終末の過ごし方［３］



「もう、会いたい人はいませんか？」
「うん。あと五日、一緒にいよう」
「あと四日、ですよ」
「えっ？あれ、たしかあと五日あったような……」
「空間を渡ると、人間にとっては時間が早く過ぎ去るんです。永劫に近い寿命を持つ魔族には関係のない事ですが」
「わ、わ、早くこの空間を出て。時間がもったいない」
「分かりました。どこに出るかは分かりませんよ？」
「いいから早く！」
リナとゼロスは、しんとした町中に現れた。
「ここ……どこ？」
「さあ。僕にも分かりません」
「この街も、誰もいないわね」
「皆で教会にでも集まっているのでしょう」
「お腹空いちゃったなあ」
「適当に、その辺のレストランに入りましょう。材料は使わせてもらえばいい」
街をゆっくり歩いていると、ひときわ豪奢な建物があった。
「ホテルみたいですね」
「ちょうどいいじゃない。これだけのホテルなら、豪華な食事が作れそう」
リナとゼロスはホテルの扉をくぐった。
「いらっしゃいませ」
フロントにいた初老の男性に言われ、リナは驚く。
「あんたは、逃げないの？」
「逃げる、と申しましても。教会に集まっていたところで、世界は滅ぶときには滅ぶのですし。私はこのホテルを愛しております。お客様がそちらの方を愛されているように」
リナは耳まで赤くなる。
「あたしは、別にこいつを愛しているわけじゃ……」
「それでは、なぜ終末も間近なこの世界で、一緒に旅をしておられるのですかな」
老人はふぉっふぉっと笑った。
「それより、あたしお腹空いてるの。何か食べるもの、ない？」
「料理人も逃げずにこのホテルにとどまっております。豪華なディナーを作らせましょう。でも、すこしお時間を頂きますよ」
「それじゃ、その間街を散歩してきましょうか」
ゼロスがリナの耳元で囁く。
「２時間もすれば、とびっきりのディナーをご用意できます。お待たせしますが、味は保証付きですよ」
二人は街に出た。人通りはない。ブティックの前を通り過ぎる。
「うわ、可愛いドレス……」
「もらっちゃいましょうか」
「そ、それは出来ないわよ。泥棒になっちゃう」
「もうこの世界でお金なんて何の意味もないでしょう」
二人は店に入った。ショーウィンドウのドレスを脱がせる。リナは試着室に入って、宿屋の女将のものだったワンピースを脱ぎ捨て、淡いブルーのドレスに着替える。
「リナさん、まだですか」
「ん。出来たわ」
リナが試着室から出てくる。
「似合う？」
「とても似合いますよ、リナさん。まるで貴女のためにあつらえたように」
そして、レースの手袋を差し出す。
「これもはめてみてください」
「……なんだか照れちゃうな」
「うん。いっそう上品ですね。それでは、この靴を……」
ドレスと同じ色のハイヒール。
「サイズはどうですか？」
「ぴったりよ」
「じゃあ、行きましょうか」
二人は、再び街に出た。
「次は宝石店ですね」
「いっそう泥棒じみてきたなあ」
「いいじゃないですか。そのドレスにふさわしい首飾りを選びましょう」

