十日物語…十日目


「ん……」
リナは目を覚ます。二人の男が、自分をのぞき込んでいる。漆黒の髪と、金色の髪。深い闇を思わせるアメジストと、遠い空を思わせるサファイア。
「あたし、は……」
「まだ喋らないで下さい。貴女は、酷い傷を負ったんです。ガウリイさんの生命力を分けて、なんとか生きることは出来ましたが……」
「ん……」
リナは自分が酷く疲れていることに気づく。疲れているのではなく、体力が僅かしかないだけなのだが。
「まだ、眠ってて……いい?」
「もちろんだ、リナ」
金髪の男の大きな手が、優しく肩を叩く。リナは、また深い眠りに落ちていった。

「とりあえずは、成功したようですね」
「ああ。お前に礼を言うよ。ただ……」
「リナさんは一生外には出られないのか、とおっしゃりたいのでしょう?」
ゼロスは額を押さえる。
「ここは、三重のロックが施してある。獣王様でさえ、この場所を見つけるのは用意ではないでしょう。しかし……」
「冗談じゃない。リナを渡せ。俺にはこの剣がある。リナを守り抜く」
「さっきの光の帯をあなたも見たでしょう。いくらその剣が伝説の斬妖剣であったところで、何の役に立つというのですか。それに、獣王様だけが独断でリナさんを狙っているとは思えない。これは、海王ダルフィン様も関わっていると見た方がいいでしょう」
ガウリイは、軽く目眩のする頭をかき乱す。
「それじゃ、リナは殺されるまで逃げ回るしかないって事か」
そして、ふと瞳をゼロスに向ける。
「お前さんはどうなるんだ。いわば、上司の命令に背いてる、ってことだろう?」
ゼロスは微笑んだ。
「ほんとうにあなたは優しい方ですね。この状況で僕のことまで心配してくださるなんて、なかなかできませんよ」
「で、どうなんだ」
「非常にまずい立場、と言えるでしょうね。リナさんを隠している今も、この一刻一刻が上司への裏切りです」
「それでもリナを殺さないのか」
「殺せないんです」
三重になった偽りの世界の壁は、外の光を通さない。墨を流したような空のもとで、三人は暖かさから切り離され、漂っている。
「僕はどうすればいいと思いますか?」
「俺に聞くな。俺は頭脳労働派じゃないんだ」
「質問を変えましょう。もしあなたが僕だったら、どうしますか?」
「うーん……」
ガウリイは、しばらく唸っていたが、答えた。
「自分の持てる全ての力を使って、上司に反逆するな。命を賭けて……ただ、決して命を失わないように。それが、惚れた女のために男がやることだろう」
「惚れた女……ですか。ガウリイさんはリナさんのことを?」
「ああ、好きだが、見込みなさそうだな。俺は、こいつにキスしたことすらないんだ」
「今なら、できますよ?」
「卑怯な真似はできない」
ガウリイの言葉に、ゼロスは苦い痛みを感じて、うつむいた。


