遠い旅路の目的地[１０]






「リナちゃん、僕はコンピュータの天才なんだよ」
　もう何度くり返されたかしれない自慢話を、また目の前の男は始めた。色白の肌は肉ではち切れそうで、いつもふうふうと荒い鼻息をしている。ベッドの上で、リナに触れないまま、男はくり返す。
「天才なんだ」
「そう。すごいわ」
　リナの返事を聞くと、男は気を良くした。
「だいたい、世間でコンピュータと言えば、プログラム言語は……」
　その後はリナにはよく分からない話。でも、客の話を聞くことも娼婦の仕事の一つだ。リナは、何度も繰り返されたその自慢話に相づちを打つ。
「リナちゃん、リナちゃんは他の女とは違うよね」
「あたしなんて……特別な女じゃないです」
「違うよ。リナちゃんは気持ち悪い胸の大きな女じゃないし、脚だって人形のように細いし……髪はふわふわ柔らかくて、赤ちゃんみたいだ。リナちゃんは、普通の女とは違うよ。僕がコンピュータの話をしても、他の女みたいに嫌な顔をしないし」
　それは、お金を貰っているからよ。リナは心の中で突っ込む。この人には、それがなぜ分からないんだろう。
「リナちゃんは、清純なんだ」
　娼婦が清純なんて、ばかげてる。
「リナちゃんは、僕の運命の女なんだよ」
　ちがう。あたしは、あの人だけの運命の女。あんたなんて知らない。
「ご贔屓いただいて、ありがとうございます」
　無難な口だけの返事を、リナは返した。
「僕がどれだけ特別かというとねえ……そうだな、国の役所。あんなところへのハッキングは軽いね」
　リナは顔を上げた。
「それ……どう言うことですか」
「嬉しいなあ、リナちゃんもハッキングに興味あるんだ。税金を扱ってるコンピュータを探れば、誰がいくら税金を納めてる、なんて事は簡単に分かるね」
「よその国のコンピュータにも入れる？」
「ここの国より難しいけど、入れなくはないね」
「あの……お客様」
「ヨハンって呼んでよ。でないと返事しないよ」
「ヨハン様。あたし、探している人がいるんです。コンピュータのハッキングで、それは見つけられますか？」
「余裕だね」
「じゃあ、あの……」
「今度の休日に僕の家へおいでよ。ママは出かけてるんだ。ふたりっきりで、遊ぼう」
「探している人、見つけてくれますね」
「まあね」
「お願いします」
　その日、ヨハンは喋るだけで、リナに何もしなかった。いつものことだった。リナは金を受け取って、店の前でヨハンを見送った。
「ヨハン様、では今度の休日に」
「迎えに来るからね」
　リナが店の中に戻ると、廊下で煙草を吸っていた娼婦がリナにとなりを勧めた。
「吸わない？」
「いえ、あたしは」
「さっき、あの気持ち悪い客と、店外デートの約束してただろ」
「ヨハンさん……のこと？」
「あんな奴、さん付けしてやること無いって。止めた方がいいよ。あいつ、絶対変態だよ」
「でも、お願い事をしたから……」
「あんな奴に弱み見せたら、死ぬまでつきまとわれるよ。悪いこと言わないから、今からでも電話かけて断りなさい」
「心配してくれて、ありがと」
　リナは微笑んだ。
「でも、あたしあの人に頼みがあるの」

