十日物語…６

十日物語…六日目

「ゼロスだ。ゼロスの野郎だ。絶対に」
ガウリイは、苛々と街を歩き回っていた。熱の抜けたあとの身体のだるさは残っていたが、消えてしまったリナを探し出すためなら、４０度の熱があっても休まないだろう。
「あの時、何を二人でこそこそ話してたんだ……そしてあいつはリナに……」
自分の耳がもっと良かったら。ガウリイは、他人の数倍の聴力を有していながら、漠然とそう思った。
「生きてる人間なら、探しようもあるんだが……あすとらる・さいど？　あっちの世界に隠れられると、俺にはどうしようもないからな」
目の前には道しるべ。東西南北をさす、木の板。
「畜生！！」
ガウリイはブラスト・ソードを抜いた。道標を切り刻む。道の真ん中に立っていたそれは、バラバラの木片になって崩れ落ちた。通り過ぎる人々は、関わり合いにならないように立ち去り、遠くから眉をひそめたが、ガウリイは荒い息を治めることもせず、つぶやいていた。
「リナ……リナ」
あの時自分が熱を出していなければ。あの時リナとゼロスを二人きりにさせなければ。リナがいなくなることもなかったのではないか。そう思うだけで歯痒くて、ガウリイは今度は街路樹に刃を向ける。その時だった。
「八つ当たりですか、ガウリイさん」
闇色の神官が、宙に現れ、ゆっくりと地面へ降りた。
「ゼロス……貴様！　リナをどこへ隠した！」
「安全な場所へ」
「何が安全だ。リナは俺の側にいるのが一番“安全”なんだ。リナを返せ」
黒いマントの襟元を掴みあげる。ゼロスは、にっこりと微笑んだ。
「あなたを殺せ、との命令は出ていないのですが、あなたもルビーアイ様の一部を滅ぼすのに手を貸したもの。片づけてしまっても我が王は全く問題にしないでしょう」
「俺を殺せ、との命令は出ていない。つまり、それは……」
しっかり掴んでいたはずのマントが、手の中から消える。と、同時にガウリイの後ろから声は聞こえた。
「そうです。あなたの大事なリナさんを殺せ、との命令が、僕には出されている」
「ならば……！」
ガウリイは、抜き身の剣を背中に向けた。きぃん、と音がして、何かが剣を弾く。それは透明な壁のようなもの。
「な……っ。俺は、この剣で魔王とも斬り結んだんだぞ」
「甘いですねえ。あなた方に滅ぼされることを望んでいたルビーアイ様の一部と、あなたの剣で滅ぼされるつもりは全くない僕とでは、結界の強さも変わってきます。それに、その剣、あのくだらない黄金竜によって、封印が施されていますね？　そんななまくらでは僕は斬れませんよ」
「リナは、生きているのか……っ！」
「ええ、生きてますよ。僕だけの秘密の場所で、ね」
「なぜ殺さない。リナを飼い殺しにする気か」
「まあ、言葉は悪いけれど、そういうことです」
ゼロスは、手袋を外した。人差し指の先を舐め、軽くその指を空へ向ける。波紋のようなものが拡がる。
「あなたは、もうリナさんのことを忘れて下さい。その方がリナさんのためです」
闇色の青年は、波紋の中に姿を消した。
「っかやろー……」
金色の青年は、刀を莢に納める。
「ありえねえよ！　俺がリナを忘れることが、リナのためになるなんて……！」

☆　☆　☆

リナの唾液を鍵にした、無限の河に囲まれたあの空間にゼロスは入る。リナは『食堂兼宿屋』でおとなしくしているだろうか。リナの気配を探って空間を渡る。リナは川岸にいた。うつぶせに、ぐったりと倒れている。
「リナさん……リナさん!?」
周りに、吐いたあとがある。ゼロスはあわててリナを抱き上げ、空間を渡った。宿屋のベッドに彼女を寝かせる。リナの顔色は紙のように白い。
「リナさん！」
強く呼びかけると、リナはゆっくり目を開いた。
「……ゼロス」
「リナさん、あの河の水を飲んだんですか？」
「汲み置きの水がなくなって……喉が……渇いて」
「あの河の水は、水のように見えて水じゃない。空間をねじ曲げる作用を持った魔法薬です。人間が飲んだら、相当なダメージを受けます」
「くるし……水……」
「僕が迂闊でした。あなたに一番必要な水を切らせるなんて。とりあえず……」
懐から林檎を取り出す。
「新鮮な食べ物が欲しいとおっしゃっていたので……これを」
鞄からナイフを出して剥く。小さく刻んで、リナの口元に持っていった。しかし、リナは再び意識を失ってしまったようだ。苦しげな呼吸だけが部屋に響く。
「リナさん……」
ゼロスは、林檎を口に入れ、噛み砕くと、そっとリナに口づけた。冷たい果汁が、リナの喉に滑り込む。意識のないまま、リナはそれを飲んだ。ゼロスは、何度かくり返し、林檎一個分の果汁をリナに飲ませた。
「あ……」
リナがゆっくり目を開く。
「林檎の……味。ゼロス、食べさせてくれたの？」
「ええ。まあ」
「ありがとう」
リナは弱々しく微笑んだ。
「どうして、そのまま放っておかなかったの。あんたが手を下さずにあたしが死ねば、あんたの心も痛まず、上司の命令に従えるんじゃないの？」
「僕は……リナさんを殺したくないだけじゃない。貴女に死んで欲しくないんです」
「ゼロス」
リナは、手をのばしてゼロスの冷たい頬に触れた。
「あたしは人間だし、いずれあんたをおいて死ぬわよ。あたしに思い入れるのは止めた方がいいわ」
「そうできるならそうしています」
「ふふっ……ゼロス、拗ねてるの？　何だか可愛い」
ゼロスは、ベッドの上のリナに覆い被さった。優しい唇が、リナの頬を撫でる。
「貴女が欲しいものは何でもそろえます。ここで、生きて下さい。僕以外の目に触れず、僕以外の言葉を聞かずに」
「ゼロス。それは出来ない。それは人間として生きていることにはならないもの」
「リナさん……」
「ここから出る方法を教えて」
ゼロスは、リナの上から身体をどかせた。そして、ふっと宙に溶けた。
「逃げられた、か」
リナが部屋の隅を見ると、野菜や果物、生の肉や魚が置いてあった。
「とりあえず、お料理しよっかな？」
リナは立ち上がり、そして少しふらついた。

六日目です。折り返し地点まで来ました。いらだちをつのらせるガウリイと、ゼロスを拒絶するリナちゃん。ゼロスの自覚のない恋は、三人をどこへ運んでいくのか。それではまた明日、お会いしましょう。