彼と彼女のソネット［１］

「一人旅、したいの」
「そっか。俺が一緒にいると、邪魔か？」
「ううん、そうじゃない。ガウリイは、一緒にいると楽しいし、優しいわ。あたしを守ってくれる」
「保護者だからな」
「だから。ガウリイから離れてみたくなったの。あたし一人で、どこまでやれるか―――可能性を、追ってみたくなったの」
「分かった。お前が、考えて決めたことだもんな」
「ごめんね、ガウリイ」
「いつかまた、俺と一緒に旅をしてくれるか？」
「うん。いつか、きっと」
「じゃあ行ってこい。くれぐれも、危険なこと、するんじゃないぞ。お前は跳ねっ返りだから、どんなことをし出すか分からないからな。あの魔力増幅の呪符ももう無いんだし。それと、男には気をつけろ」
「男？」
「おまえ、顔だけは可愛いからな。まあ、お前の胸を見て襲ってくる奴がいるとは思えないが」
すぱーん。いい音が響いた。
「ひとこと余計よ！」
「いってー……しばらくは、こうしてお前に殴られることもなくなるんだな」
「ガウリイは、これからどうするの」
「んー……そうだなあ。どこかの国で、傭兵でもするか。それで、金には困らない」
「旅するの、止めちゃうんだ」
「お前の旅に、振り回されてきたところがあったからな。しばらくは、じっとしていたい」
「もしかして、あたし、ガウリイを疲れさせてた？」
「とんでもない。お前との旅は……何だかいろいろあったけれど、楽しかったよ。それに、お前を支えてやれるってのは、俺の誇りだった」
「本当にごめんなさい、ガウリイ……」
「お前、おかしいぞ。何でそんなに謝るんだ。お前が決めたことなら、もっと潔く、ずばっといけ。これがお前の口癖だっただろ？」
「そうね。じゃあ、ずばっと、行ってきます」
「ちょっと待った」
「何？」
「今夜だけ、一緒に過ごしてくれ。一緒に飯、食ってくれ」
「奢り？」
「奢りだ」
「それなら、明日まで出発は待つわ。今日はいっぱい食べるわよ〜」
「おう、食え食え。餞別代わりだ」

「ふー。もう入らない。満足」
「……今までになく、よく食べたな」
「だって奢りだもん」
「デザートは、別腹か？」
「えっ？デザートも奢ってくれるの？」
「しばらくお別れだからな。バーカウンターの方へ行こうぜ」
「バーカウンターにデザートがあるの？」
「ここは、フローズンダイキリで有名な宿なんだ。なんとかいう作家も、それを好んで食べていたらしいぜ」
「ふうん……あんたにしては、よく覚えてるじゃない。作家の名前を忘れているところはあんたらしいけど」
二人は、カウンターの前に座った。
「こいつには、フローズンストロベリーダイキリを。俺は、何かシングルモルトを見繕ってくれ」
やがて、リナの前にピンクのシャーベット状のカクテルが運ばれてきた。
「こ……これがカクテル？」
「ラムとライムジュースを凍らせたものに、苺のリキュールを加えたものですよ。溶けないうちに、お召し上がり下さい」
まだ若い、バーテンダーがそう説明する。リナは、カクテルに添えられた小さなスプーンで、少しずつシャーベットを口に運ぶ。
「グレンリベットでございます」
ガウリイの前に、琥珀色の液体が置かれる。ガウリイは、少しだけそれを口に含んだ。
「どうしても、一人で行くのか？」
「……うん」
「お前は、確かに強いけど、脆いところがあるからな。はっきり言って、一人旅に出すのは心配だ」
「……うん」
「それに、お前は魔族につけねらわれているだろう？そんな時、お前を守ってやれないのは歯痒いよ」
「さっきから聞いてると……あたし、そんなに頼りない？」
「まあな。お前と長く旅をしてるとそんな風に思えてくる」
ガウリイは、ぐっとウイスキーを口に含む。
「旅から帰ってきたら、俺のところに来てくれるか？」
「もちろん！真っ先に、旅の報告をしに行くわよ」
「そういう意味じゃない。俺と一緒にいつまでもいてくれるか、って聞いてるんだ」
「ガウリイ……」
「本気だぞ、俺」
もう一度。喉を焼く強いアルコールを、口に流し込む。
「酒の勢いを借りないと言えないなんて、情けない話だけどな。俺を、一生のお前の保護者にしてくれ」
「ガウリイ、それは……」
「嫌か？」
「ありがとう。気持ちは嬉しいわ。でも、その想いには、たぶん応えられない」
「そっか。気をつかわせて悪かったな」
「ううん。こっちこそ、ごめんなさい」
「お前は、誰かが好きなのか？」
「…………」
「いいよ。無理に答えなくても。ちょっと、聞いてみただけだから」
グラスに残ったウイスキーを飲み干す。
「マスター、お代わり」
「ガウリイ、飲み過ぎは駄目よ」
「俺は酒には強いんだ。それに、呑まないとやってられない……お前に責任をかぶせるわけじゃないけどな」
「お代わりです」
ガウリイは、チェイサーも飲まずに、その液体を一気に口に流し込んだ。
「ガウリイ！」
「ちょっとだけ、やけ酒だ。俺は、もう何年も、お前だけを見てきたからな」
「それが……恋愛感情に代わったのはいつ頃だったの？」
「さあ。俺も忘れちまった。ただ、お前はずっと俺のそばにいるもんだと思っていた。なあ、一人旅、寂しくないか？」
「寂しいよ。ガウリイと離れるわけだから」
「そういってもらうと、俺としても嬉しいよ」

