遠い旅路の目的地[８]






　十年が、あっという間に過ぎた。リナは、ずっと娼婦だった。街から街へと、渡り歩いた。ゼロスは見つからない。でも希望は捨てない。自分には、無限の時間がある。夜は男たちを悦楽へ導く。眠る。昼間はただ、街ゆく人をみつめる。そのくり返し。果てしのないくり返し。眠れない夜、時間の重みが彼女にのしかかる。こうやって、どれだけ探せばいい？　何十年……何百年。何千年？　この世が滅ぶ、その時まで？
「見つけた」
　そう言って、一人の男が部屋に入ってきた。
「もう、放さない」
　男は、そう言って、リナを堅く抱きしめた。
「ずっと、探した。見つからないかと思った。でも、信じてたんだ。どこかで会えるって」
　リナは、男の頬に手を添えた。
「久しぶりね、ガウリイ」
　懐かしい汗の匂いをかいで、そっとその身体を離す。
「どうやって、ここが？」
「まさかこんな仕事してるとは思わなかったから、なかなか見つからなかった。あちこちの街で、魔導士協会の名簿を見せてもらって。そうしている内に、ミンシアって女に会ったんだ」
「そう……ミンシア。懐かしい」
　ミンシア。その包み込むような優しさが、どこか目の前の男に似ていた事を思い出す。
「お前は、魔力を持っていなかったと聞いた。もう、いろんな二つ名で呼ばれていないと聞いた。そして、俺は今度はあらゆる街の娼館を当たった。お前の噂は、色々なところで聞いたよ。顔もガキのまま、胸もちっさいままだってな。そして、今日、やっとお前のいるここにたどり着いたんだ」
　熱心に語りかけるガウリイ。背中を向けて、グラスを酒で満たしているリナ。
「なあリナ、俺はずっと言えなかったことを言うよ。俺と一緒に来い。俺が、お前を幸せにするんだ。……俺と一緒になってくれ」
「……出来ないわ」
「好きな男がいるのか」
「知ってるはずよ」
「……ゼロス、か」
　ガウリイは、ベッドに腰掛けた。
「ゼロスは、なぜお前がこんな仕事をすることを許している？　あいつはお前を幸せにしてるのか？」
「ゼロスはいない。あたしは、ゼロスを探して世界中を旅しているのよ」
「いない？」
「輪廻の中にいる。今も、どこかで、人間として暮らしている」
「リナ」
　ガウリイの瞳はいつも優しい。夏の青空の瞳。きらめく太陽の髪。
「俺は金を貯めた。どこか田舎に家を買おう。俺に似た子供と、お前に似た子供を作ろう。畑で、野菜や果物を作って過ごそう」
「……ガウリイ、だめよ」
「馬鹿。凄く疲れてるぞ、お前」
　リナは酒を注ぐ手を止めた。
「こんな広い世界で、たった一人を見つける事なんて出来ないよ。俺と、暮らそう。俺の腕の中で、ゆっくり休むんだ。その人形みたいになっちまった紅い瞳が、また宝石のように綺麗になるまで」
「あたしは、もうガウリイに優しくしてもらう価値はないの。汚れてしまったのよ。あんたの知ってる、昔のリナはもういないわ。ここにいるあたしは、陽炎のような物なの」
「価値がない？」
　ガウリイは、リナを後ろから抱きしめる。
「俺はお前に何の条件も求めない。お前が一人で勝手に、汚れたっていっても俺は信じない。お前はいつも強く、明るかった。今からだって、そうなれるはずさ」
　リナは微笑んで振り向いた。ガウリイの顔が明るくなる。
「そうね。そうかも知れない。ね、ガウリイ。再会を祝して、乾杯しましょう」
　ガウリイはグラスを手に取り、リナのグラスにぶつけた。涼しい音が響く。ガウリイは一気に白ワインを飲み干す。
「じゃあ、こんなところからは……離れて……」
　ガウリイの身体から、力が抜けた。ベッドの上にどさりと倒れ込む。意識ははっきりしている。
「何……なんだ、これは」
　リナは薄く笑みを浮かべてガウリイを見ている。
「何を……飲ませた、リナ……」
「ちょっとした薬よ。娼館ではたまに使うの。人形のように逆らわない女を好む殿方のためにね」
「何を……する気だ。俺から逃げる……のか」
「逃げないわ」
　リナは、透けるネグリジェを脱ぎ捨てる。ガーターベルトと靴下だけになって、ガウリイにのしかかる。
「あんたには、言っても分からないと思ったのよ。どれだけあたしが汚れてしまったか。だから、教えてあげる。今の、汚らしいあたしを」
「やめ……」
リナは、ガウリイの服を脱がせていく。その手は、魔法のようにあちこちを愛撫する。ガウリイは、逆らえないまま小さくうめき声を上げる。愛撫に尖った乳首に、リナの舌が絡みつく。細い指が、ペニスを握り、ゆっくりと上下する。
「やめろ、リナ……俺は、お前とこんな事はしたく……ないんだ」
「さっき、子供をつくろう、と言ったくせに？」
リナは唇をゆがめて笑う。そして、その唇をペニスに絡める。十数年の娼婦の経験が、男の一番感じる舐め方を知っている。ガウリイは、力無くリナの髪に指を絡める。払いのけようとしても、力が入らない。そして、身体の快楽はどんどん一点に集中していく。
「ああ……」
「可愛いわ、ガウリイ……あたしの可愛いお人形」
　そう言って、リナはガウリイの茎をきつく吸い上げた。
「う、ああ……っ」
　リナはガウリイの精液を、淫猥な音を立てて飲み込む。
「美味しいわ。でも、まだ満足なんてしないでしょう？」
　リナの舌技に、もう一度ガウリイの男根がそそり立つ。
「やめ……ろ……」
　ガウリイの眼には、薄く涙が浮かんでいた。リナは、充分に大きくなったガウリイのそれを手で何度かしごくと、下着を取ってガウリイの身体の上に乗った。柔らかな、それでいてきついほどに狭い、リナの身体がガウリイを包み込む。
「お前の……やっていることは……強姦だ……！」
「そうよ。あたしはガウリイを強姦してるの」
リナは身体を動かし、甘い声を上げる。ガウリイは、快楽に耐えるように唇を噛む。しかし、快楽はガウリイの身体をとろかし、心を浸食していく。
「なぜ……こんな……」
「たくさんの男が、あたしを強姦した。そしてあたしは、どんなにひどく汚されても、快感に浅ましく声を上げる女になった」
　人形のようなリナの目。
「だから、あんたにも味あわせてあげるの。あたしが、どんな気持ちだったか。汚れるって言うのは、どういうことなのか」
「……くっ」
　ガウリイのものから温かい精液が飛び散り、リナの身体の奥を叩いた。
「元に帰れない、というのはどういうことなのか」