☆ ☆ ☆


リナは、安らかに眠り続けている。男二人は、疲れ切ってその側に座り込んでいる。
「なあ、一つ聞いてもいいか」
「何でも」
「なんで、世界の鍵をリナの唾液なんかにしたんだ」
「そうですね……キス、したかったからでしょうね」
「まったく。お前、真面目そうに見えて結構変態だな」
「へんた……」
ダメージを受けるゼロスを後目に、ガウリイは金の髪をかき上げる。
「ああ、腹が減ったな」
「すみません。この空間には、食べ物は……」
「いいよ、分かってる。ただ愚痴を言っただけだから。気にするな」
「でも、あなたもリナさんも食べ物が無くては生き続けられませんよね。いつまでもこの三重結界の中に閉じこもっているわけにはいかない」
「ああ」
ガウリイは、瞳を暗くした。
「ここから出たら、またさっきみたいな光の帯がリナを殺すのか」
「そうなるでしょうね」
「俺か、お前が一人で出れば」
「空間のゆがみで、獣王様には簡単にこの場所は見破られるでしょう」
「戦おう」
ガウリイは、床に深々と突き刺さっていた斬妖剣を引き抜いた。
「俺とお前で、力を合わせて獣王ゼラス=メタリオムを倒すんだ」
「僕には無理です」
「お前、リナを好きなんじゃなかったのか」
「……それは、好きです。誰より」
「じゃあ、なぜ……」
「僕をおつくりになった獣王様に逆らうことは出来ません」
「八方ふさがり、か……」
斬妖剣を投げ出し、ガウリイは窓を見た。床を転がる剣が、軌跡を描くように床を削り取ってゆく。
「夜なのか」
「いえ、ここには光はありません。そして空間も。この部屋だけが、三重の空間に包まれているんです」
「つまり、ここにいる限り、俺たちは死んだも同然と言うことだ」
「リナさんも、以前同じ事を言いましたね……人間とは、そんなに生きることを大事にするものでしょうか」
ガウリイは微笑んだ。
「俺も、昔は生きることに嫌気が差していた。滅びを求めるというお前さんたちの気持ちが分かるほどに、な」
ゼロスは黙って聞いている。
「でもな、」
ベッドで眠る少女の、柔らかな色素の薄い髪をすくい上げる。
「変わったんだ。こいつと出会ってから」
紅茶色の髪に口づけ、手を離す。
「ああ、生きる事って、こんなに楽しかったかな、って」
「分かりました。僕の持てる全ての力を使って、生きましょう、僕たちも、リナさんも」
「何か出来るのか?」
ガウリイは、不思議そうに首を傾げる。
「世界を越えます」
「せかい、って……俺には良く分からんが、別の神様の世界に行くって事か?」
「その通りです」
「ふうん……お前って、そんなことまで出来るのか。まあ強い奴だとは思ってたけど」
「僕の力を越えたことです。でも、リナさんのためなら……」
「ちょっと待って」
ベッドの上のリナがかすかに動いた。そのまま、両手をついてふらふらと起きあがる。
「リナさん!」
「リナ……」
「それは、もうあたしの家族にも、アメリアにも、ゼルにも会えないってこと? この地上を離れて、生きていけるかどうかも一か八かの世界に行くってこと?」
「リナさんが嫌だというのなら、僕は……」
「ううん」
リナは首を振った。
「それしかない、っていうんならそれに賭ける。でも、ゼロスはともかく……ガウリイ、あんたまで巻き添えにしちゃっていいの?」
「俺は、ずっとお前の巻き添えになってきた。それが俺の誇りでもある。今更、嫌がったりしないさ」
「ガウリイ、あたしが好き?」
「ああ、好きだ」
「ゼロスは?」
「好きです」
リナは屈託無く笑う。
「あたしってば、もてもてね。こんないい男が二人もついてるんじゃ、生き延びられないわけ、無いわね。じゃ、行きましょっか、その新しい世界へ」
「はい……」
部屋の外の暗闇が、渦を描くようにひずみ、リナはかすかな耳鳴りを感じた。
(さよなら、スィーフィード世界……さよなら、みんな。)
耳鳴りが強くなり、リナは意識を失った。

目を覚ますと、そこは荒野だった。リナは、あの耳鳴りが無くなっているのを感じた。すぐ側に、ガウリイが倒れている。ゼロスの姿を探すと、一足先に目覚めたらしく、双眼鏡で遠くを見つめている。
「ゼロス! 何か見える?」
「リナさん」
「どう? 何か見えた?」
「ええ……」
愛しい貴女が、すぐ側に。




最終回です。今日までおつきあいいただいた皆様、お疲れ様でした。私の小説にしては珍しく、ガウリイが明確に振られていない(古い言葉ですがドリカム状態?)終わりとなっています。ラストは何だかこじつけですが、見逃して下さいねm(_ _)m では、また違う小説でお会いしましょう!


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