遠い旅路の目的地[１４]






　娼婦をしながら人波を見つめる。そんな懐かしい暮らしが帰ってきた。リナは、女たちにあてがわれたマンションでレトルトのグラタンを食べながら、テレビをつけた。ぱちぱちとリモコンを切り替えるが、どこもアニメしかやっていない。リナは興味を失ってテレビを消そうとした。
『ガウリイ』
　テレビの中の声がそう言った。リナはリモコンを取り落とした。ガウリイと呼ばれた、金髪碧眼の男は、少女を呼んだ。
『リナ』
　リナはテレビを見つめ続けた。魔導士の少女『リナ』。その相棒の剣士で、長い金髪をなびかせた『ガウリイ』。二人は旅をしていた。『レゾ』という魔導士に出会った。『リナ』は魔族と戦い、盗賊を掃討した。エンディングの歌が流れ、番組は終わった。リナは今の番組を新聞で調べる。「アニメ『スレイヤーズ』」とある。
「どういうこと……？」
　リナは新聞を畳み、書店へと走った。

　ありったけのテレビ雑誌とアニメ雑誌を買ってくる。『スレイヤーズ』は人気番組らしく、どの雑誌でも取り上げている。リナはビデオデッキを買った。毎週、『スレイヤーズ』を食い入るように見た。『リナ』と『ガウリイ』は正義オタクの王女『アメリア』と出会う。そして、キメラの魔剣士『ゼルガディス』とも。
　リナはビデオに撮った『スレイヤーズ』を何度も見返した。雑誌を読み、原作が小説であることを知ると、また書店に走った。小説の『スレイヤーズ』を、震える手で読み進めた。『リナ』と『獣神官ゼロス』との出会いが、克明に記されていた。
　テレビ画面に、切りそろえた髪、笑顔を浮かべた『ゼロス』が登場したとき、リナはそっと指先で画面に触れた。『ゼロス』は、鮮やかなほど昔通りの声で、『リナ』をこう呼んだ。
「リナさん」

　ビデオは溜まり、放映期間は過ぎていった。最終回で、『リナ』は『ガウリイ』と結ばれて終わった。最終回が終わると、リナは息をついた。そして、机に向かって手紙を書き始めた。原作者である、作家に。「誰を、モデルにしたんですか？」と記して。
　返事は、当然来なかった。山のようなファンレターの一通として処理されたのだろう。リナはパソコンを使って、作家の住んでいる場所を割り出した。訪ねて行ってみると、そこは警備付きの高級マンションだった。入ろうとすると、警備員にアポイントメントを問われた。リナは黙って引き返した。
　『スレイヤーズ』が連載されている雑誌の編集長が飲みに来る店を、リナは突き止めた。そして、何気なく彼の隣に腰掛け、甘い声で彼を誘惑した。ベッドの中で、男が悦楽に放心状態になるまで、リナは自分の肉体を使った。彼女は、千年の娼婦。男一人を手玉に取ることくらい、わけはなかった。
　リナは、作家に時間を空けてもらうことに成功し、今度は堂々と高級マンションへ向かった。

