遠い旅路の目的地[３]







　リナは目を覚ました。暗い、神殿のような場所。いつの間にか、乾いた、見覚えのない衣服を身につけている。
「目を覚ましたか」
　視線を上げると、玉座に女が座っていた。髪をかき上げ、リナの元へ近づく。
「よくこの島までたどり着いたものだな。何の用だ、リナ＝インバース」
「獣王ゼラス＝メタリオム……」
「久しぶりだな。お前が我らが王の一片を滅ぼして以来だ」
　リナは立ち上がった。獣王の、黄金に輝く瞳を見る。
「ゼロスのことを、訊きに来ました」
「ゼロス……か」
「ゼロスは、どうなったのですか」
　ゼラスは、目をそらした。
「滅んだ」
「……！」
「滅ぼされた。海王の二人の部下、海将軍と海神官に」
「だってゼロスは……」
「ああ。奴は確かに我ら魔王の腹心に次ぐ力を持っていた。だが、罠にかかったのだ」
「罠……」
「海神官は、お前に……リナ＝インバースに化けていた」
「……」
「ゼロスは、それを見抜けず、戦えなくなった。そして、滅ぼされた」
　リナはがくりと崩れ落ちた。
「そんな……ゼロスが、そんな……」
「ゼロスは、お前にとらわれていた。愚かな、私の部下」
　黄金の眼は、リナを射る。
「私は、お前が憎くすらある。数千年の時を共にした、私の唯一の部下を、その幼い身体でたぶらかしたのか」
「……あたしと、ゼロスは愛し合っていました。ゼロスは、あたしのために勝って、戻ってくると……」
「どちらにしろ、ゼロスはもういない。お引き取り願おうか、リナ＝インバース。その服はやる。お前の服は潮で濡れていたからな」
　リナは力無く、ゼラスに背を向けた。その肩が震えた。涙が、止めどなくリナの頬を濡らした。
「……待て、リナ＝インバース」
「何ですか」
「お前に言ったものかと思っていたが……滅ぼされた後も、まるで人間のように、ゼロスの魂の欠片はお前を求めてさまよっていた。私は、それを哀れに思い……ゼロスの魂を、人間の輪廻に入れた」
「それは……」
「この世のどこかで、ゼロスの魂は人間の器に入って生まれてくる。年老いて死ねば、またどこかに生まれる。お前たちと同じように」
「いるんですね。この世のどこかに、ゼロスの魂を持ったものがいるんですね！」
「ただ、探しても無駄だ。人間の命はあまりに短い。出逢える人間の数は限られている」
　リナは、深紅の瞳をゼラスに向けた。
「……何だ」
「ゼラス＝メタリオム、私と不死の契約を交わして下さい」
「そうまでして、ゼロスを探すか」
「はい。探します。絶対に、見つけてみせます」
　ゼラスは、口の端に笑みを浮かべた。
「条件がある」
「何でも」
「お前の全ての魔力をもらおう」
　リナは、立ちすくんだ。
「お前は、人間には過ぎた魔力の持ち主だ。二つの魔王の欠片を滅ぼし……冥王と魔竜王は、お前の魔力を巡って滅んだ。お前は魔族にとって脅威なのだ。ゼロスを愛するために永遠を生きるというのなら、お前の魔力を代わりに要求する」
「かまいません」
「本当にいいのか。お前は……不老不死になる代わりに、ただの人間の女になるのだぞ」
「あたしは、ゼロスに巡り会えさえすれば、どうなってもかまわないんです」
「愛情か……愚かなものだな。お前も、ゼロスも。よかろう。こっちへ来い」
　ゼラスは、爪の長い優美な指を伸ばして、リナの額に触れた。そこが熱くなる。
「……くっ」
　苦痛に、リナは眉をひそめる。ゼラスは、掌の中に、乳白色のなめらかな球体を形作った。
「終わった。私が滅ぶか、契約の石が砕けるまで、お前は死なない」
「契約の石は……」
「ここにある」
　ゼラスは、リナの手の上に乳白色の珠を渡した。
「お前が、生きるのに絶望したときに砕くがいい」
「そんなときは、決して来ません」
　リナは力強い瞳で言った。
「どうかな」
「では、失礼しま……」
「どうやって帰る気だ」
　リナは立ち止まった。
「お前を乗せてきた船は沈んでしまったし、お前はもう翔封界（レイ＝ウィング）も使えないのだぞ」
「あ……それは」
「まあいい」
　ゼラスは、リナの頭に手をかざした。
「お前を、人間の街へ送る。そこから先は、自分で何とかするんだな」
　リナの姿は消えた。ゼラスは、玉座に座り直してため息をついた。
「リナ＝インバース……そして、ゼロス。お前たちは、再び出逢えるのか？」
　薄暗い神殿。輝く髪をかき上げる。
「愛し合うことが出来るのか？」

　ふっと気づくと、リナは人の行き交う街角にいた。ゼラスに着せられたらしい、シンプルなワンピース。裸足だった。
（靴を買わなきゃ。それから、食べるものも）
　財布は、船に乗るときに取り上げられたことを思い出した。
（どこかで、働かなきゃ……）
　夕暮れだった。あちこちの食べ物屋から、温かいスープの匂いが漂っている。
「あの」
　レストランの裏口。裸足のリナを、料理人は怪訝そうな顔をして見た。
「皿洗いさせて下さい。いえ、ほかにも、何でもやります」
「うちは、身元のしっかりした人しか雇わないよ。誰か、保証人は」
「あ、その、保証人……といっても」
「さあ帰った帰った。こっちは忙しいんだ」
　重い木の扉は、リナの鼻先で閉まった。
「すみません、店を手伝わせて下さい」
　パン屋の店先。主人の冷たい瞳。
「あんた、裸足じゃないか」
「あ、これは」
「物乞いにやるパンは無いんだ。そこにいられると客が寄りつかないだろう。行ってくれ」
　何軒もの食べ物屋をまわった。色好い返事をしてくれるところは無かった。腹がうるさいほどに鳴った。
（お腹空いた……死にそう）
　そして笑う。
（どんなにお腹が空いても、あたしは死ぬことはないんだ）
　胸に大事に抱いている乳白色の珠。これが砕けない限り、死は訪れない。
　その夜は、ごみバケツを漁って食べられそうな林檎をかじり、路地裏でしっかりと身体を抱いて眠った。歩き回った足の裏が火傷したように痛かったが、もう治癒の呪文も使えない。
（つらくたっていい）
　夜風の冷たさに身を縮めながら、リナは思った。
（ゼロス、どこにいるの。まだ赤ん坊なの？　それとも、青年の姿で歩いているの？）








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