「これはこれはお客様。良くお似合いです」
「食事は出来てる？」
「もちろん。さっき出来上がったばかりでございます」
二人は、食堂に通された。グラスに、ワインが注がれる。
「そ、そのラベルって……幻のヴィンテージと言われた……」
「最後のお客様のためには、ふさわしいでしょう」
「そんなお金、持ってないわ」
「お代は頂きません。世界がこんな時に、お客様のお世話が出来るだけで、わたくし共は幸せでございます」
「おじいさん、あんたはこのホテルの……」
「支配人でございますよ。このホテルは、妻もいない私の、子供のようなものです。最高のサービスを受けていただきますよ」
ゼロスとリナはグラスを持ち上げて乾杯した。ワインの味は素晴らしかった。やがて、オードブルから始まって、料理が次々と運ばれてきた。
「お味は、いかがですか？」
「そうね。料理人さんを呼んでいただける？」
「かしこまりました」
料理人も、支配人と変わらない歳の男性だった。
「今日のお料理は全部あなたひとりで？」
「はい。お口に合いましたでしょうか」
「最高だわ。あと三日分の材料はある？」
「もちろん、ございます」
「それじゃあ、あたしたちはあと三日ここにいるわ。これからも、期待してるわよ」
「ありがとうございます」
料理人は厨房に帰っていった。支配人が甘い食後酒をつぐ。
「それにしても、お客様はお料理を召し上がりませんねえ。そちらのレディが二人分召し上がっていらっしゃるようですが」
「ああ、僕は魔族なんです。人間の食事は必要としません。お酒の香りなんかは楽しめるんですけどね」
「そうですか、魔族で……」
「驚かないんですね」
「この世が滅びるというときに、それくらいのことでは驚きませんよ。でも、レディの食欲には少し驚かされましたが」
「あしたもこの分量でお願いね」
「承知しました」
食事がすむと、二人は部屋に通された。部屋は広く、客間と寝室が分かれていた。
「すごい部屋……」
「当ホテルの、最上級の部屋でございます。お気に召しましたか？」
「ええ、すばらしいわ」
「あとで、フルーツを持って参ります。ごゆっくりおくつろぎ下さい」
二人は寄り添って窓の外を見る。真っ暗な街。明かりがついているのは、このホテルだけだ。
「こうしてみてると、もう世界は滅んじゃったみたいだね」
「世界の終りはこんなものではありませんよ」
「ゼロス、見てきたみたいな事をいうのね」
「僕たち魔族は、ずっと世界の滅びを望んできましたから。でも、正直、こんなに早く最後の日が訪れるとは思っていませんでしたけどね」
「あんたたちにとっては、これが望んだ世界のすがたなのね……」
「ええ。僕は、世界の終りが今で良かったと思っていますよ」
「……？なぜ？」
「最後まで貴女と共にいられるからです」
「ゼロス……」
ゼロスはリナの顎に指をかけて上を向かせる。リナは、黙って目を閉じた。ゼロスはリナに顔を近づけた。
「お客様、フルーツでございます」
「どわっ！？」
「おや。これはお邪魔してしまったようで」
「い、いえいえ。邪魔なんてしてないわ。フルーツをありがとう」
「それでは改めて、ごゆっくり」
「その『改めて』ってのはなんだー！」
支配人は微笑んで、出ていった。
「さてと、リナさん、果物食べますか？」
「…………」
「まだ世界が滅ぶまでには時間があります。とりあえず、このマンゴーなんていかがです？」
「もらうわ」
リナは、すこし不機嫌なままで言った。

「あたし、お風呂に入ってくる」
「お風呂から上がったら、またそのドレスを身につけてくれますか」
「いいけど……何で？」
「どうせ脱がせるなら、パジャマよりドレスの方が楽しそうですからね」
「な……っ！何言うのよ」
「さあ、さっぱりしてきて下さい」
リナが浴室に入っていくのを見届けると、ゼロスは、空間を渡って街の上空に出た。真っ暗な街並み。教会の前だけに篝火が灯っている。更に教会に近づくと、むっとする人いきれが伝わってくる。人々は、熱い空気の中、抱き合い、泣きながら、神に祈っていた。あふれ出る負の感情を、ゼロスは味わう。
「死にたくない」
「死にたくない」
「死にたく……」
（ほんの短い生を生きる人間が、こんなに死を怖がるなんて……何だか不思議ですね）
ホテルに戻ると、リナは既にドレスを身にまとっていた。濡れた髪がいつもと違う雰囲気を醸し出している。
「びっくりしたじゃない。どこに行ってたの」
「ちょっと、外の様子を見に」
ゼロスはリナの感情を見る。明るく、澄んでいる。
「…………」
「何か言いたそうな顔ね」
「リナさんは、死ぬのが怖くないんですか」
「そりゃ、怖いわよ」
「でも、リナさんの感情はとても澄んで……」
「人の感情を見るんじゃないわよ！失礼な奴ね。そうね。どんな風に生きても、いずれはなくなる命だから……こんな風に運命に決められたら、最後まであたしらしく生きたい。それだけ」
「そんなリナさんだから、僕はこんなに好きになったのかも知れませんね……」
ゼロスはリナに近づくと、口づけをした。さっき食べたばかりのマンゴーが香る。
「ねえ、あんたは獣王の部下でしょ？あんたの主の元にいなくていいの？」
「我が主には別れを告げてきました。我が主も許して下さいました。僕はどこに行ってもいいと」
「それで、あんたはあたしといることを選んだわけ？」
「ええ。この世でたった一人の、僕の好きな女の子ですから」
「あんたが、世界の終りのパートナーにあたしを選んでくれて嬉しいわ」
ゼロスはリナの首筋に顔を埋めた。リナは甘い声をたてて、ゼロスに身体を預けた。