「──いや、驚いたな……その髪は？　瞳は本物？」
　リナを迎え入れた作家はそういって目を丸くした。
「君は、僕がイメージしたリナ＝インバースそのものだ。君の名前は……」
「リナ、です」
「ほんとに。凄い偶然だな」
　作家は応接セットで改めてリナと向かい合った。
「編集長直々のお客様だから、失礼の無いようにしなくちゃね。それで、君が聞きたいのはどういうことですか」
「『スレイヤーズ』には、元になった話が？」
　作家は膝の上で手を組んだ。
「僕は、もともと古い信仰に興味があったんです。赤の竜神（スィーフィード）とか、ロード・オブ・ナイトメアとかね。そこで何度もぶつかった名前が、『リナ＝インバース』なんです」
　作家の眼は熱を帯びる。
「神話に出てくるのは、ほとんどが『竜族』か『魔族』です。人間のつけいるすき間はない。でも、そういうのを軽々と乗り越えて、僅か十数歳の少女『リナ＝インバース』は活躍するんです。仲間たちと共に」
「ゼロス、というのは……」
「君もゼロスファン？　参ったな、彼は脇役なのに、妙に人気が出ちゃって。『獣神官ゼロス』は、魔族で、『リナ＝インバース』を導いた人物と……あれ、人物でいいのかな……されています。彼と『リナ＝インバース』の丁々発止のやりとりが、当時の文献に生き生きと残されています」
「当時の……文献？」
「君には見せようかな。君はリナにそっくりなんだし」
　作家は立ち上がると、一冊のファイルを手に戻ってきた。
「古代王国セイルーンの、アメリア女王が、老年になって記した『リナ＝インバース』の思い出です。これはセイルーン・シティの文書館で秘蔵されていたものを、無理に頼んでコピーさせて貰ったもの」
　リナはそれを手に取った。うっすらとかすれた、アメリアの筆跡。リナはパラパラとめくっていった。最後のページに、こう記されてある。
「私は、リナ＝インバースにそれ以来会っていない。けれど、私の魂はいつも彼女と共にある。私は、自分の全てのさいわいを賭けて、リナ＝インバースの幸せを願う」
　リナは涙を流した。自分は汚れたと感じて、会いに行くことができなかったアメリア。けれども、彼女はずっと自分を思ってくれていた。ずっと友だちだった。
「──君は感受性の強い娘なんだね。分かります。ここには、時を超えた永遠の友情がある。この文献のお陰で、『リナ』が『ガウリイ』を『クラゲのように頭が悪い』と評していたことや、『ゼルガディス』がいつも白い衣装を身につけていたことなど、細かいことが色々と分かったんです」
「もう一つ、聞きたいことが」
「なんでもどうぞ」
「声優さんのことなんですけど」
「ああ、声のイメージに関しては、僕が出向いて一人一人オーディションしました。これ以外ない、というキャスティングだったと思います。……でも、『リナ』の声は君の方が良かったかな？」
「ゼロスの声は……」
「またゼロス、ですか。あの声優さんとは飲み友だちです。そうだ、今日これから会えるかもしれない。誘ってみましょうか」
　しばらく電話に向けて話していた作家は、受話器を置くと指でＯＫサインを出した。
「君は……飲みに連れていっていいのかな。見たところ、高校生でしょう」
「あたしは、学校には行ってません」
「じゃあ、働いて？」
「娼婦なんです」
　リナは微笑んだ。
「君が……驚いたよ。──そういえば、僕は最終回で、『リナ』と『ガウリイ』が結ばれるように書いたけれど、他の文献には、『リナ』は娼婦になった、という説も書かれてるんだ。突拍子もない話だし、少年向けのファンタジーがそういう終わりを迎えるわけには行かないから、僕はその説は採用しなかったけど」
「あんがい、ほんとかもしれませんよ、それ」
　リナは婉然と微笑んで、目を伏せた。


「どうも、センセイ」
　ゼロスの声を演じた声優は、線の細いハンサムで、その地声はゼロスとはあまり似ていなかった。
「君が、今日のお客様？」
　リナは小さく頭を下げる。
「コスプレしてる……わけじゃないよね。何だか、すごくリナに似てる」
「普段の声は、あんまりゼロスに似てないんですね」
「ああ、センセイのファンだったら、僕のイメージはゼロスだよね」
　声優は、少し息を吸った。
「『今晩は、リナさん』──こういう感じかな？」
　その声は、リナの心臓をいたく刺激した。
「あなたの……声は、ゼロスに似てます」
「え……っと、そりゃ、僕がゼロスを演じたんだけど」
「すみません。もう一度『リナさん』って呼んでくれますか？」
「君の名前を呼んでもいいんだよ」
「あたしの名前はリナです」
「……そうか。じゃ……『リナさん』」
　リナは、その声を心の奥深くにしまい込んだ。
「ありがとう。じゃ、乾杯しましょう」
　酒で口がなめらかになった作家は、リナに語りかけた。
「『リナ＝インバース』の若い頃について調べていると、『白蛇（サーペント）のナーガ』という女性がよく登場するんです。実に傑作な人物で、文献を調べながら僕はげらげら笑っちゃいました。彼女のことは、僕の『スレイヤーズ』の外伝として書いていきたいと思っています」
　懐かしい友だち。リナは屈託無く微笑む。
「後世の歴史家の調べによると、『白蛇のナーガ』の本名は『グレイシア＝ウィル＝ナーガ＝セイルーン』」
　リナは目を見開く。
「先ほど貴女にお見せした手記の作者、セイルーン王国の女王アメリアの実姉であったことが確実になっています」
「そう……だったんですか。知らなかった……」
　作家は片目をつぶった。
「これは、僕の小説でも隠し設定ですから。他のファンに喋っちゃ、だめですよ」

　『スレイヤーズ』人気は思いもかけず長く続いた。それは、リナにとって不便を生んだ。インターネットでゼロスの名前を検索しても、出てくるのは『スレイヤーズ』関係の記事ばかりだった。海外までファン層は拡がっているようで、現実世界に住む「ゼロス」さんの名前は全く見付からなくなった。暇なとき、リナは『スレイヤーズ』ファンの描いた様々な『ゼロス』の絵を眺めた。時折『本物』に似ているゼロスを見つけると、リナはそれを何時間も、じっと見つめた。











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