こん、こん。宿屋のドアが丁寧にノックされる。
「どうぞ。鍵はしてないわ」
「邪魔するぜ」
「ガウリイ……！どうしたの、こんな夜中に」
「明日で、お別れなんだよな、俺たち」
「永遠の別れ、ってわけじゃないわよ。気が向いたら、また会いに行くわ」
ガウリイは、リナの細い肩を掴むと、ベッドに押し倒した。
「……？何するの、ガウリイ」
「お前と離れたくない」
「それとこれと何の関係があるのよ」
「お前に当分会えなくなるのなら、今夜だけ、俺の言うことを聞いてくれ」
「……駄目よ。ガウリイ。それは駄目」
「嫌なら、俺のこと魔法で吹き飛ばせばいいだろ。火炎球（ファイアーボール）の一発で、俺は壁までたたきつけられるぜ」
「そんなこと出来ない」
「じゃあ、俺の言うこと、聞くか？」
「……卑怯よ、ガウリイ」
「俺は、ずっとお前とこうしたかったんだ。抵抗しないんなら、止めないぜ」
リナは、ゆっくりと手を挙げると、ガウリイの頬を打った。
「嫌なんだな」
「……そう」
「こんな痛くもかゆくもない平手打ちで、俺はお前を諦めなきゃならないんだな」
「大好きよ、ガウリイ。あんたほど優しい男はいないわ」
「優しい……か……」
ガウリイは、額を押さえた。
「多少優しくなくても、お前を手に入れられる男になりたかったよ」
ガウリイは、リナの手を引いて起こした。
「それじゃ、お休み」
ドアの閉まる音。リナは、その深紅の双眸から涙を零した。
「許してね、ガウリイ。あたし……」

朝が来た。リナは、太陽が昇る前に宿屋の主人を起こし、朝食を作ってもらった。
「お客さん、ずいぶんと早く発つんだね。急ぎの用事かい」
「まあ、そんなところです。それより、お代わりよろしく」
「朝から食べるねえ……」
「おい、リナ」
「ガウリイ……！」
「俺に何も言わずに旅立つつもりだったんだろうが、そうはいかないぜ。うー、昨日飲み過ぎた。頭が痛いぜ」
「あたしのことなんか、ほっといてくれれば良かったのに……」
「好きだった女が遠くに行っちまうんだ。見送らせてくれ……って、その朝食の量だと当分旅立ちそうにないな。おやっさん、俺の分の朝食も頼む」
二人は、向かい合ってがつがつと朝食を食べた。
「こうして、一緒に朝食を食べることも、当分無いんだな」
「寂しくなるから、そんなこと言わないで」
やがて二人は、テーブルの上に皿を積み上げて、満腹になった。
「じゃあ、行こうかな」
「表まで見送らせてくれるよな」
「うん」
宿屋の前を、まっすぐ貫いている街道。
「どっちに行くんだ」
「森の方」
「元気でな。元気じゃないお前なんて、考えられないけど」
「ガウリイも、元気で」
リナは、歩き出した。時々振り返る。ガウリイは、ずっと宿屋の前で、小さくなっていくリナの姿を見ていた。

森に入る。昇ってきた朝日が、美しい木漏れ日をつくる。朝露に濡れた小さな花を、リナはしゃがんで眺めた。その時、ふっと後ろに気配を感じた。
「ゼロス、来たのね」
「ええ。貴女を監視するために」
「それだけ？」
「貴女と二人で旅をするために」
「よろしい」
「やれやれ、獣王様のおっしゃることはよく分かりませんね。僕が、貴女と一緒に旅をしたいと思っていたら、いきなり貴女の監視を言い渡すなんて。それにしても、なぜガウリイさんと一緒じゃないんですか？」
「あんたが、それを聞く？」
「僕と二人きりになりたかったからですね、リナさん」
「……まあ、そうよ」
「嬉しいですね」
「しっかり、あたしを監視してね」
「まかせて下さい……それで、目的地はどこですか？」
「ガウリイと、アメリアと、ゼルのいないところ」
「二人旅を見られるのは恥ずかしいですか？」
「まあね」
「じゃあ、とりあえずはこの街道をまっすぐ行きましょう……お昼近くに、次の街に着くはずです」
「あんたは、空間を渡れるんじゃなかったっけ？」
「たまには、足を使って歩くのもいいものですよ。初めてあなた達と知り合った頃を思い出します」
「うん、あたしも、足を使って歩きたかったの。……あんたと」
「光栄ですね」
二人は、肩を並べて歩いていった。