ノックの音で目を覚ました。
「失礼します。朝のお食事は、食堂でなさいますか？それともお部屋まで運びましょうか？」
「部屋の方にお願いするわ」
リナは、ホテルの備え付けのガウンを素肌にまとった。やがて、支配人が朝食を二人前、ワゴンに乗せて持ってきた。
「ゼロス、あんたは何か食べないの」
「夕べ、負の感情をたくさん頂きましたから」
「え？あたしから？」
「いえ、この街の教会に行って来たんです。死に怯える人間の感情は、僕たちにとっては最も甘美なものですから」
「……あんたの成り立ちを考えれば当然のことなのかも知れないけど……やっぱり趣味悪い」
「僕たちから見れば、動物を殺して食べる人間の方が、よっぽど趣味が悪いですよ」
「そうかもね。でも、このベーコン美味しいわ」
リナは、最後に冷たい牛乳を飲むと、ベルを鳴らした。支配人が、朝食の皿を下げていった。
「さて、今日は何をして過ごす？」
「決まってるじゃないですか」
ゼロスは、軽々とリナを抱き上げると、ベッドの上に放り投げた。
「ゼ、ゼロス、あんたまさか……」
「僕は、貴女を好きになってから何年も我慢してきたんですよ。残り三日、ずっとしていても足りないぐらいです」
ゼロスはリナのガウンを脱がせると、彼女に覆い被さった。

「お客様、昼食はどうなさいますか？」
「要りません」
「あ、ちょっと、ゼロス、そんな勝手に……」
不満を言う唇は、唇でふさがれた。

神官服とドレス姿で食堂に現れた二人を見て、支配人は料理人に指示を出した。次々に、豪華な夕食が運ばれてくる。リナがそれを食べ、ゼロスはその光景を見守った。
「こうして、貴女がものを食べているのを見るのは楽しいですね」
「そう？」
「生きとし生けるもの、という感じがします」
「それは、あんたたち魔族には不快なものじゃないの？」
「リナさんだから、特別なんです」
「ふうん……分かんないなあ」
「好きってことですよ」
リナは、顔を赤くしてフォアグラを乗せたステーキを口に頬張った。