　ガウリイの身体を布で清めると、リナはネグリジェをまとってガウリイの隣に滑り込んだ。やがて、幼い寝息がガウリイの腕にかかった。ガウリイは、次第に力が戻ってくるのを感じた。それでも、動けなかった。リナの中に何度も射精した事を思うと、涙が溢れてきた。朝は、早く訪れた。ガウリイは、眠っていなかった。リナの腕をほどいてそっと起きあがり、荷物から剣を取り出した。
　リナは目を開いた。ガウリイが、リナの首筋に剣をあてがっている。リナはふっと笑った。
「あたしを、殺すの？」
「愛してる」
「馬鹿みたい」
「愛してるんだ、リナ。離れている間も、俺はお前のことだけを想っていた」
「……で？」
「俺と一緒に来い。来る、と言わないのなら、殺す」
「殺せば」
「本気だ」
「最低の男」
「リナ……お前は、変わってない。お前のままだ……」
「言っとくけど、あたしは死なないわよ」
「……何」
「魔族と、不死の契約を交わしたの。あたしは、たとえあんたのその斬妖剣（ブラスト・ソード）でも死なない」
「魔族。誰とだ」
「獣王。ゼラス＝メタリオム」
「……」
　ガウリイは、剣を納めた。そのまま、リナの横に座り込む。
「リナ……許してくれ。俺は……俺は」
　リナは、ガウリイの手に乳白色の珠を握らせた。
「……なんだ、これは」
「契約の石」
　ガウリイの身体が震える。
「あたしが憎いなら、それを壊して。それはあたしの命よ。好きにして」
　リナは目を閉じた。ガウリイは、珠を掴んだ腕を振り上げる。そして、ゆっくりとその腕を下ろした。
「……帰るよ」
　ガウリイは、リナに珠を返した。そして、ふらふらとドアを出ていった。
（これでいい）
　リナは、痛む胸を押さえた。本当に痛んでいたのかどうかも、分からない。
（ガウリイを、傷つけた。あたしは、どんどん罪深い女になっていく）
　でも、生き続ける。それだけが、さだめだから。