休日の朝、豪華な車が店の前につけられた。けたたましくホーンが鳴る。
「リナちゃん、迎えに来たよ」
「ありがとう」
「乗って」
　狭い街を、大きな車が駆け抜ける。乱暴な運転だ。ごみバケツをいくつも蹴倒す。
「だいたい、この街はゴミ箱のようなところだよ。僕とリナちゃんには合わないんだ」
　ガムをくちゃくちゃ噛みながら、ヨハンは吐き捨てる。
「結婚したら、もっといい街に住もうね、リナちゃん」
「まあ、そうなったら」
　リナは、曖昧に微笑んだ。
　大きな家だった。広い庭にスプリンクラーが虹をかける。
「いいおうちですね」
「そうかな。僕の部屋の方が素敵だよ。早く入って」
　二階の一番奥。薄暗い部屋に、コンピュータのディスプレイが仄かな光を放っている。リナを入れると、ヨハンは部屋に鍵をかけた。
「じゃ、服を脱いで」
「あの、ヨハンさま……」
「さっさと脱いで。ぐずぐずしてたら、約束はナシだから」
　リナは戸惑ったが、心を決めた。どうせ自分は娼婦なのだ。それに、いつも何もしてこないヨハンが、手ひどいことをすることは無いだろう。
　リナが裸になると、ヨハンはいつも荒い鼻息を更に荒くした。
「リナちゃん、可愛いね。じゃあ、しばらく絶対に僕に逆らわないで。少しでも逆らったら、約束はナシだからね」
　ヨハンは縄を取り出し、リナを縛り始めた。そのぷくぷくした指先は意外に器用に動き、リナは手を後ろ手に、脚は大きく開いた姿勢で固定された。
「ふ、ふ……リナちゃん。綺麗なリナちゃん。僕が、最初に君を汚してあげるよ」
　いくつかの小さなボールがつながったものを見せられる。
「これを、ひとつずつ、君の後ろの穴に入れていくんだ。我慢できなくなっても、どんどん入れちゃうんだ。悲鳴を上げてもいいよ。どうせ、今日は誰もいないんだし。君の苦しがる声、聞きたいなあ」
　リナは初めて顔色を変えた。
「怖がってる君の顔、いいよ。最高だよ。さあ、最初の一つだよ」
　リナの後ろの穴に冷たいローションが垂らされ、プラスチックのボールが入ってくる。圧迫感にリナはもだえた。
「怖い？　怖い？　でも、もっと入れるんだよ。次は、二個一緒に」
つるつるとした感触と共に、圧迫感が増す。リナのそこは、入れられたものを排泄しようとひくつく。
「や……やめてください……」
「苦しい？　まだ、あと三個も入れるんだよ。そうしないと、ハッキングはしてあげないよ」
　リナは黙る。ヨハンは、押し返してくる感触を楽しみながら、リナに三個のボールを詰め込んだ。腹が張り裂けそうに苦しい。リナは脂汗を流した。排泄感がこみ上げてくる。
「う……う」
「出さないでね。まだ、出しちゃ駄目だよ。これから、前にバイブを入れてあげるんだから」
　冷たい張型が、リナの前に入ってくる。それは、スイッチを入れられて、うねり、蠕動する。
「う……あ……あ」
　微妙な震えはクリトリスを刺激する。その一方で、後ろの穴の中のボールがかき回される。快楽と苦痛に、リナはあえいだ。
「ああ……あ、リナちゃんいいよ、最高だよ、出しちゃ駄目だからね、そのままいって、いっちゃって……」
「くる……しい」
「ほらっ！　早くいけよ！」
ヨハンの声が荒くなった。リナが薄目を開いてみると、ヨハンは太った身体に半ばめり込んだ自分のものを擦っていた。リナに絶頂が近づく。
「ああ……いき、そう……」
「そうだ、いって！　そしたら、後ろを出してあげるから」
「ん、ん、んん……」
リナは苦痛の中で絶頂に震えた。ヨハンは、荒い息と共に床に射精した。
「良かったよ、リナちゃん……最高だよ」
「おねがい……約束、うしろ……抜いて」
「一つずつね」
ボールが一つ引きずり出されるごとに、リナは排泄の快楽に震える。連なったボールが全て引きずり出されたとき、リナは失禁した。
「あーあ、僕の部屋を汚しちゃって……リナちゃんははしたない女だなあ」
　バイブが抜かれ、リナはようやくため息をつき、崩れ落ちる。気を失いそうだった。乱暴に髪を掴みあげられる。
「おねんねはまだだよ、リナちゃん」
「あ……の……」
「床に零れた僕の精液と君のおしっこ。君が綺麗にするんだ。もちろん、君の舌でね」
「ほどい……て」
「縛られたままだよ」
　リナは、青ざめてヨハンを見上げた。ヨハンはリナの表情を見下ろし、にやりと笑った。その手に、カメラがあった。

　床をはいつくばって舐めながら、何枚も写真を撮られ、リナは脱力して横たわっていた。
「よしよし、いい子だね。もうリナちゃんは僕のものだよ。僕の精液を猫がミルクを舐めるように美味しそうに舐めたんだものね。それに、君のおしっこを舐めるところを、何枚も写真に撮ったよ。僕だけのものだよ、リナちゃん……」
「約束の……ハッキング」
「ああ、そうそう。忘れるところだったよ。じゃあ縄をほどいてあげる」
　青く痕のついた手首をさすりながら、リナは上着だけ着て、床に座った。
「探したい人の名前は？」
「名字は……分からない。名前は、ゼロス」
「ゼロスね。どんな綴り？」
「Ｘ、ｅ、ｌ、ｌ、ｏ、ｓ、ｓ」
「変な名前だな。国は……」