「ゼロ…ス」
「何ですか、リナさん」
「もう……許して。疲れたわ」
「駄目です。あと三日しかないんですよ」
「もう真夜中を過ぎたわ。あと二日よ」
「分かってるじゃないですか。じゃあ……」
「やめてって。止めてって言ってるでしょう。やめ……烈閃槍《エルメキア・ランス》！」
ちゅどおん。
「ひ、ひどいですよリナさん。一瞬滅ぶかと思いました」
「全ての生けとし生けるものより一足先に滅んでしまえ、このスケベ神官！」
「まあまあ。いい方法をお教えしますから」
「いい方法？」
「ご自分にリカバリィをかけるんです。体力が復活して、あと二日、ゆっくり楽しめ……」
「ドラグ・スレイブかけようか？」
「はいはい、分かりました。一休みですね」
「もお。身体のあちこちが痛いわ」
リナは、ベッドから立ち上がって、林檎をかじる。その華奢な裸体を見て、ゼロスはため息をつく。
「全てのものの滅びが僕たちの願いですが……」
「何？」
「その綺麗な身体がもうすぐ失われてしまうと思うと、哀しいですね」
「それはどうも」
「いっそ、僕が貴女を殺してしまいましょうか？」
「…………」
リナは黙る。
「世界の終りなんかに貴女を殺されるくらいなら、僕の手で……」
ゼロスは起きあがり、リナをベッドに押し倒す。その細い首に両手をかける。
「いいよ、ゼロス」
ゼロスは目を見開く。
「あたしを殺して。あんただけのものにして」
その冷たい手に力がこもり……抜けた。
「冗談です」
「本気だったくせに」
「世界の終りはとても壮麗な風景のはずです。それをあなたと二人で見守りたい」
「分かったわ」
リナは起きあがり、林檎の続きをかじった。甘い匂いが部屋に満ちた。

次の日も、二人はほとんどをベッドの中で過ごした。まだ慣れず、痛みしか感じないリナは、そのことをゼロスに言わなかった。ゼロスが、ふと聞いた。
「どうして、素直に痛いって言わないんですか」
「なんで分かったの」
「痛みも、負の感情です」
「だって……少しでも、あんたを感じていたいから。我慢してるんじゃない」
「そういう健気なことを言われると、ぐっと来ますね」
「……もう一度、する？」
「そうしたいところですが……終末が近づいています。行きましょう」

二人は、着替えると、真夜中のフロントに降りた。支配人はカウンターの中でうつらうつらしていたが、二人が近づくと、すぐに目を覚まして立ち上がった。
「チェックアウトします」
「かしこまりました。ありがとうございました」
「ほんとに、タダでいいんですか？」
「あと一日。お金なんて何の意味がありましょう。最後まで、このホテルを利用していただいたことで、こちらが何かお支払いしたいくらいです。それでは、よい終末を」

ゼロスは、リナを抱き上げた。そして、上昇した。ホテルの光は星のように小さくなり、やがて見えなくなった。
「夏なのに、空はこんなに冷たいのね」
「僕のマントの中に入って下さい」
二人は、抱き合ったままじっとしていた。やがて、夜明けが訪れた。普通の夜明けではなかった。空の一方が血のように赤くなり、星の残る蒼い空を染めていった。地響きが鳴り響いた。二人の足下の地面が大きくひび割れ、混沌の海の中に落ちていった。
「ああ……」
「どうしました、リナさん」
「たくさんの命の悲鳴が……きこえる」
「そうですね」
「ゼロス……もっと強く抱いて」
「はい、リナさん」
多くの大陸が、割れて、崩れて、混沌の海に沈んでゆく。
「ねえ……あたしたちは？こうしている限り死なないの？」
「いえ……空を見て下さい」
血のような赤い空にも、大きなひび割れが走っていた。
「ゼロス……愛してる」
「リナさん……僕は幸せですよ」
恋人同士は、優しく口づけをかわした。空が、墜ちた。二人は、全ての欠片と共に、海の中へ沈んでいった。



世界がもうすぐ滅ぶとしたら、あなたは誰と最後の日々を過ごしますか？






ホテルのエピソードは結構気に入っています。最後までプロでいる人って、かっこいいと思うのです。ゼロスとリナちゃんは結局死んでしまいますが、みんなも死んでるのでこれでいいですよね？（そんなこと聞かれても。）それでは、次は明るい話でお会いしましょう。
ねお☆ゼロリナ推進委員会さまに投稿させていただいた小説です。私の好きな終末小説は、新井素子さんの「ひとめあなたに…」です。あれも結局世界は滅んでしまうお話でした。世界が滅ぶなら、私なら…やっぱり彼氏と一緒に過ごしたいかなあ。今遠距離なので、やばいですね。皆さんはどうですか？


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