「リナァ、ジューグンイアンフって知ってる？」
「知ってるわよ。何、今募集してるの」
　戦争が始まっていた。国は慌ただしくなり、国境は封鎖された。娼館の客も減った。
「なんか、戦争に行った先でぇ、リャクダツとか、ゴーカンとかしないように、国から娼婦を連れて行くんだってぇ。リナも行く？　お給料いいよぉ？」
「行くわ」
「だよねぇ。ここにいたって、お金減って行くばっかりなんだものぉ。一緒に行こうね、リナ」
「リリムは、貯めたお金で何買うの？」
「男。いい男釣って、町はずれの綺麗な家で、幸せに暮らすんだぁ。やっぱ、女の夢はそれでしょ。リナはぁ？　好きな男いる？」
「いるわ」
「いいなぁ。どこにいるのぉ？」
「ちょっとね、今は離れてるけど」
「会えるといいねぇ」
「ありがとう」

　かび臭い、不潔な小屋。藁布団の上で、言葉もなく男と情を交わす。一人を見送ると、また一人。何人もの同僚が、疫病で死んだ。毎日の無理なセックスで、身体が弱っていたのだ。リリムも、帰らぬ一人となった。リナは、少しだけ涙を流した。そして、また男を迎え入れた。
　リナは、もちろん死ななかった。身体は弱り、疲れ果て、すり切れそうになっても死ぬことだけはなかった。ただ、待っていた。むしろを垂らしただけの入り口から、ゼロスの面影を持った兵士が入ってきてくれるのを──。
　戦局は悪くなり、兵士たちは撤退した。慰安婦たちを残して。慰安婦たちは捕らえられ、容赦のない強姦をされた。リナは、腕を後ろ手に縛られ、頭を砂に突っ込まれ、血の出るほど犯された。そして、縛られたまま、銃弾を撃ち込まれた。一緒にいた慰安婦たちは一瞬のうちに死んだ。リナは、長い長い死の苦しみを味わった後、膝で立ち上がり、捨てられたナイフで腕の縄を切り、指を銃創に突っ込んで銃弾をえぐり出した。敵も味方も去った砂漠のただ中で、リナは傷が癒えるのを待ち、砂の中を歩き出した。痛みも傷も、リナの心に何も残さなかった。ただ、ゼロスに会えなかったことだけが悲しかった。
　自力で国に帰ったが、もちろん給料どころか、びた一文もらえなかった。リナも期待していなかった。また、一層深く汚れた、それだけのことだった。

　その手紙は、幾度も幾度も住所を書き直されて、リナのいる娼館へ届いた。見慣れない文字。封を切ると、小切手と、住所が記されたメモがあった。
「ガウリイ＝……ガブリエフ」
　リナはカレンダーを見た。いま生きているなら９０歳。リナは、その住所へ旅立った。遠い昔、ガウリイを深く傷つけた夜を思い出しながら。
　ガウリイの金の髪の毛はすっかり色あせ、白くなっていた。ただ、瞳は昔と同じ、夏空の輝きを持っていた。付き添いの看護婦が、リナを見て「お孫さん？」と言った。リナは「仲間です」と答えた。看護婦は首を傾げた。
「リナ……」
しわがれた声で、ガウリイは呼びかけた。リナは、ガウリイのベッドの足下にひざまずいた。
「俺を、許してくれるか」
「何を……」
「お前を、殺そうとしたことを」
　リナは泣いた。そして、言った。
「あたしこそ、ずっと謝りたかった。あの夜、あんたを汚したことを。傷つけたことを。ねえ、ねえ……許してくれる？」
「あたりまえだろ」
　ガウリイの枯れ木のような手が、リナの前髪をかき回した。
「俺は、お前を受け入れるために生きてきたんだ。あの夜のことだって、俺は許す」
「甘えてもいいかな……」
「おう。甘えろ」
「あれから、あたしはもっと、もっと汚れてきた。あたしの罪は、きっと赤の竜神（スィーフィード）ですら許してくれない。ガウリイ、そんなあたしを、昔通り、許してくれる？」
「許す」
　安堵と後悔がいちどきに押し寄せた。リナは鼻水をすすり、泣きじゃくった。
「俺は、お前にもう一度会いたかった。今は、満足だよ」
　リナは、ガウリイの命の灯が消えるまで側にいた。そして、また当てのない旅に出た。









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