『検索結果：１件』
　その表示が出たとき、リナの表情は輝いた。
「ね、どこ？　どこに住んでる？」
「ライゼールだな。まだ生まれたての赤ん坊だよ。こんなのを探してるの？」
「お願い、住所をプリントアウトして」
「おやすいご用だけど……」
　ヨハンはプリンタを動かして、二枚、住所の写しを作った。そのうちの一枚をリナに手渡す。
「ありがとうございます！　あの……そっちの一枚は、何に……」
「君がね、僕から逃げようとしたら、さっき撮った写真をこの住所に送りつけるんだ」
「なっ……」
「何だか分からないけど、君は僕を捨てて、この赤ん坊を訪ねていく気だろう？　そういうのは困るんだ。君はもう、僕の物なんだから」
「あの……あたし、ずっとここにいます。よそになんか行きません」
「だったらさっきの住所、返してよ」
「それは……」
「みんな、僕から逃げて行くんだ。女なんて汚い。でも君は違うよね？　僕を愛してくれるよね？　君の全ては、さっきの写真に収めてあるよ。僕に従うんだ」
　リナの顔からすっと表情が消えた。男はそれを屈服のしるしと見て近づいてくる。
「リナちゃん……」
　リナは、部屋の隅に飾られた、この部屋に似合わない重い花瓶を持ち上げた。思い切り、男の頭に振り下ろす。
「な……何……を」
　視界を失ったらしく、血塗れの男は盲滅法に腕を突き出す。
「リナちゃん……僕を愛し……」
　リナはもう一度花瓶を振り下ろした。生々しい音がして脳漿が飛び散った。

　服を引き裂いて、花瓶の指紋をふき取る。床を拭く。乏しいコンピュータの知識を引っぱり出す。
（そうよ、ハード……ディスク。それがあると、何を調べていたかばれてしまう）
　目の前でうなりをあげるパソコン本体。それのどこがハードディスクなのか分からない。やたらとつながった線を全て引き抜き、本体を持ち上げる。重い。けれども、これをここに置いて行くわけには行かない。
（そうだ……写真！）
　死んだ男の首から、大きなカメラを外す。フィルムを感光させようとしたが、本体の開け方が分からなかった。仕方なくそれも首に提げる。下半身は汚れていたが、下着を履き、スカートを身につける。ドアノブの指紋をふき取り、玄関へ走る。
「……！」
「あら……あなた。どちら様？　ヨハンのお友達？」
　玄関には、ちょうど帰ってきたという風情の、中年の婦人がいた。リナは、出来るだけ顔を伏せた。黙って女性を突き飛ばす。玄関を開け、芝生の庭を駆け抜け、街に紛れ込む。
　娼館に帰ると、同僚の女が顔を上げた。
「お帰り、リナちゃん。ほら、いわんこっちゃない。顔色が真っ青だよ。よっぽどひどい目に……」
「なんでもない、なんでもないの」
「なんでそんな大荷物に……」
「なんでもないってば」
　リナは自分の部屋に駆け込んで鍵をかけた。
（ひとを……殺した）
　身体はがくがく震えた。それでも、荷造りをする。大きなトランクに、持ってきたパソコン本体とカメラを投げ込む。その上から、ありったけの洋服を詰め込み、がんがん蹴飛ばしながらふたを閉めた。
（ひとを殺した！）
　涙は出なかった。重い荷物をひっさげ、店を飛び出した。
（タクシー？　バス？　それとも、汽車？）
　どれも危ないような気がする。リナはのろのろと荷物を引きずって歩いた。パトカーが、回転灯を光らせて何台も通り過ぎる。そのたびにリナの心臓は跳ね上がった。
　気がつくと駅に来ていた。見た限りでは、警官はいない。ホームで夜汽車を待つ。階段に足音がするたびに身が縮む。やがてホームに着いた列車に乗り込み、リナは街を後にした。『ゼロス』の住所、遙かなライゼールを目指して。










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