十日物語…８

十日物語…八日目

「あんたの傷には、包帯もリカバリーも意味がない。あたしに出来ることは、あんたを傷つけた誰かを憎むことだけ。役立たずな自分が悔しいわ」
ゼロスの冷たい手を温かな小さい手で握って、リナは泣き続けた。彼女の憎しみがガウリイに向けたものだと知ったら、彼女はどう感じるだろう？　その想像は、ゼロスをひどく刺激した。
「苦しいなら、人間の姿、保っていなくてもいいのよ……」
「いえ、もう大丈夫です。貴女の負の感情を充分にいただきましたから。だから」
起きあがって、濡れたリナの頬を指先で拭う。
「もう、泣いて下さらなくてもいいんですよ」
「ゼロス」
「リナさん」
自然に、顔と顔が近づいた。優しく、唇が重なる。舌が絡まる。互いに、互いのことしか見えない。
「ゼロスには苦しみの感情でしかないんでしょ、こんな優しいキスは……」
「いいんです。僕は貴女がこんなに側にいてくれるだけで、苦しくなるくらい愛おしいんです」
「やっぱり苦しいんだ」
リナは優しく微笑んだ。
「……恋愛とは、不自由なものですね。苦しむと分かっていても、囚われる。目が見えなくなる」
「千年以上生きて、やっとそれが分かったの？　でもね、苦しいのはゼロスだけじゃないわ」
「貴女も？」
「あんたに愛されて、嬉しいの。こんな気持ちがあたしの中に生まれていたなんて。あたしには仲間がいる。外の世界ではガウリイが心配してる。でも、あたしは想ってしまう。あんたしか、いらないかなって」
ゼロスは、リナをベッドの上に乗せ、抱きしめた。
「僕は、貴女を殺せなかったら、きっと滅ぼされる。魔族にあるまじき感情を抱いたものとして」
リナは深紅の瞳をあげる。
「正直言って、この広いようで、おっそろしく狭い世界に閉じ込められるのは嫌なんだけど……我慢してあげる。あんたの命のためだもの。そのかわり、あんたは側にいてね。あたしに寂しい思い、させないでね」
「命に代えても」
「ほんと、『命に代えても』なのよね」
リナはくすくすと笑った。
「お願いがあるの」
「何ですか？」
「ガウリイに、最後に逢いたい。今までの、お礼が言いたいの」
「それは……」
「危険なこと。分かってる。でも、このままいなくなったんじゃ、ガウリイ、あたしを探し続けるわ。それは、あまりにも辛いことだから……」
「わかりました。でも……今夜だけは、一緒にいてくれますか？」
「どうして？」
「看病、して欲しいんです」
「わ、甘えたさん」
リナは深くベッドに潜り込み、ゼロスの冷たい手を握った。

☆　☆　☆

次の朝、リナは目覚めるとシャツとズボンだけを身につけた。
「じゃあ、謎の答えを教えてよ。この世界から出られる鍵は何？」
「リナさんが一番鍵を握っていたんです」
「へ？」
「リナさんの唾液を、指につけてかざしてみて下さい」
リナが言われたとおりにすると、空間に波紋が生まれた。
「そこをくぐってみて下さい」
「変な感じ。えっと……わ、腕が先から無くなってく」
「波紋の向こう側は、外の世界です」
リナは、納得したように歩みだそうとして、キッと眉をつり上げて振り返る。
「と、いうことは……」
「何ですか？」
「しょっちゅうあたしにキスしてたのは、鍵となるあたしの唾液を取るため？」
「いやあ、そうとも言いますね」
「このスケベ神官！」
リナは、スリッパでゼロスに思い切りつっこみを入れた。
「……お、お嫌でしたか？」
「嫌じゃ、なかったわよ。だから怒ってるんじゃない」
「あ、もしかして、キスのたびに喜んで下さってたんですか？」
「やかましい」
リナは、もう一発きついお仕置きをして、空間を渡ろうとした。その時、別の空間のゆがみが現れ……剣を握りしめたままのガウリイが部屋の中に降り立った。

（今は頭を使う担当のリナがいない。俺が考えるんだ。この頭で）
ガウリイは、剣で負った深い傷に包帯を巻きながら、必死でゼロスが逃れたときの様子を頭の中に再現していた。
（あの時、ゼロスは手袋を外して、口の中に指を突っ込んだんだ。そして、その手をのばすとあの変な波紋が生まれた。リナを閉じ込めてる世界に行くには、そうしなきゃいけないのか）
ガウリイは、自分の手を口に入れると、その指をかざしてみた。何も起こらなかった。
（ゼロスの唾液じゃないと、駄目なのか。いや、それとも───）
ガウリイは、ふとした思いつきに、部屋の中をひっくり返した。部屋の隅に置かれたゴミ箱に、あの遊園地から帰ってきたリナがガウリイに差し出した、肉の空き箱があった。
（あの時、確かリナも……）
『いい匂い！　ねえ、あたしも一口だけちょうだい』
そういって、使い捨ての木のフォークで、肉を食べていた。
肉の空き箱に張り付くように、フォークがあった。
（もうだいぶ前のことだし、乾ききってるかもしれないが───）
ガウリイは、片手に剣を持ち、もう片手にフォークをかざした。薄い波紋が宙に生まれた。迷うことなく、そこへ飛び込んだ。

「ガウリイ！」
「リナ、無事か！！　ゼロス、今度という今度は許さない───といいたいところだが、リナを返すなら勘弁してやる。リナ、何かされなかったか」
「ガウリイ、どうやってここに……」
「俺もない頭をしぼったわけだ。ゼロスが逃げたときの様子と、リナ、お前がゼロスと遊園地の帰りにキスしてたことを思い出してな」
「なっ……な、見てたの？」
「ゼロスの声がしたからな。帰るぞ、リナ」
「その……帰らない」
ガウリイは、信じられない言葉に、目を見開いた。

八日目。ついにガウリイが秘密の場所の存在に気づきました。物語も佳境です。このままあと二日、読んで下さると嬉しいです。