ」 無言でテーブルにつき、スプーンを口に運ぶ。何の味もしない。 「おいしいわ、ゼロス」 「良かった。たくさん食べて下さいね」 「ええ、」 リナはお腹に触れる。 「この子のために」 「邪魔したな。いつかまた、来るかも知れない」 「ゼル、会えて嬉しかったわ。本当よ」 そしてリナは背伸びして、ゼルガディスの岩の頬にキスをする。 「ありがとう」 小さな囁きが、ゼルガディスの耳元を風のように擦っていった。ゼロスが、リナの後ろに立ち、リナの肩に手をかける。 「ごきげんよう、ゼルガディスさん」 そしてドアは閉ざされた。狂気と哀しみの家のドアは。 「ねえゼロス、もうすぐガウリイは帰ってくるわよね？」 「そしたら、全てがまた、動き出すわ。その時まで、側にいて。ね？」 「まだ小さな小さな、小さなこの子と一緒に……」 バッドエンドなのかそうでないのか、いつかリナちゃんは正気に戻るのか否か、それは……決めていません。誰一人幸せにならない話を書いてしまった。もっと明るい話が書けるように精進します。  |