「リナさん、次の街が見えてきましたよ」
「ふう。今朝は朝ご飯が早かったから、お腹空いたわ」
「食堂を探しましょう。それと、今夜はこの街に泊まりますか？」
「午後を使えば、もっと遠くまで行けるんじゃないの？」
「ここから、次の街までは結構離れています。今日はここで休むことをお薦めしますね」
「分かった。宿を探そう」
食堂のメニューを片っ端から食べ尽くすリナを、ゼロスは楽しそうに見ていた。
「美味しいですか？」
「最高よ。あんたも少し食べてみる？」
「魔族は食物から栄養はとりません」
「でも、味は分かるんでしょ？」
「まあ、分かりますが」
「じゃあ、この肉食べてみて！絶対に美味しいから」
「……美味しいですね」
「何よ、はっきりしない答えね」
「僕たちの味覚は、人間の生肉とか、生き血とか、そういうものをもっと美味しく感じますからね。もちろん、その時にその人間から発せられる苦痛がもっとも僕たちにとって甘美なものですが」
「魔族って……やっぱり人間とは相容れないものなのね」
「僕は、貴女とともに生きたいですよ」
「前から思ってたんだけど、どうしてあたしにそんなにかまうの？あたしたち人間は、あんたたち魔族にとっては餌でしかないんでしょ？」
「リナさんは珍しい人間だからですよ。人間が宝石や金を大事にするのだって、それが珍しいものだからでしょう？」
「宝石や金は……珍しいから、っていうのもあるけど、美しいから、って理由もあるわ」
「貴女は宝石や金のように美しいですよ」
「……」
リナはしばらく黙る。
「な……なあに歯の浮くようなこと言ってんのかなあ？」
「本当のことですよ。気づいていないんですか？」
「やーね。あたしが美少女だってことくらい、あたしには分かってるわよ」
「そうです。貴女は美少女だ。でも、ただの美少女にない輝きを放っているんです」
「輝き？」
「その心の強さ。凛とした意志。そんなものが、貴女のその深紅の瞳からあふれ出ています」
「それは、あんたたち魔族にとっても？」
「ええ。魔族の僕にとってさえ、貴女の生の力は、まぶしく、美しい」
「だから、獣王様の命令に従って、あたしを監視に来たの？」
「ええ。願ったりかなったりでした。我が主は、僕が貴女に惹かれていることに気づいていたのかもしれませんね」
「あたしの気持ちの方は、分かっていたのかしら。あんたを好きだっていう、このくだらない気持ち―――」
「くだらないとはひどいですね。……でも、貴女から好かれて、僕は本当に嬉しいですよ」
二人は、食堂の喧噪の中で唇を合わせた。周りがざわめく声が聞こえたが、二人は気にしなかった。
「さてと、お腹もふくれたことだし、今夜の宿を探さなくっちゃ」
平和な田舎町をぶらぶらと歩く。そんな二人を、千歳を越えるドラゴンスレイヤーと、若干１８歳のデモン・スレイヤーだとは、誰も思わないだろう。神官と魔導士のカップルは、少し人目を引くが。
「どうやら、この街に宿は一軒だけのようですね」
「そうね……でも、小綺麗なところじゃない。とりあえず、街を見て回りたいから、荷物を置きましょう」
二人は、宿屋のカウンターに立った。
「一人部屋を……」
「二人部屋を一つ、お願いします」
「はい、二人部屋ですね。空いております。荷物をお預かりします」
「ゼ……ゼロス！」
「その方が安上がりでしょう？」
「何言ってんのよ、あんた魔族でしょ！眠らないくせに」
ゼロスは、前を行く従業員の耳に入らないように囁いた。
「僕と旅をすると決めたときから……覚悟は出来てるんでしょう？」
「覚悟って……」
「僕は我慢しませんよ」
リナは、黙って顔を赤くした。

「彼と彼女のソネット」は原田知世さんの曲です。もともとは、フラ ンス語の歌で「T'en va pas」という歌なのですが、それの日本語歌詞バージョ ンです。漫画の「彼氏彼女の事情」の章タイトルにもなってますね。内容は全然 関係ないですが。それでは、続きもよろしくお願いします。

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